「頂門の一針」感染症第2波想定対策の全貌(下)石岡 荘十 | 日本のお姉さん

「頂門の一針」感染症第2波想定対策の全貌(下)石岡 荘十

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木戸・元主筆の回想録に拍手
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          岩見 隆夫

『毎日新聞』で社会部長、編集局長、主筆を歴任した木戸湊さんが、『記者たちよ ハンターになれ!』(新風書房)というタイトルの回想録を先日、出版した。表紙は緑の草原を獲物を狙って疾駆するチーター
の写真をあしらっている。

木戸さんの40年間の記者生活で残ったスクラップ帳が100冊余りになったそうで、それを繰りながら拾い上げた11のエピソードをつづったものだという。末の娘さんにパソコンで清書してもらったら、

「お父さん、自慢話が多いわね」とチクリとやられて頭をかいた、と〈まえがき〉にあった。

だが、私は読み進みながら、何度となく胸にぐっとくるものがあった。
エピソードなんて軽い読み物ではない。重たい記者ドラマばかりだった。
木戸さんは私より少し若い同僚記者だから、よく知っている。熱血漢で筋を通す非妥協的な人柄にも、ある時期、接した。

しかし、11の秘話はどれも初耳だった。ああ、そんなことがあったのか、と驚き、心揺さぶられながら読ませてもらった。うらやましくもあった。
正直、記者魂の差を感じる。

昔、駆け出しのころ、NHKテレビに『事件記者』(1958-66年)という人気番組があった。推理作家の島田一男さんが戦前の記者経験をもとにシナリオを書いたとかで、私も欠かさず見た覚えがある。

だが、木戸さんが書いた実話は、迫真力において『事件記者』のストーリーを超える。フィクションはフィクションでしかない。

どれを紹介しようか、迷ったあげく、第七章の、〈「守秘」VS「報道の自由」-梅川事件の舞台裏〉にした。その理由はおいおいわかる。

30年前の1979年1月26日に発生した梅川事件のおぞましさを、記憶にとどめている中高年の人は少なくないはずだ。目をおおう、とはこの事件のことだった。

木戸さんの手記によると、犯人の梅川昭美(当時30歳)は大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店に猟銃をひっさげて乱入し、

「いまから十数えるうちに五千万円を出せ」とわめきながら、まず110番していた行員を射殺、数分後に駆けつけた住吉署の警官2人を射殺した。

さらに、「支店長はどいつや?」

と怒鳴り、名乗り出た支店長を至近距離から射殺、以後もカッとするたびに猟銃を乱射しながら、血まみれでうめく行員の耳を同僚に切り取らせたり、支店長席に陣取った自分の回りに素っ裸にした女子行員らを座らせて〈人間バリケード〉を築いた。また、射殺した4遺体に舌打ちしながら、

「寒いからあいつらに灯油をかけてタキ火にしろ」などとうそぶき、客、行員ら約 40人を人質に立てこもったのだ。

以上が犯罪史上もっとも凶悪とされた事件の概略、信じがたい地獄絵というほかない。木戸さんは大阪府警詰めのキャップだった。

◇自由で民主的な社会を保つ 真実に迫ろうとする記者たち
42時間後、特殊部隊が突入して梅川を射殺、事件は解決した。話はこのあとである。

解決から4日後の2月1日付『毎日新聞』朝刊に3枚の写真が掲載された。1面トップはチロルハットにサングラス、猟銃を抱えて支店長席にふんぞり返る梅川、社会面には机に正座させられうなだれる人質たち、血のりがべったり床に広がる梅川の射殺跡、震えるほどの決定的スクープ写真だった。

だが、この瞬間から『毎日新聞』と大阪府警のきわどい攻防が始まる。
写真を府警から極秘に入手した記者たちの活躍は省略するが、警察庁と府警の首脳陣は写真流出に激怒し、地方公務員の守秘義務違反の共犯(そそのかし)で『毎日新聞』を徹底捜査する方針を固めたのだ。

