北朝鮮の女スパイ | 日本のお姉さん

北朝鮮の女スパイ

北朝鮮の女スパイ拘束 韓国、地下鉄機密情報を本国に報告
2010.5.23 23:48
このニュースのトピックス:韓国
 韓国の情報機関、国家情報院とソウル中央地検は23日、ソウルの地下鉄情報などを不正に入手し、北朝鮮に報告したとして、国家保安法違反の疑いで国家安全保衛部所属の女工作員(36)と地下鉄公社「ソウルメトロ」の元幹部の男(52)を拘束したことを明らかにした。聯合ニュースが伝えた。

 2人はインターネットのチャットで知り合い、その後恋人関係に発展。元幹部は女が北朝鮮の工作員と知った後も、地下鉄総合司令室の非常連絡網や非常事態発生時の対処要領など、テロ組織が悪用しかねない機密文書300枚余りを手渡していた。(ソウル 水沼啓子)http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100523/kor1005232352004-n1.htm

去年の9月の北朝鮮の女スパイの記事。↓
【衝撃事件の核心・特別版】北の女スパイ全貌(1) 生活苦から盗み、捜査恐れた優等生…思いがけぬ工作機関スカウト (1/5ページ)
2008.9.13 12:18
初公判で裁判所に入る北朝鮮の女工作員、元正花被告=10日、ソウル郊外
 韓国で脱北者に成りすまし、スパイ活動をしていたとして国家保安法違反の罪で起訴された北朝鮮国家安全保衛部(秘密警察)所属の女工作員、元正花(ウオン・ジョンファ)被告(34)の活動実態の全貌が、韓国の検察当局が作成した起訴状から明らかになった。忠誠心、裏切り、性、脅し、拉致、愛情…美貌のウオン被告の口から語られたスパイ活動は“凄絶”の一言に尽きる。彼女の生い立ちから逮捕・起訴までを、シリーズで再現してみる。


スパイの巣「国家安全保衛部」

 ウオン被告が所属していた「国家安全保衛部」は金正日総書記直属の対南(韓国)工作機関である。

 各道、市、郡単位および大企業などの傘下部署のほか、中国内の北京、延吉、フンチュンなどに、対北朝鮮貿易会社を偽装して活動している。

 社会主義体制の維持のため、反革命分子やスパイ、脱北者の捜索、韓国出身の対北貿易業者の抱き込みなどを行う。

 平壌市テソン区域ミサン洞峰花芸術劇場の裏手に位置し、本部要員8000人に、市・道・指導部要員などを含めると総勢5万人規模になるという。


父も工作員 生後間もなく南潜入途中に殺害され

 ウオン被告は1974年1月29日、北朝鮮咸鏡北道清津市生まれ。現在34歳。

 生後間もなく、父は北朝鮮工作員として韓国に潜入する過程で殺害された。76年ごろ、母が継父(63)=国家保安法違反容疑で摘発=と再婚し、母と継父の間に出生した妹と弟らとともに成長した。

 清津市の古茂山セメント託児所や、古茂山セメント幼稚園、古茂山入民学校、古茂山女子高等中学校に通っていたが、家族が転居することになった。89年6月まで南郷高等中学校に通ったが、中退した。

 ウオン被告は最優等表彰をよく受けており、古茂山女子高等中学校4学年のときには勉強をよくやり、学校に貢献もした生徒に贈られる「二重栄誉赤旗勲章」も授与された。



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出身成分(身分)と学業成績が優秀で89年6月ごろ、社会主義労働青年同盟(=社労青、後に金日成社会主義青年同盟と改称)中央委員会の崔龍海委員長に選抜された。

 昼は書記として勤務しながら、午後4時から8時までは、全国から選抜された9人の同期と社労青幹部、突撃隊大隊長ら約18人と一緒に、工作員養成機関「金星政治軍事大学」(後に「金正日政治軍事大学」に改称)で、「金日成革命歴史」や「金正日革命歴史」、国語、数学、政治学学習などの突撃隊幹部教育を履修した。


