≪アジアの街角から≫戦争に負けた国 ☆ 変えるべきもの守るべきもの(上)
戦争に負けた国 ▽▼
☆ 変えるべきもの守るべきもの(上) ―――――――――― やせ我慢さん
先稿で、構造改革によって日本の良さが失われるという話を考えてみました。
その結果、私としては日本の良さと構造改革は、あまり関係のない話であり、むしろ現状維持するほうが、日本の良さを壊していくのではないかと思いました。
では、本当に守るべき日本の良さとは何か、それはどうすれば守れるのか、を考えてみたいと思います。
好感を感じる国とか、世界に良い影響を与えている国などというアンケートで日本はいつも一位とか上位に選ばれています。日本を訪れた外国人が、そのモラルの高さと治安の良さに驚くという話はもう使い古されたぐらいです。
子供が遊びで作る折鶴ですら、繊細な作りと美意識が溢れ、工業製品は信頼性と高機能で世界を圧倒しています。ーーー心の部分から商品まで、日本の良さが多くの外国人にも知られています。
そうした中から、よく言われる日本の良さをピックアップしてみます。
・治安が良い、町が清潔、モラルが高い
これはもう、多くの人が認める日本の良さだと思います。夜に女性が出歩いても安全であるとか、ゴミを捨てたり痰を吐く人もいないということです。
あるいは、忘れ物や落し物がちゃんと持ち主の元に返って来ることに感動する外国人も少なくありません。また、出前を取った後に、その器を洗って返すという日本人に驚く人たちもいます。
・礼儀正しい、親切、気配り、協調性
特に田舎などではそうですが、見知らぬ人にでも親切ですし、また、人種や身なりに関わらず人として敬って対応してくれます。相手の心情を察したり、その場の空気を壊すようなことは、基本的には避けるという暗黙の了解があります。
もちろん、それらにはマイナス面や別な意図があったりすることも多いのですが、とりあえずマナーの良さと気配りは美点だと思います。そうした態度が、人種や見かけでは大きく変わらないことも、他の国では珍しいことです。
・信頼できる、まじめさ、勤勉さ、仕事へのこだわり
日本の電車が、時刻表通り正確に運行されていることに驚かない外国人はいません。といいますか、日本人ですら呆れるような正確さを見せる路線もあります。
あるいは、日本人移民の多いブラジルやアメリカでは、日本人が約束を守る民族だと知られています。他人を決して信じないという中国人が、相手が日本人だと名乗ったので信じたら、実は中国人で詐欺のカモにされたという話すらあります。
・食事が美味しい
ミシュランの話を出すまでもなく、日本には高価な食はもちろん、安い食事でも実に多様で美味しいものが揃っています。ほぼ世界の食を楽しめ、しかも、より質の高いものになっていると多くの人が言います。
自国料理ならまだしも、他国の料理を日本人が作って、しかもミシュランの星までもらう…、そんな国が他にいくつあるでしょう。また、安価でも美味しいものを、安心して食べられる国も多くはありません。
・治安が良い、町が清潔、モラルが高い
・礼儀正しい、親切、気配り、協調性
・信頼できる、まじめさ、勤勉さ、仕事へのこだわり
・食事が美味しい
先稿で挙げた上記日本の美点、それらを形作り育んできたものは何でしょう?
