外国で、天皇陛下になにかあったらどうするの?
野口裕之の安全保障読本】不思議な陛下のお写真
カナダ総督邸で儀仗隊の栄誉礼を受けられた天皇陛下。後ろには加軍人が従った=7月6日(代表撮影)(写真:産経新聞)
◆日本側武官は不在
畏(おそ)れ多きことながら、誠に不思議なお写真であった。
天皇・皇后両陛下を迎えるカナダ政府の公式行事が日本時間7月6日、オタワの加総督邸で始まった。当然、加陸軍セレモニアル・ガード(儀仗(ぎじょう)隊)による天皇陛下への栄誉礼が行われた。その写真(代表撮影)は7日付本紙に掲載されたが、陛下に従う軍人が気になった。宮内庁に問い合わせると「総督府付(づき)武官」であった。加軍人だったのだ。本来、元首級の栄誉礼では、後ろに元首側国軍武官がつくのが国際慣行であるはずだ。
栄誉礼においては、儀仗兵が小銃を顔前で縦に構える「捧銃(ささげつつ)」が、指揮官により命じられる。指揮官も儀礼刀を右下段に構える。銃は撃てない、儀礼刀は斬(き)れない-と、外国賓客に証明するのだ。儀仗兵が直立不動の姿勢で並ぶ中、指揮官は儀礼刀を、この時は右肩前に縦に構え、賓客を先導する。暴徒が乱入した際には、賓客を「守護し奉る」という、意思表明なのである。
これに対し、賓客の後ろを進む武官は自国の貴人守護の一方で、自国の国軍を代表し、相手国軍に対して感謝と敬意を表す、国軍の名誉を背負う重責を担う。その位置に、自衛官ではなく加軍人が陣取ったのである。恥ずべきことではないか。もっとも、加政府には感謝こそすれ、反省すべきは加政府に迷惑をかけた、日本側の制度的欠陥と、それを放置し知らんぷりを決め込んできた日本政府にある。実のところ、加軍武官の配置は「日本側武官不在を知った加側の配慮」(宮内庁)であった。
◆遠ざけられる自衛隊
天皇陛下に武官が従わないのは毎度のことである。宮内庁によれば「皇室付武官制度、戦前で言えば侍従武官制度がなく、陛下の後ろに立つべき立場の人物がいない」ということになる。確かに「軍を保有する国には、大統領付武官や王宮府付武官が存在する」(宮内庁)。だが、待ってほしい。日本の首相が外国で栄誉礼を受ける場合は、訪問先の防衛駐在官(大使館付武官のわが国固有の呼称)が大使と同行する形をとり、付き従う。たとえ、駐在官が常駐していないカナダであっても、カバー範囲として兼任する駐米日本大使館の防衛駐在官が、この任に当たるのだ。「首相付武官」制度が存在しないのに、だ。
皇室には大使が随行し、首相を含め大臣級は大使とともに防衛駐在官の同行が、規則ではないが慣例となっている。自衛官は皇室から遠ざけられている-それが実態なのである。
例えば、王室を迎える栄誉礼でも、各国では賓客側王室とともに招待側王室が儀仗隊の前を歩くが、わが国では賓客側王室だけが指揮官に先導され巡閲する。
海上保安制度創設60周年を祝う記念式典が昨年5月、天皇・皇后両陛下のご臨席の下挙行された。天皇陛下は、戦後の機雷掃海などで殉職した保安官と遺族に弔意を表された。一方、2000人近い殉職者を数える自衛隊公式行事に、両陛下のご光臨を賜(たまわ)ったことはない。一部の将官や海外派遣自衛官が、宮中において拝謁(はいえつ)・接見を許されているにすぎない。それも、会計検査院検査官らのように、陛下により任免される認証官としてではない。
◆ご見学計画は幻に
自衛隊の装備は利用されるものの異例の形をとる。昭和天皇ご搭乗の自衛隊ヘリコプターは自衛隊飛行場ではなく、隣接の警察施設に着陸した。皇太子殿下と雅子妃殿下も阪神・淡路大震災慰問に際し自衛隊ヘリで、このときは自衛隊駐屯地に降りられたが「自衛官は目につかぬように」と「行政」から要請された。もっとも、自衛隊側は礼を失することをはばかり整列しお出迎えした。
政治による自衛隊の統制=文民統制が揺るぎなくなった今こそ、自衛官と皇室との温かなきずなが望まれる。ところが、現行法では、自衛隊に非常時における皇居警備すら許さない。
実は今上(きんじょう)陛下が皇太子殿下のとき、自衛隊見学が計画された。立案者は首相を退いた後の吉田茂氏で、信頼する小泉信三・元慶応義塾長に依頼している。小泉元塾長は皇太子殿下の教育掛であったためだが、当時は「60年安保」の渦中で結局、実現はしていない。
遠洋練習航海中の海上自衛隊練習艦隊が昨年6月、寄港地の一つ、ブラジルに入港した。折しも、日本移民100周年。自衛隊は記念パレードを先導したのみならず、ご訪問中の皇太子殿下の前を行進する栄誉に浴した。指揮官は号令を掛けた。
「頭(かしら)右!」
行進した自衛官の多くが感動に震え、国家・国民を守る使命感を新たにしたと語っている。
8月3日7時56分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090803-00000039-san-pol