毒針まき、手裏剣投げ、射撃…

 ウオン被告は89年10月中旬ごろ、平壌市牡丹峰区域チョンスン洞にある、工作員養成所である特殊部隊に入隊した。

 1週間の新入生教育。午前6時に起床、洗面し布団の整理をした後、朝食をとり、午前7時ごろから軍事新聞を読むなど休憩し、午前8時から午後6時まで、部隊原則を暗証して、訓練で守らなければならない注意事項を小隊長の安イルスから受けた。

 同年11月ごろ、新入生検閲を済ました後、3中隊2小隊に配属され、大隊長や保衛部政治部長、参謀長の前で、朝鮮労働党予備党員申請書を作成、提出した。

 特殊部隊では92年2月ごろまで泰拳道、毒針まき、手裏剣投げ、槍投げ、山岳訓練、射撃(38口径の拳銃)、克己訓練(冬に凍った水で長時間耐えたり、海水に浸かり長時間耐える訓練)を受けた。

 1カ月に1度、午前10時から12時まで、講堂で全隊員が集まる中、生活総括をしながら、小隊長がその日の朝に指定した教育生が前に出て、訓練中の間違った部分に対する自己批判を行った。

 毎週土曜日には、中隊長が参席する中、中隊長の事務室で、小隊員全員が自己批判などにより生活総括を行った。

 ウオン被告は91年ごろ、特殊部隊で工作員訓練を受ける過程で、北朝鮮に渡った韓国軍人(当時20代後半)から1対1で、韓国の地理、略図、韓国の言葉などについての教育を受けた。


けがで除隊…盗みで逮捕、転落の人生

 92年2月ごろ、ウオン被告は訓練中に頭を負傷し、入院した。



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治療を受けていたその年の6月ごろ、大隊長と氏名不詳の男の前で、特殊部隊訓事項に対する「秘密厳守宣誓文」を作成、提出した。

 退院した後、社労青中央委員会に行き、組織部副部長と課長に会い、「部隊訓練中にけがしたことは言わずに、ただ社労青で勤務していて怪我したことにする」という趣旨で誓約書を作成、92年7月に部隊を除隊した。

 ウオン被告は特殊部隊を除隊した後、当時の平壌市楽園百貨店の倉庫長と共謀し、百貨店の倉庫にある菓子や砂糖、布などを密かに盗み出し、故郷の清津市に持って行き、訪朝した在日同胞に売ったり、平壌でドルを買って清津で売る仕事をしていた。この「ドル売り」が当局の目に付き、93年3月、清津市シンアム区域にある天馬山ホテルで私服を着た安全員(警察官)に逮捕された。

 ウオン被告は取り調べを受ける過程で、平壌市楽園百貨店の品物を密かに盗み出して売った事実も明らかになり、一緒に裁判を受け、清津市新岩区域の裁判所で、国家財産貪汚罪で6年刑を宣告された。平南价川第1教化所に収容され、服役中の95年5月ごろ、金正日総書記の特赦で刑期を免除され出所した。


生活苦で盗み…取り締まりにおびえ中国に脱出

 96年12月末、清津化学繊維工場の社労青副委員長であった友人が、生活苦を訴えてきた。

 「亜鉛や銅を売れば、金になるんだって。工場にある亜鉛をちょっと持ち出して売ればいい。私のおじさんが長者山貿易をやっているが、亜鉛を買ってくれるので、そこに売ればいい」

 友人はこれに同意し、工場保衛隊にたばこと酒を渡して、亜鉛を持ち出すことに目をつぶってくれと頼みこんだ。ウオン被告と友人は、亜鉛をトラックに積んで道路に出たところ、「クルパ」(合同取り締まり班)に摘発された。


ウオン被告は逃走し、親戚の叔父である、清津市水南区域の政治部長の家に行き、助けを求めたが、帰宅したところを安全部に逮捕された。

 叔父の助けで釈放されたが、何日か後になって、再び他のクルパが家を訪ねて来て、怖さのあまり、茂山に住む姉の家へ行った。茂山で知り合った男の助けで、96年12月30日、中国に脱出した。