ーーー重要な基盤であろうと思うものを、いくつか列記してみます。
・清く、正しく、美しく
精神的な価値観の基になっているものは、ブラジル移民一世の心を歌った井上祐見さんの歌にも出てくる、上記の言葉だろうと思います。
物理的にも精神的にも、「清くありたい」「正しくありたい」「美しくありたい」という思いが、町を清潔にし嘘を付かず、そして仕事を極めることに美学を感じさせるのではないでしょうか。
この「清く、正しく、美しく」という価値観は、神道の穢れを嫌う考えから生まれたのではないかと考えます。清流で身を清め、一切の虚飾を廃した真っ白な衣服で神の前に立つ、そうした感覚が源流ではないでしょうか。
・人は立場こそ違え、同じ生き物
他者を思いやり礼儀をもって対応する、そうした意味は、日本人は親切で人種差別をしないという評価があります。もちろん部落差別のようなものは確かにありますが、諸外国の差別に較べるとずいぶんとマシなものだと思います。
まして人種差別となると、ほとんどないと言えるでしょう。
※もちろん、犯罪率が高かったり、傍若無人な振る舞いを集団でする一部の在日外国人を嫌うのは、ごく当たり前の話であり、排斥や焼き討ちが起こらないだけでも凄い事です。
黒人と食事を一緒にするだけで生理的に吐き気が起きるとか、そもそも人間として見られないといった、根深くて強烈な人種差別など日本にはありません。
アメリカの黒人有名ミュージシャンが、上流家庭のパーティで演奏を頼まれた時、ステージが終わるとキッチンで食事をさせられたという話は、そんなに古いことではありません。
立場や責任は違うが同じ人間、という意識、これは歴史の早い段階で奴隷制度を放棄したことが大きいのでしょう。
しかし、動物や自然現象まで擬人化するという日本人の感性をみると、そこにはやはり神道の影響があると思います。
人様、他人様、他所様と、かつては他者を尊敬語で呼ぶのが普通でした。あらゆるものに神は宿ると八百万の神々を信じた日本人は、他者の中にすら神を見るのかもしれません
・好奇心が強く柔軟な精神
中国と交流した古代の日本や、幕末・維新と、西洋人と出会った日本を見ると本来の日本人は実に好奇心が旺盛で、新しいものを受け入れることに抵抗が少ない民族です。
タブーだった牛の肉が、ご馳走に変わるのに一世代も掛からなかったのではないでしょうか。
しかも受け入れるだけでなく、それを自分たちに合うように修正し工夫をするという才能がありました。日本が短期間で近代化を果たし、欧米に技術力で追いつけたのも、そうした力の成果でしょう。
多様な国の書籍が、これだけ多く自国語に翻訳されている国も珍しいでしょうし、あるいは他国の食をここまで受け入れている国も少ないのです。ーーー内側に閉じこもって外に門戸を開かない考え方は、こうした好奇心や柔軟な精神という日本人の特性を殺してしまうのではないでしょうか。
・「世間の目と自分自身の目」
定住と相互協力無しには生きられなかった農耕民族であることが、掟を破る者や責任を果たさない者への厳しい目を作り出したのでしょう。それは五人組などの制度を生み、「大家といえば親も同然…」などという、周囲による責任の分担と監視として染み込んでいきました。
「お天道様が見ている」「バチが当たる」など、人が見ていなくてもズルイことはしてはいけないという、神道と仏教による宗教的な道徳観にプラスして、周囲への連帯責任という重しが掛かったわけです。
お陰で、深夜の横断歩道でも信号を守ったり、自己を強く抑制して他者に迷惑を掛けないという日本人が生まれました。海外で、日本人に家を借すと非常に綺麗に使い、周囲からのクレームも少ないと好評だそうですが、上記のような二重のモラルで縛られているからではないでしょうか。
長々と日本人の美点についての、ごく一面を考えてきましたが、こうしたものが壊れ始めていると感じている人は少なくないでしょう。ーーーある人たちはその原因を自由競争やグローバリズムだと言っています。
本当にそうなのでしょうか?
