「日中歴史共同研究報告書に抗議する」加瀬 英明 (外国向け)
広めよう】Protest Against Japan-China Joint History Research Committee Report
On January 31, 2010, the Japan-China Joint History Research Committee
issued a report describing the results of their work.
It is unwise to engage in "joint historical research" with representatives of a totalitarian state controlled by the Communist Party.
And to no one’s surprise, the People's Republic of China reiterates a
false claim that the Japanese perpetrated a massacre of 300,000 Chinese in Nanking. More problematic is the fact that the Japanese scholars on the Committee did not submit the results of recent research on Nanking. Instead, they released a report that repeats the superannuated Nanking “massacre” argument, which can be traced to the accusation aired at the "Tokyo Trials".
Mr. KASE Hideaki, Chairman of the Committee for the Examination of the
Facts about Nanking issued a statement of protest as bellow.
* http://www.sdh-fact.com/CL02_3/23_S1.pdf
Any questions are welcome.
Sincerely,
MOTEKI Hiromichi
Deputy Chairman and Secretary General for Kase Hideaki, Chairman
Society for the Dissemination of Historical Fact
Tel 03-3519-4366
Fax 03-3519-4367
Email moteki@sdh-fact.com
Note: Japanese names are rendered surname first in accordance with customs
in Japan
~~~~~~まだ日本語で読んでいない方に。
平成22年2月11日
「日中歴史共同研究報告書に抗議する」
加瀬 英明 「南京事件の真実を検証する会」 会長(外交評論家)
去る1月31日、日中歴史共同研究の報告書が発表された。そもそも学術研究は
国家の政治に従属し、奉仕するものされている共産党支配の独裁国家と、歴史の
共同研究を行おうとすること自体おろかなこと言わなければならないが、報告書
を読むと、南京事件に関して中国側は相も変わらず、30万虐殺宣伝に終始した主張を繰り返している。これは研究の名に値するものではない。
さらに問題であるのは、日本側の学者が、近年急速に進んだ南京事件についての
研究成果をこの共同研究の場に提起するのではなく、それらの研究を一切無視し
東京裁判において主張された「20万虐殺」説をベースとする古色蒼然たる時代
遅れの南京虐殺論を報告していることである。虐殺があったという固定観念に基づいて文献ををつまみ食い的に利用する方法は学問研究の常道を逸脱している。
最新資料として、東中野修道亜細亜大学教授が台北にある国民党党史館で発見し
た「国民党宣伝部国際宣伝処工作概要1938年~1941年4月」という「極機密」印の押された内部文書がある。
ここには、南京戦を挟む11ヶ月間に、漢口において外国人記者を招いて300回の記者会見をしたことが詳しく記されている。しかしながら、日本を非難する目的のこの記者会見において、ただの一度も南京で日本軍が市民虐殺をしたとか、捕虜の殺害をしたとか発表していないのである。何十万という虐殺がありながら、一言も言わないなどという事あり得ない。報告書はこのことに全く触れていない。
我々は、2008年5月、胡錦涛主席来日の折に、添付の公開質問状を提出した。
5点の質問項目は、南京事件の実態を明らかにするための重要事項である。しかしながら、未だに胡錦涛主席からの返答はない。当然のことながら我々は答えられないためである、と解釈している。北岡座長をはじめとする日中共同研究の日本側委員諸氏に、この5項目に対して貴殿らはどのように考えられるのか回答を求めたい。
以上
<添付>
「胡錦濤国家主席閣下への公開質問状」
このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の
友好を願う者として心より歓迎申し上げます。
さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。昨年南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。
そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。以下重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。
一、故毛沢東党主席は生涯にただの一度も「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのように
お考えになられますか?
二、南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。
国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?
三、南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。
この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?
四、さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?
