ところが、金のないアメリカ大統領が屈伏する相手は、共産党の一党独裁国家中国である。 | 日本のお姉さん

ところが、金のないアメリカ大統領が屈伏する相手は、共産党の一党独裁国家中国である。

ロシア政治経済ジャーナル No.616 
 2009/11/12号
★ベルリンの壁崩壊から20年~世界はどう変わったか?

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では、本題。

先日、感慨深いできごとがありました。


<ベルリンの壁 崩壊20年式典 旧東独民主化指導者を評価

11月10日11時36分配信 毎日新聞

 【ベルリン小谷守彦】「ベルリンの壁」崩壊20年の式典が開かれた9日、メルケル独首相は「危険を冒し、街に出て自由を求めた多くの人々の勇気をたたえる」と演説し、旧東独の民主化運動を称賛した。

旧東独出身のメルケル首相は、旧ソ連の国内改革や西側民主諸国の勝利としてではなく、民主化指導者たちの活躍による壁崩壊をあえて前面に打ち出した。>



なぜ「感慨深いか?」といえば、この事件が私自身の人生の大きな影響を与えたから。

ベルリンの壁が崩壊しているのを見た北野少年(当時19歳)は、「お~、なんか面白いことが起こっているぞ!」とワクワクした。

それで、翌年には変化の中心モスクワに留学することにした。

要するに、「北野がモスクワに留学したのは、『ベルリンの壁』が崩壊したから」ともいえるのです。

来てみたら大変なことも多かったですが、おかげさまで21500人のRPE読者の皆さまに会えたので感謝しています。

今回は、ベルリンの壁崩壊から現在まで、何が変わったのか考えてみることにしましょう。


▼「ベルリンの壁」とは?


この世界では、個人から国家にいたるまで、いつの時代も「権力闘争」が絶えません。

1930年代、闘争の中心はイギリスとヒトラーのドイツでした。

イギリスは、アメリカとソ連を味方につけることに成功し、ヒトラーをぶちのめします。

しかし、イギリス自体は第1次・第2次大戦により疲弊。

イギリス・ドイツ共に没落し、世界はアメリカとソ連の「冷戦時代」に突入していきます。

独裁者スターリン率いるソ連は、第2次大戦末期から直後にかけて、東欧を共産化することに成功しました。



1946年3月5日、チャーチルさんは有名な「鉄のカーテン」演説を行います。



<「バルト海のシュテティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切って鉄のカーテンがおろされております。

中欧および東欧の古くからある国家の首都はすべて向こうにあります。

これはソビエト圏と呼ぶべきもので、なんらかの形でソ連の影響をうけています。

いや、それだけではありません。

モスクワからの直接支配も非常に高度で、しかも多くの場合、ますますその度を強めているようです。>



さて、第2次大戦に敗北したドイツは、


・アメリカ・イギリス・フランスが占領する資本主義・西ドイツ


・ソ連が占領する共産主義・東ドイツ


に分断されました。


で、ドイツの首都ベルリンはどうなったのか。

これは、米英仏が占領する西ベルリンと、ソ連が占領する東ベルリンにわかれました。

1949年には、西ドイツと東ドイツが分裂したまま独立するのですが、東ベルリンは、共産東ドイツの首都になります。


ところで、アメリカに支配される西欧と西ドイツ、ソ連に支配される東欧と東ドイツ。

どっちがいいかといえば、絶対アメリカに支配される方がいいわけです。


確かにアメリカもひどいことをしています。

日本に原爆を落とし、史上最悪のジェノサイドをした。

最近も、イラク人を10~100万人殺している。(正確なデータはない)

しかし、自由度でいえば、絶対アメリカの方がいい。



私は短い期間ですが、共産ソ連を経験しているのでわかります。

来たその日に、外国人留学生から気をつけることとして、


1、人の多い場所で、政治の話はしないこと(きかれている)

2、電話で大事な話をしないこと(盗聴されている)


と警告されました。


さらに時代をさかのぼれば、私が昔お世話になったカルムイキヤ人はスターリン時代、民族全員シベリアに強制移住させられ、過酷な労働を強いられました。

日本人は、「ロシア人は日本人をシベリアで強制労働させてひどい!」
といいます。

まったくそのとおり。

しかし、それでロシア人全員を責めるのは酷でしょう。

ロシアの一般人もたくさんシベリア送りにされたのですから。



他にも例をあげれば、ソ連の有名作家ソルジェニーツィンさんは、「手紙の中でスターリンを批判した容疑」で強制収容所に送られています。

手紙の中で、しかもホントに批判したのかも不明。

もし、今の日本がそんなだったら、メルマガ発行者やブロガーの多くが強制収容所送りですよ。
私もメルマガなんて発行できなくなります。



ああ、とまらない。

もう一つだけ。

先日テレビを見てたら、有名な作曲家が「ソ連時代6年間刑務所にいた」と話していました。

その理由がすごい。

「ドイツ製のラジオは、ソビエト製より性能がいいね~」とほめたのが罪にあたるというのです。

こんな例をあげたら、キリがありません。

とにかく、アメリカに支配された地域は、ソ連の支配地域よりもずっと自由度が高かったのです。


本題に戻ります。

1953年、東ベルリンで大規模な反政府デモが起こります。(ベルリン暴動)

