三島由紀夫の檄文を読むのは初めて!
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成22年(2010年)3月16日(火曜日)
通巻2909号
米下院、百名以上の議員が連署。「もっと中国に圧力をかけよ」
オバマ政権は人民元の為替操作をこれ以上放置するな、と議員団が提出
***********************
3月15日、米議会下院は百名以上の超党派で「人民元切り上げの圧力を本格化せよ」との要求書を提出した。
これは前日、北京で全人代閉幕の記者会見に臨んだ温家宝首相が「米国の圧力には屈しない。人民元の変動相場入り(切り上げ)は当面ないし、それは政治レベルで判断する。それより米国は(中国が世界一の国債保有者だが)米ドルの安定にもっと力を注ぎ、世界の投資家を安心させる義務がある」云々との発言に反発したかたちとなった。
同じ日のNYタイムズに寄稿したノーベル経済学賞のクルーグマン教授は「人民元が不当に安いが、これは中国が輸出競争力を維持する目的であり、米国ばかりかアジア周辺国の経済も大きな打撃を受けている。中
国の身勝手な為替政策をこのまま放置すべきではなく、なんらかのアク
ションを起こすべきである」と呼びかけた。
中国のかたくなな姿勢に対して米国の反発が日々強烈になっている事態に注目しておく必要がある。
△
~~~~~~~~~~~~~~~~
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@
――逆さに読めば・・・面白いことこのうえなし
『現代中国事典』(安藤彦太郎編 講談社現代新書 昭和47年)
△
この本の表紙には「毛沢東思想と文化大革命、さらには法体系、国家と行政のしくみから人民公社・市民生活の実際まで、現代中国の息吹をつたえる重要事項281をえらび・・・的確簡明な解説をほどこした。
理想社会実現をめざす七億人民の営為を、いきいきとつたえる画期的な『読む辞典』である」とのアピール。裏表紙には「日中友好の盛り上がりは驚くほどですが・・・相手の中国をよく知る必要をますます痛感し
ます。
よく知ることこそ友好を深め、国交を正しく築いてゆくもとです」と、北京から13年ぶりに帰国した西園寺公一の「『現代中国事典』に寄せて」
が記されている。
かてて加えて、この事典が出版された昭和47年は西暦1972年で文革渦中というだけでなく、編集委員は安藤彦太郎(代表)、斎藤秋男、菅沼正久、高市恵之助、野村浩一、波多野宏一という顔ぶれ。
ここまでくれば、この事典が「現代中国」のなにを吹聴し、日本人にどのような教訓を垂れようとしていたかは、大方の想像はできる。やはり彼らが最終的に求めていたものは毛沢東思想の日本での普及、いや大胆不敵・荒唐無稽にも毛沢東思想による日本革命・・・?
ところで、この事典出版に至る動きを追ってみると、この年9月29日に北京の人民大会堂で田中・周両国首相が共同声明に調印したことで国交が結ばれ、1日置いた10月1日、折しも国慶節を祝うその日に、この辞典の「まえがき」が書き上げられ、2ヶ月ほどが過ぎた11月28日には出版されている。
なんとも手回しの良いこと。それだけでも驚きだ。
この事典の執筆者総勢74人は当時の日本を代表するマオイストといっていいだろう。はたして彼らは金銭万能の現在の中国を、どのように見ているのか。
いまこそ「現代中国の息吹をつたえ」るべく「的確簡明な解説をほどこし」た『改訂新版・現代中国事典』を書いてもらいたいものだ。それというのも、今日ほどに「相手の中国をよく知る必要をますます痛感」する時代はないから、である。
そこで、この事典の執筆者の方々には申し訳ないが、勝手ながら改訂版のサンプルを。
たとえば解説の最後が「旧社会を生き抜いて社会主義への道を歩む文芸家・学者のなかで、岐路に立った局面選択に的確な判断を下してきた能力のゆえに、また日中関係史のひとつの側面を身をもって代表するゆえに、中国革命・半世紀を人格的に象徴する大知識人といえよう」で結ばれた「郭沫若」の項目だが、次のように改訂してみてはどうだろう。
【旧社会を無責任に生き抜いて社会主義への道に心地よい居場所をみつけた文芸家・学者のなかで、岐路に立った局面選択に身勝手・無責任・ノー天気な判断を下してきた能力ゆえに、また日中関係史のウソ臭い側面を身をもって代表するゆえに、中国革命・半世紀を無反省で自己中心的に象徴する大いに虚飾気味の知識人といえよう】
「最大の特徴は、軍隊内における政治上の民主主義、軍事上の民主主義、経済上の民主主義があげられ、これが解放軍を『不敗の軍隊』にしているとされている」の「人民解放軍」の項目は、【最大の特徴は、軍隊内における政治上の権力主義、軍事上の冒険・拡長主義、経済上のカネ儲け至上主義があげられ、これが解放軍を『腐敗の軍隊』にしているとされている】と改められるのだ。
このように、密かに自己流改訂作業を進めてみるのも面白い・・・デス
よ。《QED》
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎宮崎正弘のホームページ http://miyazaki.xii.jp/
♪
絶滅の危機にあると言ふ理由からである。日本はその決議を阻止しようと懸命の努力をしてゐる。愚生は大西洋のマグロが実際に危機的状態にあるのか,それとも日本の主張の通りその心配はないのか,知らない。
しかし捕鯨の問題と同様この動きには”Japan Bashing”の匂ひが強くするし,同じことを感じてゐる人は多いであらう。
捕鯨でもマグロ漁でも,懸命に権益を守らうとする日本の姿は,いかにも自国の利益,自分たちの食の快楽のために,残酷で自然破壊につながる行為を恥も両親の咎めもなく平気で続けようとしてゐるごとくに映る。
ひょつとして欧米の動きの真の目的はそこにあるのではないか.と勘繰られる。もしさう言ふ疑ひが濃厚であるなら,それに対する日本の行動は彼らの思ふ壺である。
純然たる資源問題として,資源の枯渇を否定する”科学的”証拠をせっせと集め,彼らに対抗しようとする日本人のなんとナイーブでお人よしなことか。
愚生は提案する。
彼らの意図が日本を貶めることにあると察知するなら,その裏を掻いて,こちらから積極的に大西洋のクロマグロの禁漁に賛成したらどうか.今後10年,我が国は大西洋産のクロマグロは輸入しない,と宣言すればよ
い.
