頂門の一針 | 日本のお姉さん

頂門の一針

与謝野氏、新党結成も視野
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古澤 襄

7月の参院選が近づくにつれて、自民党内から谷垣総裁の退陣を求める
動きが顕在化している。谷垣氏が辞任しない場合は、新党結成も視野に
行動すると与謝野馨・元財務相は明らかにしている。桝添要一氏に次ぐ
自民党有力者の動きである。

この流れを自民党内の権力闘争とだけの面で見るのは視野が狭い。「政
治とカネ」で民主党に逆風が止まらない中で、参院選で民主党が単独過
半数を獲得するのは誰の目からみても難しい。だが民主党は衆院で圧倒
的な多数を保持している。

参院選後の政治地図は民主・国民新・社民3党の連立構造が変化する可
能性がある。それをしなければ、自民党政権時代の衆参ねじれ現象が再
現することになりかねない。公明党やみんなの党などが、それを睨んで
連立参加の可能性を否定していない。

自民党内から新党の動きが本格化するとすれば、当然のことながら連立
参加を視野に入れたものになるであろう。それが実現するか、どうかは
別問題だが、少なくとも自民党内の権力闘争という狭い視野で律するこ
とは出来ない。

ただ、これは民主党の問題でもある。

党内に旧社会党グループを抱え、社民党と連立を組み、連合組織に依存
する現在の政権は、明らかに左派政権である。日本版の盧武鉉政権とい
っていい。

韓国では盧武鉉政権から李明博政権に代わったが、日本では左派政権に
対する支持層が依然としてある。だから参院選で民主党が単独過半数を
獲得できなくても、現在の与党3党の枠組みで過半数を獲得することに
全力を傾注するであろう。

それが参院選の結果、出来なかった場合を考えるのは、時期尚早なのか
もしれないが、左派政権の課題となっているのは、外交・安全保障政策
と財政再建政策の2つの基本政策である。その面で今の左派政権はいか
にも頼りない。

民主党内は左派一色ではない。非小沢グループや保守系グループもあっ
て、”一致団結弁当”ではない。かなり幅が広い政党である。参院選の
結果によっては、民主党内で"擬似政権交代”が起こることもあり得る。

<自民党の与謝野馨・元財務相が、10日発売の月刊誌「文芸春秋」4
月号に寄稿した論文で、谷垣総裁のままでは今夏の参院選を戦えないと
して辞任を要求し、実現しなければ新党結成も視野に行動する考えを表
明していることが、6日わかった。

与謝野氏は同日、都内で記者団に、すぐには行動せず、当面は執行部の
対応を見極める姿勢を示したが、党総裁選に出た経験を持つ有力者の与
謝野氏が、谷垣氏の辞任が望ましいとする意向を明確にしたことで、党
内の「谷垣降ろし」の動きを誘発する可能性もある。

与謝野氏は論文で、「この半年間、本気で鳩山政権を倒そうという気概
が見えなかった」と執行部を批判。そのうえで、「谷垣総裁では党の再
生はおぼつかない。このままでは夏の参院選も戦えない」として、谷垣
氏の辞任を求めている。

また、「現執行部を刷新して新生自民党で出直す道もある。それがだめ
なら新党を含め新しい道を歩む決断をせざるを得ない」とし、執行部が
交代しない場合、離党して新党結成に踏み切る可能性にも言及している。
(読売)>2010.03.07 Sunday name : kajikablog


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自民の断末魔、「特大敵失」にも打つ手なし
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花岡 信昭

 *いったん寝たら、どんなことがあっても起きるな!

前回コラムで、「潮目」を本物にできるかどうかは、自民党がカギを握っ
ていると書いた。

どうやら、自民党は「潮目」をつかみ損ねたようだ。

長崎県知事選、町田市長選で自公支援候補が大差で勝ったことから、自
民党にがぜん有利な状況が生まれたかのように見えた。谷垣禎一総裁が
音頭を取って「戦いのときはいまをおいてない」と、果敢に審議拒否戦
術に打って出た。

ところがわずか3日で審議復帰とは、いったいどういうことか。

議会制民主主義の建前からすれば、審議を積み重ねてこそ議会である、
ということはだれしも分かる。そこを審議ボイコットという強硬手段を
とったのだから、いまさら「審議拒否は国民の支持を得られない」とい
った批判にドタバタする必要はない。すべて承知のうえで、国会攻防の
大転換を目指したのではなかったか。

前回も紹介したが、国会の隠語として、審議拒否を「寝る」、審議復帰
を「起きる」という。いったん寝たら、どんなことがあっても起きるな、
というのが国会攻防の鉄則だ。

