チュウゴクは、野蛮で人に乱暴な国 | 日本のお姉さん

チュウゴクは、野蛮で人に乱暴な国

  2009年7月16日発行
JMM [Japan Mail Media]                No.540 Thursday Edition
■ 『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』 第154回
  「騒乱の本質」
  □ ふるまいよしこ :北京在住・フリーランスライター

「騒乱の本質」

 2週間前に調子に乗って「ささやき声の勝利」なんて書いたら、それから数日もしないうちに中国からその「ささやき声」Twitterへのアクセスが封じられてしまった。

 
 わたしはその後、前回も触れた中国版Twitterといえる「飯否」(Fan Fou)にアカウントを開き、再びTwitterとほぼ同じメンバーを自分のアカウントに登録してことなきを得た……と思ったら、7月7日夜半になってその「飯否」もアクセス禁止どころか、今度はサーバー自体をシャットダウンされてしまった。そのころにはSNSサービス「Facebook」もアクセスできないというニュースが世界に流れていた。
 
 Twitterは今だに直接ホームページにはアクセスはできないが、その他のアプリケーションを利用すれば基本的にそのサービスを利用できるようになった。しかし、それに続いてさらに気軽な情報交換の場として人気があった「豆瓣」(Dou Ban)の掲示板もシャットダウン。その時点ですでに、先月の天安門事件20周年の際に突然行われたウェブ規制に右往左往したウェブユーザーたちの多くが、そうだと口にはしな
いものの「原因はウルムチ事件だ」と理解していた。
 
 7月5日に新疆ウイグル自治区のウルムチ市で起きた事件はそうやってじわじわと、 そこに住むわけでも、直接関わりがあるわけでもない人たちのそばにも影響を与えた。

しかし、Twitterや「飯否」全体でそれについての情報がやりとりされているわけでは ないし、Facebookのアクセス禁止も、事件で亡くなったウイグル族への同情デモを呼びかけるページが設けられたことが原因だったとしても、Twitterも「飯否」もFacebookも、そして「豆瓣」でも、そのユーザーの大部分は友人との個人的なやりとりを楽しんでいるだけだ。いかに「公共安全のため」という理由であっても、そんな人たちまで「乱暴」にブロックしてしまうなんて時代錯誤もいいところ。ウェブユーザーの間では、「中国のインターネットは局部LAN」という皮肉の声も聞かれる。
 
 実はウイグル事件の背景についてさまざまな資料を読んでいるうちに、わたしの頭にたびたび浮かんだのがそんな「乱暴」という言葉だった。
 
 それは数千人が新疆ウイグル自治区の中心都市で棍棒やレンガ、手製の武器を使って破壊活動を行い、傷つけ合ったという事件だけを指すのではない。たとえば同自治区政府は死傷者数は漢人が何人、ウイグル人が何人と事細かに強調したものの、死傷者の名前は一切発表していない。しかし、同自治区で育った人、そこに家族や知人がいる人たちは当人に電話がつながるまで、そこに自分の知っている誰かが含まれているのではないかという不安に悩まされた。
 
 昨年のチベット事件でも、四川の地震でも、そしてさらに頻発する炭鉱事故でも、中国当局はいつもその被害者の数は発表するが、個人の名前を発表したことがない。
そして四川地震では、学校の崩壊で亡くなった子供の名前を記すという民間による活動が進められているが、さまざまな妨害にあっている。しかし、ウルムチ事件では政府関係者はその原因を昨年のチベット事件のように「海外の独立主張組織の扇動によるものだ」と言いながら、今回は「怒り」よりも「被害」の強調に力が入っている。
しかしその実、被害の詳細を知りたがっている人たちへの対応は上述したようにあいもかわらず十把ひとからげともいえる「乱暴」なものだった。
 
 それだけではない。現地入りした海外メディアの記者が取材地のホテルから無理やり追い出されたり、電話が通じなかったり、通信手段があまりにも足りなかったり…
…という話が伝わって来る。昨年のチベット事件を反省したのか、真っ先に海外メディアを受け入れたといわれる裏にも、やはりこういった「乱暴」な扱いが存在する。
 
 そして、この少数民族が多く暮らす遠い西域、日ごろから「民族独立」が喧伝されている地域で突然起こった血なまぐさい事件に対して、その土地の外で日ごろからそれほど関係もなく暮らしている多くの中国人から出てきた声にもそんな「乱暴」さがあった。「独立、独立とうるさいな」というのもあったし、「ウイグル人は気が荒い」というのもあった。「ウイグル人は犯罪グループだ」というのも、「貧しいからだろ」というのも、「歯には歯を、だ」というのも。一方的に鼻息荒く「少数民族の肩ばかり持つな」とも言われた。そこには日ごろからウイグル人や新疆という土地にそれぞれが持っているイメージが増幅されていた。
 
