対馬と長野そして五島列島から沖縄(重要です。)
西村慎吾の時事通信 2009年4月30日の記事です。
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=423
対馬と長野そして五島列島から沖縄
四月二十四日の対馬に関する時事通信を、「本稿はここまで」として一応終えた後、本日までキーボードを叩くことができなかった。
ここ数日のことに触れた後に、続稿を書くことにしたい。
四月二十八日は、五十七年前にサンフランシスコ講和条約が発効した日。つまり、第二次世界大戦が正式に終了した日であり、我が国が連合軍の支配から脱して主権を回復した日である。
よって東京から堺に帰り、仁徳天皇陵に参拝した。
翌二十九日は、昭和天皇のお誕生日である「昭和の日」。
昭和天皇御不例の直前に、植樹祭に堺まで行幸された昭和天皇を仁徳天皇陵前で乳飲み子を抱いてお迎えした時を偲び、
昨日に続いて、仁徳天皇陵に参拝した。
なお、四月二十八日は、戦後史を理解する上で重要な日である。
この日を念頭におくとおかないとでは、昭和二十一年十一月三日に公布され翌二十二年五月三日に施行された「憲法」の効力を如何に考えるかに天地の差が生まれる。
即ち、この「憲法」の公布日と施行日は、我が国と連合国は未だ法的に交戦状態であり第二次世界大戦は終結していない。我が国は連合軍の軍事占領下にあった。これが、事実である。
私が学生の頃に「権威あるもののように」読まれていた宮沢東京大学教授の書いた「憲法」の教科書(有斐閣)には、ポツダム宣言受諾の昭和二十年八月十五日に我が国でクーデターが起こり国体が変革されたのだと書いてあった(八月十五日クーデター説)。
しかし、これを書いた者は、自らの眼を塞いでサンフランシスコ講和条約発効の日の意味を知ろうとしなかったのだ。そして、弟子にも学生にも眼を塞ぐことを教科書によって強要した。
(指導教授が教科書に書いていることを馬鹿呼ばわりすれば、学生や院生は単位も学位ももらえない。従って、これは明確に「強要」である。)
これに対し、四月二十八日の意味を知っているならば、小学生でも、この東京大学教授にこう言える。
「馬鹿、アホ、昭和二十年八月十五日から始まったのはクーデターではない、連合軍の日本軍事占領だ。昭和二十七年四月二十八日までは、まだ我が国と連合国は交戦状態ではないか。目を開いて事実を見ろ!」
次に四月二十九日。この日を今は「昭和の日」と呼ぶ。しかし、つい一昨年まで、この日は「みどりの日」と呼ばれていたのを覚えておられることと思う。
平成六年の衆議院の委員会で私と政府との間で、次のような問答があった。
西村「何故、四月二十九日が国民の祝日なのか?」
役人「昭和天皇の誕生日として長年にわたり国民に親しまれてきたから」
西村「では、昭和天皇にちなむ名前を何故伝えようとしないのか」
これが、平成の「みどりの日」の欺瞞性に関する国会に於ける最初の質問であった。
つまり、昭和天皇とともに全国民が苦闘し多くの将兵が祖国のために命を捧げた昭和という激動の時代を、戦後政治は村山富市談話に象徴される「自虐史観」で封印しようとした。
その為に、天皇誕生日である四月二十九日の「休日性」だけを盗み「昭和」を国民の記憶から消し去ろうとしていたのだ。
まさに巧妙な「戦後の偽装」である。
しかし、「昭和」の名を取り戻そうとする国民運動、つまり、日本民族の記憶を守る運動は、以後地道に続けられ、約十年後に四月二十九日を「みどりの日」から本来の昭和天皇にちなむ「昭和の日」へと復元する祝日法の改正が実現したのである。
既に「昭和は遠くなりにけり」と言われるようになってきた。危ないところであった。「みどりの日」がこれ以上続けば、明治天皇の「明治節」と同じように、この日が昭和天皇のお誕生日であるという記憶が国民から失われるところであった。
ちなみに、明治節つまり明治天皇のお誕生日である十一月三日は、連合軍による占領下に「文化の日」と変えられ、今は十一月三日に明治天皇とともに全国民が奮い立った明治という時代を偲ぶという意義は忘却の彼方に失われている。
これを仕組んだのは、連合軍GHQである。そして、平成になったときの政府も昭和天皇のお誕生日に関して同じことをした。
ということは、日本政府はまだGHQの手下なのだ。
やはり、八尾の三宅博さんの言う「日本政府総督府説」は正しい。
さて、対馬に戻りたい。
対馬を単独に考えてはならないと思う。
対馬は日本の問題の縮図だ。我が国の「戦後国防思想」、それを生み出した「憲法」、その「憲法」を信奉する政治、これらの矛盾が対馬に現れている。
先に、「日本は日本人だけのものではない」という○○(つまり馬と鹿)が東京にいて、この者が政党幹部であり続けられるという我が国政治の風潮が対馬の危機を招いていると書いた。そしてこの風潮は、単に一政党のことに止まらず、「外国人参政権推進」の風潮となり政界に蔓延している。