五、南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など) によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。
以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否
定しているものとわれわれは考えざるを得ません。上記5つの点につきまして、
閣下のご見解を承ることができれば幸いです。この問題は多くの日中国民の関
心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫ま
での日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。
平成20年5月5日
南京事件の真実を検証する会委員一同
(会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 高池勝彦 高山正之
東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘
『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html
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捕虜の虐殺やどさくさにまぎれて
市民も間違って処分されたことも
あったかもしれないが、シナ人の蒋介石の
国民党軍が南京市民を殺して服をはいで
自分たちが市民の服を着て街に逃げ込み
ゲリラ活動をしていたのだから、兵士として
あつかう対象ではなかった。
日本兵は、市民の中に紛れ込んだ
便衣兵(ゲリラ)を探し出して捕虜にした。
日本兵もひとりで街に出ると必ずといって
いいほど、ゲリラに殺された。
ゲリラは退治しなければ戦争が終わったとは
言えず、正規軍も南京に入ってこれなかった。
兵士がゲリラ化したのは、
国民党の大将や偉い軍人らが
兵士を捨てて南京も捨てて
日本軍に降参させずに、死ぬまで
戦えと言ったからだ。トップが早々と逃げて
兵士に降伏するチャンスも
与えなかったのだから、シナ人の国民党の
トップの責任があると思う。抵抗せずに
南京を明け渡しておけば、戦死者数は
格段に減ったはずだ。南京の城門の前では
塹壕が掘ってあって、中にシナ人の兵士たちが
大ぜい、足カセをかけられて逃げられないようにして
あったそうだ。シナ人の兵士たちは、戦わなくても
戦っても、どっちにしても死ぬので
必死で抗戦してきたそうだ。むごいことを、、、。
シナ人は、ときどきこういうことをする。
朝鮮半島に攻めてきたシナ人はほとんど
国民党の兵士の生き残りで、共産党の兵士らが
後ろから国民党の兵士らを銃で撃っていたそうだ。
後ろからも撃ってくるから前に行くしかない。
その姿を見たアメリカ人は呆れたらしい。
日本の部隊もシナ人の国民党の兵士たちによって
何部隊も全滅させられた。シナ人は
早くからドイツ軍の偉い人たちを呼んで
強固な塹壕をあちこちに堀って、最新の大砲や
機関銃も用意していたから、
日本兵もかなりの人数が殺されてしまったそうだ。
シナ人は最初から日本と戦う気でいたから、
用意はバッチリしていたので、日本兵は上海の
泥沼で大ぜい殺されてしまった。日本軍は最初、
これといった作戦もなくうろうろしていたので
シナ人の国民党にやられっぱなしだったそうだ。
それでも、何とか盛り返して、シナ人の国民党軍を
追い詰め、その状態のままで日本軍は南京に
攻めていった。その時、シナ人のトップや偉い軍人は
さっさと南京を捨てて逃げたらしい。
シナ人兵士たちは日本兵を殺して日本軍の軍服を
着て、南京めざして逃げていたそうだが、
くつをはかずに肩に掛けて走っていたので、
すぐバレたらしい。そんなことをする日本兵は
いないからね。逃げるシナ人兵士と同じスピードで
日本軍が南京を攻めていったということです。
南京では高台に大砲がセットされていて、
日本軍はその大砲に大勢殺されたそうだが、
その場所は、日本と関係が深いシナ人の記念館が
ある場所だったとかで、日本軍はあえて、そこを
真っ先に攻撃することはしなかったそうだ。
シナ人の紹介石でさえ、20万人殺されたなどと
言っていなかった。殺されていないんだから。
シナ人の兵士が2万人程度殺された。5万人だとも
6万人だとも7万人だとも言う人もいる。
通常の戦争だったのだ。
南京に住んでいた外国人は、2万人以上殺されたと
記事を書いているが、本人は現場を見たわけではない。
聞いた話で記事を書いていたのだ。
後で正直に「実は現場を何もみていません。」と
証言したそうだ。
故毛沢東だって、南京で現在のチュウゴク人が言う
ような数字を言っていない。
最初は20万人だと言っていた現在のチュウゴク人は、
エスカレートしてきて、数字が30万人に増えてきた。
チュウゴク人は正確な数字など
どうでもいいと言っている。
2万人でも30万人でも一緒だと言っているが、
やっかいなのは、その出まかせを世界が信じることだ。
チュウゴク人は、ウソを言い続けるうちに
自分でも信じてきて興奮していく民族なので
日本人が反論もせず、チュウゴク人に「はいはい、そう
でございます。」と軽く合わせるのは、非常に危険だと思う。