樹を植える日本人、樹を伐る中国人 | 日本のお姉さん

樹を植える日本人、樹を伐る中国人

古い記事ですが、再度紹介します。↓

樹を植える日本人、樹を伐る中国人

日本人と中国人の決定的な違いは死生観にある。
Japan on the Globe 国際派日本人養成講座より転載
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            伊勢雅臣

林建良『日本よ、こんな中国とつきあえるか? 台湾人医師の直言』並木書房、H18
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4890632018/japanontheg01-22%22


■1.日中でまったく異なる「医食同源」■

台湾で中国医学を学んだ後、東大で医学博士号をとり、現在は栃木県で地域医療に携わっている林建良医師は、「医食同源」の理解が、日本と中国ではまったく異なる、と指摘している。
[1,p16]

日本人が考える「医食同源」とは、健康を保つためには、まず食事から正していかねばならない、というものだ。最近流行 語となった「メタボリック症候群」に関しても、甘いものや濃い味付けの料理を食べ過ぎると内臓に脂肪がたまって、動脈硬化による心筋梗塞などの病気にかかりやすくなるので、野菜をしっかり食べよう、などと説かれる。

しかし、林氏が台湾の医学部で学んだ漢方医学では、たとえば「肝臓を食べると肝臓に効く」「脳を食べると脳にいい」「心臓を食べると心臓によい」と考える。

中国市場で精力剤として売られているのは「狗鞭(ごうべん)」、犬の鞭、すなわち犬の生殖器である。もっと効くとされているのが「虎鞭(フーベン)」虎のペニスである。犬よりも虎の方 が強いからだ。

林氏も高校時代によく頭痛に悩まされたので、台北の中国人の医師にかかり、漢方薬とともに豚の脳を煎じて飲まされた。

病んだ臓器に近い臓器ほど、そして人間に近い動物ほど、体 に良いとする。これが中国人の考える「医食同源」である。その究極は何か、と言えば、人体そのものということになる。

■2.人体も薬■

中国医学で最も権威ある書物とされているのは、明時代の1578年に執筆された『本草綱目』である。「本草」とは基本的に薬用になる植物をさすが、薬とされる範囲は、鉱物や動物にも及ぶ。そして、最後に出てくるのはなんと「人部」、すなわち人体を薬剤として扱う章である。そこでは、髪の毛、尿、唾、汗、骨、生殖器、肝臓などの効用が細かく書かれ、たとえば 「瘧(おこり、マラリア)は、生の人の肝臓1個を陰干しにして、その青い部分が効く」などと説かれている。

この「医食同源」の概念は、専門の医学書だけではなく、広く一般庶民の生活にも浸透している。昔から子供向けの教科書 として使われていた『二十四孝』は、24種類の親孝行の例を示したもので、その一つに「割股療親」がある。子供が自分の太ももをえぐって、病気の親に食べさせて、療養することを、親孝行として勧めているのである。

「医食同源」の考えは近代になっても根強く残っていた。日露戦争中に日本に留学し、その後作家として活躍した魯迅の作品 『薬』の中には、女性革命家が公開処刑される際に、民衆が手に手に饅頭を持って集まる、というシーンが出てくる。処刑された瞬間に吹き出る血を、饅頭に染みこませて食べる。新鮮な血は体によいという「医食同源」の発想である。

中国人は「四つ足で食べないのは机だけ」と揶揄されるほど、何でも食べ物にしてしまう。そして「医食同源」だから、何でも薬と考える。自らの体のためには、人間を含む他の生命はすべて食べ物や薬として見なすのが、中国人の哲学なのである。

■3.『共産党の慈善事業』(Communist Charity)■

人体を薬にするのが、内科的「医食同源」なら、外科的「医食同源」が臓器移植だろう。金儲けの天才である中国人は、死刑囚から臓器をとりだして売買するビジネスを発明した。

アメリカに移住した中国人・呉宏達(ハリー・ウー)氏は、自分の家族に臓器移植を希望しているとの触れ込みで、数度、 中国に潜入し、臓器売買の実態を調査して、レポートを出版した。その題名がふるっていて『共産党の慈善事業』(Communist Charity)という。

ウー氏は、1995年にアメリカのパスポートで中国に入国した際に、スパイ容疑で逮捕されたが、アメリカ政府の圧力で釈放 された。この事件をきっかけに、中国における臓器売買はアメリカの国会でも注目され、数度にわたる公聴会が開かれた。国 会の提案により、江沢民主席が1997年に訪米した際に、クリン トン大統領が問題提起している。同時期に、アメリカのABCテレビが『血なまぐさい金』(Bloody Money)という題名で、ゴールデン・アワーに全米に放送した。