 実は中国大陸の端っこで暮らし始めて20年以上が経ったわたしにとっても、まだ足を踏み入れたことのないウイグルの土地はやはり遠くて具体的なイメージがない。
ウイグル人の友人もいない。わたしの「ウイグル」にまつわるイメージはやはり中国人が語るその姿と、ほんのいくつかの個人的な経験だけである。それはたとえば、深セン(漢字は「土」ヘンに「川」)の街角で背中の異様な振動に気づいて振り向いたとき、半分開いたわたしのバックパックから今まさに財布を抜き取ろうとしているウイグル人と目が合って驚いたことがある。そのときは相手が手を離し、事なきを得た。

 
 その数年後には北京のウイグル人村と呼ばれていた場所から人通りの少ない大通りに向かっていたとき、3人のウイグル人の子供が5メートルほど後ろをついてくるのに気がついた。いや、「ついてくる」というのは気のせいだろう、彼らも同じ方向になにか用事があるんだろう、と思い直し、そのまま歩いているうちに年長の一人がふっとわたしを通り越し、わたしの前をさえぎるように歩き始めた。

そのとき自分の疑心暗鬼を「なんかの間違いだよね、きっと」と戒める一方で、それがばかばかしい妄
想だったことを証明してあとで笑い話にしようと、さっときびすを返した。するとわたしのすぐ後ろぴったりのところに残りの二人がいて、わたしの突然の動きにびっくりした顔をして思わず立ち止まった。
 
 その彼らの間を、わたしはなにか忘れ物を取りにもと来た道を戻るかのように通り抜けた。そしてそのまま20メートルくらい歩いたところで振り返ると、3人は立ち止まってじっとわたしを見ていた……もちろん、それは笑い話には出来ない体験だった。
 
 しかし、このような経験はわたしに、ここでよく言われるように「ウイグル人には気をつけろ」ではなく、逆に「なぜ深センで、北京で、ウイグル人とだけこんな不自然な接触しかできないのだろう」という疑問を抱かせた。だからウイグル育ちの漢族ミュージシャンがウイグル族と仲良くバンドを組んだり、楽しげに彼の故郷の話を聞かせてくれるのを聞いて、自分の「こやし」にしてきたつもりだった。つまり、わたしと「ウイグル」の接点はわずかそれだけで、わたしにとってもやはりそこは遠い土地なのだ。
 
 今回のウイグル事件において、政府は否定しているものの、ウェブ上ではそのきっかけとなったのが実は6月26日未明に広東省韶関のおもちゃ工場で起こった事件に対するウイグル人の抗議だったという声が高まるにつれて、またも奇妙なものをそこに感じた。それは、「ウイグル」と「広東」、距離にして4千キロも離れたこの二つの地域がなぜ結びついたのか、そしてなぜその日、その香港出資の工場でウイグル人労働者と漢人労働者の間でしれつな殺し合いが起こったのかも。
 
 この事件自体については事件当時、メディアがトップニュースで報道したのでわたしも目にしていたし、報道をブックマークしてあった。その概要はこうだ。
 
 広東省の韶関ですでに約1万人が働く工場を持つ香港出資の「旭日玩具」社が、今年5月に新設した工場に350人あまりのウイグル人労働者を雇い入れた。同社ではその新工場のために5万人の求人を予定していたそうで、労働者たちは会社の寮で共同生活をしていた。そこで6月25日夜半、漢人とウイグル人の間でけんかが起こり、

両者入り乱れての大乱闘に発展。政府の発表によると、その結果百人以上がけがをし、

ウイグル人二人が死亡したという。当局はその後、事件の発端がインターネットに書き込まれた「ウイグル人が漢人女性に性的暴行をはたらいた」というデマであり、その書き込みをした漢人容疑者を逮捕して、事件は一応の収束を見たことになっていた。

 
 ただ事件を読み返して不思議なのはそれほどの事件がおきながら、工場側からはなんのコメントも出ていないこと。そして、なぜその工場が工場地帯の同地においても決して一般的とはいえない、4千キロも離れたウイグルから労働者を雇い入れるという方法を取り、また中国の常識から考えても決してスムーズにいくはずがないのに大量の中国人と一緒に働かせたのか。雇ったのが一人二人ではなく、これほどまでの大
規模なグループとなれば行き当たりばったりでできることではないし、すでに1万人を雇用してきた経験を持つ会社なので現地事情に疎いという理由もありえない。さらに中国では一般的にこう事件が起こった場合、社会に不安ももたらしたという理由で企業管理者がその管理責任を問われるものだが、この事件ではそういった話は流れてこない。
 
 もひとつ時節柄ひっかかったのが、それが「広東省に進出した香港の玩具メーカー」だったということだ。香港は昔から世界中に市場を持つ名だたる玩具生産基地である。もともとは香港で生産が行われていたが、中国のコスト安に目をつけてすでにほとんどの玩具メーカーが中国に工場を移して、海外輸出を行っている。しかし、昨年初めからすでに欧米の経済不況で海外からの注文が激減し、一番打撃を受けているのがそんな「広東省に進出した香港の玩具メーカー」だといわれているのである。
 