生きる為には何でもした終戦直後の時代を経ても残った、日本人の美点が壊れ始めた理由はなんなのでしょう? その点をよく考えれば、本当に守るべきものは何かということが見えてくるのではないかと考えます。
ーーーさて、長々と書いてきた日本の美点ですが、こうしたことが壊れつつあると感じる人は少なくないでしょう。
・治安が良い、町が清潔、モラルが高い
戦後の統計では、全体で見ると犯罪は減り続けていますし、マスコミが大騒ぎした少年犯罪など激減しています。しかし、それでも治安が悪化したと感じる人が多いようです。
24時間365日ネタを探し回るマスコミの影響が大きいのでしょうが、一方で、ATMを重機で破壊するといったような、以前では考えられなかったような犯罪や事件が増加している事実が不安を作り出しています。
また、モラルや社会道徳の崩壊は、誰の目にも明らかではないでしょうか。
10年以上も前ですが、電車から降りた学生が、飲み終わったジュースの缶を躊躇いなくホームに投げ捨てたのを目の前で見て、これはあり得ないと思いました。
あるいは、教師や年長者の叱責が逆に批難されたり、暴力の対象になるなど、ほんの三十年前には、一部の特殊な人でしかありませんでした。
・礼儀正しい、親切、気配り、協調性
こうしたものは人によって大きく違うので簡単には言えませんし、私の周りを見る限りは善良な人が多いと思います。ただ一方で、あからさまに他人を侮蔑する人や、自分を省みない人が増えた気はします。
まだ大した仕事もできない若者が、「使えない奴」と他者を見下すようになったのはいつからでしょう。あるいは、身勝手な主張だけを一方的に押し付ける人を、制止するどころか悲劇の主人公のように持ち上げるようになったのは、いったいいつからでしょう。
・信頼できる、まじめさ、勤勉さ、仕事へのこだわり
このへんの良さは、まだまだ残っていると思います。ただ、いつだったか北海道のスーパーが牛肉の購入者に返金を行った時、明らかに嘘をついている連中がテレビに映っているのに平気で並んでいたのには驚きました。
嘘を穢れと感じない人たちや、仕事を突き詰める事に美学を持つ人も少なくなるのかもしれません。
もっとも、上司や周りの顔色を見て残業することが、勤勉と思われるのは変な話ですが――――。
・食事が美味しい
それなりの値段がするお店は別でしょうが、ごく普通のお店はどんどん質が落ちていっています。何より、個人のお店が街の中心から減っていっています。
大規模チェーンや大資本のお店が一等地を占領し、また多くのお客を獲得しています。個人のお店では、なかなか対抗できませんし、アルバイトレベルで料理を作ったり接客するのが当たり前になってしまいました。
そんな中で、修行中の若者が親方に殴られたと訴えるようなことまで起きています――――。これでは職人の仕事は覚えられませんし、日本の食がこれからも高いレベルでいられるとは思えません。
ーーー仕事を極めることに美学を感じる、という感性が、明らかになくなりつつあると思います。
・いつからか?
こうした日本の良いところが壊れ始めたのは、いつからでしょう?
数字やデータで示せるものでもないので、あくまで感覚で言わせて貰えば、戦前の社会で人間形成ができるまで育った人たちが、社会の中心でなくなった頃から、つまり1980年代からだと思います。
大多数の人が中流だと意識した、いわば戦後復興の終わったタイミングでもあります。
豊かになれば、人は多様なものを望みますし、社会もそれに応じて多様化していきます。一つの明確な思考基盤を持っていた、戦前世代が社会の中心から外れていくと、多様化への障害はほとんどなくなっていきました。
その頃を前後して、日本の外の状況も大きく変わってきました。
ドルショックによる変動相場制への移行、プラザ合意による円高、今までのように、ただ懸命に働いていれば豊かになれる時代ではなくなりました。
そしてその後の、バブルという労働より株や転売でリッチになることがもて囃された時代です。
もちろんそれ以前にも変化はありましたが、この80年代を境にして、大きく日本は変わったと思います。
※ちなみに、格差を示す係数は、90年代からの格差拡大を示し、企業が労働者に使う労働コストは、マクロ的に見ると90年代から一定しているのだそうです。
では、なぜ、何が原因で、日本の良いところが崩壊し始めたのでしょう?
