秋の夜長に遠方の友達から電話あり
A猫ちゃんが、いなくなって1週間と1日。
家に帰って、たった1匹になった猫を抱きしめながら
しんみりしていると、遠くの友達から
久しぶりに電話があった。
「どうしたの?」と言うと、過去の記憶に苦しめられて
いるらしい。どうしても許せない嫌な人々のことが
ふとしたことで思い出されて、辛いのだそうだ。
思い出すたびに、はらわたが煮えくり返るような憎しみで
一杯になって、むしゃくしゃするので
外に出て買い物に走ってしまうそうだ。
「他人の罪を赦せないから、ずっと怒りが溜まってるんやね。
神さまは、罪を赦してくれたんだから、
あなたも他人の罪を赦してあげないとね。」と言うと、
「赦しているつもりだし、過去のことだから、時間がたてば
忘れるだろうと思っているんだけど、
外国にいるのに、心の中は何も変わっていないの。
思い出すたびに、悔しくて、憎くて、復讐したくて、
恨みで一杯になるの。」と、友達は答えた。
「じゃあ、神さまに過去の心の傷や、その時の感情の記憶や、
その時、受けた体の記憶を忘れさせてくださいとお祈り
したらどうかな?過去の事実は忘れなくてもいいけど、
その時の感情や身体の痛みまで、思い出さなくても
いいでしょ。」と言うと、「そうする。」と言っていた。
お互いクリスチャンなので、神さまが、人間の罪を赦すために
ひとり子のイエス・キリストを神さまの身分でありながら、
人間の中に生まれるようにしてくださったこと、
十字架の上で、人類の代表として罪の罰を受けて
死んでくださったこと、三日目によみがえって
天に帰られたことを信じている。
それが、罪が赦されて天国にいける
唯一の方法だとも知っている。
神さまは、罪を裁く正義の方であることや、
自分のひとり子を犠牲にしてまでも、罪があって
全員地獄に行く人間を哀れんでくださっていることや、
誰でも信じる者が天国に行けるように、
道を作ってくださったことも
知っている。
そして、イエス・キリストが十字架にかかってくださったのは、
自分の罪のためだったと信じている。
信じているから、罪が赦されていて、いつ死んでも
天国に行ける。
神さまを信じているけど、友達は、あまりの怒りのために、
自分をコントロールできなくなるときがあると言う。
普段は忘れている過去が、何かの拍子に思い出され、
同時に、怒りもよみがえってくるのだとか。
「それって、結局、赦してないってことじゃん。
赦しますって神さまにお祈りしたら?」と言うと、電話の向こう
から反応が無い。
「じゃ、赦せるように助けてくださいって、お祈りしたら?」と
言うと、「やってみる。」と言っていた。
彼女の父親は、学校関係の権力者で、
多くの学校を経営していて、常に周りにいろんな
女性がいたという。彼女の母親と彼女は正妻と正妻の子で
ありながら、愛されない存在だったらしい。
そして母親はついに不慮の死をとげる。
愛人一号が速攻で家に出没しだして彼女が
いない間に母親の遺品をまとめて捨ててしまった。
勝手に家にいりびたって、どんどんインテリアを
変えていくし、あわて者らしく、物を壊していく。
トースターを壊し、ホーローの鍋を壊し、
コーヒーカップを壊し、ついには
彼女の大好きな陶器の人形も壊された。次の日に
安物の陶器の人形に変わっていたとか。
いたたまれなくなった彼女は家を出た。
それから、彼女は、いいところのお嬢様だったのに
ぐれだして、自分を傷つけるような生活をしだした。
それから、いろんなことがあって、彼女は以外に
あっさりと結婚して海外に移住した。
幸せになっているはずなのだが、本当の幸せとは
結婚しているとかしていないとか、
金があるとか、海外に住んでいるとかは、
あまり関係が無いようだ。彼女には心の平安が無いのだ。
心にあるのは、憎しみと怒りだ。
それが、彼女を苦しめているのだった。
人間なんだから、嫌な思い出を思い出したら、
そりゃあ、また怒りが沸いてくるもんでしょう。
でも、クリスチャンは、そこであきらめて、
また嫌な過去を忘れようと努力するのではなく、
神さまの前に素直に自分の気持ちを伝えて、
自分の願いを神さまに知っていただき、具体的に
助けていただく。人間には不可能なことも、神さまには
おできになる。心の中に閉じ込められた、悲しみや
憎しみ、復讐したい想い、悪者を直ぐに裁かないで
そのままにしておく神さまを恨む気持ち、
自分を哀れむ気持ち、他人の不幸を願う気持ち、
