日本人は、読んでおこう。真岡の女性たちを凌辱し殺害したソ連兵は、生き残りの日本人男性たちに、、、
ウラジオストック・ナホトカ見聞記<< その3 >>
粕谷 哲夫 (小誌2695号より承前)
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ロシアの侍
ウラジオストックを一望する鷲の巣展望台で3人の黒ジャンパーに身を包むいかつい男たちに出会った。大型のオートバイ2台がある。世界的に有名な昌栄のヘルメットがベンチに置かれている。明らかに大人の暴走族風である。頭のバンダナには「ロシアの侍」と染められている。日本人のわれわれを見て人懐こそうに笑顔を見せる。
彼らは「ロシアの侍」というバイク愛好者たちの会員制の結社のメンバーで、ロシア各地だけでなく「ロシアの侍」は世界にメンバーを持つという。日本人のメンバーもいるという。
彼らは単なるオートバイ愛好者の同好会というより、若者の暴走運転を防止したり、交通ルールの普及や交通秩序の指導をしているという。かなり 社会的な使命を自覚し、誇りにしていることが感じ取れる。
そういえば彼には粗暴さは無い。いつも笑顔を絶やさず育ちのよさを感じさせる。目つきも穏やかだ。そしていずれもイケメンである。
「あなた方はたくましい肉体と優しい心と俳優張りのイケメンぶりで、ロシア女性はメロメロになるのではないか?」と聞いた。それが常識的な彼らの印象だったからである。しかし、リーダー格の男は「われわれは家庭もちであり、そういう関心は無い」とまことにつれない反応だった。
すべてではないが、一般にわれわれ日本人は戦争におけるロシア兵の残虐性、凶暴性を知っている。小生自身、多くの体験談を直接聞いている。略奪、強姦、虐殺、・・・。居留した婦女子は生きて日本に還れても、門司などで下船すると、直ちに妊娠検査が行われたことも、そして妊娠が発覚すると、それなりの処置がなされたことも知っている。
西尾幹二インターネット日録にいい文章があったので、理解を助けるために引用しておく。樺太の真岡の電話交換手9名の悲劇を伝える、映画「樺太1945年夏 氷雪の門」についてである。
(この映画の助監督をつとめた新城卓氏によると)、「真岡の女性たちを凌辱し殺害したソ連兵は、生き残りの日本人男性たちをシベリアに強制連行したが、連行前に彼らにやらせた仕事は、穴を掘って、日本人女性の遺体を埋めさせる(という)酷薄な労働であった」という。
ソ連軍の想像を超える残忍性は、ドイツなどに対しても発揮された。「樺太1945年夏 氷雪の門」のソ連軍は囚人部隊だったともいわれるが、100万人以上の軍隊を囚人だけで構成することは難しかろう。農民その他も含まれていたであろう。
またロシア人は精力絶倫で、その詳細は佐藤優氏の本で読んだことがある。場が与えられれば野獣に返る可能性は十分にある。ロシア女性も同様で、実はシベリヤ抑留からの復員兵の中に梅毒患者がけっこう発見されたというから驚きである。
鷲の巣展望台で会った3人の黒ジャンパーの「ロシアの侍」も現場に居合わせたら同じようなことをしたであろうか? ドストエフスキーもトルストイもチエホフもソルジェニツエンもロシア人だ。しかしスターリンはグルジア人だがソ連人だ。
3人の「ロシアの侍」には日本に対するかなりの思い入れがあるように見えた。
「ロシアの侍」のバンダナは会員しか入手できない。しかし彼らは、できればバンダナを土産に持ち帰りたいというわれわれの雰囲気を感じ取り、「もし希望があれば本部のほうで、あなた方に分けるようにはからいらいますよ」という。せっかくの話だったが、時間が足りず「ロシアのサムライ」バンダナには縁が無かった。
彼らのヘルメットは世界的に有名な日本の昌栄製で、それを愛でるように大事に扱っていた。バイクのヘルメットといえば、は南米のチリでも、手続きで関わった司法書士から次回日本のヘルメットを持ってきてくれないか、と依頼され、こいついったい何をいっているんだ、と思ったことを思い出した。
「ロシアの侍」たちは、精神的にも物質的にも日本的なものに間違いなく引きついけられている。
ソ連人はともかく、現在のロシア人は北方領土以外の話題ではおおむね日本シンパであるように見える。 本当はどうなのか?
