愛犬供出、「心が死んだ」
子どもは見ていた:戦争と動物/1 愛犬供出、「心が死んだ」
犬、ウサギ、馬……。戦時中、家々で大切にしてきた動物が子どもたちの前から姿を消した。国に求められ、差し出す役割を担わされた子もいた。出征する家族との別れにくわえ、小さな友達まで奪われた悲しみ。終戦から64回目の夏、当時を知る人たちが若い記者に語ってくれた。動物を通して見えた戦争を伝えたい。
◇兄出征の悲しみに追い打ち 撲殺役も少年「国のため」
ペット問題を担当する私(記者)の元に昨秋、一通の手紙が届いた。差出人は宇都宮市の渡辺礼子さん(81)。ペットブームの中で捨てられた動物が毎日殺処分されている記事を読み「やり切れない思いです」とあった。
つづられていたのは17歳だった戦争中、軍服の毛皮にするため愛犬「マル」を供出させられた悲しい記憶。「マルのような犬がいたことを忘れないで」
私は市営住宅で1人暮らしをする礼子さんに会いに行った。
*
戦時中、礼子さんは栃木県西方町の農家に暮らしていた。ある夕方、弟が友達に子犬をもらってきた。もこもこした真っ黒な毛。8人のきょうだいのうち、小さい弟や妹から順に抱っこした。やっと長女の礼子さんの番が来た。腕の中でしっぽを振り続けた。前に飼っていた犬の名をつけることで家族全員が一致した。
家にはマルと遊びたい子どもたちが集まってきた。食べるものも着るものもなく、重い空気がたちこめた村に笑顔が戻った。
礼子さんは国民学校(現在の小学校)を卒業後、畑仕事に出た。父は勤め、兄は学校に行くため、母と2人での麦作り。人手が足りず雑草に負けてしまい、供出する分しか収穫できない。「私もマルも、いつもおなかをすかせてた」。くたくたになってあぜ道を歩いた。マルが後をついてきて、どこかで拾ってきた干しイモやたくあんをポリポリと音を立てて食べていると、ほっとした。
一番の楽しみは三つ上の兄、郁さんとハーモニカを吹くことだった。普段はおとなしいマルが「ウオーン、ウオーン」と歌うように鳴き声を合わせるので、2人で声を上げて笑った。
その兄の出征が決まった。見送る途中で涙をこぼし、村の大人に「どの家もお国のために兵隊を出してる。名誉の戦死を遂げるんだ」としかられた。一人でハーモニカを吹いた。マルが一緒に鳴いてくれた。
だが間もなく役場から連絡が来た。「兵隊さんの毛皮にするので犬を供出せよ」。もう言葉も出なかった。
犬たちは学校の校庭に集められた。マルを連れていった近所のおじさんから「校庭の手前から足を踏ん張って歩こうとしなくて困った」と聞かされた。
話し終えた礼子さんがつぶやいた。「戦争で、私の心は一回死んだの。うれしいことも悲しいことも、感じないように決めたの。苦しまずにすむから」。戦後は准看護師として働き、戦場で心を病んだ人たちの世話もした。犬を飼うことも、誰かにマルの話をすることもなかったという。
*
集められた犬はどうなったのか。動物の供出に詳しい児童文学作家の井上こみちさんが、犬や猫を撲殺する仕事をしていた修さん(79)=仮名=のことを教えてくれた。北海道に住む修さんに取材を申し入れると「忘れたいし、妻や子にも秘密にしている」と悩みつつも「勝っても負けても戦争はだめ。それを伝えられるなら」と話してくれた。
1944年の冬休み。15歳だった修さんは友達に「いい仕事がある」と誘われた。家族5人、長屋での貧しい暮らし。「少しでもお金になるなら」と飛びついた。
指定された場所に集まり、初めて仕事の内容を聞かされた。仲間の一人は逃げ出した。修さんは「満州や空の上の兵隊さんはどんなにお寒いだろう。これもお国のためだ」と心に決めた。でも子ども心に「猫は化けて出る」と思うと怖くて眠れず、便所に一人で行けなかった。
いろんな町を泊まり歩き、集められた動物を仲間が押さえ、修さんが撲殺する。「毛皮に傷が付かぬよう、犬は丈夫な木の棒、猫には金づちを眉間(みけん)めがけて力いっぱい振り下ろせ」と教えられた。連れてくる飼い主たちの表情は暗い。みんな悲惨な光景を見て動揺し「殺さないで」と懇願する。泣きだす少女。「うちの犬だけは助けて」と、どぶろくをわいろに差し出す男の人。泊めてもらった農家の犬をこっそり見逃したこともあった。仕事は20日間ほど続いた。帰宅して、家族に何をしていたかは言えなかったという。
私が「かわいそうなことをしたという思いはありますか」と尋ねると、修さんの口調に怒気が混じった。「ないね」。自分に言い聞かせるように続けた。「仕方がなかった。そう思うほかないんだ」