さらに、この風潮は、昨年の四月二十六日における「長野」の情況を生み出していると指摘しておきたい。
長野における北京オリンピック聖火リレーの四月二十六日、人口三十八万人の長野市は四千名の中国人によって「占拠」された。警察も長野市内を我が物顔で占拠して、日本人に暴行狼藉を加える中国人を一切検挙しなかった。
逆に、チベット万歳を叫ぶ日本人は監視し、聖火リレーの前に飛び出した一人の男を寄ってたかって取り押さえ長期間拘留した。これは、日本の警察の働いていますよというアリバイ工作だった。
この情況を観たとき、私は対馬と同様、この日の長野に何故行かなかったのかと悔やんだ。
長野は、中国が仕組んだ日本制圧の実験場だと思えたからだ。中国は、長野の警察が凶暴な中国人の暴力を放任していたことを日本政界工作の成果が現れているとほくそ笑んでいたと思う。
長野において、我が国警察は国民を裏切った。
昨年四月二十六日の「長野」は、日本の政治状況を実感する上にも、中国の工作活動の実態を知る上でも、重要な事件であり忘れてはならない。
特にこの事件以来、私は我が国の警察はどうなっているのだろうかと疑念をもっている。
昨年対馬市役所前に座り込んで「対馬は韓国の領土だ」と叫んでいた二十名ばかりの韓国人を警察は放置していた。ここにも、長野を連想した次第だ。
このような折、先日赤坂で酒に酔って裸になったタレントの草彅某を警察がことさらに晒し者にした事例があった。
明らかにやりすぎである。また、四月二十六日の長野の警察を連想した。
夜の東京の巨悪は、新宿等あらゆる巷にあるだろう。日本人に限らない。中国人集団が無法地帯をのし歩く。しかし、長野同様に、それらには見て見ぬふりをして、他意のない日本人には手柄顔に過剰反応する。この警察の傾向を考えれば、タレントの草彅某は、身からでた錆は少々あるけれども気の毒だ。警察のアリバイ工作の道具にされたのだ。
「日本は日本人だけのものではない」?!。(日本のお姉さんの注:民主党党首鳩山氏の言葉)
冗談ではない。馬鹿も休み休み言え。
今の情況は、我が国の領土を
「そこは、日本人のものではない、韓国のものだ」、
「そこは、日本人のものではない、中国のものだ」
という現実的な脅威から領土を如何に守るのかという事態なのだ。
対馬を考えるとき、長野の中国人による無法地帯化を許してしまった政治状況を常に念頭においておかねばならない。
中国等から見れば、長野は格好の実験場であり、長野の情況を再現すれば日本の島は乗っ取れると見通したはずだ。
従って、中国が徐々に我が国の何処に狙いを定めてきているか分かるはずだ。
それは、沖縄本島である。
中国の狙いは、尖閣諸島だけに止まっていない。
中国は、沖縄本島を永久に「長野」にする機会を窺っている。沖縄の地政学上の位置、そこから来る大陸との関係史、アメリカ軍との地上戦の舞台になって以来の反戦感情、マスコミに煽られた反日本軍・反自衛隊の県民感情等の要素を考えれば、沖縄は危ない。
その沖縄を顕在化させる前に、中国の「資本」は、九州等の要衝の買収を既に始めている。
五島列島の一つ福江島の柏崎は、遣唐使の日本最後の寄港地で日本最西端の地である。従って、国防戦略上重要な航空自衛隊のレーダー基地がある。しかし、この柏崎から泳いで渡れるほど近くにある姫島は既に中国資本が買収している。
この事態は、対馬の竹敷にある海上自衛隊の基地周辺が韓国資本により買収され、韓国人リゾート地になっているのと同じ事態ではないか。
いわゆる村山富市談話・自虐史観による日本の萎縮と政界と財界に於ける対中・対韓迎合勢力の増殖。
それにつけ込む中国と韓国・北朝鮮の傲慢な対日要求。
中国と朝鮮の巧みな対日工作。
その結果としての長野と東シナ海の無法地帯化。
対馬と五島列島の姫島の外国人による買収。
そして無視される北朝鮮に拉致された日本人の救出。
これらは別々の問題ではなく、病根が一つの問題である。
と、ここまで書いてきて、いつもながら、我が文章のまとまりのなさに辟易している。
今まで述べてきた一つ一つの現象が、一見無関係のように見えるからだとご容赦願いたい。つまり、我が国は、手を変え品を変えて我が国から価値を奪い去ろうとする外国のずるいゲリラ攻撃に曝されているのだ。
そして、その攻撃に無防備な土壌を造っているのが、我が国の「戦後体制」であり、その戦後体制の源が「憲法」である。
さて、本日朝は、地元堺の鳳駅で朝の挨拶をした。鳳駅から通勤する堺市役所の理事者や保健衛生に携わる方々は、世界的な豚インフルエンザでゴールデンウィークは飛んでしまったことだろう。
この連休中、全国各所で休みなしで防疫にあたる方々に敬意を表しご苦労様と申し上げる。
この度の流行に関して、WHOが危険レベルを4に上げたその日の二十八日に、成田からアメリカのワシントンに出発したのが拉致議連の平沼赳夫会長ら数名の役員である。
私は本年の訪米を見合わせたのであるが、現在アメリカに滞在する拉致議連会長をはじめとする拉致被害者救出運動の関係者が無事にスムーズに帰国できるように祈る。