つまりは、寝たままにしていれば、相手があらゆる手を使って起こしに
きてくれるのだ。

こういうたとえはよくないだろうが、古女房に「会社に遅れるわよ。起
きなさい」と布団をひっぱがされるといった光景よりも、美女がやさし
く顔なんかをさすって、「ねえ、起きましょうよ」とやってくれるほう
が、願望としてはよほど楽しい。

 *「公家集団」出身・谷垣総裁の脆さが露呈

自民党はこれができなかった。1週間でも2週間でも寝たままで動かな
い、というタフな神経が必要だった。国会を混迷に陥れれば、多数を制
している民主党側が「起きる」ための算段をあれこれつくってくれる。
国会とはそういうものだ。

そういう構図が出来上がれば、自民党は民主党から一本取ったというこ
とになる。自民党の存在感を誇示できる。それが、何らの果実も得られ
ないまま、3日で起きてしまった。

谷垣氏は「公家集団」と揶揄されてきた自民党の伝統派閥・宏池会の出
身だ。正直言って、斬った張ったの世界には疎い。そのもろさが、こう
いう重要な局面で出た。

衆院議長の不信任決議案、議院運営委員長の解任決議などを出したとこ
ろで、民主党が圧倒的な多数を持っているのだから、通るわけがない。
民主党から多少でも賛成者を引きずり出せれば、それなりの効果はあっ
たことになるのだろうが、それもなかった。

予算の組み替え動議には、子ども手当の廃止、消費税を含む税制改革、
公共事業上積み、高速道路無料化の中止、八ツ場ダム中止の撤回……と
いった重要なポイントが含まれている。

財政危機を打開し、ばらまき政策をやめて「小さな政府」を目指すとい
うのであれば、これは保守主義政党としての基本に沿うものでもある。

民主党のつくった予算では日本をだめにするというのだが、残念ながら
と言うべきか、一顧だにされなかった。メディアの扱いも極めて小さな
ものだった。

 *自民は民主・資金疑惑連発の“好機”も生かせず

かくして、新年度予算案は3日、衆院をいともあっさりと通過した。

これで予算の年度内成立が確定した。30日後に自然成立するためだ。参
院では30日待たずに可決、成立させることになるだろう。

参院で民主党会派(国民新党などを含む)は自民党離党者を入れて過半
数に達している。参院の独自性なるものを発揮して、30日以前に採決に
持ち込むはずだ。

なんのことはない。国会攻防の練達者がずらりと揃っていると思われて
いた自民党が、手も足もなくひねられているという構図が浮き彫りにさ
れただけだ。

民主党側には、鳩山首相(民主党代表)と小沢幹事長の巨額政治資金問
題がある。内閣支持率の続落はこれによって引き起こされた。

そこへ北海道教職員組合から民主党の小林千代美衆院議員側に1600万円
の違法献金が渡っていたという事件が表面化、組合幹部ら4人が政治資
金規正法違反容疑で逮捕された。

民主党の代表、幹事長、議員という3段階のレベルで政治資金をめぐる
スキャンダルが並んだのである。

民主党にとって、これ以上の厄介な局面はないといっていい。これを攻
撃する自民党側には、格好の材料が出揃ったはずなのだ。

 *日教組・自治労幹部の逮捕は民主にとって大きな痛手

北海道教組の不祥事が民主党にとって手痛いのは、参院選対策のため全
国行脚に専念する小沢幹事長に代わって党運営の指揮を執る輿石東参院
議員会長が日教組出身という事情もあるためだ。

小林議員陣営の会計責任者で今回、違法献金を受け取ったとして逮捕さ
れたのは自治労北海道本部の財政局長である。

日教組、自治労とも、民主党の有力な支援母体だ。そこの幹部がごそっ
と逮捕されたのだから、民主党にとっては痛恨事であるはずだ。

北海道教組は日教組の中でも最左派に属し、尖鋭的な政治行動で知られ、
日教組本部でももてあますほどの存在ではあったらしい。

輿石氏は今夏の参院選で改選を迎えるが、6年前の選挙では地元・山梨
で県教組ぐるみの選挙運動を展開したとされ、当時の県教組財政部長ら
が政治資金規正法違反で略式命令(罰金)を受けている。

北海道教組の事件は、これを思い出させることになり、支持労組との
「癒着選挙」が民主党批判の格好のターゲットになりかねない。

 *新党構想の舛添氏も自民に愛想を尽かしたか

もっとも、輿石氏をあえて擁護するわけではないが、「日教組の大ボス」
的存在と見られがちではあっても、その政治手腕はなかなかのものであ
る。でなければ参院を束ねることなどできようがない。

