30万人は南京の全人口。戦争の1ヵ月後には人口は30万人以上になっていたのだった。 | 日本のお姉さん

30万人は南京の全人口。戦争の1ヵ月後には人口は30万人以上になっていたのだった。

南京虐殺、犠牲者数で隔たり=戦後史は除外-日中歴史研究報告書

1月31日17時9分配信 時事通信

 日中両国の有識者による歴史共同研究の成果をまとめた報告書が31日、公表された。双方は、日中戦争の原因が基本的に日本側にあり、中国国民に深刻な被害を与えたとの見解では一致。しかし、南京虐殺事件の犠牲者数を中国側が30万人と主張したのに対し、日本側は2万~20万人とするなど、認識の隔たりも浮き彫りとなった。
 日中の有識者は共同研究を継続していく方針を確認しているが、政治体制の違いもあり、歴史認識の共有に向けたハードルは高いのが実情だ。
 歴史共同研究は両国の相互理解を深めることを目的に、2006年10月の日中首脳会談で合意され、同年12月にスタート。日本側は北岡伸一東大教授、中国側は歩平・社会科学院近代史研究所長が座長を務めた。
 報告書は約550ページで、古代から近現代までの歴史を、日本側委員と中国側委員がそれぞれの立場から記述した。国内世論に与える影響を懸念する中国側の要望で、天安門事件(1989年)などが含まれる戦後史は報告書から除外された。
30万人のわけがない。
チュウゴク人だって、30万人というのが
おかしい数字だとわかっているけど
そういう事にしているのだ。ウソも100万回言えば
本当になるとチュウゴク人は言っている。
それに、日中戦争の原因は基本的に日本に
あったのではない。チュウゴク(当時は清国で
支那と呼ばれていた)は、外国にあちこち
土地を貸していて租界と呼ばれる場所に外国人が
すんでいた。日本人も仕事のために
租界に住んでいたのだが、当時の国民党の
シナ人の部隊はたびたび日本人を攻撃していて
満州や上海で合計1000人もの日本人
(朝鮮系日本人を含む)を殺していたのだ。
日本政府はロシアを脅威だと思っていたので
シナ人とは戦争をしたくなかった。何度も何度も
シナ人の国民党の蒋介石と和平の交渉をしたが
シナ人が約束を守ることはなかった。
逆に、どんどん上海の日本人を殺しにかかった
それも、残虐な殺し方で、日本の軍人もあまりの
酷さに目をそむけたぐらいだった。そういう事実は
無視する。シナ人は、そういう事実は無かった事に
するのだ。シナ人は、西洋の外国人には攻撃を
仕掛けず、一番なんとかなりそうな日本人を
攻撃した。シナ人の部隊は一度だけでなく何度も
上海を攻撃した。最後には日本もキレて
蒋介石と和平条約を結んでも無駄だと理解し
シナ人をおとなしくさせるのは、平和を
とりもどすのは、南京を首都としている国民党を
つぶすしかないと考え、上海でシナ人の国民党と
戦った。そして、南京まで攻めていった。
シナ人の国民党の部隊も激しく日本を攻撃し、
多くの日本兵が戦死した。南京に逃げ帰った
シナ人は南京の住民を殺して衣服を奪って
一般人の格好をして南京の町に
溶け込んだ。南京に入った日本軍はそんな
ゲリラ化した兵士を見つけ出して捕虜にしたが、
ある部隊では捕虜が多すぎてどうしようもなく、
いかだに乗せて川に流して銃で撃ったりした。
南京を攻撃した日本の部隊も南京に入るまでに、
相当な数の部隊がシナ人の国民党の攻撃によって
全滅させられており、自分たちが相手を殺さねば
自分たちが殺されるという戦争だったので、
彼らの状況を、普通の現代人は想像できない。
当時の南京を攻めた日本兵は、ひたすら
南京を占領すれば、シナ人との戦争が
終わるんだという思いでいっぱいだったらしい。
南京を攻めた戦争では、日本は南京の
一般市民や外国人たちを安全な居住区で保護しながら
正々堂々と戦ったということで、
世界から好印象を得たと当時の記録にある。
外国人と南京の住民は保護区にいて保護されていて、
日本軍に攻撃されて殺されたということはなかった。
ただ、部隊によっては、日本の正規軍が
南京に入る前に婦女暴行を行ったものがいたのが、
彼らは後に軍法会議にかけられて処刑された。
日本兵が単独で外を歩くと一般人に化けたシナ人の
元兵士(簡衣兵)が銃を撃ってきたので、
南京で殺された日本兵もかなりいたそうだ。
簡衣兵は兵士ではない。ゲリラだ。
当時の国際法ではゲリラは捕虜にする必要
などなく、即、殺してもよかったらしい。
南京の人口は30万人。
(20万人という記録があります。)
南京の住民は殺されていない。
南京に逃げ込んだ国民党の兵士はゲリラとして
大量に殺されたが、当時の外国人の
ジャーナリストで南京にいた人は2万人ぐらい
国民兵が殺されたと手紙に書いている。
現代のチュウゴク人によれば、
「数字なんか関係ない。チュウゴクに日本軍が
いたということが問題なんだ。」と言うが、
シナの租界には各国の部隊が自国民を
守るために駐屯していたのだ。日本軍が
いても、他の国と同じことをしていただけだが
日本は国民党に狙われていたし、ロシアや
アメリカ人の中のロシアのスパイが
盛んに日本とシナが戦争状態になるように
シナ人の蒋介石をけしかけていたので、
アメリカもロシアも日本とシナが戦争をする
ように願っていたらしい。シナ人は
満州がチュウゴクの領土だと言い張り、
日本を憎んだそうだ。でも、満州は
日本がロシアと戦争をしたときに、満州鉄道の
利権をもらった土地で、シナ人の土地では
なかった。満州だけが日本軍がいたので
平和で安定していて、普通に生活が
できたので、シナ人が大勢満州に
なだれ込んできて住みだした。
日本が管理していたおかげで、満州は経済的に
豊かでいい場所だったので、シナ人は
満州が自分たちの土地だと信じこんで
日本が侵略者だと言い出した。満州はロシアの
土地だったし、清国の皇帝の墓がある場所
だったが、漢人のシナ人は満州に住みだしたら
満州がシナの領土だとウソを100回並べて
終いには自分たちのウソを信じて
日本を憎みだしたというわけ。
シナ人は、他国に住みつくとそこが
シナ人の領土になると信じるクセがある。
自分のウソを信じて攻撃的になるという
クセがある。それは100年たっても
200年たっても変わらないクセだと思う。
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