【最近の社説の、ここに注目】◎世界の新聞「101紙」の視点より。
独断と偏見はご容赦!
【最近の社説の、ここに注目】
臓器移植法改正について書かれた社説を見てみる。
朝日。
『脳死移植は、それによってしか助からない人がいる一方で、提供者の死を前提とするという側面を併せもつ。』
『自らの死をどのように迎えるか、家族の死をどう受け入れるか、という一人ひとりの死生観が絡むので、人々の理解と支持なしには進まない。』
『最大の懸念は「脳死は人の死」が前提とされていることだ。』
『この「死の定義」が移植を離れて独り歩きし、終末医療の現場などに混乱を招くおそれもある。政府は法の運用にあたって、この定義が移植の場合に限られることを明確にすべきだ。』
『本人の意思をめぐる課題もある。改正法は臓器提供を拒否する権利を認めるが、拒否の意思が事後にわかるといった事態はあってはならない。提供であれ拒否であれ、意思表明の機会を広げる工夫が必要だ。』
『また、提供に同意するかどうか判断を委ねられた家族に、心理的な圧力が及ばないようにすることも大切だ。』
『子どもの移植には、大人とは違う脳死判定への配慮や、虐待を見分けることなど、大きな宿題が残っている。』
『審議を通じて、救急医療の充実や、提供者の家族のためのみとりの時間、心の支援の必要も浮かび上がった。これは厚生労働省の務めだ。』
『こうした地道な努力を重ねてこそ、移植医療は定着していく。』
東京。
『改正法というよりむしろ新法に近い。』
『総じて現行法がドナー側に軸足を置くのに対し、改正法は移植を受ける側に立つといえる。』
『臓器提供以外の医療現場で治療の中止や人工呼吸器を外すのが早まる恐れはないのか。脳死を「人の死」とすることを受け入れない国民への配慮を忘れてはならない。』
『臓器提供やそれを前提にした脳死判定は拒否できることを国民に明確に伝える必要もある。』
『救急医療の現場で脳死患者が発生したとき、医療機関は従来、意思表示をしている患者の家族だけに提供の意思を確認すれば済んだが、本人意思が不明のとき、すべての家族に確認するのか。』
『そうなると、過大な負担を負わすことになり、救急医療の崩壊に拍車をかけることが懸念される。』
『今国会では脳死ドナーをいかに増やすかに焦点が当てられ、わが国で多数行われている肝臓などの生体移植についての法的規制はほとんど審議されなかった。』
『生きているドナーを守る観点から、ドナーの要件を脳死移植並みに法で厳格に定めることが求められる。』
日経。
『特に子どもの患者は事実上、渡航移植しか道がなかった。渡航先の国からは「自国民の手術の機会を日本人が奪っている」と厳しい目を向けられている。』
『世界保健機関(WHO)は来年5月にも渡航移植の自粛を求める新指針を決議するとされる。国内での臓器提供を増やし渡航移植をなくしていく改正だ
といえる。』
『個人の死生観の違いを尊重する考え方は現行法と変わらない。』
『改正を踏まえ移植医療を着実に普及させるには、脳死者の家族と移植を待つ側とを仲立ちする「移植コーディネーター」の育成・増強が欠かせない。』
『臓器提供は家族が心からの善意で承諾すべきもので、万が一にも医師などからの強要や圧力があってはならない。』
『亡くなっていく人を家族がみとる十分な時間が必要だとの指摘も法案審議の中で出た。臓器提供を承諾した家族が納得し、後悔をしない医療でないと長続きはしない。』
『また救急医療は救命に全力を尽くすことが大前提だが、不幸にも脳死者が出た場合、移植医療に協力できるような体制が病院にできているかといえば、まだ十分ではない。約1年後の施行までの課題は多い。』
『法案審議の過程で脳死臓器移植への関心が高まった。移植を定着させるのに必要な体制作りをめぐる議論を深めたい。』
毎日。
『人の死の定義を変えるだけではない。脳死と判定された場合に、臓器を提供するかどうかに本人の同意が不要となる。本人が望めば親族に優先的に臓器を提供することさえ可能となる。』
『成立した改正臓器移植法(A案)は、現行法とは理念が大きく異なる。』
『人の命にかかわる法律として、拙速との印象がぬぐえない。衆院の解散時期をにらみ、理念よりも「廃案阻止」に動いたのだとすれば、無責任な態度との批判を免れない。』
『脳死状態となった15歳未満の子供からの臓器摘出について、(中略)「病気の子供を助けたい」という点では、人々の気持ちには沿っている。』