自民党側の青木幹雄氏ら参院幹部も輿石氏には一目置いている。小沢氏
もそうした輿石氏の力量を見込んで、党務を委ねたのである。

その点だけはあえて付言しておきたい。こういう事件が起きると、十把
ひとからげで指弾されがちだが、政治的力量の見極めは冷静、冷徹に行っ
ていかないと、政治展開を見誤ることになるからだ。

ともあれ、自民党はこれだけの「特大敵失」を前にして、有効な手をまっ
たく打てないままだ。
野党になると、かくも存在感が薄れるのかと慨嘆
せざるを得ない。

だいたいが中堅幹部クラスの動きがまったく見えてこない。

民主党側には閣僚など日の当たる重要ポストにいる人が多いから、いや
でもその動向はメディアに登場する。自民党側にはこれがない。

世論調査で人気の高いのは舛添要一氏だが、日本外国特派員協会の講演
で党内事情を批判、谷垣総裁の辞任要求や新党結成の可能性にまで言及
した。野党転落以後の自民党に愛想が尽きたといった思いなのではない
か。

 *鳩山邦夫氏が政界関係者に送った「不思議な手紙」

かと思うと、鳩山邦夫氏が政界関係者に一斉に郵送した不思議な手紙が
話題を呼んでいる。
長男の太郎氏(短期間、東京都議を務めたことがあ
る)の支援要請である。

「私の父、威一郎の後を継ぐつもりなのか、参議院の全国区を視野に地
方行脚をくり返しております……実際に立候補して堂々たる選挙戦を展
開できるかどうかは、いまだ未知数であり、今後の本人の心がけ次第で
ありましょう」

鳩山氏の言う全国区とは比例代表のことだが、自民党は比例代表候補を
これまでに23人公認したものの、太郎氏は含まれていない。

鳩山氏がこの段階でこういう手紙を出すのは、自民党執行部に対して太
郎氏の比例公認を認めさせようというデモンストレーションか。

もし、自民党が公認しなかったら、公認してくれる「新党」がありさえ
すれば、そちらに走るのではないか。党内では、そんな憶測が飛び交っ
ているのである。

かつて、自民党最大派閥だった田中派・竹下派の合言葉は「一致結束箱
弁当」だった。派閥総会で箱弁当の昼飯を食べ、結束を誓い合うのであ
る。いま、自民党内にはそういうムードはほとんど見えない。求心力よ
りも遠心力、分裂機運が見え隠れする。

 *公明が民主に接近か、小沢氏が学会幹部と会談

すでに、自民党の参院議員5人が離党した。

田村耕太郎、長谷川大紋、山内俊夫、吉村剛太郎、松田岩夫の5氏だ。
山内、松田両氏は今期で引退するが、田村氏は民主党に、吉村氏は国民
新党に入党している。

そうした一方で、小沢氏が2月26日、創価学会幹部と会談していたこと
が明らかにされた。

公明党は細川政権当時、小沢氏と「一一コンビ」として関係が深かった
市川雄一元書記長を常任顧問として復帰させた。

米軍普天間基地の移設問題などで社民党が連立を離脱した場合、公明党
との連携が一気に浮上する。これに備えたものであることは言うまでも
ない。

そうした民主党側の動きをなすすべもなく見守るだけの自民党では、な
んとも寂しい限りである。

【日経BPネット連載時評コラム「我々の国家はどこに向かっているの
か」4日更新】再掲

★★花岡信昭メールマガジン★★779号[2010・3・6]


主宰者寄り:谷垣を総裁にせざるを得ない自民党。自民党そのものがお公
家集団に落ちぶれていた、ということではないか。もっと落ちる。


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出でよ、平成の梅田雲浜
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平井 修一

梅田雲浜は小浜藩(福井)出身の儒者。国事奔走にあわせて諸地方新興
産業のための内地市場開拓、内地貿易の斡旋につくした。

<うめだ うんぴん 幕末の儒学者,志士。名は定明,通称源次郎,雲
浜は号。小浜藩士矢部家生,祖父の実家梅田姓を名のる。藩儒山口菅山
に入門,のち京都望楠軒講主となり崎門(きもん)学者として著名。

1852年(嘉永5)藩政批判のゆえに士籍を失うが尊攘論を唱え政界で活動,
内政・外交ともにはげしく幕政を批判,〈悪謀の四天王〉の中心と目され
る。安政の大獄の逮捕第1号として取調べ中に病死。>(世界大百科事典)