結婚、逃亡…再び北へ

 だが、中国での住まいはなく、結婚しなければならないと考え、紹介された中国の朝鮮族の男性と結婚することになり、97年1月5日から、黒竜江省イソン市の男性の家で家族たちと一緒に生活を始めた。

 ところが、夫は気性が荒く、間もなく結婚生活に耐えられなくなる。

 97年10月、家出し、アソン市のチンチョン食堂で従業員として1カ月半ほど働いたが、北朝鮮に戻ることを決意し、中国下龍市に行き、病院で夫との間にできた胎児を中絶した。

 98年1月、中朝国境を流れる豆満江を越えて、北朝鮮安州にいる叔父(当時死亡)の家に行き、叔母やいとこたちと暮らし始めた。

 ウオン被告は自らの「亜鉛事件」がその後どうなっているのか、まだわが身が危険にさらされているのかを調べようとした。

 98年10月、清津にいる母の実家の親戚で、清津市スナム区域の安全部政治部長の家に行って生活していた12月末、政治部長がウオン被告を自分の事務室に呼ぶので、行って見ると、そこには保衛部の軍服を着た2人がいた。

 「今からこの人たちが、お前を管理する。この人達が指示することをしろ」

 政治部長はそう言った。そのうちの一人が挨拶した。

 「正花同志ですね、われわれは保衛部招募所から来ました」

 2人は「何日かたったら招募所で会うでしょう」といって、その場を去っていった。


初公判で裁判所に入る北朝鮮の女工作員、元正花被告=10日、ソウル郊外

「中国にいる反逆者を捕まえる」

 約3週間後、保衛部職員が乗ってきた乗用車に乗って、清津市清岩区域にある咸鏡北道の道保衛部に行った。そこで会った咸鏡北道の道保衛部政治部長からこう言われた。

 「同志、これから新入生教育を受け、中国の延吉に派遣されることになるが、今後行う仕事は、両親にも秘密であり、誰にも口外してはならない」

 宣誓文を書き、「延吉に行き、中国にいる反逆者を把握して捕まえ、祖国の情報を収集する韓国人を把握して外貨稼ぎをしなければならない」という指示を受け、新岩区域の保衛部アジトにおいて、中国で活動する際の注意事項について1対1で教育を受けた。

 その後、成鏡北道の道保衛部反探処長から「一生懸命やれ。また会う日があるだろう」という激励を受け、98年12月31日、工作金500ドルを受けとり、保衛部所属の工作員となり、豆満江を渡って、中国に入っていった。

 =北の女スパイ全貌(2)へ続く

任務を受けて中国に“偽装脱北”した北朝鮮の女工作員、元正花(ウオン・ジョンファ)被告(34)。色仕掛けで誘惑し、情報収集する一方、脱北者を見つけては北朝鮮に送り返したり、中国にいる韓国人を拉致するなど過激な手口の工作活動を展開した。韓国検察当局の起訴状は、スパイ映画さながらの活動実態を浮かび上がらせている。

 
「脱北者を送り返せ」

 ウオン被告は1998年12月末から、朝鮮労働党国家安全保衛部の要員らとともに、中国延吉市豆満江ホテルに泊まりながら、約1週間、工作員活動要領や注意事項などの教育を受けた。

 「南朝鮮(韓国)の者に会うときは、ただ商売するような感じで『助けてくれ』と接近しろ。抱き込んだ者を、私の前に連れて来たら、私がその者に金を与えるなどして仕事をさせる。脱北者になりすまして、脱北者たちと合わせながら、脱北者を探して中国の公安と協力して、北朝鮮に送るようにしろ。脱北者の中に、特に祖国の情報を南朝鮮安企部(韓国の情報機関)の要員に売っぱらう者や、祖国の情報を盗みだす南朝鮮の者を探せ」

 保衛部の幹部要員からこんな指示を受けた。

 「ここは社会主義社会だが、資本主義も同じだ。だから、それに染まることなく、目をくらますことなく、いつでも祖国を思え。あなたたちが間違いを起こせば、家族に過ちが起きることだけを知っておけ