しかし、人民警察とソ連軍から過酷な弾圧を受けました。

その他、いろいろと自由を制限する東ドイツに嫌気がさし、


東ベルリンから → 西ベルリンへ

西ベルリンから → 西ドイツへ


というルートで、脱出する人が後をたたなかった。

1年間に数万人から数十万人が西側に脱出したといわれていますが、これはもう立派な経済問題・労働人口流出問題でした。

それで東ドイツ政府は1961年8月、東西ベルリンの境界線を封鎖。

有刺鉄線により東西ベルリンの交通を遮断した後、石造りの「ベルリンの壁」構築を開始します。

壁の長さは153km。

▼崩壊


というわけで、ドイツは「米ソ冷戦」の最前線になりました。


冷戦は70年代、ソ連陣営が優位と思われていた時期もあります。

アメリカは、「オイルショック」「ニクソンショック」「ベトナム戦争の敗北」「ウォーターゲート事件」等々で、ボロボロだった。

一方で、ソ連は「オイルショック」による原油価格高騰で潤っていた。


しかし、80年代になると情勢は一変します。

アメリカは、レーガンさんの登場により復活。

一方ソ連経済は、原油価格下落とアフガン戦争の戦費増大でボロボロになっていきました。



1985年、ゴルバチョフさんが「ペレストロイカ」(再建、政治的意味で変革)を叫び、書記長になります。

彼は、切実に西側陣営との融和を望んだのですが、別にソ連を崩壊させようと思っていたわけではありません。


ただ単に「金がなかった」ので「西側から資金を得るために妥協する必要があった」のです。


ポーランドの民主化運動を主導したワレサさんは、こんなことをいっています。




< 式典に先立ち、ワレサ元ポーランド大統領(66)は9日、ポーランドの民放テレビで、同じく来賓のゴルバチョフ旧ソ連大統領(78)を「彼は共産主義崩壊も壁崩壊も望まなかったのに、ウソがまかり通っている」とこき下ろした。>

(毎日新聞 11月10日)



1989年になると、ソ連は東欧への支配力を実質失っていました。

ゴルバチョフは、西側から金を無心することに必死。

アメリカは、「東欧民主化に介入しないこと」を「支援」の条件にしていた。


さらに、03~05年に旧ソ連諸国で起きた「カラー革命」同様、東欧民主化運動を積極的に支援、工作していた。

その作戦をひきいたのが、現在アメリカ国防長官になっているゲーツさんです。


89年5月、東側陣営のハンガリーが西側オーストリアとの国境を開放します。

それで、東ドイツ国民はハンガリー経由でオーストリアに脱出できるようになった。

東ドイツ国民の脱出を防止するために作られた「ベルリンの壁」は役立たずになっていきました。


89年11月9日、東ベルリンの国境に市民が大量に押し寄せます。

国境警備隊は、「暴動が起こったか!」と驚き、国境を開放しました。

これに歓喜した東西ベルリン市民は、「ベルリンの壁」を破壊していきます。



西側陣営と東側陣営を分断していた「ベルリンの壁」の崩壊。

この事件は既に、「歴史上とてもよかった出来事」として、評価が確立しているといえるでしょう。


なんといっても、元KGBのプーチンさんも「よかった」と思っている。



<ドイツ民族分断、誤りだった=「ベルリンの壁」崩壊でロシア首相

11月8日22時53分配信 時事通信

 【モスクワ時事】ロシアのプーチン首相は8日の同国民間テレビNTVのインタビューで、1989年11月の「ベルリンの壁」崩壊は歴史的に不可避の出来事だったとの見方を示し、「そもそも最初からドイツ民族を分断してはならなかった」と語った。>




ソ連の過ちを率直に認めていますね。

メドベージェフさんも。




<「人生変わると感じた」 露大統領、「壁」崩壊で

2009/11/07 23:04更新

ロシアのメドベージェフ大統領は7日に公表されたドイツ誌シュピーゲルとのインタビューで「ベルリンの壁」が崩壊した1989年11月9日に「われわれの人生はあっという間に変わっていくだろうと感じたことをよく覚えている」と振り返った。

当時、ソ連の大学院生だった大統領は「ベルリンの壁は欧州分断の象徴だった。壁の崩壊は(ロシアを含む)欧州統合の継続と受け止められた」と述べた。>(共同)