~~~~~~~
☆ 変えるべきもの守るべきもの(上) ―――――――――― やせ我慢さん
先稿で、構造改革によって日本の良さが失われるという話を考えてみました。
その結果、私としては日本の良さと構造改革は、あまり関係のない話であり、むしろ現状維持するほうが、日本の良さを壊していくのではないかと思いました。
では、本当に守るべき日本の良さとは何か、それはどうすれば守れるのか、を考えてみたいと思います。
好感を感じる国とか、世界に良い影響を与えている国などというアンケートで日本はいつも一位とか上位に選ばれています。日本を訪れた外国人が、そのモラルの高さと治安の良さに驚くという話はもう使い古されたぐらいです。
子供が遊びで作る折鶴ですら、繊細な作りと美意識が溢れ、工業製品は信頼性と高機能で世界を圧倒しています。ーーー心の部分から商品まで、日本の良さが多くの外国人にも知られています。
そうした中から、よく言われる日本の良さをピックアップしてみます。
・治安が良い、町が清潔、モラルが高い
これはもう、多くの人が認める日本の良さだと思います。夜に女性が出歩いても安全であるとか、ゴミを捨てたり痰を吐く人もいないということです。
あるいは、忘れ物や落し物がちゃんと持ち主の元に返って来ることに感動する外国人も少なくありません。また、出前を取った後に、その器を洗って返すという日本人に驚く人たちもいます。
・礼儀正しい、親切、気配り、協調性
特に田舎などではそうですが、見知らぬ人にでも親切ですし、また、人種や身なりに関わらず人として敬って対応してくれます。相手の心情を察したり、その場の空気を壊すようなことは、基本的には避けるという暗黙の了解があります。
もちろん、それらにはマイナス面や別な意図があったりすることも多いのですが、とりあえずマナーの良さと気配りは美点だと思います。そうした態度が、人種や見かけでは大きく変わらないことも、他の国では珍しいことです。
・信頼できる、まじめさ、勤勉さ、仕事へのこだわり
日本の電車が、時刻表通り正確に運行されていることに驚かない外国人はいません。といいますか、日本人ですら呆れるような正確さを見せる路線もあります。
あるいは、日本人移民の多いブラジルやアメリカでは、日本人が約束を守る民族だと知られています。他人を決して信じないという中国人が、相手が日本人だと名乗ったので信じたら、実は中国人で詐欺のカモにされたという話すらあります。
・食事が美味しい
ミシュランの話を出すまでもなく、日本には高価な食はもちろん、安い食事でも実に多様で美味しいものが揃っています。ほぼ世界の食を楽しめ、しかも、より質の高いものになっていると多くの人が言います。
自国料理ならまだしも、他国の料理を日本人が作って、しかもミシュランの星までもらう…、そんな国が他にいくつあるでしょう。また、安価でも美味しいものを、安心して食べられる国も多くはありません。
・治安が良い、町が清潔、モラルが高い
・礼儀正しい、親切、気配り、協調性
・信頼できる、まじめさ、勤勉さ、仕事へのこだわり
・食事が美味しい
先稿で挙げた上記日本の美点、それらを形作り育んできたものは何でしょう?
ーーー重要な基盤であろうと思うものを、いくつか列記してみます。
・清く、正しく、美しく
精神的な価値観の基になっているものは、ブラジル移民一世の心を歌った井上祐見さんの歌にも出てくる、上記の言葉だろうと思います。
物理的にも精神的にも、「清くありたい」「正しくありたい」「美しくありたい」という思いが、町を清潔にし嘘を付かず、そして仕事を極めることに美学を感じさせるのではないでしょうか。
この「清く、正しく、美しく」という価値観は、神道の穢れを嫌う考えから生まれたのではないかと考えます。清流で身を清め、一切の虚飾を廃した真っ白な衣服で神の前に立つ、そうした感覚が源流ではないでしょうか。
・人は立場こそ違え、同じ生き物
他者を思いやり礼儀をもって対応する、そうした意味は、日本人は親切で人種差別をしないという評価があります。もちろん部落差別のようなものは確かにありますが、諸外国の差別に較べるとずいぶんとマシなものだと思います。
まして人種差別となると、ほとんどないと言えるでしょう。
※もちろん、犯罪率が高かったり、傍若無人な振る舞いを集団でする一部の在日外国人を嫌うのは、ごく当たり前の話であり、排斥や焼き討ちが起こらないだけでも凄い事です。
黒人と食事を一緒にするだけで生理的に吐き気が起きるとか、そもそも人間として見られないといった、根深くて強烈な人種差別など日本にはありません。
アメリカの黒人有名ミュージシャンが、上流家庭のパーティで演奏を頼まれた時、ステージが終わるとキッチンで食事をさせられたという話は、そんなに古いことではありません。
立場や責任は違うが同じ人間、という意識、これは歴史の早い段階で奴隷制度を放棄したことが大きいのでしょう。
しかし、動物や自然現象まで擬人化するという日本人の感性をみると、そこにはやはり神道の影響があると思います。