 「保衛部の女性要員が、中国政府の人間と恋愛をすれば、テープで口を塞いで、箱に入れて北朝鮮に送る

 「韓国人がカラオケボックスに多く来るから、そこの従業員に偽装して勤めれば、韓国の情報機関の者や、彼らにそそのかされた韓国事業家に沢山合うことができる。そのとき、脱北者だといいながら、自然に接近して、彼らが北朝鮮の情報を取ろうとしたり、祖国に反対する反動分子を支援したりするなどを把握して報告しろ」

 脅しと指示が矢継ぎ早に伝えられた。

中国ヤクザを使い、韓国人を拉致

 ウオン被告は指令どおり、99年1月から2000年7月ごろまで毎月300ドルを月給としてもらいながら、主にカラオケボックスなどに通い、脱北者の捜索、北朝鮮情報を収集する韓国人の索出などの仕事をした。さらにその傍ら、中古車商、錠剤の「ヨート錠」という麻薬の販売、偽ドルの販売などで外貨稼ぎの仕事をした。

 カラオケボックスの従業員に偽装就職していたとき、客として遊びに来た韓国人男性と知り合った。

 「私は脱北者でお金もなく、居場所もなくカラオケボックスで仕事をしています」

 そう誘った。

 次の日、男性からもらった番号に電話をかけた。

 電話を切ると、ウオン被告は仲間の保衛部要員らに「脱北者だと話すと、関心を示して電話番号をくれた。ホテルで会おうというのを見ると、北朝鮮の情報を収集する韓国の情報機関の人間か、その手先の可能性がある」と報告した。

 ウオン被告は、仲間の保衛部要員らが動員した中国公安に偽装した中国ヤクザたちをホテルの前に待機させた。そして、男性の部屋に入っていった。

 男性はウオン被告が部屋に入ると、「中国の金1500元をやるから、北朝鮮に行って軍部隊の墓地や軍需品工場、北朝鮮住民の実態などを写真すことができるか」と依頼してきた。

 「私は北朝鮮に簡単に入って行くことができる。写真を写してあげる。友人と一緒にやらなければならないから、電話をするわ」

 元被告はこう応対し、事前に仲間と決めていた隠語で“友人”に電話した。

 「ねえ、私。私が今、いい人に会っているから紹介してあげる」

 間もなく、部屋の外にいた仲間や中国公安の服装をした中国ヤクザたちが、部屋に人って来て、男性に手錠をかけ、保衛部要員のアジトである豆満江ホテルの部屋に拉致して行った。

 こうした手口で元被告らが拉致した韓国人らは100人以上にのぼる。
 

色仕掛け、偽装結婚…そして韓国へ

 ウオン被告は2000年9月初旬、中国フンチュン市にあるロシア通りで木製器製造業をしている韓国人男性と知り合い、抱き込むことを画策した。

 翌10月ごろ、男性の妻が韓国に戻ったすきに、定期的に男性と性関係を持ち、01年6月まで同居した。男性の木製器工場に投資もしたが、男性がその金を持って逃げようとしたため、同居をやめた。

 01年8月、男性の妻がウオン被告との関係に気づき、中国に再入国して、男性を連れて韓国へ帰って行ったため、それ以上、男性とは会えなくなった。

 元被告には、並行して別の“ミッション”も与えられていた。

 「同志を南朝鮮へ派遣しろという党の命令が下された。同志は党の恩恵を受け、浸透訓練まで受けた者であるから、このようなときに同志が祖国に、忠誠をつくさねばならないのではないか。任務を遂行してくれば、朝鮮労働党員になるだろうし、名誉称号が与えられるだろう」

 「分かりました。党の命令であれば行きます。

南朝鮮へ行く方法を教えてください、最近、偽装結婚して沢山行きますが、もし、結婚の手続きで行くときは、戸籍簿がなければなりません。戸籍簿を作ってください

 ウオン被告は朝鮮族の男を通じて戸籍簿を入手し、中国の朝鮮族「金ヘヨン」(1977年3月15日生、中国黒竜江省林口県ヨンジョ鎮一心村48岩一)になりすました。

 ウオン被告は韓国人男性との偽装結婚の準備を進める。01年3月、瀋陽ソタプカの民宿の女主人の紹介を受けて、モジュに行き、そこに滞在していた韓国人男性と、その父に会った。男性が愚かに見えるや、韓国潜入に適確であると考え、男性と結婚することにした。