「身内から犠牲者が出てもやむを得ない。まず『毎日新聞』をやっつけろ」となった。

木戸キャップはあわてる。接写した写真とフィルム、克明に記された記者たちの夜回り帳をバッグに入れて、国鉄(当時)大阪駅のコインロッカーに隠し、そのカギを五キロ離れた南海電鉄難波駅のコインロッカーに入れ、難波駅のカギはなじみのバーのママに、

「黙って1カ月……」と頼み込んで預けた。以後、タクシーで両ロッカーに100円玉を入れて回るのが木戸さんの日課になった。

一方で吉田府警本部長を毎晩訪ね、「あの手この手でネタ元に迫るのが新聞記者のサガです。なぜなら、真相を知りたい数百万の読者がいるから」などと説得したが、本部長は沈黙したままだ。攻防戦は10日続き、終わった。

「情報合戦でわれわれは負けたんだ。本日をもってこの件は打ち止め。新聞記者とは、かくありたいものだな」と本部長が幹部会議でつぶやいたという情報が入る。虎口を脱した木戸さんたちはその深夜、おでん屋で祝杯をあげ、写真を入手した記者は本部長発言を知って涙ぐんだ。

後日談がある。いずれは警視総監、といわれた吉田さんはまもなく勇退、木戸さんは得点より失点にウエートを置くお役所人事に憤りを覚える一方、吉田さんへの申し訳なさがつきまとったそうだ。

のちに、吉田さんから手紙をもらった。

〈……スクープ写真には度肝を抜かれましたが、貴方にも私にとっても一生の思い出となりましたね……現職中のことは多くを語らずが信条です。今後とも大阪府警に変わりないご支援を〉-。

実は、いちばん紹介したかったのは第1章〈「人の情け」が身にしみた名誉毀損事件〉だった。記者3年目に遭遇した痛快な特ダネ始末記である。それを割愛したのは、梅川事件にみる記者根性を多くの人に知ってほしかった。

新聞の斜陽が言われる。だが、真実に迫ろうとする記者たちの黙々の日々がなければ、自由で民主的な社会は保てない。その断面を赤裸々に書き残してくださった木戸さんの出版に拍手だ。(サンデー毎日)


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感染症第2波想定対策の全貌(下)
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            石岡 荘十

秋口とも予想される新型インフルエンザ第2波の襲来を、厚労省はどのように迎え撃つつもりなのか。本メルマガ前号で、その概要を紹介したが、今回は既述の対策を導き出した感染症の前提をどのように設定しているのか。資料に添付された、A4、3枚のデータを解析する。

1枚目の資料は、

「季節性インフルエンザの流行動態に基づく新型インフルエンザ第2波発生の想定」(作成日付 2009年6月9日)

まず、2004/5年の季節性インフルエンザの流行についてである。4期に分けている。

<第1期> 2004年9月中旬~
はじめ患者数(推定)は週間、数十人から、数百人で推移していた。

<第2期> 10月中旬~
患者の集団規模(専門用語では「クラスター」という)が大きくなり、
重症報告が入る。

<第3期> 11月末~
全国規模で集団感染。患者数1万人超。死亡例が週間、数十例の報告。全体像の把握が困難に成る。

<第4期> 2005年1月~
1週間の患者数は3万8000人から、中旬には15万人を超えた。パンデミック(大規模感染)と判断。4月に入って急激に小康状態に入った。

この結果、このシーズンの患者の総数は、東京都の人口をはるかに超える、じつに1770万人にのぼった、と推定される。このインフルエンザ関連で死亡した人は、肺炎を併発した人も含めると、軽く1万人を超えている。

