広島・長崎への原爆投下の真実(7) 「頂門の一針」 | 日本のお姉さん

広島・長崎への原爆投下の真実(7) 「頂門の一針」

広島・長崎への原爆投下の真実(7)
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 岡崎 渓子

≪人種差別のない国≫

戦争中でもここまで日本人は純粋に人種差別をしないことを明文化していた。だから黒人も差別したことはない。
戦国時代には、日本にも外国人宣教師が黒人を連れてくることがあり、薩摩での見聞が日本人が黒人を見た最初の記録である。

1581年2月23日、本能寺の変の1年前のこと、キリスト教宣教師ヴァリニャーノは黒人奴隷を連れて織田信長に会った。

この黒人はアフリカ・モザンビークの出身で27歳、身長182cmの大きな体格で力もある。当時の黒人は人間以下とみられていた。

信長はこの黒人を気に入って譲り受け、名前を彌介(やすけ)と付け、常に傍に置いて家来としてかわいがった。本能寺の変の時にも彌介は信長のそばにいた。

もちろん主君を守って戦ったが、信長が本能寺に火を放って自刃した後、本能寺を脱出。二条御所にいた信長の嫡男・信忠のもとへ馳せ参じ、明智軍を10人ほど倒したのだが、やがて信忠も自刃したころ明智軍に捕らえられた。彌介は明智光秀のもとへと連行された。

光秀は「黒人は動物と同じで訳もわからぬまま戦ったのだし、日本人でもないのだからインドのバテレンのもとに送れ」と家来に命じた。以後の彌介の消息は不明である。

信長のように世界に眼を向ける賢者には人種差別はない。

近年でも1919年(大正8)2月13日、第1次世界大戦の戦後処理を行うために開催されたパリ講和会議の際、同時開催されていた米国大統領・ウィルソンの首唱による「国際連盟」設立の規約委員会の席上、日本は既に固まっていた14ヵ条に加えて、第15条として、「人種、或いは国籍如何により、法律上或いは事実上、何ら差別を設けざることを約す」という「人種差別撤廃条項」を盛り込もうとした。

しかし、欧米列強社会の根強い人種差別意識を目の当たりにした日本は、より採択可能な修正案として、人種の文言を削除した、「国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す」を提案し、評決にかけられた。

つまり「国民の公正な処遇」によって人種差別撤廃を実現しようとしたのである。

この日本案は、16票中11票の賛成多数だったが、議長であったウィルソン米国大統領が、突然「重要案件は全会一致でなければならない」と、勝手にルールを変更して不採択を宣言、日本提案の「人種差別撤廃条項」は「幻の第 15条」として葬り去られてしまった。

さて、これだけ日本人がユダヤ人のために尽くしたのだが、皮肉にもユダヤ人科学者の手で造られた2発の原爆によって、 64年以上も塗炭の苦しみを味わうことになった。

放射線の影響は、その後長期にわたってさまざまな障害を引き起こした。

体内に取り込まれた放射線が年月を経て何を引き起こすのか、いまだに十分に解明されていない。

私の小学校の同級生の女の子は胎内被曝により、生まれた時から髪の毛が生えなかった。

クラスの男の子たちから「つるっぱげ」と呼ばれていつもいじめられていた。

終戦後に親戚の無事を確かめようと広島の街を訪れた母親が妊娠していただけである。

悪魔の兵器は人間の芽さえも毒牙にかけ、彼女の一生を不幸にした。

あの同級生の顔を思い浮かべるたび、私はアメリカへの憎しみを新たにする。

2009年発表被爆死亡者数は、広島23万6559人、長崎13万7339人にのぼる。

後障害は、白血病や甲状腺癌などの悪性腫瘍、白内障、脳・血管障害を起こしている。胎内被爆者の知的障害や小頭症も後障害である。
64年の間、原爆症の恐怖におびえながら生きていくのはまさに地獄である。

アメリカがなんと言おうと「人道に反する罪」を犯した事実は未来永劫消えない。(次号完結)