ロシアには「セブン・サムライ」というブランドのウオツカがある。またウラジオストック中心部にロシア人の経営する「七人のサムライ」という日本料理の店がある。ウラジオストック入りの晩にそこへ行った。日本の料理人がいない割には、まずまずだった。「サムライ」は一般に好意的なイメージで受け取られている。しかし、意外なサムライ理解もあるものだ。
『シベリア抑留1450日』という山下静夫画伯の画文集がある。
シベリアのチュクシャというところに抑留されていた山下画伯のもとに、ある日近所に住む小学生のマルチクという少年がロシアの社会科の本を持ってきた。教科書には豊臣秀吉の肖像が載っていた。どうもサムライは「侵略者」ということのようだった。収容所の体験では<、サムライ>は日本兵をさげすむ言葉で、敬意を払う場合は<ヤポンスキー・ソルダート>という。
「そういえば、タイシェットで、テーヌルで食事をさせたマイヨール(少佐)は決してサムライとは言わず、ヤポンスキー・ソルダートだった・・・」
「ソ連の教科書の秀吉は、庶民の収奪者となったサムライの頂点に位置しその絶大な権力によって、他国を植民地として、その国民を奴隷とする人物として描かれ、サムライは侵略者の代名詞として捉えていた。日本の軍人はその流れを組む、もっとも忌むべき侵略者としていた」 (p.512)
「スターリンがよく言うよ」とあきれるばかりである。
ロシアの便所 (追加)
すでにナホトカ駅と幹線道路のレスト・エリアのトイレの汚さについて書いたが、以下のような記述に出会ったので、せっかくなので付け加えておく。
これは高杉一郎:『極光のかげに―シベリア俘慮記―』 (岩波文庫)の一節である。
・・・・・・
まっ白い防寒外套を着た三十輩の精悍な表情の(ロシア人の)男が窓口に現れて、「夕方までに本部の便所を掃除しておけ」
と、まるで殴りつけるように命令して、返事も待たずに立ち去って行った。「なんて横柄なやつだ」
と、私はしばらくその後姿を見送っていたが、それでも自分の仕事が一段落つくと、鉄棒と円匙と箒を下げて、便所掃除に出かけた。
ところが、便所の扉を開けた私は、そのまましばらく扉口に立って呆然としていた、手のほどこしようもない。どんな貧民窟に住んでいる日本人でも、これより汚い便所を想像することはできないに違いない。
仕切りのないひとつの細かなバラックに、ロシア式にまんまるい穴が一列にいくつも掘ってあるが、脱糞の堆積が次々に凍り付いてしまって小摩天楼とでもいった具合に穴の上に聳えている。そのために、その後の訪問者はみなバラックの床の上に残された空白地帯を探しては用を足すらしく、何のことはないこのバラック全体が大きな糞壷といった様相だ、まだしもと思われるのは、それらの汚穢が石のように固く凍りついていることである。
勇気を奮いおこして、私は掃除をはじめた。どこの国でもかわらない壁のうえの落書きに目をとめたりしながら、凍りついた汚穢を鉄棒でつき砕き、円匙でさらった上に、白樺の箒で掃き清めるまでには、ほとんど半日を要した。
引き上げようとしているところへまっ白い防寒外套を着た今朝の男がやってきて、言った。
「おい、まだ不十分だ。・・・・・・
タヴァーリシチはもう死語か?