新型インフルエンザの毒性が季節性インフルエンザと同じ程度と言っても、バカにはできないのである。

そこで、仮に第2波がこれまでのような経過をたどると想定し、米CDC(防疫管理センター)のシミュレーション方法を使って、2枚目の資料で推定を試みている。

第2波でウイルスが変異し、毒性が強くなっている場合も考え、毒性が軽度、中等度、重度の3つのケースを想定したものだ。想像以上の衝撃的な数字を示している。

2枚目の資料。
「第2波における被害想定と医療体制」

≪軽度の場合≫(新型インフルエンザの米国での被害レベル)致死率0.15%。感染者:3200万人、死亡者:5万人

≪中等度の場合≫(アジア風邪での日本の被害のレベル)致死率0.53%。感染者:3200万人、死亡者:17万人

≪重度の場合≫(スペイン風邪での日本のレベル) 致死率2.0%。感染者3200万人、死亡者64万人

3枚目の資料。
そのとき国は何をしてくれるのか。

対応策、と言っても基本的な考え方を、一覧表にしたものだ。

「軽度」の場合でも、患者の数が少ない段階では、なんとか対応しようと、医療機関や保健所、地方自治体に対し「報告」を求める文言が目立つ。が、患者が“爆発的”増えてくると、

・調査:実施しない

・確定者の入院措置:実施しない
・自治体による発熱外来:原則実施しない
などなど---。

それだけではない。他の病気で入院している患者の手術、入院の延期などについても、「事前に調整する」「延期を検討する」---。

軽度でこれだ。まして、中等度、重度となると、「対応できる限り実施」。つまり何もできない、と告白。

要するに、全体として何もできない、お手上げなのだ。いまからドロナワで用意をしても、何の役にも立たないことを自ら認めているのである。

新型インフルエンザは若い人の感染が目立った。高齢者は、科学的な証明はできていないが、長年の人生の中で獲得した免疫性があるからだという説もあると聞く。

しかし、これまでの季節性インフルエンザでは感染から肺炎を併発して死亡する割合が、6割とも7割とも推定されている。

予想される第2波の襲来時期は、早ければ総選挙直前か、遅くとも直後となるだろう。郵政の人事だの、解散日程だの、政局だの、民主が優勢だって?小さい、小さい---。

いずれにしても、新政権はこの問題で追及され、短命に終わることになるかもしれない。

どう変わっても、国民の命を守ることのできない国に私たちは住んでいるのである。20090610


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中国の絶望的農業
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        平井 修一

日経ネットにすさまじい記事が掲載されていた。

『農民も土も水も悲惨な中国農業』(朝日新書)を上梓した愛知大学の高橋五郎教授へのインタビュー「ニュースを斬る 悲鳴を上げる中国農業 ある教授が農村で目にした“悲惨な病理”」だ。

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2009051500679cs

http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2009060900867cs&p=1

中国農業が悲鳴を上げている。土と水の汚染、担い手である農民の疲弊は、国内消費量の20%に当たる野菜を中国からの輸入に頼る日本にとって他人事(ひとごと)ではない。

徹底した農村調査で中国農業の病理を浮き彫りにしている。現地の農民と語り、土や水に触れる異色の学者に中国農業の現状を聞いた」

中共という巨大な地主が環境を壊し、農業を壊し、農民を壊し、農村を壊している。下からの農民の組織化を恐れる中共は農協のような組織も許さない。

農村には集会場さえないから篤農家が技術を伝えるには一対一で伝えるしかないという、絶望的な状況だ。読んでいてこちらまでが気が滅入ってしまった。

中共にお引取りを願わないと、棄民化した農民の暴動はますます激しくなるだろう。改めて穏やかな瑞穂の国に生まれたことを感謝した。


昔、日本には「篤農家」という言葉があった。「実践的な農業技術・農業経営を研究し、各地での農業指導により先進的農法の普及に貢献した農業経営者・農民」だ。

二宮尊徳はその一人で、江戸時代後期に農村復興政策を指導した。試行錯誤、手探りをしながら技術を開発していったが、「輪作」も彼ら篤農家の成果だ。

<輪作: 同一耕地に一定年限をおいて異なる種類の作物を交代に繰り返し栽培すること。地力の低下や病虫害の発生を防ぐ効果がある。⇔連作>(ウィキ)

輪作はヨーロッパ農業に革命をもたらした。11世紀から13世紀のことである。冬畑、夏畑、休閑地に分け、翌年には冬畑が夏畑に、夏畑が休閑地に、休閑地が冬畑になった。休閑地には家畜が放牧され、糞尿によって地味の回復が図られた、と堺憲一・東京経済大学教授が記している。

