人は、自分をほめるだけで、脳が活性化して快感をおぼえるという。 | 日本のお姉さん

人は、自分をほめるだけで、脳が活性化して快感をおぼえるという。

やっぱりほめられたい!【独女通信】

10月03日 21時50分


「出会えてよかった」「何をしても完璧なんだね」「いつも魅力を感じるね」などとハートマークと一緒にほめ言葉が画面に広がる「ほめられサロン」。4月に開設されるや話題となり、ブログやネット、メディアに取り上げられて、1日10万件のアクセスも記録するという人気サイトだ。

「上司に嫌みを言われたり、自分では段取りよく仕事を進めているのに、チームを組む社員のせいで滞ったりする『イラッ』を解消できるし、とにかくほめてもらえるのがいい」とOさん(28歳)。思いっきりほめてもらって、気分よくなって仕事に戻るそうだ。

「この歳になると誰もほめてくれないので、自分で『頑張れ、わたし』って、自分をほめます。ほめられサイトを知ってからはときどき利用することも。このサイトにアクセスが多いのは、私みたいな人が大勢いるということでしょう」と言うKさん(38歳)は、日ごろから、職場の雰囲気をよくするため、会社の上司をほめるようにしているという。
「いくつになってもほめられるとうれしいんだなと思います」。

コンプレックスと脳の関係を調べたTV番組によると、人は、自分をほめるだけで、脳が活性化して快感をおぼえるという。

番組で行った実験の治験者の一人は、老け顔に悩む40代女性。頭に実験装置をつけて、(1)自分で「年齢より若く見える」と言い聞かせる (2)初対面の若い男性研究員に「若いですね」「とても年齢には見えませんよ」などとほめてもらい、それぞれの変化を見るのだが……。

実験(1)のときはもちろん、(2)にいたっては、「恥ずかしい」とちょっと顔を赤らめていた女性の表情が明るくなり、もちろん脳の反応も(1)の比ではなかった。しかも、司会者よると「VTRには映っていませんでしたが、あの女性は実験後、『最近、こんなこと言われたことがなかったから、うれしくて』と涙を流して喜んでいた」そうだ。

ここまでいくと、ちょっとせつない気もするが、赤の他人からでもほめられることはプラスの影響を与えるということ。「ほめられサロン」にも同じ働きがあると想像できるし、それが人気の秘密だろう。

さらに、独女を中心に「ほめられサロン」の感想を聞いてみると、
「最初からほめられるつもりで見ているのに、それでもいい気分になる」
「そんなほめ方もあるのねと関心しつつ、見入っている」
「最初はビックリ。ただ、自分に合わない言葉やピンとこないものは実感ないどころか、ほめられている気がしない」などと答えてくれた。

いずれにしろ、「注意されたり怒られたりすることはあっても、ほめられる機会がめっきり減った」独女のみなさん! バーチャルも上手に使い、ときに自分で自分をほめながら、たくましく生きていきましょう。(オフィスエムツー/オオノマキ)
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ほめられサロン  全文
独女通信 10月02日14時00分

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わたしは、常日頃からB子に軽蔑されていて

けなされてばかりなのだが、、、、

実は、自分で自分のことを

「いいところもある。」と考えているので、

そんなに落ち込まない。それに、わたしには

人にできないことができるという特技もある。

ちょっと、絵が上手いし、動物には非常に

好かれるという特技もある。

それに、おばさんになるまで

いろんな苦しみや悲しみや病気をサバイバルして

完璧に元気ではなくても、年の割には元気だし、

そこらへんの食品添加物漬けの、

ヘアーダイやヘアーカラー漬け、

化学物質だらけのスプレーや化粧品漬けの女の子

よりも、ずっとナチュラルな状態だと思っている。
上には上があるが、下には下があるし、

どんなに人間として優秀でも、

心が不健康で、不幸だと感じていたら、何にも

持っていなくても、幸せだと感じている子には

負けているのだと思う。

昨日の教会のメッセージは、

なんとなく、はとやま首相とその妻を思い出させるような

話題だった。

「神さまの前に悪いことをして、罪からくる

快楽を得ている人が、自分は幸せだと思ったり、

快感を感じていても、彼らが現在喜んでいるから

過去の行いが正しかったのだということではない。

最近の日本では、罪の結果がよければ

それでいいと思う傾向にあり、愛があればなんでも

してもいいという勘違いをしている人が多い。

不倫をしている人も、薬物で心が高揚している人も

その時は、自分は楽しんでいる、自分は

いい人生を送っていると思っているはずだ。

神さまは、外見やその人の持ち物で人を判断されない。

神さまは、その人の心を見て、その人を評価される。

イエス・キリストは罪びとを救うために、この世に

来てくださった。当時の罪びととは、ローマの代理人として

税金を取る取税人であり、売春婦たちであった。

イエス・キリストを神さまのひとり子であり、聖書に預言されて

いる救い主だと信じたのは、罪びとたちだった。

そして、パリサイ人(政治家)、律法学者(宗教家)たちは、

罪びとに救いの道を教えているイエス・キリストを

バカにしたのだった。神さまが救おうとされているのは、

自分には罪がないと思っている傲慢な人ではなく、

自分の罪を認めて、神さまの赦しを求める心が砕けた

罪を悔いた人たちです。ひとりの人間が、一生のうちに

どんな罪を犯したかよりも、神さまは、人間は、

生まれつき、罪を心に持った者として生まれているから、

すべての人は罪びとで死後の裁きから救われなけれな

ならないのだと言われている。

取税人や売春婦たちは、素直に自分たちの罪を認め、

自分の罪を取り除くために、罪の無い神のひとり子が

十字架にかかって身代りに死に、罪の罰を受けて

死に、預言の通りに三日後によみがえるという

神の約束を信じることができた。自分たちを優秀な

立派な人間だと思っているパリサイ人(政治家)、

律法学者(宗教家)たちは、

イエス・キリストを自分の救い主だと信じないで、

十字架につける側にまわった。

神さまの前に、自分の罪を認めて、イエス・キリストが

自分のために十字架にかかってくださったことを

認めて信じる者を、神さまは赦して、永遠の神の国に

迎え入れてくださるのです。」

神さまの基準は、全然、人間とは違う。

自分に罪が無いと思っている人は、神さまを信じないと

思う。いくら、自分は幸せだと思っていても、死後の裁きは

免れない。どんな人でもいつかは、カナラズ死ぬし、

人を憎んだり、傷つけたり、ウソをついたり、盗んだり、

ねたんだり、悪口を言ったり、外見には出さなくても

心の中で罪を犯す。

神さまが存在されたら、当然、その罪は裁かれるでしょう。

わたしの場合は、自分は罪びとでダメな部分もたくさんあって

B子にもけなされたり、軽蔑されているかもしれないけど、

神さまは、わたしのことを大事に思ってくださっているし、

天国にいくまで世話をしてくださるし、祈りにも答えて

くださっているし、神さまに愛されていると普段から

感じている。

それに、罪を赦されているんだから、自分の罪も

他人の罪も、赦してあげたいんだ。

そして、神さまに喜ばれる正しい生き方がしたいんだ。

(それプラス、絵が上手いとか、猫に好かれるなど、

いいところもあるし、、、。)

時々、悪い事を言って、「それでも、クリスチャン?」と、

B子に怒られている。

クリスチャンは、神さまに喜ばれる生き方をしないとね。

嫌々ではなく、そうしたいと思っている。自分の生き方が、

神さまに喜ばれるかどうかが、大事なのだと思っている。