自由が無い国、チュウゴクの首相は7年連続の主演男優賞(演技だけで、何もしてくれない) | 日本のお姉さん

自由が無い国、チュウゴクの首相は7年連続の主演男優賞(演技だけで、何もしてくれない)

JMM [Japan Mail Media]                No.576 Thursday Edition
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 ■ 『大陸の風?現地メディアに見る中国社会』          第172回


「影帝」

 北京時間の3月23日未明、とうとうグーグルが「Google.cnをGoogle.com.hkにまかせて、香港を拠点に中国向け簡体字検索サービスを続けていく」と発表した。
 
 香港か…ここ10日ほど、グーグルが中国国内でウェブサイトを「合法的に」運営するための許可証が4月10日で期限切れになることを理由に、「グーグルの撤退宣言、間近」という噂が飛び交い、関心を寄せる中国のグーグルファンはアメリカ本部がアメリカ時間に合わせて発表するだろうそれを毎日夜中まで待っていたが、まさか
グーグル香港にそれを任せるというオプションは、これまで誰の口からも上って来なかった。しかし、考えてみれば、それもアリだった。というのも、グーグルはアジア本部を香港に置いてきたのだから(しかし、そこでの業務はそれぞれの現地法人に移行しつつあるという話を聞いていた)。
 
 ただ、グーグルの声明を読むと、この「撤退」は実際には中国の公式言語である簡体字サーチエンジンサービスの拠点移動であって、中国国内での研究開発及び営業活動はこれまでどおり続けるそうで、グーグルという会社が完全に中国から撤退するわけでも、またグーグル中国の現地名称である「谷歌」という名前が消えるわけでもないようだ(グーグル日本・公式ブログ:
http://goo.gl/QjUW )。
 
 それにしても、香港に「撤退」とは。
 
 1997年の主権返還以来、実のところ「香港はもう中国になった」と、中国と同一視している人も少なくないが、香港にはまだまだ中国国内とは比べものにならない自由がある。皮肉なことだがこれはなによりも100年以上「植民地」として中国大陸から切り離されて西洋社会に触れ、馴染み、はぐくんできた成果だ。親の代、その
また親の代に中国内地から香港にやって来た香港人たちの論理は、今の中国で生まれ育った人たちと根本的に違うし、今の中国に直面した時、彼らもやはり、まるで日本人が感じるのと同じような戦々恐々といった気分に陥る。 


 だからこそ、主権返還後に株式市場や人材の往来で中国との連結が深まる一方で、圧倒的な中国の吸収力を前になし崩し的に変化する社会に目にして、「香港沈没」を心配する声もある。今回の「グーグル中国の香港移転」はそんな香港にとって明るいニュースとなったはずだ。「邪悪なことはしない」をモットーにしたグーグルが香港の優位を世界中に示してくれたのだから。前回の「大陸の風」で触れたクラウド・コンピューティング発展の可能性という面においても、もしかしたら90年代にぶち上げられてそのまま萎んでしまった、「香港のサイバーポート化」計画が再燃する可能性もある。
 
 上海にディズニーランドの観光客を奪われ、IT業も中国が国家規模で力を入れる北京・中関村(グーグル中国のビルもここにある)の勢いに勝てず、国際金融業務も上海の勃興で落ち着かなくなってしまった香港にとって、これほどの朗報はない。とはいえ、わたしも会うたびにしょんぼり感が増している香港人たちにずっと、「香港
には中国が求めるものがいっぱいある」と言い続けて来た。現実に中国国内では発禁になったり出版できない書籍や上映されない映画を求めて中国から香港参りをする人も増えているし(おかげで返還後の香港は本屋が増えた)、中国の大学あるいは香港や海外の大学を卒業して香港に職を見つけ、中国国内に帰りたがらないという人たちもたくさんいる。知れば知るほど、香港の優位はまだまだある。問題は誰がどうやってそれを証明していくか、だったのだ。
 