『ただ、脳死移植の場合は「臓器摘出される子供」にも配慮がいる。子供の脳死判定は大人に比べ難しいといわれる。判定基準をどうするか。』
『大人でも子供でも、提供者側の支援の確保や、同意できる家族の範囲も今後の課題だ。臓器提供を前提としない場合、脳死判定で治療が打ち切られないかといった点も、改めて整理しておく必要がある。』
『「親族優先」は、移植の公平性を損なうだけでなく、倫理的に問題のある移植を誘発する恐れさえあり、抜本的な再検討が欠かせない。』
『WHOは生体移植や細胞・組織移植まで視野に入れており、法律に生体移植の規定を盛り込むことも検討課題だ。』
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参議院本会議で、改正臓器移植法(A案)が可決・成立した。
解散・総選挙も重要な話題だろうが、こちらも「人の死」に関わることである。
政権争いの陰に隠れてしまうことがあってはならないものと思う。
日経紙が、
『個人の死生観の違いを尊重する考え方は現行法と変わらない』
と、しているのに対し、
東京紙が、
『改正法というよりむしろ新法に近い』
毎日紙が、
『現行法とは理念が大きく異なる』
と、しているのは興味深い。
朝日紙の、
『最大の懸念は「脳死は人の死」が前提とされていることだ』
『この「死の定義」が移植を離れて独り歩きし、終末医療の現場などに混乱を招くおそれもある』
『政府は法の運用にあたって、この定義が移植の場合に限られることを明確にすべきだ』
は、重要な視点だと考える。
(桐鳳)
【編集後記】
アンドレ・ジイドの言葉に、
『真実を探している者を信じよ。真実を見つけた者は疑え。』
というものがあります。
私には、
「恐らく死ぬまで『真実』などには辿り付けないのかも…」
との思いが、ずっとあります。
「真実」を探し探して彷徨(さまよ)い歩いているような私にとって、とても勇気付けられる言葉です。
また、「これが真実で~す」とカンタンに言えてしまう人たちに、「何か違う…?」という違和感を覚えていた私にとって、共感を得られる言葉でもありました。
「真実を見つけた」と言える人には、なぜそれが「絶対的な真実」だとの確証が持てるのか、私には解らない。
「オマエのアタマが悪いからだろ?」と言われれば、それまでなのですが。
だから、もしかしたら私には、これからも
「私はこう思う」「私はこう考える」
「今現在の時点で判断すれば、こういうことじゃないのだろうか」
…こんなことしか言い続けられないかもしれません。
もし冒頭の言葉が「真実」だとしたならば、「そうやって彷徨い歩き、考え続けている自分を信じよう」
ということにもなるかと思うのですが。
(桐鳳)
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信じるということについて
日本のお姉さんの意見。↓
「証拠がない真実」は、ウソか作り話に決まっている。
みんな証拠も無しにいろんなことを信じすぎる。
素直であることは、いいことではないのだ。
充分に疑ってから、証拠があれば信じたらいいと思う。
神さまがいるかいないかは、この世界が創造主無しに
偶然にできることを信じるか、
そうではなくて、人間のような意志と知恵と想像力を
持った存在がこの世界を創られたことを
信じるか、どちらか。
でも、日本人は学校で習ったことを素直に信じる。
そのクセ幽霊やオバケや占いや霊媒やオカルトも
実際に見たらすぐに信じる。神さまがいるのだから
悪魔や悪の霊がいるのは、当然なのに、神さまは
信じないで悪の霊だけ信じる。
話は変わって、チュウゴク大陸であった戦争に関することだが、
過去にあったこと、なかったことは、
記録として残っているものをたくさん集めて
その結果から判断するしかない。信頼できる記録がたくさん
残っているなら、そこから事実はどうだったのか
判断できるのだと思う。
チュウゴク人は、ウソも100回言い続けたら真実になると
いう考え方で、実際に殺人の現場を見られても
「やってない。」と言い続ける民族だし、
征服した者がウソの歴史書を描くのは
チュウゴク大陸では当たり前なので
チュウゴク人は、チュウゴク大陸で残っている歴史書も
信じない。でも、共産党軍が日本軍と戦ったというウソは
信じている。日本はチュウゴクで、残虐なことをしたと
いい続けているが、それだったら、なぜ、満州に漢人が
ぞくぞく、やってきて住み着いたのか理由が分からない。
日本軍がいたところは、チュウゴク大陸のどこよりも
