ちゃんと自分の意見を言おう。 | 日本のお姉さん

ちゃんと自分の意見を言おう。

チュウゴク人とは、最初の付き合いを間違うと

調子に乗られてしまうらしい。

チュウゴク在住日本人のOJINは、人と人との付き合いは

押したり引いたりして

境界線をさぐるのが本当だと書いていた。

日本人が友愛精神で隣のチュウゴク人に

世話を焼いてもチュウゴク人にとってはタダの迷惑で、

逆に「こいつは、バカだから、押しやすい相手だな!

もっと押しても大丈夫だな!」と思われると

どんどん押してくるのだとか。そんなことは、

チュウゴクや外国では当たり前のことらしい。


相手をとことん甘やかしておいて

相手がずうずうしくなってきたら、日本人は我慢に我慢を重ねる。

調子に乗ったチュウゴク人に、日本人がブチ切れたら、

やっとチュウゴク人も

「おっ、ここまでらしいな。」と思って引くらしい。


日本人は、遠慮なく自分の言いたい事を言うように

した方がいいのではないか。我慢して我慢して

ついにブチ切れたのが

大東亜戦争だったのだ。

アメリカ軍は、戦後、「大東亜戦争と言うな。太平洋戦争と

言いなさい。」と日本を教育したそうだ。


我慢しないで、ちゃんと意見を言うという教育を

日本の子供にした方がよくないか?

なんでも友愛精神で片付くと思ったら大間違い。

世界の人は日本人のように繊細でも上品でも遠慮深くもないし、

何かしてもらったら

お返ししようという考えは無いです。

「ありがとう。」と言ったら、そこで完結です。

お礼を言ったことが

親切にしてもらったことの代価なのです。


だいたい、日本人は見返りやお返しを期待して

贈り物をするからいけない。

何かを期待して贈るなら、それはワイロ的性格を持つ。

プレゼントというものは、無償の愛から相手に

捧げるものであって、何かあげたから、してやったから自分も

何かもらえるとか、優しくしてもらえると思っては間違い。

そういうのは、日本人同士だけにしか通用しないです。

外国人はワイロは、しっかりと受け取ろうとします。

ワイロを与えると物事がスムーズに動きます。


西洋やアメリカでは、何か困っている人に施しをしてあげたら、

非常に感謝してくれた場合、

「GOD BLESS YOU.」と言ってくれます。

その人は、お返しをしないし、できないのだけど

神さまが祝福してくださいますように!と本気で言ってくれる。

それで終わります。お返しなど、何かあった時に

思い出してくれたら、ひょっとしたら

してくれるかもって感じです。でも、それでいいと思う。


友達は、母親とはコミュニケーションが難しいと言っている。

何か、不満がある時に、「これではこういう具合に

不都合があるから、こうしてほしい。」と言うと、

「あんたは、細かいんや。」

「あんたは、そんなんばっかりや。」

「あんたは、気にしすぎや。」

などと言って会話にならないし、どうこれから

改善していくかなどの会話にならないそうだ。

しかも、逆に

人格を攻撃してくるような言葉を口にするらしい。

父親と息子には、何を言われても黙って服従するけど

自分よりも下の存在だと思った相手には、

今度は自分が父親と息子の立場に

なって、相手を支配しようとする。

会話とは、

自分が何をしてほしいのか、

何を感じているのか、

何をされたら嫌なのか、

これからどうしていけばいいかなどを

きちんと話し合って

妥協点を決めるということなのではないかな。


友達は、大人になって初めて、母親が会話ができない

人であると気がついたそうだ。

自分の気持ちを言葉にして表現したことなどなく、黙って従うか

威圧的になって、バカにした言葉を口にするかしか

しないのだそうだ。

仕事場では、会社員は上から言われっぱなしだ。

時には、ひどいことも言われる。

でも、自分の気持ちなど語ってもしょうがなくて

社長や上司の意見は黙って従うしかないような部分がある。

だから、社長が人格者ではなかったら

会社の中が暗くなる。

従業員には、どれだけでも酷い事を言ってもかまわないと

いうことになる。従業員は黙って耐えるだけだ。

友達のお母さんにとっては家庭は会社なのだ。

上に立つ人には

意見を言わずに黙って従う。

自分が上司だったら、偉そうにする。

それは、会話ではないと思う。


まず、自分は悲しいのか嬉しいのか

何をしてもらえば幸せになるのか、

何をされると腹が立つのか、

では、相手にどうしてもらいたいのか、

自分は相手が自分の願いをかなえるために頑張ってくれるなら

どのような手伝いをするのか、

また相手が自分の願いをきけないのなら

自分はどこまでは我慢できるのか、

自分と相手は気持ちよく一緒に暮らしていくために

どんな努力をするのか等を、

会議と同じように話し合って

解決策を見つけ出すのが会話だと思う。


そのためには、

まず、自分の気持ちを自分が分かっていないといけないし、

ちゃんと言葉で自分の気持ちや感情を表現しないといけない。


今、自分はこういうことで楽しいのだとか、

あるいは嫌なのだとか、

だから、感謝しているのだとか、

辛いのだとかを相手に語るのが

日本人はヘタかもしれない。


二人はどういう願いがあるのか。

その願いはかなえてもらえるのか。


こちらも妥協する気持ちがあるが、どこで

二人は境界線をひくのか、どこまで

歩み寄るのか、どうしてもらえば、二人は

どちらも幸せな気分になれるのか、そういうことを

話し合わないと、二人とも黙ってお互いに

我慢しながら暮らすしかない。


会話のない二人は、空気と水のように

大切な存在になっているのかもしれない。

でも、嬉しいとか悲しいとか、

寂しいとか辛いとか、そんな自分の感情を

言えるぐらい仲良くしたっていいと思う。

一緒にいきると決めた男女ならば。


もう、10年以上前の話だけど、

わたしにはボーイフレンドがいて、

一緒に見にいきたい映画があったので

何度も、その映画を観に二人で出かけたのだけど

3回とも、その映画は席がいっぱいだった。

相手はこんでいる映画は観たくないといって

思いきりごねて、3回とも

別のアクション映画をみさせられた。

わたしは3回目でキレて

分かれる決意をしたのだけど、

B子ちゃんに言うと

「アホや。女は男の言いなりになったら

おしまいやで。映画は何を観るかは

女が決めるもんや。」と言われた。

自分が何をしたいのかちゃんと言えない人は

ずっと我慢ばかりしているから面白くない。面白くないから、

結局、いつか我慢できなくなって

別れがくることになる。

今から思えば、観たい映画が観れなかったから

別れたって、いかにも子供っぽいはなしだ。

相手に改善のチャンスも与えず、そのまま別れた。

遠慮ばかりしていて、会話をしていなかったのだと思う。