 それにしても、グーグルの移転発表の夜、中国の国営テレビ放送局である中央電視台のニュース局はとっかえひっかえ、番組ごとにグーグルの「悪行」を伝え続けたそうだ。それと同時に、新聞雑誌では当局発表の記事以外でグーグル事件を取り上げないように通達が行われ、各ウェブサイトでも同記事以外のグーグル事件に関する記述はすべて削除するよう求められと、メディア関係者が(当局の規制が届かない)ツイッター上でつぶやいていた。だから、ここで中国の新聞記事がどう伝えているかを取り上げても意味はないのでやめておく。しかし、今こうして原稿を書いている最中にも、当局のアクセスブロックを乗り越えたウェブの片隅ではグーグルの撤退を惜しみ、国内の規制を罵る声と書き込みが続いている。
 
 それにしてもこのグーグル事件を含めて、ウェブのほんの片隅でやり取りされる人々のあからさまな言葉を読み続けているうちに、中国の4億人近いウェブユーザーのほんの一部でしかないだろう彼らが、それぞれにいろんな情報を見聞きし、分析し、考えて発言しているのがよく分かるようになった。それは2005年の反日デモのときのような、わずか一つや二つの情報や意見が人々を席巻するのではなく、多くの人たちがいろいろなニュースサイトやブログや論文や見聞をもとに、自己の考えを不特定大多数に向けて発表する、そんな動きが当然になっている。
 
 そしてそこに集まる人々は体制擁護派であれ、批判派であれ、すでに当局がキーワード規制する「合法的な」ウェブの枠組みでは、自分たちのやりたい意見交換が行えないことをはっきりと認識している
 
 そんな様子を眺めていて感慨深かったのが、先々週閉幕した、一年に一度の両会(全国人民代表大会と政治協商会議の代表全体会議)の締めくくりとして行われた、温家宝首相による恒例総括記者会見に対する感想だった。いつもの華々しい政治会議のように、咲き誇る花々でこれでもかこれでもかと派手に明るく飾られた演壇に座って、温首相はいつものように口をへの字に結び、眉間にしわを寄せ、小さな目をさらに小さくして、聴衆(集まった記者たち)に向かって、これまたトレードマークとなっている、人差し指を立てて諭すようなスタイルで「我が国の困難」について、彼独特の口調で得意の漢詩の説明を交えながらとうとうと説いた。
 
 すると、ウェブ上に、「あの姿を見ていたら、そんな演技はもういい加減にしろ、と不愉快になった」という声が出現したのだ。それも一人や二人ではなかった。一人の声に驚いて調べてみると、それはあちこちに雨後のタケノコのように「生えて」いた。
 
 さらに、先週後半から北京はここ数年見たこともないような黄砂の嵐に包まれた。
それと同時に中国西部地方を大干ばつが襲っているというニュースが大々的に伝えられるようになり、そこに視察に出かけた温首相の姿をテレビや新聞がでかでかと報道した。それに対しても、「彼が視察したからといってどうなる? 現地の政府の人間が彼とカメラに収まり、神妙に彼の話を聞くふりするところだけ報道して、干ばつの解決になるのか」と言った声も出現した。
 
 人々は気付き始めている。干ばつにあえぐ西部地方の農村でも、雪害に閉じ込められて停電の中で過ごした南方の街でも、道路さえ崩れて故郷の街にも帰れなかった四川地震の現場にも、温首相は出かけていき、現地の人々の手を握り、その困窮ぶりに唇をかみしめる様子を、中国中のメディアがトップニュースとしてこれでもかこれでもかと流してきたが、彼がそこから帰ると人々がその場面を見た瞬間に受けた励ましがまぼろしに終わってしまったことに。
 
 2003年に江沢民総書記と朱鎔基首相の後を継いで誕生した、胡錦濤総書記と温家宝首相の「胡温体制」は、それまでの国家指導者たちのように大きな政治闘争の影響も受けなかったために、二人の温和路線は「何か、やってくれるはずだ」と人々を期待させた。同時に海外でも、二人の胡耀邦元総書記と近かったこと、そして彼の死がきっかけとなって起こった、1989年の天安門事件の際には胡氏がチベットに赴任していたこと、そして温氏に至っては当時の趙紫陽総書記とともに、広場に座り込んだ学生を慰問したことなどが大きく取り上げられて、胡温体制の下、中国の政治体制は開かれていくだろうと大きく喧伝された。
 