 その日、男性とモーテルで性関係を持ち、次の日、男性とその父を連れて木丹江にある偽の父母に会って挨拶をさせた。男性と父は韓国に帰った。

 「結婚する相手が(韓国の)揚州にいる」

ウオン被告の報告に、仲間の保衛部要員は「よくやった。その周辺に米軍の部隊が沢山ある。今後、米軍部隊の動静把握が容易になるだろう」と喜んだ。

 
「米軍基地の情報を入手せよ」

 その後、韓国入国ビザが出るのを待っていたところ、先に抱え込みを図った木製器工場の男性の子を身ごもった事実を知った。

 「男性を抱き込む過程で、失敗して妊娠してしまった」

 ウオン被告がこう報告すると、仲間の幹部要員は「妊娠したことは、むしろよくやった。そのまま、その状態で南朝鮮に行けば、疑われない。子供は、任務遂行してきてから、祖国でよく育ててくれるだろう。名誉も得て、誇らしいじゃないか」と激励された。

 01年9月、北京の韓国大使館で、「金ヘヨン」になりすまし、同人名義で韓国旅券の発給を受けた。そして、保衛部上官から指令が下る。

 「南朝鮮に行き、浦川、議政府、東豆川、龍山などにある米軍基地と平澤の米軍基地があるから、全部カメラで写し、祖国に対して、南朝鮮の新聞に載っている社説を持って来い。位置と全景の写真、新聞に載った北朝鮮関連の社説を集めて持って来い」

 指令とともに渡されたのは、米軍部隊の撮影用小型日本製デジタルカメラ1台と、自殺用の毒薬6錠、工作資金1万ドルだった。

 その場で、忠誠宣誓文(基盤に党のマーク、薄緑色A4程の用紙1枚)を作成、提出した。

 《忠誠宣誓文》

 祖国に全ての忠誠を尽くし、将軍様の戦士として、この一つの体全てを捧げる忠臣になります。

 どのような誘惑の風が吹こうとも、揺れ動かされず、変わりなく任務を完遂するということを決意します。

 誓約者 元正花

韓国潜入「健闘を祈る」

 幹部要員はウオン被告にこう言った。

 「もし捕まったら一次的に、(北朝鮮では)一般の工場や農村で生活していたと話せ。拷問が激しければ、社労青(社会主義労働青年同盟)と刑務官の生活をしたとつけ加え、そして、韓国人男性の子供を妊娠し、男性を捜しに来たと話せば大丈夫だろう。どんな場合でも、特殊部隊については絶対に話すな」

 「体に気をつけて、無事に帰って来ることを祈る。そして、カメラをよく保管しろ」


 元被告は01年10月23日ごろ、「金ヘヨン」名義の虚偽旅券を所持して、北京空港から北方航空便を利用して、仁川国際空港に入国した。入国するやいなや、仁川国際空港1階に設置されている公衆電話を利用して、中国の幹部要員の携帯電話に電話した。

 「無事に到着しました」

 これに幹部要員は手短に返した。

 「分かった。体に気をつけろ。健闘を祈る」

 =北の女スパイ全貌(3)へ続く

韓国潜入に成功した北朝鮮の女工作員、元正花(ウオン・ジョンファ)被告(34)=国家保安法違反罪で起訴=は、米軍基地の写真撮影や情報収集などのミッションを着実に遂行していく。脱北者として韓国に定住することが許可されたウオン被告は、中国でたびたび朝鮮労働党国家安全保衛部の幹部らと接触した。さらに与えられたミッションは「韓国情報部員の暗殺」。ところが-。

「仕事したい」とウソつき、米軍基地を細かく撮影

 ウオン被告は2001年10月23日ごろ、仁川国際空港に到着した。迎えに来たのは夫の弟。乗用車で楊州市にある実家に到着した。

 数日するとウオン被告は、米軍基地撮影の任務を遂行するため、夫に議政府、安陽、田谷、城南などで金を稼ぐ場所を探したいとウソをついて外出する。まずは、家のそばからバスに乗り、楊州市一帯の米軍基地周辺を偵察し、基地の位置を把握した。

