映画みたいな話ーオランダの諜報部員は優秀なので退職後CIAに雇われる。 | 日本のお姉さん

映画みたいな話ーオランダの諜報部員は優秀なので退職後CIAに雇われる。

2009年9月11日発行  JMM[JapanMailMedia] No.548 Friday Edition
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 ■ 『オランダ・ハーグより』  第226回
   「諜報の問題(II)」
   □ 春 具 :ハーグ在住・化学兵器禁止機関(OPCW)勤務

■ 『オランダ・ハーグより』 春 具               第226回

「諜報の問題(II)」

 また9・11のメモリアルデーがやってきた。

 あれから8年になるわけですが、あの事件はアメリカ人だけでなく、アメリカから遠く離れたヨーロッパに住むわたくしたちをさえ、すっかり変えてしまったと思います。

 あの年の夏、わたくしたちはアメリカで夏休みを過ごしていて、タングルウッドの野外コンサートで小沢征爾さんを聴いていた(2001年は小沢さんがボストン交響楽団を指揮する最後の年だったのです)。そして8月末、9・11の2週間前に、テロリストたちが出発したボストンの同じ飛行場からオランダへ帰ってきたのでした。
タングルウッドも含めて、マサチューセッツやメイン州など、夏の東海岸はいいもので、ですから、わたくしたちは翌年も行こうと思っていたのですが、9・11を境に、わたくしたちはアメリカへ行きたいとは思わなくなった。ケネバンクポートやオールドグリニッチにたどり着くまでがとても億劫に感じられるようになったのであります。

 あの日以来、わたくしたちは疑い深くなり、隣人を信じなくなり、飛行機に乗るときもよその国に入国するときも、じぶんの国へ帰国するときでさえ、裸にされんばかりの審査を異常と思わなくなり、わたくしたちはいつもひょっとするとテロリストと間違えられるのではないかという不安を抱えながら旅をするようになった。そしてテロリストと間違えられたら最後、どこに連れて行かれるかまったくわからないのだという恐れと猜疑心がさきにたって、いまではその猜疑心を克服してまでわたくしはアメリカへ行きたいと思わなくなってしまった。公用があってもほかの人に行って貰うのであります。

 最近でもブッシュ元大統領夫人が「世界は分断された」と言っていましたが、分断はされたのではなく、わたくしたちがしてしまったのだと、わたくしは思っているのです。

 なによりもやるせないのは、お互いに疑いあっていても、さほど成果があがっていないということである。疑いがさらに暴力を生じ、お互いを痛めつけるようにしてもなお、テロリズムが壊滅するには程遠い。その閉塞感に、わたくしはシジフォスの神話を思い出す。

 そして、そのやるせなさをいま一番感じているのは、ほかでもないアメリカのCIAではないか。オバマ政権になってはじまったCIAのオペレーションの総合的な見直しは、そのやるせなさへの思いが込められている、とわたくしには思えるのであります。

 前回、わたくしはオランダの諜報機関がケニアに潜伏していたテロリスト容疑者グループを追跡し、ケニア政府の助けを借りて彼らの逮捕に成功したとの話を糸口に、現代の諜報機関をオランダとイギリスをとりあげて俯瞰してみましたが、さきごろ諜報機関本家本元のCIAが、オバマ政権の外交哲学に準じて、おおきく機構改革を始めた。新長官に任じられたレオン・パネタ氏が組織改造の青写真を描いております。

 もっとも、組織改革というのはどこの組織でも、国際国内を問わず、困難を極めるものであります。

 まず、公的機関の構造改革は、改革の目的・ビジョンが明確であっても、かならず政治化される。右も左もその中間も、だれもがそれぞれに声高に叫び、いっとう声の大きいものがリードをとるというかたちに、民主主義の世界では、なってしまうのであります。

 さらにCIAは、伝統的に組織内部に改革に対するおおきなアレルギーがあり、改革と聞くと組織を挙げて執拗な抵抗をしてきた歴史がある。なにかというと、内部からの声がいちばん大きく響いてきたのでありました。ですから、外部から就任する長官は、改革に手を出すとかならず火傷をするか、キャリアを棒に振るといわれたものであります。CIAは行政改革の聖域、アンタッチャブルであった。

