空気が読めなく協調性が無い人になることを恐れる日本人は、マスコミに誘導されやすい
圏・外・孤・独
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須藤 文弘
創作「四字熟語
」で2000年度賞を獲得したこの言葉は、携帯時代を風刺したものです。
なにしろ「お守り」のように握りしめ、メールが来るのを待ちメールで発信し続ける人達にとって、「圏外」の表示は「神も仏も無い」非情さを感じるものかもしれない。
なにか世間から独り取り残され疎外された強烈な孤独感に襲われるのかもしれない。
この言葉の元である「天涯孤独」は無論のこと「四字熟語」は、人の・人生の・世の中の機微を見事に凝集しているが故に長くその命を保っている。たったの四文字で広範な意味を表徴しえるが故に、冗長とならずに的確に表現できる言葉として日常頻用される。
さて、家庭において、地域において、職場において、業界において、あるいは世界の国家間においてこの「圏外孤独」感は蔓延しているのではないだろうか。
しかし、多くの場合、携帯と同じく少しでも早く電波圏内に入るべく行動するのと同じく、「他者と同じ圏内」に入るべく自己を捨てて、あるいは自分で考えることは放棄して一目散に多数の人の群れに逃げ込んでいるのではなかろうか。
「空気が読めない・KY」であるとか、「協調性がない」とか、いろいろなことで一部の人を疎外することで多数の纏まりの中に身を置く事を何よりも大事にする日本人は、「付和雷同」と「滅私協調」を行動基準に置くとはよく言われることである。
「実は本当は反対だったのだが」あの時のあの場の空気は「賛成せざるを得なかった」ということは日常的に耳にする。一国の総理であったあの麻生元総理でさえ「郵政民営化」は本心では反対だったとまで言っている。
その立場の重さ、その発言の重ささえ僅かな時の経過の中で忘れ去られ許されたかの如き様相、つまり重大なこととはならずに看過されてしまう。日本人の骨に染みこんだ思考基準の証の一つである。
では、「圏外孤独」を恐れる人たちが逃げ込み仄々(ホノボノ)と過ごしたいときに多数の意見は誰が形成しているのか。マスコミである。
「多くの人はこの考え方の場所にいるよ」とばかりに誘導しやすいマスコミにとって、これほど扱いやすい国民はないであろう。やりたい放題の特権に忘我の愉悦に浸っているであろう。
新聞・TV、それのご用評論家たちはやすやすとその目的を達成できる。
政治であれば使用する言葉を教え、その言葉を発する時の表情を教える。
TVでは、キャスターや評論家諸氏が繰り出す言葉も表情(演技?)も定型的そのもの。街頭インタビューにみる街の人々の言葉も表情も全く同じである。無名の役者を使った「ヤラセ」ではないかとさえ思ってしまう。
かくして、「大衆政治家」を任じる人は無論、あるいは訳も分からずそれに準じた政治家たちはマスコミ論調にただ乗りして、国民向けの「台詞と演技」を身にまとう。
挙句の果てには、「あの!お笑いタレント」に、「あの芸能人」に小馬鹿にされながらもTV出演に嬉々としている。TV目線にも堪能になって、いっぱしの三文役者並み!
政治家としての矜持はもとより、品格も知性も教養もかなぐり捨てた(もともとあれば!の話だが)あの狂乱ぶり。民放が求めるままのキャラを演じきるあの体たらくに、亡国の危機を感じずに何を感じろというのか。オバサンたち(一部の方にはお詫びします)のあの無秩序な馬鹿話会と何処に違いがあるのだろうか。
まずは、国家百年のために、政治家にその矜持を保つことを切に願いたい。あなた・・実名を挙げたいが止めておく・・が国会議員であるかぎり、あなた自身と選挙区の支持者の恥を天下に晒していることに気付いていただきたい。
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頂門の一針メルマガについていた記事です。