ウー氏の調査によると、臓器売買は次のようなシステムで行われている。まず死刑は祝日の前日に予定される。中国では80年代以前までは公開処刑が一般的で、国民がお祭り気分で見る娯楽の一種であったからだ。

次に刑務所では、肝炎やエイズなどの事前チェックを行い、病院側が注文した臓器に合った死刑囚を選ぶ。さらに臓器は新しいほどよいので、刑場には医者が待機していて、死刑執行されるや臓器を取り出し、病院に運んで、移植手術を行う。

死刑執行前に臓器を取り出してしまうケースもよくあるとい う。ウー氏のレポートでは、ハンブルグに脱出した中国人医師が実名と写真入りで、死刑執行の前日に何度も肝臓を取り出したと証言している。その犠牲者のひとりは、思想問題で死刑とされた19歳の女性で、死刑執行する前に、待機する車の中に彼女を強引に押し込み、麻酔無しで腎臓を取り出したという。


■4.政府と軍のビッグ・ビジネス■

国際人権団体アムネスティ・インターナショナルの調査によれば、2004年の世界における死刑執行件数は約5500件で、そのうちの3400件、62パーセントが中国である。そのうちのかなりの件数で、臓器が取り出され、役人の収入源になっていると思われる。

病院が処刑された死体に支払う値段は、300元(4500円)から600元(9000円)。そこから取り出された臓器は、12万元(180万円)から15万元(225万円)に跳ね上がる。外国人相手に売られるときは、その倍になるという。仮に200万円で3千件の臓器売買が行われたとすれば、総額60億円のビッグビジネスということになる。

林医師は、糖尿病の治療を専門としているが、患者の中には腎不全から人工透析を余儀なくされている人も少なくない。そ のうちの一人が「臓器移植を中国で受けたい。紹介してくれないか」と頼んできたことがあるという。なぜ中国なのかと訊くと、「すぐに移植できるし、若くて健康な腎臓だと聞いている」と答えた。このように、中国に渡って臓器移植手術を受ける日本人患者も少なくない、という。

臓器移植をする病院は、ほとんどが人民解放軍や政府機関の病院である。中国司法部(法務省に相当)は、1981年6月13日付で「死刑囚の臓器摘出に関する注意事項」という秘密文書を出し、その中で「医者が車を使う場合は、医療機関のマークを隠すこと」「摘出した死体は速やかに処理するため火葬に付すこと」などと指示している。臓器売買は、政府と軍が深く絡んだビジネスになっているのである。

■5.「あんなものは、いくらでも手に入る」■

林医師自身も、こんな体験をしている。20年ほど前、東大で研究していた時、中国の蘭州大学で血液学を教えていた教授が留学に来ていた。当時は、骨髄移植が始まって数年しか経っていない時期で、最先端の医療技術だったが、彼は「こんなことは、中国ではとっくにやっている」と言った。

林医師がすぐには信じられずにいると、彼は「胎児の肝臓を使うのだ。胎児の肝臓を取り出してすりつぶし、メッシュで濾過したものを点滴すれば、骨髄移植と同じような効果がある」と説明した。
「では、どこから胎児の肝臓を手に入れるのか?」と訊くと、彼は笑いながら「あんなものは、いくらでも手に入る」と言い放った。

そのときに私は、さすが中国は世界一人口の多い国だから、胎児を手に入れることはたやすいのかもしれないと思っ たが、「あんなもの」として命を軽んじ、恐ろしいことを平気でやるのが中国人だということを改めて認識した。

その教授が「いくらでも手に入る」と言ったときの乾いた笑い声は、いまだに耳から離れない。[1,p23]

■6.実験動物の慰霊祭を行う日本人■

林医師は台湾の学校で、日本人が残酷で残忍であると教えられてきた。国民党政権下での反日教育の一環であった。ビデオショップで借りたヤクザ映画を見て、指を詰めるシーンや喧嘩 の場面が出てくると、日本人はやはり残忍なのだと自分なりに納得していた。

その後、東大に留学すると、実験材料としてしばしばマウス やラットを使うことがあった。その最初の時に先生から教わったのは、いかに実験動物を苦しませず処置するかということだった。

また日本では、年に1回、必ず実験動物の慰霊祭を営むが、台湾の大学ではやらないことだった。林医師は、日本人の命に対する畏敬の念がこのような実験動物までにも及んでいることを知って感銘を受けた。

胎児を「あんなもの」と言い切る中国人と、実験動物の慰霊祭を行う日本人と、その生命観の違いは対照的である。

■7.「いかにしてきれいに死ぬのか」を考えている日本人■

林医師が栃木県の片田舎で開業してから、改めて感じたのは、日本人の生活では死に直面する機会が多いということだった。
病院の職員が近隣の葬式の手伝いに行くので休みをとる。台湾では、葬式で休むのは、家族が亡くなった時だけだ。