ガイドはよく、「ソ連時代には・・・」という表現を使った。われわれはまだまだロシアとソ連を混同している。
実は小生が最初にロシア語に触れて(三日坊主ではあったが)出会ったいくつかの単語の中に、「タヴァーリシチ(同志)」があった。ガイドに 「タヴァーリシチは今でも使うか?」と聞いたところ、一笑に付された。「そんなコトバはもうないし、使うはずもないではないか」と何とも素っ気のない、冷笑と侮蔑の反応だった。それはソ連の語彙であって、もはやロシアの単語ではないということだ。そういえば中国でもいまどき江沢民同志だの胡錦濤同士などいわないであろう。愚問といえば愚問である。
手元に、東郷正延(当時東京外国語大学教授)の「ロシア語のすすめ」(講談新書)(初版は昭和41年)があるが、それには以下のような記述がある。
人間はみなタヴァーリシチ (ロシア)革命前に存在した多種多様な「敬称」がすべてご破算になり、師団長「閣下」も小隊長「殿」も、その他国家の最高元首に対する敬称もすべてただひとつ、「タヴァーリシチ」の一語に統一されてしまったソ連社会・・・・。(中略) 「資本主義社会では、人間が人間に対して狼であるが、ソビエット社会では人間が人間にたいして『タヴァーリシチ(同志)』である」と、ソ連人は言います。このようなソ連人の日常生活をのぞき、これを他山の石とするためにも、私は「ロシア語の門をたたく」ことを皆さんにおすすめしたいと思います。
ロシア語学習の大きな目的であった「タバーリシチ」、その「タバーリシチ」が一笑に付されたのだ。
東郷先生はいまはなきスターリンの「タヴァーリシチ」をどうお考えか?
「タヴァーリシチ」がなくなれば、ロシアやロシア語の勉強は無意味というのであろうか。
興味あるのは 「タヴァーリシチ」から 「ポスト・タヴァーリシチ」への変化のプロセスと結果である。中国は長い間、ソ連の修正主義を猛烈に批判していた。 このイデオロギー論争が国際紛争になりかけたほどである。その中国が、人間が人間に対して狼である体制を選択したのである。
中国の将来を考える上でも、この比較はたいへん大事なことと思う。これをやらないと知的な中国論は語れないのではないか。
後述の ナホトカの日本人墓地とシベリヤ抑留の問題には、このタバーリシチの呪縛が深くかかわってくる。
ガイドに発した質問は、かならずしも愚問ではなかったと自ら慰めた次第である。
(つづく)
粕谷 哲夫 (小誌2695号より承前)
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ロシアの侍
ウラジオストックを一望する鷲の巣展望台で3人の黒ジャンパーに身を包むいかつい男たちに出会った。大型のオートバイ2台がある。世界的に有名な昌栄のヘルメットがベンチに置かれている。明らかに大人の暴走族風である。頭のバンダナには「ロシアの侍」と染められている。日本人のわれわれを見て人懐こそうに笑顔を見せる。
彼らは「ロシアの侍」というバイク愛好者たちの会員制の結社のメンバーで、ロシア各地だけでなく「ロシアの侍」は世界にメンバーを持つという。日本人のメンバーもいるという。
彼らは単なるオートバイ愛好者の同好会というより、若者の暴走運転を防止したり、交通ルールの普及や交通秩序の指導をしているという。かなり 社会的な使命を自覚し、誇りにしていることが感じ取れる。
そういえば彼には粗暴さは無い。いつも笑顔を絶やさず育ちのよさを感じさせる。目つきも穏やかだ。そしていずれもイケメンである。
「あなた方はたくましい肉体と優しい心と俳優張りのイケメンぶりで、ロシア女性はメロメロになるのではないか?」と聞いた。それが常識的な彼らの印象だったからである。しかし、リーダー格の男は「われわれは家庭もちであり、そういう関心は無い」とまことにつれない反応だった。
すべてではないが、一般にわれわれ日本人は戦争におけるロシア兵の残虐性、凶暴性を知っている。小生自身、多くの体験談を直接聞いている。略奪、強姦、虐殺、・・・。居留した婦女子は生きて日本に還れても、門司などで下船すると、直ちに妊娠検査が行われたことも、そして妊娠が発覚すると、それなりの処置がなされたことも知っている。
