猫が帰らない。 | 日本のお姉さん

猫が帰らない。

17歳と3か月のわたしのA猫ちゃんが、

家を出たきり帰らない。

肺気腫だったし、最後には肺炎で呼吸ができなくなって

死ぬか、気管の先の方のは肺の細胞が

潰れて、空洞ができ、そこに息をするたびに

空気が入ってきて空洞が大きくなり、空気で肺が

圧迫されて呼吸困難で死ぬと言われていたので、

それなら、苦しまずに死ぬ方がいくぶん、楽かなとも

思っている。会社の人も友人たちも、

猫は最後には家を出て死ぬというからね、、、と

言っている。動物病院の先生は猫は外に出たら

他の猫に追いかけられたり、イヌに噛まれたり、

車にひかれたり、いろんな危ないことがある。

迷子になって帰ってこれなかったり、ケガをして

帰ってこれなかったり、首輪が木の枝にひっかかって

窒息死したりするから、なるべく出さない方がいいと

言っていた。オス猫はメスを追いかけて遠くに

行って迷子になって戻れなくなったりするらしい。

A猫ちゃんの場合はがりがりに痩せていたから

2日も水もごはんも無い状態では生きていることは

できないと思う。昨日も帰らなかった。二日たっても

帰らなかった。家の中で死んでいる場合もあると

会社の人に言われた。さんざん家の中も探したけど

思わぬところに倒れていたりするらしい。

昨日の夜、猫を探して近所を歩きまわっていたら、

とても気持ちいい風が吹いていて、最後にそこを

歩いたのは10年以上も前だったから木々が大きく

なっていて不思議な感じだった。

昼間は暑かったけれど、夜は涼しくて本当にいい気候だと

思った。こんないい季節にA猫ちゃんが

突然、最後を迎えたのは、暑い夏や寒い冬でなくて

まだマシだと思わねば、、、。本当は6月の半ばで

死んでいたはずが、奇跡的に回復して、がりがりでも、

最後まで、一生懸命食べたり歩いたりしていたんだから。

病院の先生も、「生きているのが不思議です。でも、

だいぶん、回復していたんですけどね。心配ですね。」と

言っていた。いつも、神さまに「A猫ちゃんが死ぬ時は

苦しまないようにしてください。」とお祈りしていたから、

きっと、苦しまずに死んだのだと思う。

「生きていたら帰ってくるようにしてください。」とお祈りして

いるけど、死ななければならないなら、

神さまが選んでくださった日に苦しまずに死ねたら

いいかなと思う。

A猫ちゃんとは、17年も一緒に生きてきたので、

自分の一部がなくなったような気分。

でも、A猫ちゃんを拾うことができたのは

幸せなできごとだった。A猫ちゃんは、なんにでも

興味津々で、(深々ではないと、最近気がついた。)

一緒にいてすごく楽しい猫だった。

「主は与え、主はとられる。主の御名はほむべきかな。」

そんな聖書の言葉が頭に浮かんだ。

自分で手に入れたものなど、本当はあまりないのであって、

自分のいのちも、健康も、天から与えられたものだし、

神さまの意志によって世界は動いているという意味だと思う。

人間は、地球を自由に使っていいけど、管理することを

義務づけられている。その結果は人間が自分たちで

責任を負う。いのちは、神さまによって与えられて

神さまによって、決められた時にとられる。

この世に犯罪や天変地異や病気やケガなど

嫌なことが起こるのは、みんな人間が神さまから

離れて自分勝手に生き出した罪の結果であり、

ひとりひとりは、神さまに直接、罪をゆるしてもらうことに

よって救われる。罪の罰である死後の裁きから

救われるし、生きている間も神さまと一緒に生きることが

できる。地球の最後は、聖書の預言どおり、人間の失敗に

よって、自然界がめちゃくちゃになって天変地異が起きて

大変なことが起きるけれど、実はそれは

イスラエル人が神さまをもう一度信じ直して救い主を

待ち焦がれるようになるためであって、

神さまを信じた人は、そういう時代を通過する必要はない。

どうして神さまに対して自分の罪を認めるだけで罪が

赦されるかというと、神さまはすでに

聖書の預言どおり、神さまのひとり子の「別の神」を

人間としてこの世に送りこみ、十字架の上で

人間の代理として罪の罰を受けて死んだからだ。

死んでから、聖書の預言どおり、三日目によみがえって

40人以上の人が見ている前で天に帰られたと

聖書に書いてある。宇宙人が人を宇宙船で吸い上げている

ようなCMを最近、テレビで見たが、あんな風にではなく、

みんなが救い主が天に上げられていく様子を見ていると、

途中で雲が救い主を隠したとある。救い主の名前は

イエス・キリストですが、そもそもキリストという意味は

「救い主」なのです。イエスとは「神さまが共にいます。」と

いう意味らしい。(うろ覚えですみません。)

今回、A猫ちゃんを必死に探している間、神さまも

こんな気持ちなのかなと思った。失われた人間を

迷子の羊を探す羊飼いのように、求めておられるのかなと

思った。それは、かなり強い気持ちだろうな!!

A猫ちゃんを捜していたわたしの気持ちも強いけど、

神さまは、もっと強い想いで人間がひとりでも

救われて地獄ではなく天国にいくことを願って

おられるのだろうな。夜中にA猫ちゃんを探して歩きながら、

神さまの気持ちを考えていた。

いのちがある間に人間は、神さまを信じて罪をゆるして

もらって救われていないといけない。

別にカトリックの神父や教会の牧師さんに

自分の罪を告白する必要はなくて、神さまに対して

語りかけて、自分の罪の許しを願い、イエス・キリストが

その罪を赦すために十字架にかかって死なれたことを

自分のためだったと信じて、神さまに感謝したらよいのだ。

できれば、本屋で聖書を買って神さまの気持ちを知って

ほしい。家々を渡りあるいて変なパンフレットや偽モノの

別の聖書を配ったり売ったりしているような

新興宗教の「物見の塔」(エホバの証人ともいう)や

アメリカの新興宗教であるモルモン教や、

韓国系の新興宗教である統一教会や摂理や、その他の

クレージーな偽のキリスト教と呼ばれている新興宗教には

いっさい、かかわらないようにお願いします。

「聖書」は本屋で買えますから。そして神さまは

いつでもどこにでもおられて、あなたを待っておられますから、

自分の口で神さまに語りかけてください。

A猫ちゃんのことは、細胞のひとつひとつまで覚えておいて

くださって、後で天国で生き返られてくださいと神さまに

お願いしておきました。わたしが天国に行った時、

A猫ちゃんを忘れても、神さまが覚えていてくださるでしょう。

それにしても、神さまはステキな動物を創ってくださった

ものです。A猫ちゃんと17年も過ごせて、よかった。

楽しかった。