ヨーロッパ式輪作を3圃制度というが、小麦の播種量に対する収穫量は5~8倍、19世紀のはじめでも12倍ほどだった。

ところが我が国では徳川時代すでに米の収穫量は30~40倍もあった。現在では120~130倍で、肥沃なフランスの麦作でもせいぜい20倍という。

「米という字は八十八と書く、それほど手間がかかっているのだから、ご飯粒を残してはいけないよ、お百姓さんに申し訳ない」と小生は子供の頃に教えられたものだ。

日本の農業は徹底して手間隙をかけたからこそ生産性が上がったのだ。
瑞穂の国で、養分に富んだ水に恵まれたこともあって米の連作も可能である。

このために同じ収穫を得るためにフランスでは日本の10倍の農地を必要としている! 日本はトランジスタ農業、ハイテク農業で、もはや「園芸」の域だという。

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「福無量」「新政」「立山」
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             古澤 襄

生まれて初めて味わった酒の銘柄は「福無量」と言った。信州・上田の古酒である。これには曰くがある。敗戦直後のことだから母の実家でも蔵でひそかに”どふろく”を樽で作っていた。密造酒という奴である。1歳上の従姉と蔵に行った時に”どぶろく”を見つけた。

それ以来、蔵でほんのちょっぴりだが、”どぶろく”の盗み酒を覚えた。旧制中学の2年生の頃。それを従姉の父親、私にとって大伯父に当たる人に見つかってしまった。東京外語のロシア語学科を出た大伯父は、田舎の商家には珍しい粋な男だった。

夜の晩酌で大伯父の前に座らされ「まあ、飲んでみろ」と盃を出された。
「これはな、上田の幻の酒で滅多に入らない福無量だ」という。叱られるとばかり思っていたのだから、緊張のあまり酒の味など分かる筈がない。密造酒の”どぶろく”の酸っぱい味とは違うといった程度のことは分かった。

「男なら間もなく、元服の歳になるのだから、酒を飲むなとは言わない。だが、飲むなら福無量の様ないい酒を飲め」こういう叱り方をする人であった。

大学を出て就職し、初任地は東北の仙台であった。仙台で飲んだ酒は「新政(あらまさ)」、秋田の酒である。新政を飲みながら、上田の大伯父や1歳上の従姉のことを思い出す日々が続いた。大伯父と福無量の酒が重なり合った。上田を離れてから福無量を口にしたことがない。

39歳で富山支局長に出た。東京の生活に飽き飽きしていたので、田舎の生活は見るもの、聞くものが新鮮だった。地元紙の幹部とは仲良くなり、毎晩の様に酒を飲んだ。新政とはひと味違う北陸の酒だが、透明感があっていくらでも飲めた。「立山」という銘柄だった。

大酒飲みで気の合った尾島の英ちゃんという編集局長氏は、肴のことや酒に詳しい。「飲むなら立山の2級酒だ」と教えてくれた。魚津出身で、かなりの富山弁なので「オヤジは漁師なの」と聞いたことがある。

「まあ、そんなものだ」と言うので深くは聞き質さなかった。後に分かったのだが、オヤジ殿は早稲田の文学部英文学科の名物教授だった。迂闊なことを言うものではない。

最初に戻るが、信州・上田の福無量を注文販売で取り寄せようと思っている。西上田の沓掛酒造の酒だが、大伯父が言った様に元禄年間の創業。もっとも従妹は上田市丸子町の酒蔵に嫁している。いざ注文となると迷いが出る。梅雨が明けたらお忍びで福無量を飲みにいくことになりそうである。


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清水みのると城内みのる
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         渡部 亮次郎

清水みのる(本名:清水實、1903年(明治36年)9月11日―1979年(昭和54年)12月10日)は、日本の作詞家。静岡県浜名郡伊佐見村(現在は浜松市西区伊左地町)生まれ。

昭和初期~中期に活躍し、特に作曲家の倉若晴生、歌手の田端義夫(バタヤン)とのトリオで、『かえり船』、『別れ船』等の数々のヒット曲を世に送り出した。

1939年、出征し陸軍に入隊。母校の浜松市立伊佐見小学校には功績を記念した「清水みのるの部屋」が、浜松市西区伊左地町には「森の水車(作詞 清水みのる / 作曲 米山正夫)」を記念した森の水車公園がある。