西尾幹二インターネット日録にいい文章があったので、理解を助けるために引用しておく。樺太の真岡の電話交換手9名の悲劇を伝える、映画「樺太1945年夏 氷雪の門」についてである。
(この映画の助監督をつとめた新城卓氏によると)、「真岡の女性たちを凌辱し殺害したソ連兵は、生き残りの日本人男性たちをシベリアに強制連行したが、連行前に彼らにやらせた仕事は、穴を掘って、日本人女性の遺体を埋めさせる(という)酷薄な労働であった」という。
ソ連軍の想像を超える残忍性は、ドイツなどに対しても発揮された。「樺太1945年夏 氷雪の門」のソ連軍は囚人部隊だったともいわれるが、100万人以上の軍隊を囚人だけで構成することは難しかろう。農民その他も含まれていたであろう。
またロシア人は精力絶倫で、その詳細は佐藤優氏の本で読んだことがある。場が与えられれば野獣に返る可能性は十分にある。ロシア女性も同様で、実はシベリヤ抑留からの復員兵の中に梅毒患者がけっこう発見されたというから驚きである。
鷲の巣展望台で会った3人の黒ジャンパーの「ロシアの侍」も現場に居合わせたら同じようなことをしたであろうか? ドストエフスキーもトルストイもチエホフもソルジェニツエンもロシア人だ。しかしスターリンはグルジア人だがソ連人だ。
3人の「ロシアの侍」には日本に対するかなりの思い入れがあるように見えた。
「ロシアの侍」のバンダナは会員しか入手できない。しかし彼らは、できればバンダナを土産に持ち帰りたいというわれわれの雰囲気を感じ取り、「もし希望があれば本部のほうで、あなた方に分けるようにはからいらいますよ」という。せっかくの話だったが、時間が足りず「ロシアのサムライ」バンダナには縁が無かった。
彼らのヘルメットは世界的に有名な日本の昌栄製で、それを愛でるように大事に扱っていた。バイクのヘルメットといえば、は南米のチリでも、手続きで関わった司法書士から次回日本のヘルメットを持ってきてくれないか、と依頼され、こいついったい何をいっているんだ、と思ったことを思い出した。
「ロシアの侍」たちは、精神的にも物質的にも日本的なものに間違いなく引きついけられている。
ソ連人はともかく、現在のロシア人は北方領土以外の話題ではおおむね日本シンパであるように見える。 本当はどうなのか?
ロシアには「セブン・サムライ」というブランドのウオツカがある。またウラジオストック中心部にロシア人の経営する「七人のサムライ」という日本料理の店がある。ウラジオストック入りの晩にそこへ行った。日本の料理人がいない割には、まずまずだった。「サムライ」は一般に好意的なイメージで受け取られている。しかし、意外なサムライ理解もあるものだ。
『シベリア抑留1450日』という山下静夫画伯の画文集がある。
シベリアのチュクシャというところに抑留されていた山下画伯のもとに、ある日近所に住む小学生のマルチクという少年がロシアの社会科の本を持ってきた。教科書には豊臣秀吉の肖像が載っていた。どうもサムライは「侵略者」ということのようだった。収容所の体験では<、サムライ>は日本兵をさげすむ言葉で、敬意を払う場合は<ヤポンスキー・ソルダート>という。
「そういえば、タイシェットで、テーヌルで食事をさせたマイヨール(少佐)は決してサムライとは言わず、ヤポンスキー・ソルダートだった・・・」
「ソ連の教科書の秀吉は、庶民の収奪者となったサムライの頂点に位置しその絶大な権力によって、他国を植民地として、その国民を奴隷とする人物として描かれ、サムライは侵略者の代名詞として捉えていた。日本の軍人はその流れを組む、もっとも忌むべき侵略者としていた」 (p.512)
「スターリンがよく言うよ」とあきれるばかりである。
ロシアの便所 (追加)
すでにナホトカ駅と幹線道路のレスト・エリアのトイレの汚さについて書いたが、以下のような記述に出会ったので、せっかくなので付け加えておく。