地方の新聞では、有名人に限らず庶民に至るまで亡くなった人が紹介されている。葬儀の日時、場所も書かれているので、故人と多少なりとも縁のあった人は誰でも参列できる。台湾では、葬儀に参列できるのは、遺族から招待された人だけだ。

林医師は、日本の葬式は質素で整っており、美しいと感じた。
そして、最後のお別れということで、すべての参列者に顔を見せ、触らせもする。そして「ああ、いいお顔ですね」と言って 慰める。これも台湾にはない習慣である。

苦悶せず、従容として死んでいった様を確かに拝見しました、と遺族に伝え、それが遺族にとっては最高の慰めになる。この事から、林医師は、日本人がきれいに死ぬことを大切にしているのだと感じた。武士の切腹はその延長にあるものだ。

こうした経験から、林医師はこう考える。

日本人は死を意識しながら生きている民族であり、日常的に経験する死の場面を文化にまで昇華させているように思われる。そのせいか、世界第2位の経済力を持ちながらも、日本人一人ひとりの現世に対する執着心はそれほど強 くないように見受けられる。日本人は常に無常観を抱えて 生きているようだ。・・・


日本人は生きているうちに一生懸命に仕事をして世界最高レベルの技術を創出しつつ、一方では、自然の摂理に融 け込みながら、死を生活の一部として淡々と取り入れ、自分が人生の最終局面に向かい合うときにはいかにしてきれいに死ぬのかを考えているようである。[1,p97]

■8.日本人と中国人の決定的な違いは死生観にある■
林医師は、日本人と中国人の違いを次のように捉える。

日本人と中国人の決定的な違いはどこにあるのかといえば、それは死生観にあるといってよい。死に対しての考え 方や死に直面したときの態度は明らかに違う。日本人はきれいに死のうとし、中国人はいかにして死なないようにするか、という考え方に歴然と現れている。[1,p91]

その昔、秦の始皇帝は3千人の男女を東の島「蓬莱」に派遣して、不老不死の仙薬を求めたという伝説がある。その「蓬莱」 とは日本の事だという説があるが、逆に日本人からしてみればそれほどまでして不老不死に執着する気持ちは理解し難い。

現世に執着する中国人は、自分の生命と金を最も大切なものと考える。自分の健康のためには他人の人体を薬にしたり、金儲けのために平気で死体から臓器を取り出す。こうした姿勢からは、他の生命への畏敬は生じない。

中国人とは対照的に、日本人は絶えず死を見つめ、このはか ない命をいかに美しく生きるか、と考える。財産や権力など死んでしまえば、何にもならない。それよりも世のため人のために多少なりとも尽くして満足して死に、葬式にはたくさんの人に来て貰い、「ああ、いいお顔ですね」と言って貰うほうが はるかに意味のある人生だと考える。

また生命のはかなさを感ずる所から、他の人や動植物の生命への思いやりが生ずる。さらには人の生命を守るために、自らの生命を捧げる、という自己犠牲の精神もそこから生まれる。
特攻隊員たちの自己犠牲は、その最も純粋な形であった。[a]

■9.樹を植える日本人、樹を伐る中国人■

日本の台湾統治は明治28(1895)年に始まるが、明治39(1906)年から造林事業を奨励し、毎年100万本余の苗木を無償で配布し、補償金まで交付した。日本統治前の清朝時代に、ほとんどの樹木が伐採されて、ちょっとした雨でも大水や山崩れが起こっていたためである。計画的に整備された都市の道路は、樹を植えられて美しい並木道となった。[b]

しかし、戦後、蒋介石の軍隊が台湾に入った時、都市道路の並木はすべて切られてしまった。木の陰に誰が隠れているか分 からないので危険だ、というのと、伐った並木は薪にできるか ら一石二鳥という理由だった。

樹木の生命は人間より長い。植林したところで、自分が生きている間に利用できるとは限らない。それでも日本人は百年後、千年後のために黙々と樹を植える。ところが、中国人は樹齢何千年の巨木であろうと、美しい並木であろ うと、自分が薪として使いたいとなれば平気で伐ってしまうのである。

われわれ台湾人は、そのような日本人と運良く50年間を暮らし、そのような中国人と不幸にして60年間付き合
わされ、併呑の危機にもさらされているのである。[1,p90]
『台湾の声』  http://www.emaga.com/info/3407.html

解除するには下記URLにアクセスして下さい。
http://www.emaga.com/tool/automail.cgi?code=3407&mail=yamagishi@nisseikinzoku.co.jp&e=1