「オバマのカイロ演説は歴史に残るか?」冷泉彰彦
2009年6月6日発行JMM [Japan Mail Media] No.534 Saturday Edition
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■ 『from 911/USAレポート』第412回
「オバマのカイロ演説は歴史に残るか?」
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
■ 『from 911/USAレポート』第412回
「オバマのカイロ演説は歴史に残るか?」
オバマ大統領は今週、就任後初の中東訪問を行っています。サウジに行って、それからエジプトのカイロで大きなスピーチをした後は、ドイツで強制収容所跡を訪問、更に6月6日の「Dデー」にはノルマンディーの戦場での追悼に臨むという駆け足のスケジュールですが、その中でのカイロで行ったスピーチは「イスラムとの和解」という明確なメッセージが埋め込まれたもので、アメリカ国内ばかりか国際的に大きな
反響を呼んでいるようです。
まずカイロでの演説ですが、会場はカイロ大学の講堂で、聴衆のほとんどが学生ということもあって、オバマ大統領が入場すると拍手は鳴りやまず、最初からムードは良かったようです。若い聴衆に迎えられて大統領もリラックスした表情で演説を始めましたが、内容は非常にシリアスなもので、スピーチが進むにつれて大統領の視線はどんどん鋭くなって行きました。
「911のテロを正当化する言動があるのは承知している。だが、あの日に生命を奪われた約3000名の人々、世界各国から来たこの人々には何の罪もないのだ」
「ハマスがパレスチナでの支持を受けているのは承知している。だが、ハマスはパレスチナの分裂を止め、過去の暴力の責任を認め、イスラエルの存在を認めなくてはならない」
こうしたアメリカの立場をストレートに説明する部分のことを、アメリカ世論向けのものということは簡単です。ですが、カイロ大学の学生たちという「一筋縄ではいかない」聴衆を前にして、そしてアラブ各国にTV映像が生中継されている中で、自国の立場を堂々と述べるというのは、やはりたいへんな胆力を要することだと思います。こうした言い切りのできることで、カイロ大の聴衆はオバマ節に引き込まれていたようでした。
この演説の真骨頂は「アメリカとイスラムの和解」を延々と説いた部分でしょう。
「アメリカ人がイスラムの人々をステレオタイプ的に見ているのは事実だ。だが、アメリカもまたイスラムの人々によって『独善の帝国』というステレオタイプで見られているのではないか」
「アメリカにとって、イスラムというのはたいへんに重要なのだ。例えば、独立間もない我が国を最初に承認したのはイスラム国家のモロッコだった」
「私個人も、イスラムに深く関わっている。私の父はケニア出身で、何代も続くイスラム教徒の家に生まれている。私自身もインドネシアで少年時代を過ごし、朝な夕なに祈りの声を聞きながら育った。シカゴ時代には、イスラム系の人々のコミュニティ活動にたいへんな感銘を受けたりもしている」
オバマ大統領の「立志伝」はもう有名になっていますから、こうした部分も、聞き流そうとすればできるのですが、エジプトへ行ってカイロ大学の学生の前で、しかも「アルジャジーラ」も含めた全世界に中継された中でこういうことを言ってのけるというのは、やはり大したものだと言うしかないと思います。
とは行っても、アメリカの外交としてはやはりここ数十年のスタンスをかなり変えることになるのは事実です。特に対イスラエル政策については、今回の発言は画期的です。就任したばかりのネタニヤフ首相とは既に会談をしていますから、何らかの根回しはできているのでしょうが、それでも「ハマスへの苦言=ハマスを交渉相手として認める?」であるとか「パレスチナの人々の苦しみ」を認めたり、あるいは「西岸地区への入植拡大の停止を」というのは、相当に大胆と言わなくてはなりません。
スピーチに同席していたヒラリー・クリントン国務長官やギブス報道官は聞きながらかなり表情が硬かったですし、ヒラリーは終了後にNBCのインタビューに答えて「大統領のスピーチは素晴らしかったけれど、我々を含めてこれは大変なチャレンジだというのが実感です」と述べていました。夫の大統領時代、そして自らの上院議員時代を通じて中東外交に深く関与していたヒラリーとしては、受け止めるには相当な覚悟の必要な演説だったのではないかと感じさせるものがありました。