これは高杉一郎:『極光のかげに―シベリア俘慮記―』 (岩波文庫)の一節である。
・・・・・・
まっ白い防寒外套を着た三十輩の精悍な表情の(ロシア人の)男が窓口に現れて、「夕方までに本部の便所を掃除しておけ」
と、まるで殴りつけるように命令して、返事も待たずに立ち去って行った。「なんて横柄なやつだ」
と、私はしばらくその後姿を見送っていたが、それでも自分の仕事が一段落つくと、鉄棒と円匙と箒を下げて、便所掃除に出かけた。
ところが、便所の扉を開けた私は、そのまましばらく扉口に立って呆然としていた、手のほどこしようもない。どんな貧民窟に住んでいる日本人でも、これより汚い便所を想像することはできないに違いない。
仕切りのないひとつの細かなバラックに、ロシア式にまんまるい穴が一列にいくつも掘ってあるが、脱糞の堆積が次々に凍り付いてしまって小摩天楼とでもいった具合に穴の上に聳えている。そのために、その後の訪問者はみなバラックの床の上に残された空白地帯を探しては用を足すらしく、何のことはないこのバラック全体が大きな糞壷といった様相だ、まだしもと思われるのは、それらの汚穢が石のように固く凍りついていることである。
勇気を奮いおこして、私は掃除をはじめた。どこの国でもかわらない壁のうえの落書きに目をとめたりしながら、凍りついた汚穢を鉄棒でつき砕き、円匙でさらった上に、白樺の箒で掃き清めるまでには、ほとんど半日を要した。
引き上げようとしているところへまっ白い防寒外套を着た今朝の男がやってきて、言った。
「おい、まだ不十分だ。・・・・・・
タヴァーリシチはもう死語か?
ガイドはよく、「ソ連時代には・・・」という表現を使った。われわれはまだまだロシアとソ連を混同している。
実は小生が最初にロシア語に触れて(三日坊主ではあったが)出会ったいくつかの単語の中に、「タヴァーリシチ(同志)」があった。ガイドに 「タヴァーリシチは今でも使うか?」と聞いたところ、一笑に付された。「そんなコトバはもうないし、使うはずもないではないか」と何とも素っ気のない、冷笑と侮蔑の反応だった。それはソ連の語彙であって、もはやロシアの単語ではないということだ。そういえば中国でもいまどき江沢民同志だの胡錦濤同士などいわないであろう。愚問といえば愚問である。
手元に、東郷正延(当時東京外国語大学教授)の「ロシア語のすすめ」(講談新書)(初版は昭和41年)があるが、それには以下のような記述がある。
人間はみなタヴァーリシチ (ロシア)革命前に存在した多種多様な「敬称」がすべてご破算になり、師団長「閣下」も小隊長「殿」も、その他国家の最高元首に対する敬称もすべてただひとつ、「タヴァーリシチ」の一語に統一されてしまったソ連社会・・・・。(中略) 「資本主義社会では、人間が人間に対して狼であるが、ソビエット社会では人間が人間にたいして『タヴァーリシチ(同志)』である」と、ソ連人は言います。このようなソ連人の日常生活をのぞき、これを他山の石とするためにも、私は「ロシア語の門をたたく」ことを皆さんにおすすめしたいと思います。
ロシア語学習の大きな目的であった「タバーリシチ」、その「タバーリシチ」が一笑に付されたのだ。
東郷先生はいまはなきスターリンの「タヴァーリシチ」をどうお考えか?
「タヴァーリシチ」がなくなれば、ロシアやロシア語の勉強は無意味というのであろうか。
興味あるのは 「タヴァーリシチ」から 「ポスト・タヴァーリシチ」への変化のプロセスと結果である。中国は長い間、ソ連の修正主義を猛烈に批判していた。 このイデオロギー論争が国際紛争になりかけたほどである。その中国が、人間が人間に対して狼である体制を選択したのである。
中国の将来を考える上でも、この比較はたいへん大事なことと思う。これをやらないと知的な中国論は語れないのではないか。
後述の ナホトカの日本人墓地とシベリヤ抑留の問題には、このタバーリシチの呪縛が深くかかわってくる。
ガイドに発した質問は、かならずしも愚問ではなかったと自ら慰めた次第である。
(つづく)