無力感、自分の怒りを抑える気持ち、
嫌なことを忘れようと、がむしゃらになる気持ち、
イライラした持っていきようのない気持ちなどを
全部、神さまに取り去ってほしいと祈るのだ。
友達は、「そんな祈りはしたことがないし、
むしろ、わたしは、この怒りを覚えておきたい。
忘れたくない!」」と電話の向こうで叫んでた。
「過去は、事実として忘れないで覚えておいたらいいけど
過去の感情や心や身体の痛みの思い出まで、
後生大事に抱えておくことはないでしょ?」と言うと、
「そうだね、、、。じゃあ、神さまに、忘れることができるように
祈ってみる。」と、約束してくれた。
「じゃあ、祈った後は、神さまに、この祈りを聞いて
くださることを信じて感謝します。」とお礼の気持ちを
忘れず言ってね。」と言うと、「分かった。」と言ってくれた。
心の中の過去の痛みや怒りは、自分を傷つけるものだ。
そんな気持ちを抱えて生きていたら、ひょんな時に
ひょんな場所で怒りが自分や他人に向けられてしまう。
復讐心が自分や周りの人を傷付け、人生を間違った
方向に向けてしまう。その心の中の怒りを
悪魔は利用して、クリスチャンらしくない行動に
走らせてしまう。そうして、神さまに喜ばれる生活が
できなくなってしまう。
神さまが、人の心の涙の意味を分かってくださっている。
神さまが、何が真実なのか、知っていてくださる。
神さまが、いつ、悪者を裁くかなどは、
神さまの問題であって、人間の問題では無い。
法律に照らして裁かれるべき人は、その国の
選ばれた指導者が裁く問題で、
裁判官に裁いてもらえばいい。
でも、法律に関係ないが、生きている間に起こるさまざまな
悩みや苦しみの中には、
神さまに頼るしか解決できないこともある。
神さまに祈って、心の平和を得て、元気に生きて
神さまのすばらしさを世の中の人に伝えていくのが、
クリスチャンの務めだ。過去の出来事に関わる怒りに
支配されて、それを忘れるために、狂ったように買い物したり、
遊び歩いたりしても、一時的なものではないか。
心の中の怒りを神さまに素直に言いあらわして、神さまに
悲しみや怒りを忘れさせていただくのは、ちっとも
悪いことではない。病人に必要なのは、医者ではないか。
神さまにしか治せない、心の悲しみや怒りだって
あるのだよ。友達は、ちっとも悪くない。むしろ被害者だ。
死んでしまった友達の母親は、法律で戦うことも、
結婚を止めることもできなかった、とても弱い人だったのだ。
でも、ずっと父親に恋していた可愛らしい人だったらしい。
愛されないから、誰よりも愛されたいと、ずっと願っていたと、
友達は言って、電話の向こうで泣いた。
「弱すぎたの。負け続けの人生よ。」と、母親をワザと
卑下するので、
「人のご主人を平気で盗るような不倫の主婦よりずっと
人間として、マシちゃうか。」と言っておいた。友達の父親を
奪った愛人一号は、人妻だったのだ。母親が死ぬと直ぐに
家を飛び出して自分の夫と離婚したそうだ。だから、鳩山首相
の妻のことを見ると、友達の敵である愛人一号を
思い出してしまう。友達の父親と今の妻は、ますます
羽振りが良くて絶好調だと風の便りには聞くが、友達には
伝えていない。悔しがらせてもね。逆に、悪いことが起こっても
言わないつもり。気になって仕方が無い状態では、まだまだ
本当に赦したことにはなっていないと思う。自分の人生を
神さまのために使えと言っておいた。このままでは、
父親と愛人一号に傷つけられ、ゆがめられた人生を
送ることになる。怒りに支配された人生なんて、つまんない。
結婚したなら、最後まで妻と子を愛して自分のことのように
育てるのが、夫としての義務ちゃうか。
愛するというのは、人の意思であり、決意であって、
欲望とは違うわね。子猫を拾ったら、最後まで
面倒みるべき。どんなに、病気でボロボロになっても、
ガリガリになっても、口が臭くても、
ゲロを吐いても、ウンチを砂の上に落とさず、失敗して
カーペットの上に転がしていても、
最後まで愛して可愛いと言って、なでてあげるべき。
妻と子も、何かのきっかけで、自分の人生に加わった人たち
なんだから、最後まで愛してあげてほしい。
いい大人になっても、悲しみと怒りでいっぱいになって
電話してくる友達がかわいそうになった。
元気な時は、何も連絡してこないんですけどね。(笑)
A猫ちゃんが、いなくなったことは
言わずじまいだったなあ、、、。