他国の不幸からも、何かを学びたい
頂門の一針
◎ポーランド大統領死亡 訪問団などの96人が犠牲 航空機墜落で
インタファクス通信などによると、ポーランドのカチンスキ大統領と妻が乗ったワルシャワ発のツポレフ154が10日、ロシア西部スモレンスクの空港に向け着陸体勢に入ったところ墜落した。スモレンスク州の内務省当局者は、カチンスキ大統領を含む乗客乗員全員が死亡したと述べた。
ロシア非常事態省は同機に96人が搭乗、うち88人が公式訪問団だったと説明した。同州の知事は着陸前に機体が樹木と接触したのが原因と述べた。テロなどの情報は今のところない。
大統領は、第2次大戦中にポーランド軍将校ら2万人以上が旧ソ連に虐殺された「カチンの森」事件から70年を迎えるのに合わせ、ポーランド側主催の追悼式に出席する予定だった。
カチンスキ大統領は1949年6月18日、ワルシャワ生まれの60歳。ワレサ大統領時代に安全保障担当の補佐官を務めた。2002年にワルシャワ市長、05年大統領に当選した。(共同)産経新聞新聞 2010.4.10 19:36
管制官の指示に従わず=墜落のポーランド政府機-ロシア空軍
【モスクワ時事】ロシア空軍当局者は10日、ポーランドのカチンスキ大統領が搭乗していた政府専用機が、空港から1.5キロ地点で急激に高度を下げたため、空港管制官が水平飛行に戻すよう数回にわたって指示したが、同機乗員が従わず、墜落したと述べた。インタファクス通信が伝えた。
同機が着陸しようとしたのはスモレンスクの軍用空港。空軍当局者によると、管制官は他の空港に行くよう勧告したが、乗員側は着陸を決定した。国際慣行では着陸するかどうかは乗員側に最終的な決定権があるという。 4月11日0時30分配信 時事通信
主宰者より:「カチンの森」事件に関しては1878号(4月8日)に取り上
げたばかりだった。ご冥福を祈る。
~~~和解なるかカティン事件
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渡部 亮次郎
<ロシア、カチン事件で和解図る ポーランド首相招き追悼へ。
【モスクワ共同】第2次大戦中にポーランド軍将校ら2万人以上が旧ソ連秘密警察に虐殺されたロシア西部の「カティンの森」事件をめぐり、ロシアのプーチン首相が7日に現地で行う70周年追悼式にポーランドのトゥスク首相を公式に招待、虐殺を扱った映画を国営テレビで放映し、歴史的和解に向けた動きを見せている>。
事件は昭和14(1939)年に起きたもの。日本はシナとの対戦に血道を挙げていたし、間もなく対米戦争に突入するから、日本国民はカチン事件など知る由も無かった。
勿論、知識階級の中には海外情報を得て認識した人もいるにはいただろうが、少なくとも筆者は中年になるまで知らなかった。弁解にもならないが。
2007年にポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダによって、この事件を題材とした映画『カティンの森』が制作された。たしか09年に日本でも公開されたが、見には行かなかった。ワイダの父親もこの事件の犠牲者である。
<1939年9月、ナチス・ドイツとソ連の両方に侵攻されたポーランドは敗北した。ソ連の占領下に置かれたポーランド東部では、武装解除されたポーランド軍人や民間人がソ連軍の捕虜になり、強制収容所へ入れられた。
1940年9月17日のソ連軍機関紙『赤い星』に掲載されたポーランド軍捕虜の数は将官10人、大佐52人、中佐72人、その他の上級将校5,131人、下級士官4,096人、兵士181,223人となった。その後、ソ連軍は将官12人、将校8,000人をふくむ230,672人と訂正した。
ポーランド亡命政府は将校1万人を含む25万人の軍人と民間人が消息不明であるとして何度もソ連側に問い合わせを行っていたが、満足な回答は得られなかった。
1941年の独ソ戦勃発後にはポーランド・ソ連間で条約(en)が結ばれポーランド人捕虜は釈放され、部隊が編成されることになった。しかし集結した兵士は将校1,800人、下士官と兵士27,000人に過ぎず、行方不明となった捕虜の10分の1に満たなかった。
ポーランド亡命政府は捕虜の釈放を正式に要求したが、ソ連側はすべてが釈放されたが事務や輸送の問題で滞っていると回答した。12月3日にはポーランド亡命政府首相・シコルスキがスターリンと会談したが、スターリンは「たしかに釈放された」と回答している。
独ソ戦の勃発後、ドイツ軍はスモレンスクを占領下に置きこの情報を耳にした。1943年2月27日、ドイツ軍の中央軍集団の将校はカティン近くの森「山羊ヶ丘」でポーランド人将校の遺体が埋められているのを発見した。3月27日には再度調査が行われ、ポーランド人将校の遺体が7つの穴に幾層にも渡って埋められていることが発覚した。
発掘途中の調査では、遺体はコルジェスク捕虜収容所に収容されていた捕虜と推定された。遺体はいずれも冬用の軍服を装着しており、後ろ手に縛られて後頭部から額にかけて弾痕が残っていた。遺体の状況は死後3
年が経過していると推定され、縛った結び目が「ロシア結び」だったことなどがソ連軍の犯行を窺わせた。
独ソ両国は長い事罪のなすりあいを続けたが、1989年、ソ連の学者たちはスターリンが虐殺を命令し当時の内務人民委員部長官・ベリヤ等が命令書に署名したことを明らかにした。
1990年、ゴルバチョフはカティンと同じような埋葬のあとが見つかったメドノエ(Mednoe)とピャチハキ(Pyatikhatki)を含めてソ連の内務人民委員部がポーランド人を殺害したことを認めた。