 たとえば、ニクソン時代のジョン・シュレジンガー長官は、合理化を断行し、600人あまりの分析官と1000人を超える在外諜報官のポストを廃止したが、激しい突き上げにあって6ヶ月で辞任した。また、クリントン政権時のCIA長官だったジョン・ダッチ氏は、冷戦時代の諜報記録を公開しようとして、これまた内部の抵抗にあい、1年半で去っていきました(CIAは、ダッチ長官が離職に際して、機密をPCにいれて持ち出したと逆に噛みついたほどでありました)。

 さらに面倒なのは、改革というのは変えればすべてがよくなるときまっているわけではないのであります。たとえば、わたくしの属する公的国際機関はどこも事務総長や事務局長が代わるごとに、新しいトップが改革を叫び、あちこちを変えてきましたが、前よりよくなったと言われた組織はない。

 改革が行われようとするときに抵抗が強いのは、改革によって既得権を失うという恐れのほかに、政府機関の場合には、過去が断罪されるかもしれないという恐怖がつきまとうことである。とくに諜報機関であれば、公開外交の時代とはいえ、国際法と憲法の狭間のグレーゾーンをぬうようにしてオペレートしているわけですから、断罪されればそれは組織の raison d'etre に関わってくる。そういう恐怖心が抵抗にいっそう拍車をかけるのですね。

 で、パネタ氏は「CIAの過去は問わない。将来のCIAについての戦略図を描こう、21世紀の諜報機関はどうあるべきかというビジョンを論じよう」というアプローチでいくことに決めた。むかしの傷は開かないまま、手術をしようというわけであります。

 ところが、ここで司法省から横槍が入ってしまう。司法長官のエリック・ホドラー氏が、いや過去を清算しなくては先へは進めないだろう、過去の膿を出し切らず病巣を残したままでは世間の信用も得られないとして、司法長官のイニシアティブで、いくつかの疑惑の捜査をはじめてしまったのであります(司法は独立ですから、オバマ大統領をもってしてもホドラー調査はとめられない)。

 いろいろ興味深い調査が行われておりますが、わたくしの興味を引いた調査が三つほどあった。

 まず、2002年のこと。ブッシュ政権のテロリズム対策の一環として、テロ容疑者尋問の方法が検討され、CIAがコンサルタントを募集したことがあった。これにふたりの退役軍人が応募したのであります。

 ふたりは心理学の学位を持っているものの、ひとりは高血圧の研究で学位をとり、もうひとりは「家庭における心理治療」を勉強しただけという、尋問や諜報にまるで無関係な研究をしてきたのだったが、なぜか採用されてしまった(軍隊時代の人的コネが口を利いたとも言われる。さらに、面接時に「わたしたちは中国共産党の洗脳の技術を勉強しました」とも言ったらしい)。

 ふたりはジム・ミッチェル博士とブルース・ジェッセン博士という心理学者であるが、CIAは彼らの Mitchell Jessenn & Associates という会社を採用し、彼らはさまざまの拷問手段をとりいれた尋問の方法を編み出すのです。そしてこれらはほとんどが(当時の)法務省と副大統領府のお墨付きを得て、正当化されたのであります(それについては、先般の拙稿第213回「あれから・・・」を参照されたい)。
(
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report1_1565.html )

 CIAのテロ対策のプロジェクトですから、予算は潤沢につけられておりますね。
M J & Associates はみるみるうちに企業としておおきく成長していった。

 ミッチェル氏はCIAの尋問官の採用試験官として諜報員、尋問官の雇用に関わり、会社は新入職員のトレーニングも行うようになっていたが、そのうちに本人みずからも尋問を担当するようになる。

 タイでテロ容疑者が逮捕されたとき、彼はCIAの担当官たちに混じってバンコックまで飛び、米軍の収容所で尋問を指揮をするまでに関わりが深くなっていったのです。だが、こういう経験は人を変えるのでしょうか。ミッチェル氏とジェッセン氏の尋問は次第に壮絶な拷問にエスカレートしていったらしい。

 彼らの考案したプログラムは、水攻めにはじまって、冷暗所に裸でとじこめたり、ロック音楽を大音量で鳴らし続け、睡眠を阻害したり、かつて帝国主義の時代に英仏の植民地で実行された拷問刑をアレンジしたものだったが、それらをみずから実行したのであります。