▼「ベルリンの壁」崩壊から


ベルリンの壁が崩壊し、共産陣営はボロボロ。

もはや、ソ連のいうことを聞く国は残っていませんでした。

壁が崩壊して約1年後の1990年10月、東西ドイツは再統一を実現します。

1991年12月には、ついに共産陣営の総本山ソ連が崩壊してしまいました。


二極世界は崩壊し、アメリカの「一極世界」が到来します。



アメリカは冷戦に勝利した1990年代、勝利の喜びを存分に味わうことができました。


・ライバルソ連は15独立国家に分裂

・経済のライバル日本はバブル崩壊で暗黒時代

・欧州は、豊かな西欧が貧しい東欧を吸収して苦しい

・中国は、まだ弱小すぎて眼中になし


唯一アメリカだけが、ITバブルにより空前の好景気を謳歌すること
になったのです。

しかし、アメリカもライフサイクル・諸行無常の輪から逃れることはできません。

繁栄はブッシュ(子)の登場により終焉にむかいます。


00年~01年、ITバブル崩壊。

01年、9.11とアフガン戦争開始。

03年、イラク戦争開始。

03~05年、旧ソ連諸国でカラー革命。米ロ新冷戦の開始。

05年、カラー革命に激怒したロシアは、仮想敵NO2中国との同盟を決意。

上海協力機構を「反米の砦化」すると共に、ドル基軸通貨体制への攻撃を活発化させる。

07年、サブプライム問題勃発

08年、ファニーメイ、フレディーマック、AIG、リーマンブラザーズ等々が相次いで破たん。

世界は「100年に1度」といわれる「大不況」に突入。


▼冷戦、もう一つの負の遺産


さて、分断された東西ドイツは、冷戦の最前線でした。

もう一つ、冷戦により分断された国がある。

いうまでもなく、韓国・北朝鮮です。

この原稿を書いている最中、こんな情報が飛び込んできました。




<南北海軍が黄海で銃撃戦 黄海

11月10日15時40分配信 産経新聞

 【ソウル=水沼啓子】韓国の聯合ニュースは10日、朝鮮半島西部の黄海上の軍事境界線「北方限界線(NLL)」付近で韓国と北朝鮮の海軍の艦艇が同日午前、銃撃戦を展開したと伝えた。>



韓国・北朝鮮が、「東西ドイツ」に相当すると仮定します。


すると、当時のアメリカ・ソ連に相当するのが、アメリカ・中国でしょう。


ソ連のゴルバチョフは、金がないので、嫌々ながらアメリカに屈服しました。


ベルリンの壁崩壊から20年。

今度は、アメリカ大統領がゴルバチョフと同じ立場におかれています。


ゴルバチョフとオバマさんがどんなに似ているかは、こちらをご一
読ください。

http://archive.mag2.com/0000012950/20081107172511000.html
2008/11/07 【RPE】オバマはアメリカのゴルバチョフ?



そう、アメリカには(当時のソ連同様)金がないのです。

金がないので、屈伏する。


独裁国家ソ連のゴルバチョフは、自由民主主義のアメリカに屈服した。

それで、よかったのです。


ところが、金のないアメリカ大統領が屈伏する相手は、

共産党の一党独裁国家中国である。
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アメリカがソ連を支援する見返りは、「東欧革命に介入しないこと」でした。

これを今の情勢に当てはめれば、中国はアメリカに「米国債を買いつづける条件」として、


・チベット、ウイグル問題に干渉しないこと

・台湾を中国が併合するのを容認すること

・朝鮮半島を北朝鮮中心で統一するのを容認すること

・日中間で尖閣諸島をめぐる紛争が起こった場合、干渉しないこと


等々を、あげる可能性があるでしょう。


こういう状況の中で、鳩山総理は「東アジア共同体創設」を提案しています。

これは事実上、


一党独裁国家・中国を中心とする 中華合衆国あるいは中華連邦になる。


なぜでしょうか?

共同体というのは、その中で「金力」(経済力)「腕力」(軍事力)が一番の国の政体が反映される。


例、

なぜソ連の決定はクレムリンで行われたのでしょうか?

なぜ共産陣営への指示はモスクワから出ていたのでしょうか?

要するに、ロシアが一番「金力」「腕力」があったからです。



当然、「東アジア共同体」、政治の中心は北京、経済の中心は上海ということになる。

日本では「北京に従順な政治家しか出世できない」ということになるでしょう。



ベルリンの壁崩壊から20年。

共産主義陣営はソ連と共に崩壊しましたが、完全に滅びたわけではありません。

「政治は共産党の一党独裁」、でも「経済は資本主義」という変異を遂げた中国が残っている。

そして、金のないアメリカには、すでに自由のために戦う気力が残っていない。

世界は、非常に困った局面に突入しているのです。


日本は今、選択の時期を迎えています。



1、共産党一党独裁国家・中国の天領になりますか?

2、真の自立国家になりますか?



「独裁国中国の天領なんてまっぴらごめんだ!でも日本が自立する方法もわからないぞ!」

という方は、いますぐこの情報をゲットしてください。

日本が自立国家になる方法が、ばっちりわかります。

http://tinyurl.com/6zcszc

(おわり)