「地方分権=地方活性化」というイメージがあるが、北海道夕張市のよ
うに多くの自治体は財政難に直面しており、地方分権が進んでも経済が
好転してシャッター通りが解消されるかどうかは疑問だ。いっそのこと
電通、博報堂などのマーケッティングのプロに「地方起こし」を外注し
たほうがいいのではないか。

地方分権の最たるものは江戸時代の「藩」である。多くの藩が農林水産
業主体の第一次産業依存経済、いわば後進国型の経済であり、商業や製
造業(マニュファクチャー)など殖産興業に遅れをとっていた。藩経済
は収入よりも支出が多く、その差を主に大商人からの借金で埋めていた
のだ。

借金だから利息はあるし、元金も返済しなければならない。サラ金地獄
になる。徳川幕府自体が二進も三進もいかなくなってしまった。1789
(寛政1)年には棄捐令(きえんれい)が公布された。

<棄捐令は、幕府が財政難に陥った旗本・御家人を救済するために、債
権者である札差に対し債権放棄・債務繰延べをさせた武士救済法令であ
る>(ウィキ)

「札差」は武士が俸禄として受け取る米を現金に換える金融業者で、こ
の時の棄捐令で「札差は118万7800両の貸金を一朝にして失った」(北島
正元「江戸時代」)。

諸藩でも借金の棒引きはずいぶんと行われていたようだ。「手元不如意、
払えないものは払えない」と殿様に言われたら債権者は諦めざるを得な
い。財政再建団体、チャプター11、民事再生法の適用だ。

<いざとなると大名は封建の名分を強い楯にして、最後の手段として
「御断り」に出る。負債の支払いを単純に拒絶するのである。武力はあ
り、門戸は高く、金を貸した町人が催促しても強制する力はない。

そのために破産した商人が有名な家だけを数えても元禄以来数え切れぬ
ほど出た。薩摩と細川との九州の二大名が借金踏み倒しの両横綱として
三都の富商から嫌われ警戒を受けた>(大仏次郎「天皇の世紀」)

越後屋、鴻池も命懸けである。伊勢亀山藩(三重県)の資料にはこうあ
る。

<安永10年には京・大坂・江戸・亀山の四か所の商人からの借用金は金
利を合わせて7万3500両にも膨らんでいた・・・亀山藩だけでなく、諸藩
もさまざまな財政改善に努めたのであるが、結局、藩の借金は明治期ま
で残される。

これが解消されるのは、明治政府が行った借金の棒引きや武士階級の給
与改定などの政策によってであった。政治体制の大きな変化が関係して
いたものの、商人など庶民の犠牲の上に成り立っていた>(三重県)

諸藩は行財政・経済改革をすすめるが、成功したのは幕末の雄藩である
薩長土肥などに限られていたようである。

藩の困難の一方で「大名貸し」をするほどの豪商がいたのは、商業が利
権がらみで儲かったからだろう。大阪の富豪、淀屋三郎右衛門の資産は1
億2186万両で、百万石の大大名並だったという。

龍馬は海軍兼海運商社の海援隊を慶応元年(1865)に設立したが、幕末
の志士の草分けである梅田雲浜は、その10年ほど前の安政3年(1856)か
ら物産貿易に乗り出している。

小浜藩(福井)出身の儒者、雲浜は強烈なイデオローグであったが、安
政の大獄(6年、1859)で44歳で牢死する短すぎる晩年を除くと「赤貧洗
うがごとく」の暮らしが続き、「妻は病床に臥し児は飢えに泣く」と詠っ
た(大日本百科事典)。

<安政3、4年以後の雲浜は、もう何らの「寒儒」でもない・・・収入は
よほどあるものと見え、暮らし向き裕かで、訪客絶えず、客には常に酒
肴を供し、時には舞妓を呼んで大騒ぎもし、日常生活はむしろ贅沢だっ
た・・・

安政3年の秋以降、雲浜が国事奔走にあわせて諸地方新興産業のための内
地市場開拓、内地貿易の斡旋につくしたことは、京阪地方と長州、大和
と長州、大和と北陸筋まで、諸方面にわたった>(服部之総「志士と経
済」)

出色、異色の志士である。豪商・豪農、諸藩の官僚、草莽の志士などと
の人的ネットワークを造り、いわば「梅田商会」を彼ひとりのアイディ
アで創設したのだ。マーケッティング、商売の傍ら尊攘思想を説いたが、
幕藩体制では自由な交易・経済が拡大しないことも示唆したのではない
か。

産業がなければ分権したって活性化はしない。地方であればあるほど少
子高齢化は進む。
雲浜のようなビジネス奔走家的政治家・経営者が求め
られている。電通・博報堂以下にその人材ありやなしや。

戰後の文部行政の前提に立返って議論する必要があらう。