 尋問官が被疑者を問いただしながら、その行為が虐待へ移行していきやすいことは、人間の社会行動を研究する「ビヘイビアル・サイエンス」でも証明されていることらしいですが、権力を握ったものはその力を行使することにサディスティックな快感を覚えるようになる。こうして尋問と拷問の境界を越えてしまうことを、尋問のトレーニングは強く戒めているといいます。だが、ふたりの心理学者は、みずからじぶんの学問の罠に落ちて、鬼になったのであります。被疑者を痛めつけ続けることにエクスタシーを感じ、その狂気に、最後にはまわりにいた同僚が割って入ったということでした。そしていうまでもなく、そのような拷問で入手した自白・情報は、使い物になりはしなかった。

 2006年、ブッシュ政権の末期になって、水攻めや犬をけしかけて恐怖をあおることは違法ではないかと言う議論がはじまり、CIAは彼らとの契約を打ち切るのです。そして、いまかれらはホールダー法務長官の調査の対象になっているが、事務所は閉鎖され、会社は姿を消した。

 また、CIAはアルカイダ捕獲のために、民間の警備会社にアルカイダ幹部たちの捕獲・暗殺を外注していたという一件も調査の対象になりました。その会社は(悪名高い)ブラックウォーター社といい、在イラク米要人のボディーガードを請け負って財を成した会社であります。

 ブラックウォーターについては2007年の拙稿第176回「ブラックウォーター異聞」を参照されたいが、この会社はイラクで要人のボディーガードをしていたことで有名になった警備会社であります。会長のエリック・プリンス氏は元海軍にいた軍人上がりですが、1999年の選挙時にブッシュ陣営に寄付(20万ドルほど)をし、そのご褒美で数年にわたってイラク警備の契約をもらったとされます。その総額は10億ドルほどだというから、20万ドルの投資で10億ドルの利益とはいい投資だったなと、わたくしはあのとき書いたのでした。
(
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report1_1150.html )

 ブラックウォーターがニュースになったのは、あるとき、巡回をしていた同社の装甲車が、通りをドライブしていたイラク人親子を自爆テロと間違え、彼らを撃ち殺しただけでなく、周辺へも乱掃射をして、市民に数十人の死者をだしたときでありました。同社は民間の会社ですから、イラク政府は国内刑法で取調べをしようとしたが、同社は国務省の外交特権に隠れて容疑者である警備員を国外へ逃がしたのでした。そ
のことが知れて、民間会社に外交特権があるのか、あるとすればどういう根拠なのかと、イラクとアメリカ双方で議論が白熱したのでありました。

 警備会社といいつつも、ブラックウォーター社のスタッフは軍からの流れ者が多く、かつ訓練が行き届いていたとはいいがたいことも明らかにされた。バクダッド大通りでの殺傷事件は、そのように訓練の不十分な警備員が不安に駆られて、いうなればドンキホーテが風車を巨人と勘違いして槍を振るったように、おきる必要のまったくなかった事件だったらしい。

 そのように、実質的にはあまり頼りになるとは言いがたい警備会社であるが、ブラックウォーターは、2004年以来、CIAから「アルカイダを発見し、暗殺すること」というプロジェクトを発注されるのです。数百万ドルのプロジェクトというが、彼らがアルカイダ・グループのテロリスト容疑者をひとりでも捕獲・射殺したという話は聞きません。

 そして3番目のケースですが、これは内部のスタッフについての調査であります。
CIAが海外で構築していた極秘の収容所の設計者についておかしな疑いがかけられているという。

 容疑の渦中にいるのは、海外におけるCIA物資の調達を受け持っていた職員で、フランクフルト勤務のカイル・フォッゴ氏と言う。たえまなく葉巻を吹かし、バーボンウイスキーが好きな人つきあいのいい大男で(なぜか物資の調達や運輸というと、ステレオタイプ的にこういうタイプが多いですね。

不思議ですけど・・・)、「本部がおおっぴらにはできないのでね、だからきみに頼むんだ」といわれてこの仕事を引き受ける。

 彼はブダペストにひとつ、モロッコにひとつ、そして東欧のべつのある都市にもうひとつ、CIA経営の秘密収容所を設計・建設をした。内装はどれもおなじ造りになっていて、囚人たちは移動されてもどこからどこへ移送されたのかわからないようになっている。そしてそれらの収容所に、先に触れた水攻めや剥眠の尋問施設がつくられていたのであります。

 秘密収容所建設と運営はうまくいき、フォッゴ氏は一躍、CIAにおいて対テロ・プロジェクトのメインプレーヤーになるのです。彼のプロジェクトには2000万ドルの予算がつき、彼はそれを自由に使えるようになる。