 それからすでに7年が経った。その間、何かが起こるたびに、中国の国民の前に温家宝首相が姿を現し、口をへの字に結び、悲しげに眉間にしわを寄せ、「我われは困難にある。しかし…」と人差し指を立ててとうとうと説く様子がメディアのトップを飾り続けた。いつも、いつも、まったく同じ口調で、まったく同じ構図で、である。
7年間事あるごとに、人々はそれを見せられ続けた。
 
 なのに、メディアの規制が強まっていると、メディア関係者ですらウェブの隅っこで訴えている。

あちこちで、地方からの陳情者の悲惨な生活が噂され続けている。

強制立ち退きに抗議し、衆の面前で焼身自殺する者まで出ている。

汚職は止まらない。
温首相も参列していた会議に出席した地方代表に取材のICレコーダーを差し出した記者を、他の記者の目の前でどやし上げる。毒ミルク事件のうわさも続く。山西省では不良ワクチンで子供たちが体調不調を訴えたり、死亡者まで出ている。そして、干ばつ、農産物の不作、リサイクル食用油事件…
 
 そういえば、いつの頃だろう、ネット上では温首相を「影帝」と呼ぶ人が増えた。
「影帝」というのは、もともと香港や台湾で使われていた、「主演男優賞」を取った俳優に使われる敬称だった。温首相がこう呼ばれるようになったのは間違いなく、「カメラの前の演技がうまい」、つまり結局は演技だけでなんにもしてくれないじゃないか、という含みがある。もちろん、こうやって「影帝」という言葉に置き換えることで、政府要人の名前が検索できなかったり、ブログ記事削除を求められることがある中国のネット規制を潜り抜けるという目的もあるだろう。
 
 2年ほど前、温首相と胡主席には「人民日報」社が主宰するウェブサイトが中心となって「什錦八宝飯」というファングループが作られた。胡錦濤氏の「錦」という文字を使った「什錦」とは日本語で言う「五目」、つまりいろいろ豊かであること、そして温家宝氏の「宝」を使った「八宝」もまた宝で彩られた様子を示す言葉だ。
「飯」は中国語で「ふぁん」と発音するので、合わせて「胡温ファン」となる。このほかにも穏やかなイメージのある温首相には「宝宝」(発音は「ばおばお」。これでベイビーという意味もある)とも呼ばれ、政治リーダーを庶民的な言葉で呼ぶという意外性で一時大きな注目を浴びた。
 
 それがいまや「温影帝」。「影帝」は上述した「演技上手」という意味のほかに、文字通り「闇の皇帝」的な意味も連想される、暗い感じのする言葉でもある。面白いことに、検索結果への規制を嫌って香港へ脱出したグーグルの最大ライバルであり、当局の規制を受け入れているサーチエンジン「百度(Baidu)」に「温影帝」と打ち込むと、「検索結果は関連法規と政策に見合わないため、示すことができません」と出てくるが、「影帝」や「影帝宝宝」ならば検索結果がずらり??つまり、「演技派温家宝」の名前はすでにウェブの片隅だけではなく、規制を受けていない多くのウェブサイトに広く行きわたり始めている。
 
 グーグルは市場撤退をちらつかせて中国政府に挑んだ。しかし、話し合いはならなかったものの、香港に踏みとどまることで最大の損失を被ることは避けた。しかし、中国は自ら去っていった者を、今でも口汚くののしり続けている。いつまで続けるつもりなのだろう。いくら演技派がかつて人気を集めた表情でいつものように表舞台を飾っても、観客たちはその後ろで展開する泥舞台にもう厭き始めている、というのに。

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ふるまいよしこ
フリーランスライター。北九州大学外国語学部中国学科卒。1987年から香港在
住。近年は香港と北京を往復しつつ、文化、芸術、庶民生活などの角度から浮かび上
がる中国社会の側面をリポートしている。著書に『香港玉手箱』(石風社)。
(
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