人様、他人様、他所様と、かつては他者を尊敬語で呼ぶのが普通でした。あらゆるものに神は宿ると八百万の神々を信じた日本人は、他者の中にすら神を見るのかもしれません
・好奇心が強く柔軟な精神
中国と交流した古代の日本や、幕末・維新と、西洋人と出会った日本を見ると本来の日本人は実に好奇心が旺盛で、新しいものを受け入れることに抵抗が少ない民族です。
タブーだった牛の肉が、ご馳走に変わるのに一世代も掛からなかったのではないでしょうか。
しかも受け入れるだけでなく、それを自分たちに合うように修正し工夫をするという才能がありました。日本が短期間で近代化を果たし、欧米に技術力で追いつけたのも、そうした力の成果でしょう。
多様な国の書籍が、これだけ多く自国語に翻訳されている国も珍しいでしょうし、あるいは他国の食をここまで受け入れている国も少ないのです。ーーー内側に閉じこもって外に門戸を開かない考え方は、こうした好奇心や柔軟な精神という日本人の特性を殺してしまうのではないでしょうか。
・「世間の目と自分自身の目」
定住と相互協力無しには生きられなかった農耕民族であることが、掟を破る者や責任を果たさない者への厳しい目を作り出したのでしょう。それは五人組などの制度を生み、「大家といえば親も同然…」などという、周囲による責任の分担と監視として染み込んでいきました。
「お天道様が見ている」「バチが当たる」など、人が見ていなくてもズルイことはしてはいけないという、神道と仏教による宗教的な道徳観にプラスして、周囲への連帯責任という重しが掛かったわけです。
お陰で、深夜の横断歩道でも信号を守ったり、自己を強く抑制して他者に迷惑を掛けないという日本人が生まれました。海外で、日本人に家を借すと非常に綺麗に使い、周囲からのクレームも少ないと好評だそうですが、上記のような二重のモラルで縛られているからではないでしょうか。
長々と日本人の美点についての、ごく一面を考えてきましたが、こうしたものが壊れ始めていると感じている人は少なくないでしょう。ーーーある人たちはその原因を自由競争やグローバリズムだと言っています。
本当にそうなのでしょうか?
生きる為には何でもした終戦直後の時代を経ても残った、日本人の美点が壊れ始めた理由はなんなのでしょう? その点をよく考えれば、本当に守るべきものは何かということが見えてくるのではないかと考えます。
ーーーさて、長々と書いてきた日本の美点ですが、こうしたことが壊れつつあると感じる人は少なくないでしょう。
・治安が良い、町が清潔、モラルが高い
戦後の統計では、全体で見ると犯罪は減り続けていますし、マスコミが大騒ぎした少年犯罪など激減しています。しかし、それでも治安が悪化したと感じる人が多いようです。
24時間365日ネタを探し回るマスコミの影響が大きいのでしょうが、一方で、ATMを重機で破壊するといったような、以前では考えられなかったような犯罪や事件が増加している事実が不安を作り出しています。
また、モラルや社会道徳の崩壊は、誰の目にも明らかではないでしょうか。
10年以上も前ですが、電車から降りた学生が、飲み終わったジュースの缶を躊躇いなくホームに投げ捨てたのを目の前で見て、これはあり得ないと思いました。
あるいは、教師や年長者の叱責が逆に批難されたり、暴力の対象になるなど、ほんの三十年前には、一部の特殊な人でしかありませんでした。
・礼儀正しい、親切、気配り、協調性
こうしたものは人によって大きく違うので簡単には言えませんし、私の周りを見る限りは善良な人が多いと思います。ただ一方で、あからさまに他人を侮蔑する人や、自分を省みない人が増えた気はします。
まだ大した仕事もできない若者が、「使えない奴」と他者を見下すようになったのはいつからでしょう。あるいは、身勝手な主張だけを一方的に押し付ける人を、制止するどころか悲劇の主人公のように持ち上げるようになったのは、いったいいつからでしょう。
・信頼できる、まじめさ、勤勉さ、仕事へのこだわり
このへんの良さは、まだまだ残っていると思います。ただ、いつだったか北海道のスーパーが牛肉の購入者に返金を行った時、明らかに嘘をついている連中がテレビに映っているのに平気で並んでいたのには驚きました。
嘘を穢れと感じない人たちや、仕事を突き詰める事に美学を持つ人も少なくなるのかもしれません。
もっとも、上司や周りの顔色を見て残業することが、勤勉と思われるのは変な話ですが――――。
・食事が美味しい
それなりの値段がするお店は別でしょうが、ごく普通のお店はどんどん質が落ちていっています。何より、個人のお店が街の中心から減っていっています。
大規模チェーンや大資本のお店が一等地を占領し、また多くのお客を獲得しています。個人のお店では、なかなか対抗できませんし、アルバイトレベルで料理を作ったり接客するのが当たり前になってしまいました。
そんな中で、修行中の若者が親方に殴られたと訴えるようなことまで起きています――――。これでは職人の仕事は覚えられませんし、日本の食がこれからも高いレベルでいられるとは思えません。
ーーー仕事を極めることに美学を感じる、という感性が、明らかになくなりつつあると思います。
・いつからか?
