ヒムナルズ by日本のお姉さん
ときどき、
自分はいろんな物に支配されていると感じるのです。
時間は、わたしを容赦なく若い女性から
中年女性へと移行させていくし、活性酸素漬けの身体は
車で言うなら活力に満ちた新車の時代をとうに過ぎて、
故障した車をなんとか騙し騙し使っているような感じ。
日本社会とは、なんとか折り合いをつけて今日まで来ている
けど、女性だというだけで生まれた時から
サラリーマンとして生きるのはハンデがありすぎ。
女性だから、毎日同じような簡単な仕事を任せられて、
給料は男性の6割。昇給しても主任まで。クビになったら、
再就職は難しそう。芸術家や技術者として生きるには、
才能が足りない。誰かさんの奥さんになって、子供を育てると
いう、ささやかな夢もなぜか、実現せず。
重力に逆らうこともできず、高いところから落ちたら痛い目に
あうし、口の横にはほうれい線も出てくる。
世の中のお金のシステムをうまく使いこなせず、
手元に残らない物ばかり衝動的に買って、病気の飼い猫の
治療費ばかり払っている。
今まで、した身体に悪いことや、しなかった身体に良いこと。
今まで読んだ悪い本や目にした悪い影像、今まで出会った
悪い人や嫌な目にあったこと、
今までするべきだったのにしなかった勉強や良い行い。
今まで会ったいい人やいい言葉。
それらが、全てわたしを支配していると感じる。
わたしは、影響されたくなかった悪いことや
影響されたかった良いことなどを、上手く区別して、
自分を形成することができているのだろうか?
わたしに必要なきれいな空気やおいしい水、
わたしに必要な食べ物やちょっとした娯楽。そして
わたしに必要な愛のある家族と友人たち。
わたしに必要な仕事と生きるために必要なお金。
わたしに必要な静かな時間と身体を動かす時間。
わたしに必要な健康な身体と頭脳と目と耳と口。
そして、必要であっても、
選べるものと選べないものがあるという現実。
わたしは、それらに折り合いをつけて、
なりたい自分になれているのだろうか?
わたしは、だらしない自分に支配されて、だらだらと
生きてきただけなのか?それとも、自分よりも大切な
崇高な何かを目指して、地球や人類のために
何か役に立つことをしてきたのだろうか?
ときどき、
自分はあまりにも小さく弱い存在だと思うのです。
神さまを信じているのに、いろんな辛いことが起るし、
病気にもなるし、愛の無い家庭に生まれて悲しいことが
たくさんあったし、周りの友人だって、同じように
いろんな問題に直面している。
悪いことをしたから罰が当たったんだとか、
自業自得だとか、悪い人は悲しんでいる人の上に
さらに悪い言葉を投げかけてくる。
それでも、神さまは、信じる人の心の側にいて、
神さまを頼る想いを与えてくださる。
そして、祈りの言葉を与えてくださる。
それは、人だけが持っている不思議な想い。
神さまを信じて生きる想いこそ、人が神さまに
創られた特別な存在だという証拠ではないかと思う。
全てが順調な人でも神さまに感謝することができる。
悩みがある人は、神さまに祈ることができる。
質問がある人は、神さまにたずねることができる。
神さまは答えを見つけ出せるようにしてくださる。
生きている間に人間ができる最高の仕事は、
とるに足らない者が神さまの栄光を現すこと。
天国にはとうてい行けないような
心に罪を隠している人が、
素直な心で神さまの前に赦しを願う時、神さまは
人を見下げたりはなさらない。神さまへの
最高のささげ物は、砕かれた悔いた魂(たましい)だから。
神さまに罪を赦された者は、平安な心で死を迎えるだろう。
時が来て、神さまの元に帰るとき、
きっと神さまはわたしにも言ってくださるだろう。
よくやった。小さい日本のお姉さん。
あなたには才能は少ししか与えていなかったけれど、
そんなわずかなものにも忠実に、
十分、よくやったと言って褒めてくださるだろう。
その時、わたしは、わたしの弱さも、嫌な経験も、
神さまの栄光を現すために必要な道具だったことを知るのだろう。
世界を創り、人を創り、
人を裁き人を愛される神さまは、信じる者を救うために
神さまの右の座に座るひとり子をこの世に遣わされた。
罪の無い神のひとり子の仕事は、大勢の人の前で
罪人のように裁かれて、人の身代わりに死んで
三日目によみがえることだった。
神さまのひとり子は、
わたしのために、
十字架の上で苦しまれたのだ。
わたしが、自分の罪のせいで、地獄に行かないように、
天国に行く者として生きるように、
地獄の苦しみを代わりに受けてくださったのだ。
だから、神さまを信じたわたしが生きていることは、
それだけで神さまの栄光を現すことだから、
ただ、救われた者として
天国に行く者にふさわしく生きたいものだと思うのです。
神さまに対する愛と感謝に自分が支配されていたら、
自分のいい加減さにも支配されず、他人の的外れな
忠告やあざけりや汚れた考えにも支配されることはない。
この世の法律や規則よりも、、さらに正しく完璧な神さまの
聖さとお恵みに支配されていたら、
神さまがどんな方なのか、自然に表現できるのだと
わたしは信じているのです。
神さまが、わたしを愛しているように、あなたを愛している
ことを伝えたいと思っているのです。