1992年、ソビエト連邦崩壊後のロシア政府は最高機密文書の第1号から公開した。その中には西ウクライナ、ベラルーシの本当の囚人や各野営地にいるポーランド人25,700人を射殺するというスターリン及びベリヤ等、ソ連中枢部の署名入りの計画書やソ連の政治局が出した1940年3月5日の射殺命令や21,857人のポーランド人の殺害が実行され彼らの個人資料を廃棄する計画があることなどが書かれたフルシチョフあての文書も含まれていた。>「ウィキペディア」。
<しかしソ連の継承国ロシアはポーランドが虐殺を政治的に利用しているとの不信感を抱き、一部ロシアメディアはナチス犯行説を紹介するなど、両国間にしこりが残っていた。
ロシア国営テレビは追悼式に先立ち、これまで国内でほとんど上映されていなかったポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」(2007年公開)を2日に放映。「史実に基づいた作品」などの専門家らの映画評も伝えた>。2010/04/05 09:46 【共同通信】
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宮崎正弘のブログについていた読者の声
3)ポーランドの大統領が亡くなりました。なにより驚いたのは政府専用機が Tu-154ということです。
この機種はかつて中国でもよく飛んでいましたが、日系企業では事故率の高さから空飛ぶ棺桶などとも言われ、当該機材による移動は禁止にしているところもあったとか。
2002年にウルムチに行った際には新彊航空の機内誌でTu-154はすべて退役したとありました。
本家のロシア・アエロフロートでも退役したはずで、北朝鮮や旧ソ連圏諸国ならともかく、こんなボロ機を政府専用機として使用せざるを得ないほどポーランドの財政状況は厳しいのかと感じた次第です。
(PB生)
(宮崎正弘のコメント)ポーランドへ初めて行ったのは1990年頃だったと記憶するのですが、ワルシャワからグダニスクまで飛行機がとれなくて、ベンツのハイヤーを雇って午前9時にホテル発、午後9時ホテル着。
グダニスクでは「連帯」本部にも足を運びました。
そしてハイヤーの往復が100ドル。飛行機より安かった!
航空路はポーランドに限らずハンガリー、チェコ、ブルガリアなど決定的に遅れており、定期路線はアエロフロートでしたが、いまもおそらくそうでしょうね。
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日本のお姉さんの意見。↓
最近、一番、びっくりしたニュースです。
テレビでは、霧が深いから
別の空港に行くように指示が出たのに
パイロットは、着陸しようとしたと
ロシア人関係者が言っていたが、
他人の命を預かっている人は
あとで、怒られたり、クビになったりしたとしても、
大統領が怒ったとしても、
他の空港に行く方を選んだ方が
正しかったのだと思う。
自分がパイロットなら、大統領を乗せて
遠くの空港に行く勇気はあるだろうか?
みんなで死ぬぐらいなら、クビになった方が
マシだったよね。
国の偉い人は、ひとつの飛行機に乗らない方がいい。
ポーランドは、急に国の重要人物を大勢失って
すごい損害を受けていると思う。
優秀な人間は、国の宝だよ。
テレビで見た飛行機の残骸はえらく安っぽい感じだったけど、
古くて危険な飛行機だったんだね。
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ポーランド大統領 遺体が帰国 数万人の市民、死を悼む
4月12日13時15分配信 毎日新聞
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ワルシャワの空港に到着したカチンスキ大統領のひつぎを運ぶ兵士=2010年4月11日、AP
【ウィーン樋口直樹】ロシア西部スモレンスクの飛行機墜落事故で死亡したポーランドのカチンスキ大統領の遺体が11日、同国の首都ワルシャワに運ばれた。同氏の双子の兄ヤロスワフ氏(元首相)が大統領の遺体を確認した。他の乗客の遺体はモスクワで身元確認される。カチンスキ氏の遺体が安置された大統領府前などには数万人もの市民が弔問の花束やキャンドルを手に集まり、大統領の突然の死を悼んだ。
ポーランドでは11日正午、各地で一斉にサイレンや教会の鐘が鳴り響き、事故で亡くなった大統領ら96人に2分間の黙とうをささげた。カチンスキ氏の死去を受け、次期大統領選は6月下旬に前倒しされる見込みだ。
◇強行着陸原因か レコーダー解析
【モスクワ大木俊治】ロシア西部でポーランド政府専用機が墜落し、搭乗していたカチンスキ大統領夫妻ら乗客乗員全員が死亡した事故で、ロシア捜査当局は11日、回収したフライトレコーダーを解析した結果、機体に異変が起きた兆候はなく、悪天候下での強行着陸が事故につながったとの見方を明らかにした。死者数は一時97人と発表されたが、96人に訂正された。
空港を管理するロシア空軍は、事故当時、現場付近は濃霧に覆われており、管制官はモスクワかミンスクへの着陸を勧めていたとしている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100412-00000009-maip-int
ずっと、自分が機長だったらどうしただろうと
考えている。大統領や重要人物を乗せて
遠くの空港になんか、行きたくないから
無理に着陸しようとしたかもしれない。ギリギリ現地に入ったのかな。
7日に現地で行う70周年追悼式に10日に入ったのだから
遠くの飛行場になんか
行きたくなかったんだろうなあ。
カチンの森で何があったのか、世界中の人が
知ろうとしてくれたらいいな。
ポーランドにとっては、本当に大きな痛手だろうな。