修さんは犬や猫が捨てられていると、拾ってきてしまうという。4年前からは茶色い雑種を育てている。
「鼻をなでてやると、じいっとこっちを見るんだ。かしこいんだ」。顔を上げてくれたのは、この時が初めてだった。【田後真里・28歳】
◇物資不足で食用、軍服の毛皮用に
「犬の現代史」(今川勲氏著、現代書館)によると、日中戦争開戦後の1940年、国会で「人間も食べるものがないのだから、軍用犬以外は殺して利用してはどうか」という犬猫不要論が巻き起こった。当時は「愛犬家の楽しみを奪ってよいものか」との慎重論も強く、退けられた。
だが戦争の長期化で44年12月、当時の軍需省は強制的な供出を決定。毛皮は飛行服、肉は食べるためだった。同月19日付少国民新聞(現在の毎日小学生新聞)は<犬君も撃滅(げきめつ)戦へ>という見出しで、犬の供出により空襲を受けた際に国民がかみつかれることも防げると書いている。<立派な忠犬にしてやりませう>と訴えた隣組回報も残っている。
毎日新聞 2009年8月10日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090810ddm013040020000c.html
戦争は嫌だ、戦争は悲惨だ。
戦争は絶対にしちゃいけない。
そんなことは分かっている。
日本に戦争をいどんできた国にも
同じ事を言ってもらいたい。
日本が戦争にまきこまれたのには
いろんな事情があって、
アメリカやソ連は日本を戦争に
巻き込もうと日夜工作を続けていたのだ。
戦争は負けると、全部、負けた国が
悪かったから戦争になったことに
戦勝国にされてしまうので、日本人は各自
当時の歴史を勉強しなおし、
日本がソ連のスパイであったアメリカ人の
ハルが作った文書で追い込まれていった様子や、
どんなにヘタクソな戦争をしたかや、
どこで戦争をやめるべきだったかなど、
学んで、これからは、うまく立ち回らないとね。
もし、今度、朝鮮半島の国や
チュウゴクに攻めてこられた時、
戦争は嫌だ、絶対にダメだなどと言っていたら
見る見るうちに占領されて支配されてしまい
日本という国は形だけ残っても内容は
他国に飲み込まれて
言いなりになるしかなく、日本に住みながら
占領国の人間に支配された二等、三等の市民の
扱いを受けるようになるので、
戦争は嫌だとばかりも言っていられない。
人殺しは嫌だ、泥棒は嫌だ、暴力は嫌だと
言うのは自由だが
言ったところで、犯罪が減るわけではなく、
警察がしっかり、地域を守って仕事をし、
犯罪者を逮捕して刑務所に入れて隔離し
市民を守らねば、言うだけでは
世の中は良くならない。
戦争も同じだ。
戦争は嫌だ、悲惨だというのなら、
チュウゴクが今、150発から200発の
原爆を持っていること、それらを潜水艦から
発射できること、北朝鮮が核を持ったこと、
韓国は反日で竹島を奪ったこと、竹島の周辺に
漁に来た日本の漁師を日本の海で漁をして
いたにもかかわらず、44人も殺したこと、
チュウゴクは勝手に日本の領土のガスを
東シナ会の海で吸って毎日チュウゴクに運んでいることを
しっかり、覚えておこう。
そして、どうやれば、日本が今後も独立国として
生き残っていけるのか、
ちゃんと考えよう。強い警察が仕事をしないと
一般人が安心して生きていけないように、
日本を守る強い軍隊がいないと、やはり、
一般人は安心できない。国を守る気のない政党は
政権を取るべきではない。
それが、当たり前のことではないでしょうか。
外国人に選挙権を与えたら、外国人の都合のよい法案が
多数可決されて日本人が悔しい思いをすることが
たくさん起こるようになる。
人権擁護法案など可決されたら、
外国人に文句を言うだけで逮捕されるようになる。
日本と戦争するよりも、日本を内側から変えて
コントロールしやすい法律を作って、いろんな理由をつけて
日本人の税金をすきなように奪った方が
周りの国には得でしょう。今は日本はアメリカに
負けたのでアメリカの言いなりです。軍隊もないし、
アメリカ軍だけが頼りです。そんな国ですが、
アメリカが落ちぶれたら次は、チュウゴクやロシアに
頼るような落ちぶれた国にはなってはいけません。
アメリカは、まだ話せばわかる国だが、共産国は
そういうわけにはいかない。自国の民の人権も
顧みない連中が属国となった場所の民の
人権を大事にするわけがない。昔は立派な国だった
チベット人(現チベット族)と東トルキスタン人(現ウイグル族)に
対する漢人の扱いを見ると分かることです。