 ウオン被告は10月26日午後3時半ごろ、カメラを持って夫の家を出て、バスに乗って楊州市の米師団キャンプ近隣に出かけた。

 カメラで兵所囲いを撮影し、議政府方向に逆行して行きながら、敞所、囲い、警戒壁も撮影した。さらに約50メートル離れた米師団キャンプに行き、警戒壁と正門、キャンプ向かいの商店街、米軍正面も撮影した。

 夜間撮影のため、商店街地域を歩きながら地形偵察をした後、キャンプ正門に戻り撮影した。

 ウオン被告のこうした工作活動は1カ月にわたり、断続的に繰り返された。

証拠品のアルバムの中にあったドレスを着た北朝鮮の女スパイ、元正花被告の写真(ロイター)

男性に再接触…「お前下手を打ったな」

 ウオン被告は01年10月末、かつて中国で潜伏活動中に色仕掛けで抱き込もうとした、木製器製造業を営む韓国人男性に再度接触した。牡丹市場近くのコーヒーショップで会い、「中国で新しい事業を搆想中なので、一緒に行って現場も見て、相談もしたい」と意味深に誘った。

 だが、男性はこれを拒否した。

 ウオン被告はその直後、中国延吉にいる国家安全保衛部の幹部要員に電話をかけて、男性と接触した事実を報告した。

 「お前、下手を打ったな。仕方がない。男性を誘って中国へ連れて来い。そうすれば、我々がうまく“処理”する

 ウオン被告は再三、男性を「中国に行こう」と誘ったが、男性は妻がいることを理由に、これを拒否して失敗した。

 再び中国延吉の幹部要員に連絡したウオン被告。

 「男性はお前の正体を知っているようだったか?」

 「詳しくは分からないようでしたが、北朝鮮の人間なのに、どうやって朝鮮族になって、韓国に入ってきたのかと疑っていました…」

 《ウオン被告は、かつてこの男性と中国で接触した際、脱北者と装っていたのだった》


 幹部要員はウオン被告に「もし、男性が気がついて通報するようだったら、まず、国家情報院(韓国の情報機関)に脱北者として自首しろ」と指示した。

 自分の身分がばれることを懸念したウオン被告は、脱北者として自首することによって、合法的に身分を獲得することを決意した。


証拠品のアルバムの中にあったドレスを着た北朝鮮の女スパイ、元正花被告の写真(ロイター)

“身分洗浄”完了

 ウオン被告は01年11月24日ごろ、議政府市内のあるバス停で、自殺用に持っていた毒薬6錠をトイレに捨て、着ていたミンクのコートの右側脇の縫い目をほどいて、その中にカメラを入れて隠したまま、夫の家に置き、関係機関を訪ねて脱北者であると偽装の自首をした。

 関係機関で、脱北の経緯や自首した背景などについての調査を受けながら、韓国侵入時に指令を受けたとおり、中国で韓国人男性の子供を妊娠し、男性を訪ねて密入国したと供述をした後、ハナ院(脱北者の韓国社会順応のため準備施設)で社会定着教育を受けた。

 02年3月19日ごろ、ハナ院を退所。その後、夫の家に戻り、ロングブーツに隠しておいた工作資金1万ドルを回収。夫と協議離婚した後、群浦市山本洞にアパートを借りて、合法の身分を取得するなど、身分洗浄に成功した。


「清津出身の脱北者名簿を把握して来い」

 ウオン被告は02年10月15日ごろ、その間収集した米軍基地を撮影した写真などの軍事機密を中国にいる幹部要員に渡すため、仁川国際空港から出国した。

 延吉にある豆満江ホテル302号で、幹部要員と会い、米軍基地の写真約100枚を撮影したカメラや6カ所の略図などを渡した。

 この時、幹部要員は「これからウオン同志を管理する人間が交代になるだろう。その人は、金○○同志だ。話しておいたから、一生懸命仕事をすることを望む」と言った。

 02年10月17日、中国延吉で弟と会った。弟は「(故郷の)清津の保衛部長が、姉さんに会いたがっている」と伝えた。

 ウオン被告は国境警備隊の案内で、ゴムズボンをはいて、(中朝国境を流れる)豆満江を越え、北朝鮮茂山に入り、そこで清津保衛部長に会い、同部長の車に乗ってウオン被告の母の家に行く途中、同部長から「南朝鮮にいる脱北者の中で清津出身の脱北者名簿を把握して来い」との依頼を受けた。