 そこに5万人の雇用者を抱える工場の新設。まだ欧米経済が本調子に戻ったわけではないこの時期の同社の拡張は、その資金の厚みを示すものだろうが、だからといって以前のように大盤振る舞いができるわけがない。輸出不振でやはり打撃を受けている広東省の政府はそんな資金力を持つ企業に当然支援の手を差し伸べただろう。そこでその「支援」の一環としてすでに賃金体系がある程度確立している漢人労働者ではなく、今まさに行政主導による労働力「輸出」を進めている新疆ウイグル自治区からの新規労働者のあっせんを行ったのではないか。
 
 新疆ウイグル自治区の労働力輸出計画は、主に最も貧しい南部地方の3地区を対象に今年は120万人を目標に進められている。かつて中国でも貧しい農村地帯だった四川省などの省から多くの農民労働者が人手の足りない都会に出稼ぎに出て、今ではその故郷への送金総額が省の予算を上回るようになった。貧しい新疆南部地方にも同じ効果を期待したことは想像に難くない。
 
 しかし、ウイグル人の出稼ぎは四川の漢人とは違う。まず就職先の土地の人々とは言葉の上でも習慣の上でも、またもちろん民族性も宗教も違う。また最初は「盲流」とまで言われて行政機関には煙たがられた個人の出稼ぎブームがいつしか既成事実化されたのと違い、行政主導の「輸出」には当然のことながらそれなりの枠が最初から課せられるはずだ。「新疆経済報」の中国語版ウイグル人記者である「海来特・尼亜孜」氏(ウイグル名不明)は、「この計画の具体的な実施はそれほど容易ではなく、ウイグル族にはまだ家を離れることに抵抗感がある」と、そのブログにこんな舞台裏を綴っている。
 
「今年3月、以前我が家で働いていた家政婦が二人の妹を連れ、突然わたしの家にやって来て、涙を浮かべて助けてほしいと言った。話を聞けば、彼らの故郷、莎車県の村長が彼女たちの父親を村政府の建物に監禁し、漢語教室に通った二人の妹をその政策目標達成のために差し出せと迫ったというのだ…(略)…わたしは村幹部がなぜこのような粗暴な方法を取るのか理解できず、怒りを感じて同県の副県長に電話をして事の次第を確認した。そしてその事情を飲み込むと頭を抱えるしかなかった…(略)
…とにかく父親を救い出すのが先だと、友人に頼んで妹たちの『就職証明』を書いてもらい、また副県長にも協力を頼んだ上で、キミは先の約束どおり内地での就職計画に参加しなさいと、彼女と上の妹を送り出した……」

(「内地における南新疆地区労働者の境遇に対する基本的な見方」2008年3月4日)

 この「海来特」氏のもとには、現在は青島で働く彼の元家政婦から、約束された賃金が払われなかったり、支払いが不安定だったり、時間外労働を強いられたりという、

労働力輸出計画を喧伝するメディア報道には出てこない実態を訴えてくると言う。もちろん、そのような労働条件の不備はウイグル人労働者に限ったことではない。残念なことだがあちこちで一般に見聞きする例である。だから、逆にこの元家政婦が置かれた状況が特殊な例ではないことは確かである。
 
 しかし、漢人の世界で漢人が受ける理不尽な扱いと、ウイグル人が受ける扱いは受ける側にとって感情的に違うはずだ。特にその出稼ぎの前提が(四川省の労働者のように)自己意思ではなく行政による狩り集めだったり、また言葉も習慣も信教も違う相手との間での出来事だったり、そして彼らの文化や風習はこの国ではもともと「少数」派の弱者に属するのである。その目的がたとえ「豊かになるため」という善意であったとしても、上述したすべてを無視してコトを貫こうとするのは、やはり「乱暴」なことだろう。
 
 これ以上書くと、とんでもなく長くなってしまいそうなので今回はここで打ち止めにするが、こうやってウイグル事件の背景を調べるうちに目にした資料には、少数民族をめぐって進められた政策の数々にはそれなりにどれにも大儀はあった。しかし、その現実の実施においてどれだけ少数民族(ウイグル族を含む)側の気持ちが汲み取られたのかは、ほとんどの資料から読み取れなかった。
 
 もちろん、「書かれていない」から存在しないと断定するつもりはない。しかし、冒頭にも書いたように今だに中国のウェブユーザー、あるいはウイグル事件に本当に心を痛めている人たちが受けている「乱暴」な扱いを見ると、当時の少数民族政策において、政策対象者にどれだけこまやかな心遣いが行われたのかは非常に疑問である。

独立という懸案問題が是か非かを問う前に、この国が本当に多民族国家を目指すなら、

そんな「乱暴」さが積もり積もった結果が一発触発の土壌を作ってきたことを真剣に
考えるべきときにきているのではないのだろうか。

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ふるまいよしこ
フリーランスライター。北九州大学外国語学部中国学科卒。1987年から香港在住。

近年は香港と北京を往復しつつ、文化、芸術、庶民生活などの角度から浮かび上がる中国社会の側面をリポートしている。著書に『香港玉手箱』(石風社)。
( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883440397/jmm05-22 )
個人サイト:( http://wanzee.seesaa.net )