安心して住めて、よりよい生き方ができる場所だったからだ。
チュウゴク人は、南京で、日本軍が大勢、無垢の民を
虐殺したことになっているが、実際は、一般市民を殺して
衣服を奪って、安全な保護区に隠れていたゲリラが
殺されただけで、中には、ゲリラに交じって殺された
不幸な人もいたというだけで、戦争の被害者の数は、
チュウゴク人が言っているような数ではないし、
数字も理由なくどんどん増えている。チュウゴク人は
正確な数字などどうでもよくて、日本をにくませ
共産党の言いなりになるために、チュウゴク人を
教育している。特に日本が嫌いではない留学生でも
日本の天皇が大嫌いだと言うし、日本がチュウゴクを
侵略したと憎しみをこめて言う。その前にイギリスや
フランスに侵略されてほぼ植民地化されていたことを
何も言わないで、日本だけ目の敵にしている。
戦後、日本に職を求めてなだれ込んできた朝鮮半島人も
日本が戦争の雑役のために大勢、朝鮮半島から
連れてきたという。実際は、連れてこられた人はほぼ
全員、朝鮮に帰っている。帰ったものの、やっぱり仕事が
なくて、戻ってきた人もいる。それでも、「連れてこられた」と
憎々しげな表情で言うが、実は、ほぼ全員、自ら
日本に入ってきたというのが事実。
歴史は作っていくものだと在日朝鮮半島人は
平気で言っている。
でも、昔は、朝鮮人は、大日本帝国の日本人だったし、
戦争ではいのちをかけて一緒に戦ってくれた者もいたので
勝手に日本に入ってきても、そんなにむげには
できないという過去があったので、今でも日本は
在日朝鮮半島人には弱いのだと思う。
そんな朝鮮半島人も、パチンコ、ヤクザ、芸能、金貸し、
洋装店、菓子製造、郊外型巨大ショッピングモール、
新興宗教、携帯電話会社など、いろんな分野で日本で成功し、
テレビや、新聞をとりこんで日本人を洗脳する側に
まわっている。政界にも議員を多数送り込んで、
公明党は、朝鮮半島系の宗教の団体だし、
社民党は、全員、元在日朝鮮半島人だし、
民主党の元党首は、先祖は朝鮮半島の人で、今の党首は
チュウゴクの団体から金をもらっている。民主党は
朝鮮半島とチュグオクに甘い党だ。
自民党の中にも創価学会員がいる。
テレビをつけると、ニュースキャスターや
出てくるコメンテーターが麻生首相の悪口ばかり言うが、
麻生首相は景気回復を第一だと考えて、
対策を一生懸命練っているのに、いったい何が気に入ら
ないのか。
チュウゴクに甘い福田元首相の時は、何もバッシング
しないで妙にテレビ、新聞は沈黙していた。
日本の法律をチュウゴク、韓国の都合よく、どんどん変え
られてたまるものかと思うが、見ていると野党は
なんだか、外国人が楽して日本で繁殖できるような
法律には積極的だが、日本を外国の侵略から守るような
法案には出てこないなど、
内側から日本が在日朝鮮人系の議員たちによって
変えられていっているような
気がしてならない。
最近みたニュースでは、ある女の子が、大勢の男の子に
囲まれて集団でレイプされたと警察に訴えたが、
あとから、「あれはウソです。その日は
付き合っていたオジサンと会っていたので、
それがばれると恐いのでウソをついてました。
別の日にレイプされました。」と言ったそうだ。
それでも、最初に逮捕された男の子たちは
そのまま有罪になったそうだ。
裁判官、その他は、女の子の言うことを信じた。
男の子たちは、後から変更された日には、ちゃんとアリバイが
あって、集団レイプなど最初からしていないと言っている。
警察で脅されて「しました。」と言わされたそうだ。
元裁判官の女性はインタビューで、
「犯罪者は、刑務所に入ってからも、無実だと言うものです。」
と答えたいた。女の子が言ったことをそのまま信じるのも、
男の子が自白したことをそのまま信じるのも、
おかしくて、証拠を見て裁いてほしいと思った。
アリバイがあるなら、その日は逮捕された3人は
レイプした集団の中にはいなかったということではないか。
レイプされたというのも自分から男の子の集団に入って
いったと女の子は後から言っていたし、女の子が言って
いるのが事実だとしても、
犯人は、別にいるんじゃないですか。
警察に犯人だと思われて逮捕されたら、もし、
やってなかったら、どんなにおどされても
「やった。」と言ってはいけないということです。
「やった。」と言った瞬間、警察は、その言葉だけ信じるのです。
ちなみに、チュウゴク人は、犯行現場を見られていても、
「やっていない。」と言い張ります。