「森の水車」

作詩 清水みのる  作曲 米山正夫 唄 高峰秀子 昭和17年

1 緑の森の彼方から 陽気な歌が聞えます
  あれは水車のまわる音 耳をすましてお聞きなさい
  コトコト コットン コトコト コットン
 ファミレドシドレミファ コトコト コットン
 コトコト コットン 仕事にはげみましょう
 コトコト コットン コトコト コットン
 いつの日か 楽しい春がやって来る(2,3番省略)

ファミレドシドレミファ は禁止外国語だというので発売禁止。

戦後、NHK専属歌手荒井恵子が唄って復活した。恵子は昭和23年の第2回NHKのど自慢全国大会で「南の花嫁さん」(高峰三枝子の歌で知られている曲)を歌い優勝。

NHK専属となり、人気ラジオ番組「陽気な喫茶店」などの出演で人気を取った。ラジオ歌謡も多数歌っており、「森の水車」(後に並木路子がシングル発売)などをヒットさせている。NHK専属であった関係上、レコード会社の吹き込みは殆ど無い。

1960年に結婚し、ほどなく引退。昭和40年代前半~昭和50年代前半の懐メロブームの際には何度か「思い出のメロディー」などに出演し美声を披露したこともあったが、現在は表舞台に出る事は無く、市井の人として生活している。並木路子のレコードだけが残っている。

NHKでも深夜便のアンカー宇田川清江は「こんな良い歌なんで発売禁止になったんでしょうね」70すぎにして能天気な放送をしている。清水の作品として有名なのは以下。

『島の船唄』(昭和14年5月)[倉若晴生作曲、歌:田端義夫]
『出船の唄』(昭和14年8月)[倉若晴生作曲、歌:北廉太郎]
『別れ船』(昭和15年6月)[倉若晴生作曲、歌:田端義夫]
『森の水車』(昭和16年8月)[米山正夫作曲、歌:高峰秀子]
『マレーの虎』(昭和17年6月)[飯田景応作曲、歌:上原敏]
『かえり船』(昭和21年11月)[倉若晴生作曲、歌:田端義夫]

清水、倉若、田端は「船3羽鴉」と歌われた。

『星の流れに』(昭和22年12月)[利根一郎作曲、歌:菊池章子]

初めに唄うよう頼まれたブルースの女王淡谷(あわや)のり子は
「いやよ」と峻拒。菊池が大ヒットさせ、持ち歌にした。

『母紅梅の唄』(昭和24年1月)[利根一郎作曲、歌:菊池章子]
『かよい船』(昭和24年6月)[倉若晴生作曲、歌:田端義夫]
『憧れの住む町』(昭和25年6月)[平川浪滝作曲、歌:菅原都々子]
『ふるさとの燈台』(昭和28年7月)[長津義司作曲、歌:田端義夫]
この唄は後に若原一郎もカバーした。

作曲の長津義司は後に三波晴夫を売り出した

『月がとっても青いから』(昭和30年5月)[陸奥明作曲、歌:菅原都々子]。

菅原都々子は一時、作曲言え古賀政男に子どもがなかったので養女になったが、歌手としては芽がでなかった。ところが縁組を解き、実父陸奥の作曲、清水作詞になるこの唄を出したところ、メロディーがそれまでと違って明るかったので大ヒット。人気歌手の仲間入りをした。いまも活躍中。

『雪の渡り鳥』(昭和32年11月)[陸奥明作曲、歌:三波春夫]
『想い出』(昭和31年8月)[寺部頼幸作曲、歌:石原裕次郎]

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「城内(きうち)みのるのとことん信念ブログ」2008-07-12 22:27 by
城内 実

<以前もこのブログで浜松市伊左地町出身(旧浜名郡伊佐見村)で戦前戦後を通じて一世を風靡した天才作詞家清水みのる先生についてとりあげた。

私が中でも好きな歌は、昭和17年6月ポリドールレコードから発売された『森の水車』である。当時天才子役から女優になりかけていた若かりし高峰秀子さん(愛称「デコ」ちゃん)が歌っている。