 清津で家族に会った次の日、同部長の車に乗って、北朝鮮茂山に行き、再び中国延吉に戻った。その後、中国から韓国に戻った。

証拠品のアルバムの中にあったドレスを着た北朝鮮の女スパイ、元正花被告の写真(ロイター)

「韓国情報部員を消せ」

 ウオン被告はさらに03年1月5日ごろ、北京で新しい幹部要員と会った。食事を終えた後、北京の北朝鮮大使館へ行った。

 新しい幹部要員は「南朝鮮の安企部(国家情報員=韓国の情報機関)の奴らが、祖国の情報を取ろうと躍起になっているが、奴らがどんな奴らで、どんな情報を要求するのか調べ出せ。知っている奴はいるか?」と話した。

 ウオン被告は「安企部の金○○と李○○を知っています。李は40代前半、金は30代半ば。彼らは北朝鮮に関連した情報を知りたがっています」と報告した。

 すると幹部要員は「李や金らが、北朝鮮の核兵器に関連した情報を取るため、どのようにしているのか、誰を利用しているのかなど、彼らの活動を把握しろ。安企部の奴らがやらせて、北朝鮮貿易をしながら北朝鮮情報を収集する奴らがいるはずだ。そいつらを捕まえなければならない。お前が北朝鮮貿易をしながら掌握しろ。そして金や李を中国に誘引して、連れて来ることができれば、連れて来い」と指示した。

 3度目の中国訪問では、「李が私に接近し、北朝鮮の情報を要求している」と報告。幹部要員から「李のような奴は殺して消さなければならない。脱北者を利用して祖国の情報を取る安企部の奴らが多い。そんな奴らは殺してしまわなければならない。お前がそんな安企部の奴らを調べなければならない」と“暗殺命令”も受けた。


「どうしても殺せません…」

 そして4回目の訪中。ウオン被告は04年1月8日、中国のホテルで報告した。

 「李が北朝鮮の資料を持って香港に来いと言っています」

 ウオン被告の報告に、幹部要員は「李を殺すことができるか? 祖国の情報を取る奴じゃないか。そんな奴らは容赦なく殺さなければならない」といって毒薬成分が入った「天宮自花」1瓶(60錠)を手渡した。

 「李にこれを精力剤だと言って与えれば飲むだろう。そうしたら、すぐに死ぬ」

 ウオン被告は、幹部要員から、「李」という国情院の情報部員が要求した資料が何なのかについて質問され、資料を見せてやると、幹部要員は「こんな資料はやっても大丈夫だ」と言った。情報部員は当時、香港に派遣勤務中だった。

 ウオン被告は情報部員を殺害するために、04年1月18日、香港でに移動し、一緒にホテルに泊まった。「李」と3日間一緒に過ごしながら、殺害する機会を狙ったが、その際、「自分によくしてくれる」という感情と、殺害後、検挙されることに対する不安感のために、どうしても殺害できなかった。

 韓国に戻った後、ウオン被告は公衆電話を利用して、中国の幹部要員に電話した。「同志、私はどうしても李を殺すことができません。良心を害することができないのです」と報告した。

 幹部要員は腹が立った様子で、ウオン被告に言い放った。

 「分かった! 私は今忙しいから、8月にこちらに来い」

 =北の女スパイ全貌(4)へ続く

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080915/crm0809151659014-n5.htm

北の女スパイ全貌(4)は、どこにあるのかわかりませんでした。

マンガみたいな話だけど、北朝鮮は真剣にスパイ活動を行っている。

日本にも、どれだけ「なりすまし」が来ているのやら。