このスピーチは、米国東部時間では4日の木曜日の朝6時台ということで、7時のニュースでは論評は余り出ませんでしたが、その晩のニュースでは各局共に大変に大きな扱いになっていました。NBCはほぼ手放しの絶賛というトーンで、シリア、ガザ、西岸地区などで同時中継に見入る人々の表情を紹介していましたし、カイロ大学で実際にその場にいた新聞部の女子学生には「アメリカの大統領の発言とはとても思えません、一言一言に感激しました」と言わせています。
興味深かったのは、アフガニスタンのカブールからの、リチャード・アングル記者のレポートでした。アングル記者は「このオバマのカイロ演説が行われている最中にも、3名の米兵が戦死しています。それがアフガンの現実なのです。ですが、同時にここカブールで演説のTV中継を見ていた人は皆、アメリカの大統領がこんなに親イスラムだというのは信じられないと感動していました」と言っていました。イラク戦争の最前線で取材を続け、今はアフガンとパキスタンの現地取材の責任者をしているアングル記者の発言ですから重みがあります。この演説が何かを大きく変えていく契機になるのでは、アングル記者にはそんなニュアンスも感じられました。
一方のCNNは「レトリックに行動が伴うのか、アラブ世界は冷静に注視してくるだろう」とか、「イスラエルではかなり激しい反発が出ている」という懐疑的なトーンのコメントも加えた報道です。右派のFOXニュースは、基本的に余り大きな扱いはしていません。ただ「テロリストであるハマスの存在を許すオバマ、ハマスのパレスチナ支配への道を開く」という従来型の批判はしています。アメリカの保守層にとっては、とにかく「ハマス」という名前は「アルカイダ」と同列に考えられているからです。
さて、このスピーチのタイミングですが、一部にはこれで中国の「天安門事件の20周年」が霞んでしまったという声もあります。確かにこの「6月5日」というタイミングで、「カイロ演説」を行うことで、アメリカだけでなく、世界全体としてニュースの中での「天安門20周年」の扱いが減ったのは事実でしょう。ですが、オバマ大統領は経済のパートナーであり、一方で民主化には非常に神経を尖らせている中国
当局に対して、ストレートにメッセージを出しても効果がないという判断をしているのだと思います。むしろ、イスラム圏向けのスピーチの中で「民主化」というキーワードを強く盛り込むことが、間接的にジワジワと中国にも伝わっていく、そんな手法を取っているという解説も可能でしょう。
さて、カイロ演説の翌日、オバマ大統領はドイツに飛んで、ホロコーストの舞台となり5万6千人が犠牲となったというブーヘンワルトの収容所跡を訪れています。同行したのは、ドイツのメルケル首相と、ユダヤ人作家のエリ・ヴィーゼル氏を含む2名のブーヘンワルトからの生還者でした。収容所の大地に作られた慰霊の石碑に、オバマ大統領は茎の長い一輪の白バラの花を手向け「私はここで見たことを一生忘れない」と静かに演説しています。
カイロで「イスラエルには不愉快な」演説を行った翌日に、ドイツでホロコーストの慰霊を行うというのは、何とも露骨な「バランス」作戦にも見えます。ですが、この訪問については、オバマ大統領は実に緻密な組み立てをしているのです。ノーベル平和賞を受賞しており、著書の『夜』がアメリカの高校では必読図書になっているヴィーゼル氏を伴ったというのもパフォーマンスという以上に、イスラエルへの配慮
が感じられます。ヴィーゼル氏は、イスラエルの強硬派を支持してアメリカのユダヤ系文化人としては異端扱いされたこともある人物だからです。
更に、どうしてオバマ大統領がこの地を訪れたのかという「パーソナルストーリー」
もあるのです。それはチャールズ・ペイン氏という大統領の大叔父(母方の祖父の弟)
が1945年にこの収容所を「解放」した米兵の一人だったという事実です。その大叔父はホロコーストの現場に踏み込んだときのショックから今でもPTSDから自由にはなれずにおり、ここには同行していないのだそうです。オバマの説明はこういうことのようです。「6月6日のDデーでの慰霊は前から考えていた。だが、自分にとってDデーというのは、この大叔父の物語抜きには語れない。従ってどうしてもD
デーの前にブーヘンワルトに行かないわけにはいかなかった」そのチャールズ大叔父は翌日の「Dデー慰霊」には列席するそうです。