このような明るい曲が戦争が始まってから約半年後に発表されているのは特筆に値する。戦後の並木路子さんの日本コロムビア盤の『森の水車』も結構珍しいが、関西にいる城内実のSPレコードのK師匠によると「なんぼでもある」とのこと。

が、戦中の高峰秀子さん吹き込みの『森の水車』は本当の幻の盤で、この道何十年のベテランのSPレコードコレクターですら見たことがないという人が多い。現在国内で数枚程度しか確認されていないのではないか。

当時の「ポリドールレコード」改め戦中の「大東亜レコード」の盤の材質は極めて悪く、簡単にぱりんと割れた。

だから、ほとんどが捨てられて残っていないのかもしれない。 どなたか高峰秀子さんの『森の水車』のレコードをお持ちの方がおられたら、ご連絡願いたい。
http://www.m-kiuchi.com/2008/07/12/shimizuminoru/

期待の大物 城内実は平成17年9月11日におこなわれた郵政選挙(静岡7区)で小泉首相に刺客片山さつきを放たれわずか740票差で敗れた。巻き返しを図っているのは当然だ。さすがに若いから発売禁止のことは知らないようだ。2009・06・06

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話 の 福 袋
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 ◎<東証>日経平均一時1万円突破 8カ月ぶり

11日午前の東京株式市場は、景気底入れ期待から日経平均株価が続伸。
10日に付けた年初来高値(9991円49銭)を上回り、一時、1万円台を回復した。

取引時間中に1万円台を付けるのは昨年10月8日以来、約8カ月ぶり。
金融危機や世界的な景気減速を受けて急落した株式相場は、昨年9月のリーマン・ショック直後の水準にまで回復した。【6月11日9時40分配信 毎日新聞】



 ◎【ソウル=箱田哲也】北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の三男で、有力後継候補ともいわれる金正雲(キム・ジョンウン)氏の顔写真をめぐり、韓国メディアが10日、大騒ぎする一幕があった。発
端はテレビ朝日の「特ダネ写真」。10日の一部のニュースで正雲氏の近影を入手したと報じた。韓国メディアは一斉にテレビ朝日のニュース画像を撮った写真をサイト上で掲載した。

だが、午後になって、写真は大手ポータルサイトに2月、金総書記似の韓国人男性が「後継者の金正雲」として冗談で投稿した自身の顔写真に酷似していることが判明。

特ダネ写真と報じていた韓国メディアは一転、「テレビ朝日の誤報写真」と伝え始めた。男性は韓国の聯合ニュースの取材に「私の写真だ」と認めた。

テレビ朝日は、10日夜の報道ステーションでも「金正雲氏の最新写真を世界初入手」を報じる予定だったが、番組の冒頭、古舘伊知郎キャスターが「写真は別人だとの指摘を受けた」と説明し、謝罪した。(朝日)


 ◎ ミス・カリフォルニア、称号剥奪=反同性婚発言やセミヌードで波
紋-米

【ロサンゼルス10日時事】米カリフォルニア州の「ミス・カリフォルニア」主催団体は10日、今年の優勝者キャリー・プレジャンさん(22)からミス・カリフォルニアの称号を同日付で剥奪したことを明らかにした。

規定に定めた公式行事を欠席したのが理由で、準ミスだったタミー・ファレルさん(24)がミスに繰り上がった。

プレジャンさんは4月の「ミスUSA」最終選考会で、同性婚に関し「選択肢があるのは素晴らしいけれど、結婚は男女間ですべきだし、そう育てられた」などと発言、全米で賛否が渦巻いた。

その後17歳当時のセミヌード写真も発覚し、ルールに抵触するとして窮地に追い込まれたが、上部団体が5月に称号維持を決めたばかりだった。 6月11日9時40分配信 時事通信

