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【香港】スーパー偽札は広東製、東部に製造メッカ
8月7日8時30分配信 NNA
昨年来、香港や中国本土で流通し、“スーパー偽100元札”と呼ばれた記番号「HD90」を持つ偽札の出所がこのほど判明した。過去には台湾製などとの憶測もあったが、汕頭など広東省東部で製造され、広州、深センなど沿岸の大都市から中国全土、香港、マカオなどに広まった疑いがもたれている。偽札製造と取り締まりの現状は今、どうなっているのか。
「HD90は台湾製ではない。広東製だ」。同省の公安当局で捜査の陣頭指揮を執る幹部がこのほど明らかにした。印刷機は江西省製で、1枚のシートに25~26枚の偽札を印刷できるという。
HD90は通常の偽札識別機では判別しづらいといわれており、昨年下半期(7~12月)ごろから北京、上海をはじめ浙江、四川、山東、湖南、広東や香港など各地で発見。「FA」「AB」「HB」などの類似品も同時期に流通していた。旧正月(春節)シーズンを挟んでいたため、中国全土への普及が一気に広まった可能性もある。
■伝統産業が犯罪の温床に
5日付南方都市報によると、過去十数年にわたる偽人民元の犯罪状況では、紙幣の場合90%が広東省製であるという。台湾製の偽札は1990年代に多くみられたが、最近は本土での製造がさかんになってきている。
主な製造元は広東省東部。汕頭、潮州、掲陽、恵州などの一帯だ。技術者は江西、湖南、安徽の出身が多い。またオーナーは広州、深セン、珠海といった大都市に拠点や同郷出身者のネットワークを持ち、中国全土や香港、マカオなどに流通させている実態がある。
なぜ広東省東部は偽札製造のメッカなのか。答えはその地理にある。同公安幹部によると、同省は中国全土で最も長い海岸線を持ち、台湾との交通の便の良さから、かつて台湾から密輸された偽札が省内にはんらん。汕頭近郊は製紙や印刷、関連設備機器産業を得意とする伝統も背景にあり、改革開放以後は本土の印刷業も偽札に手を染めるようになった。
■先月には死刑執行
今年7月末、最高法院は過去に1億人民元(約14億円)相当の偽札を製造したとして、掲陽と汕頭の農村出身者2人に死刑執行許可を出している。広東省警察当局が偽札撲滅強化を進めていた時期でもあり、“見せしめ”効果も見込んでいたものとみられる。90年代末から2004年にかけて、同省は偽札製造に関わった人物約50人を死刑にしている。また公安庁は、03年に偽札取り締まり専門の部署を開設した。中国国内で同様の部署を持つのは広東と広西チワン族自治区のみ。
現在、街で偽札を使用した場合、「悪意を持って使用している」と認められれば逮捕・拘留となる。また連続3回の使用が確認されると、詐欺罪に問われることもあるという。<広東>
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090807-00000002-nna-int
「戦場にかける橋」近くに巨大観音、景観論争白熱
「戦場にかける橋」の舞台の鉄橋。奥は建設中の観音像=田原徳容撮影
映画「戦場にかける橋」の舞台となったタイ西部カンチャナブリの泰緬鉄道のクワイ川にかかる鉄橋付近に、宗教団体が巨大な観音像などの建設を始め、地元住民や環境団体などが「歴史的景観を壊す」と反発、建設差し止め訴訟を起こす構えで、景観論争が白熱化している。
この宗教施設は、バンコクの宗教団体が6月、鉄橋から約30~75メートルの距離に着工。高さ約18メートルの観音像や礼拝堂、休息所を来年1月に完成させる予定だ。
周辺住民への事前説明はなく、環境保護団体「カンチャナブリ保全グループ」のピナン・チョティロセラニ代表が「観光客の寄付目当て。歴史遺産のそばにはふさわしくない」と建設反対運動を始めた。
カンチャナブリ観光産業協会によると、建設地域は農業専用区域で、建築基準法に違反するという。これに対し、宗教団体側は「戦争犠牲者を弔うため」と建設の理由を説明、「行政当局から建築許可を得ており問題はない」と反論している。
宗教団体はまた、施設が見えないように植林する案も提示しているが、地元住民側は「信用できない」とし、対立したままだ。
地元は、橋の世界遺産登録を目指しており、同観光産業協会のスリン・ジャンピアン会長は、宗教団体と、建築を認めた行政当局を相手取り、裁判を起こす構えだ。
カンチャナブリには、戦争の記憶をしのび、年間約600万人もの観光客が訪れる。橋の撮影ポイントから見える観音像には困惑気味で、英国人女性(19)は「厳しい自然を切り開いて橋が架けられたとのイメージが崩れた」と、がっかりした様子。ピナン代表は、「戦争の悲惨さを率直に伝える歴史的な環境は、そのままの姿で維持されるべきだ」と話している。
◆泰緬鉄道=全長415キロ。旧日本軍が、英軍などの捕虜やアジア人労働者を動員し、タイ―ビルマ(現ミャンマー)間に、1942年7月~43年10月の突貫工事で建設。建設に伴う死者は7万人を超えるとされる。現在はタイ側の一部が利用されている。鉄橋は太平洋戦争中に連合国軍に爆破され、戦後かけ直された。(田原徳容)8月7日8時44分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090806-00000956-yom-int
鉄道や橋の建設には、ビルマ人に混じって
インドネシア人も参加したらしい。
当時のアジア人は日本が植民地側の
白人たちと戦っているというので非常に
協力的だったのだ。
英軍などの捕虜って
ほとんどインド人だったはず。
軍のトップだけ
イギリス人だったそうだ。
どこの宗教団体が戦場にかける橋の近くに
強大な観音像を建てようとしているのだろう。
結構、金がある宗教団体なんだな。