また,鯨についても,やはり全面的に捕鯨を中止したらどうか.鯨はもとより,マグロも人間を除けば食物連鎖の最上位にある.これらが増えすぎて,他の漁業資源が危機に瀕した時,欧米の連中がどう言ふことを言ひ出すか.蓋し見物ではないか.飽食の日本である。
大西洋のマグロが食べられなくなるくらゐでオタオタすることはない。
鯨とて同様である。高山正之氏の言ふ通り,日本人は少しは世界の”腹黒さ”をしっかり見据ゑるべきである。
(NN生,横浜市)
♪
(読者の声2)前号の「KH生」氏の投稿の中でナチ党に綱領や党規約がないと書かれていましたが、ナチス党、正式には国家社会主義ドイツ労働者党には1920年2月24日ミュンヘンの党大会で採択された25ヶ条の立派な綱領があります。
そこにはベルサイユ体制の打破、民族自決、大ドイツ国家の建設、再軍備、生存圏の確保などその後のナチス・ドイツの目指したビジョンが極めて明確にうたわれております。
またナチス党には他の保守政党や社会民主党などと比べてもはるかに厳格な、KPD(ドイツ共産党)とほぼ同じ党規約がありました。
基本的にナチス党の組織原理はレ-ニン型であり、地域や職場に基本単位である党細胞を設けて、それが積みあがってゆく形をとっています。共産党の赤色テロに対抗するために突撃隊(SA)を組織し、激しい街
頭闘争を展開しました。
憲法については1933年の政権獲得後に国会で議決された全権委任法に基づき、ワイマ-ル憲法を停止し、ヒトラ-総統の指導者原理による統治
体制が打ち立てられました。
しかしそれはドイツ国民の圧倒的支持による「国民革命」とみなされました。
一方、民主党はそもそも何の理念もなく、綱領をつくろうにもつくれないのが実態です。憲法をどうするのか?
国防をどうするのか?
教育をどうするのか?etc。
従って彼らはただ耳障りのいい、バラマキ主義のマニフェストをつくることしか出来ないのです。
そしてそれに幻惑されて政権を与えた国民には大きな責任があります。
「民主党=ナチ党」論は、戦争に敗れたとはいえナチ党に対して失礼な議論だと思います。(武蔵国杉並住人)
♪
(読者の声3)今を去る40年前に文豪・三島由紀夫は「自衛隊よ、なにをしているのか」と檄文をとばし、憲法改正を訴えて市ヶ谷台で自決しました。
いまの日本の劣化、指導者の戦略のなさ、というより愛国心の欠如を目撃しておりますと三島先生の訴えがいかに正しく、また時代に予見的であったかと思うこの頃です。あの檄文をもう一度読みたい。(憂生)
(宮崎正弘のコメント)檄文を下記に再掲します。
「檄」
楯の会隊長 三島由紀夫
われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。
ここで流した我々の汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸で
きる唯一の場所であつた。
教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずにして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを見た。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名前を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。
もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質な欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。
われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることはなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。
憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。
国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。
日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲がつた大本を正すといふ使命のため、われわれは小数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである。
しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起こつたか。総理訪米前の大詰といふべきこのデモは圧倒的な警察力の下に不発に終わつた。その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。
その日に何が起こつたか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。
治安出動は不要になつた。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自身を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。
これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる!政治家にとつてはそれでよからう。
しかし自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまつた。
銘記せよ!
実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつて悲劇の日だつた。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議會主義政黨を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。
論理的に正に、その日を堺にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。
これ以上のパラドックスがあらうか。
われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、なんたる論理的矛盾であらう。
男であれば男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。
しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。
われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本から来ないのだ。シヴィリアン・コントロールは民主的軍隊の本姿である、といふ。
しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。この上、政治家のうれしがらせにのり、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。
沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か?
アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年のうちに自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。
われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。
共に起つて義のために共に死ぬのだ。
日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。
もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
(引用終わり)
以上です。