少年時代のオバマは、ハワイに戻ってから祖父母に育てられたのですが、チャールズ大叔父には何度も大戦に従軍した際の話を聞いており、自分にとっての第二次大戦というのはこのブーヘンワルトを意味するとまで言っています。もこれを「いつもの自伝ネタ」と片付けるのは簡単ですが、そうした「パーソナルストーリー」を持ち出すことで、単に「カイロ演説」とバランスを取るために来ただけではないというメッ
セージを発信することができるのは事実です。それが、何らかの形で全世界のユダヤ人の人々に理解されれば、回り回って「カイロ演説」をユダヤの人々に受け入れてもらえるのではないか、とにかく仕掛けもここまで繊細で深いとなると、説得力が出てくると言わざるを得ません。
今回のブーヘンワルト訪問に重みを与えていたのはメルケル首相が同行したことでした。実はブーヘンワルトの直前には、オバマ大統領はドレスデンでメルケル首相と会談しています。ドレスデンというのは、連合軍の空襲で焦土と化しドイツ側に大きな犠牲が出た場所であり、まずこの地を訪れたというのも繊細な配慮が感じられます。
ですが、ドイツ首相が世界中のメディアの注目する中でアメリカの大統領とホロコーストの収容所で献花をするというのは、やはり大変なことです。そしてそのスピーチが立派でした。「ドイツがどうしてこういうことをしたのか、そのことを私たち自身はいつまでも問い続けてゆかねばなりません」過去を水に流すのではなく、永久に問い続けるというのです。ちなみに、オバマ、メルケル、そして二人の生還者の手向け
た「白バラ」は多くの犠牲を出した「反ナチ運動」の象徴に他なりません。
さて、本稿が配信された少し後にはノルマンディーでの「Dデー」の慰霊祭があり、
オバマ大統領はまた何らかのメッセージを発信するのだと思いますが、残念ながら配信のタイミングの関係でお伝えすることはできません。ただ、NBCの報道によれば「何らかの手違い」のためにエリザベス二世が招待されておらず、英国代表としてはチャールズ皇太子が列席するそうで、こちらは色々な憶測を呼んでいます。女王が来てオバマ大統領が霞んでしまうのを避けたという説もあるのですが、真相はヤブの中というところでしょう。
それにしても、カイロでイスラムとの和解を説き、イスラエルに妥協を強いるようなメッセージを出したかと思うと、ドレスデン、ブーヘンワルトでドイツの「精神的な戦後処理」に重ね合わせながら、ホロコースト追悼のメッセージを出した、何とも心憎い計算です。ちなみに、どうしてホロコースト追悼なのかというと、そこにはもう一つ別の意味も込められています。それは「ホロコーストはなかった」という放言で知られるイランのアフマデネジャド大統領への強烈な皮肉でもあるということです。
ちなみに、オバマ大統領の中東・欧州歴訪はお堅いエピソードばかりではありません。エジプトのピラミッドでは、内部の石室を見学した際に壁に描かれた象形文字の中に「自分ソックリの顔」があったと大はしゃぎしています。確かに両耳の大きな姿は大統領に良く似ているのですが、自分から言いだして自分で受けているというあたりが実にオバマ流です。またブーヘンワルト訪問の後、ドイツの米軍の傷病兵病院を慰問してパリに入ったのですが、そこでは週末ということでミシェル夫人と二人のお嬢さんが合流しています。大仕事の合間にパリで家族の時間を、というわけです。
いずれにしても、今回の「カイロ演説」そして「ブーヘンワルト献花」という事件は、アメリカとイスラム、ユダヤとイスラム、ユダヤとドイツといった長い対立の歴史を、もつれた糸を丁寧に解きほぐすように和解へ導こうというメッセージに他なりません。その結果がどう出るかということでは、必ずしも楽観はできませんが、とにかく歴史に残ってゆくのではないか、私はそう見ています。
冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』など
がある。最新刊『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)
( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4492532536/jmm05-22
)
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【編集】 村上龍
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