 
 ◎韓国大使館、テレ朝に抗議 古沢襄

テレビ朝日は下手な言いつくろいをしない方がいい。誤報となった金正雲氏の写真の入手先を「韓国当局の関係者」と説明したから、駐日韓国大使館から事実無根と厳しい抗議を受けた。

慌てたテレビ朝日は「韓国内の信頼できる人物から入手した」と訂正している。これでまた、聯合ニュースから「さらに信頼性で打撃を受けた」と追い打ちを受けてしまった。

ニュース・ソースは明らかに出来ないのなら、潔く誤報を認めて、あれこれ釈明しない方がいい。韓国のメデイアから連日の様に袋叩きにあうぶざまさは願い下げである。

<【ソウル11日時事】北朝鮮の金正日労働党総書記の三男正雲氏をめぐる誤報問題で、駐日韓国大使館は11日、テレビ朝日が問題となった写真の入手先を「韓国当局の関係者」と説明したことに抗議した。

テレビ朝日は「韓国内の信頼できる人物から入手した」と修正したが、さらに波紋が広がりそうだ。

テレビ朝日の当初の説明で最も「疑いの目」を向けられたのは情報機関の国家情報院。同院関係者は11日、「テレビ朝日報道とわれわれは一切無関係だ」と言明した。

こうした政府内の反応を受け、大使館は「韓国政府関係者が情報提供した事実を把握していない」とテレビ朝日に抗議文を送り、訂正を求めた。

一方、通信社・聯合ニュースは、テレビ朝日が誤報に続き、写真の入手先の説明を修正したことについて「さらに信頼性で打撃を受けた」と批判した。(時事)>

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反     響
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 1)「子達は何人さんおいやすんどす」っていうのは、「子供は何人おられるんですか」って聞く京都の言葉だそうです。子達(こたち)は聞きなれない言葉のようですが、あの子達の未来は、とかいう表現で使われてます。

供の字がよくないということで、子供を避けて「子ども」とか「こども」と表記されることがありますが、子達(こたち)にすればいいと思います。(まこと)


 2)荒木純夫様 ご指摘ありがとうございます。

IATAでは「A6」とか数字を交えたコードは認めても「AB6」とかの3文字は認めていないようですね。小生の勘違いというか、無知でした。航空関係の出版社に問い合わせましたら、以下の回答です。

 1.航空会社の短縮名称、いわゆる「キャリアコード」なるものは基本的に航空会社の設立時に、任意の国際民間団体である国際航空運送協会(IATA)が指定する「ツーレター・コード」と、国連の国際機関に準じる国際民間航空機関(ICAO)が指定する「スリーレター・コード」に大別される

 2.つまりは、IATA加盟の国際航空会社にあっては必ず「ツーレター」を付与されることになるが、各国の国内航空会社については規定がないため、便宜上で略儀的に「スリーレター」を使用する場合もある

 3.かくして、IATA加盟の航空会社であれば「ツーレター・コード」は必ず付与されるわけで、ツーレターの中に数字が入り込むことはあっても「スリーレター」がつくことはないとか

 4.アルファベット2文字以外の組合せ表記については定かではないが、登録航空会社の希望を加味したり、登録社名が同じアルファベットである場合に、優先順で数字を付けたりするとされるが、真意は不明である。

・・・・・・

IATA加盟の航空会社の予約システムはアポロ、セイバー、アマデウス系あたりに集約されるのでしょうが、多分2文字を3文字にするのは大変なのかもしれません。

今回のご指摘で分かったのは、民間航空(売る、飛ばす)はIATA、航空管制(それを監督する)は「官」のICAOがやっているのですね。2文字と3文字が同居している。

生臭い世界ではシンガポール航空をSQと呼び、聖なる管制官はSIAと呼ぶ。ま、場合によってナベチャン、リョウチャン、ワタナベさんなどというのと同じかもしれませんね。ややこしいです。

幼名とか、おくり名、戒名なんてありますから、背番号で管理したくなる気持ちは分かります。それにしても8桁とか。小生は8桁の暗証番号を忘れてしまい、ネットバンクが仕えずに困っています。(平井修一)

~~~~~~~~~~~~~~~~~
渡部 亮次郎 <ryochan@polka.plala.or.jp >