 こういうタイプの人物が自由に使える予算を与えられると、次にすることはだいたい決まっていますな。フォッゴ氏は、プロジェクトをつぎつぎに友人に落していくのである(彼は逮捕されて、いまはケンタッキーの刑務所にいるが、それは友人の土建業者に契約を落としてキックバックをとったという疑惑であります)。

 司法省の調査は、CIAの活動と人権問題との関わりのほかに、対テロ行政利権があまりに豊穣だという政策の落とし穴を検証しているわけですが、わたくしは制度の落とし穴よりも、たとえ利権あさりであってもどうしてこれほどまでに無能で仕事のできないコンサルタントが雇用されたのだろうと驚いてしまうのであります。

砂糖にアリが群がることの是非以前に、なぜこうも無能なアリばかりが集まったのだろうと魂消てしまうのです。

 もとより、コンサルタントやスタッフが全員みな優秀で優れた技能を持ち、みな組織のゴールを完璧に理解している組織というのはありえません。無能な人材を雇用してしまうリスクはどの組織も抱えているのでありまして、ですから実技をテストしたり筆記で知識を試したり、心理試験で資質をチェックする(チームワークができるか、ストレスに耐えうるか・・・)、わたくしたちもいろいろなアプローチを試して適材を探すのですが、どうしても吟味の網の目を抜けてはいってくる「どうしようもない」人材がいるものです。

(もっとも「どうしてあんな奴を雇ったんだ」と問うと、そういうふぞろいなリンゴをトレーニングを通じて磨きあげるのがキミの仕事ではないかね、と切り返されることもあります。彼らがいるおかげで訓練担当のキミは食いはぐれずにいられるのではないかね・・・。)

 国連ではいったい何人のスタッフが働いているのですかと聞かれて、答えは「半分です」という笑い話がはやったことがありましたが、求められる資質を持たないまま(ほとんど間違って)国際組織に入ってくるスタッフの割合はどれくらいなのだろう、
とわたくしは常日頃考えております。Incompetent な人材を許容するとすれば、それは何%くらいまでだろう。

 つまり話が落ちていく先は、やはり上質な人材の雇用と確保なのでありますが、オランダのAIVDの退職者がCIAのヘッドハントのターゲットになっているという興味深い話を聞きました。AIVDを退官した後、CIAに引き抜かれる諜報員が増えているというのであります。前回書き忘れたことですが、目立っていないにもかかわらず、専門筋ではオランダのAIVDはヨーロッパの諜報機関では諜報のあらゆる分野にいちばん優れた資質を持っている組織だと認識されているらしい。

 もっとも、AIVDからのヘッドハントは、協調外交を旨とするオバマ政権になったからより容易くなったことで、「単独行動」を旨としたブッシュ・ドクトリンでは、CIAにしても同盟国との接触も難しかったことでありましょう。実際、ブッシュCIAはテロという共通の敵を持ちつつも、カウンターパートの欧州諜報機関をみくだして協力を拒み、その結果、たとえばイラクの大量破壊兵器について正当な評価を下すことができず、チェニー副大統領府のごり押しに抵抗できなかったという意見もありました。

 パネタ改革はCIAのキャパシティをあげるために、施策のひとつとして「諜報員の外国語能力を強化」と「諜報員のバックグラウンドの多極化」を進めるとしています。すでに優れた評価を持つ異国の諜報機関の異なるバックグラウンドをもつスタッフの雇用(交換・貸与をふくむ)を通じての情報とノウハウの共有は、国内のわけのわからないコンサルタントを雇用するよりよほど能率がいいのだろうな、とわたくしは考えるのであります。

春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行政学修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。2000年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長。現在オランダのハーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』(NHK出版)、編書に『Chemical WeaponsConvention: implementation, challenges and opportunities』(国際連合大学)が
ある。(
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9280811231/jmm05-22 )



24のジャック・バウアーも

拷問をしたからという理由で

裁判にかけられていた。

DVDの話です。

でも、本当にCIAは拷問していたのね。

日本には、諜報部員がいない。

でも、オウム真理教(現アーレフ)や創価学会などには

諜報部員的な仕事をやっている人がいそう。

憶測です。

日本には、なぜ諜報部員がいないのか。

スパイを取り締まる法律がないのは

なぜか。民主党が政権をとっても、

スパイ天国のままか。もっと悪くなるのかな。