こうした日本の良いところが壊れ始めたのは、いつからでしょう?
数字やデータで示せるものでもないので、あくまで感覚で言わせて貰えば、戦前の社会で人間形成ができるまで育った人たちが、社会の中心でなくなった頃から、つまり1980年代からだと思います。
大多数の人が中流だと意識した、いわば戦後復興の終わったタイミングでもあります。
豊かになれば、人は多様なものを望みますし、社会もそれに応じて多様化していきます。一つの明確な思考基盤を持っていた、戦前世代が社会の中心から外れていくと、多様化への障害はほとんどなくなっていきました。
その頃を前後して、日本の外の状況も大きく変わってきました。
ドルショックによる変動相場制への移行、プラザ合意による円高、今までのように、ただ懸命に働いていれば豊かになれる時代ではなくなりました。
そしてその後の、バブルという労働より株や転売でリッチになることがもて囃された時代です。
もちろんそれ以前にも変化はありましたが、この80年代を境にして、大きく日本は変わったと思います。
※ちなみに、格差を示す係数は、90年代からの格差拡大を示し、企業が労働者に使う労働コストは、マクロ的に見ると90年代から一定しているのだそうです。
では、なぜ、何が原因で、日本の良いところが崩壊し始めたのでしょう?
~~~~~~~
日本のお姉さんの意見。↓
続きは、2009年5月12日に掲載済み。
日本人は、あらゆるものに神が宿ると
思っているから物を大事にするのではなくて
物を大事にする伝統があるから
なんでも大事にすると「物に魂が宿る」というような
発想ができあがってきただけではないかな。
日本人は昔から人形が好きです。
昔の子供は小さい頃から、市松人形で着物の
着方を習ったそうです。(友だちのお母さんに聞きました。)
からくり人形も、昔から日本人は大事にしてきました。
昔の人形がちゃんと残っているのも、すばらしいことです。
今の日本人が、アニメのキャラクターのフィギアーが
好きだったり、ロボットが好きだったりするのは、
人形が好きだという日本の伝統を受け継いでいるからも
あるんじゃないかな?
日本人があらゆる物に神が宿ると本当に信じているなら
古い物を捨てたりしないで、今だに昔の蓄音器やレコーダーや
ラジカセや古いテレビや冷蔵庫を使っているはずだ。
古い物をどんどん捨てて新しい物を使うのが
いいことだと思っているから簡単に古い物を捨てることが
できるのだ。それとも、電化製品は、物ではなくて、
何か別の捨ててもいい対象になったのかな?
レコードは、CDとは違って低い音もきちんと録音されて
いるから、聞いていると感動が違う。詳しいことは知らないが
CDは、録音するときに、人間が聞こえない音を最初から
カットしているらしい。CDの音は何か軽い感じがする。
簡単にレコードやステレオを捨てると、一緒に感動も
捨ててしまいそう。たまに、ゴミの日に、おばあちゃんの持ち物
らしき、木製の飾棚とか、こけしや日本人形などが大量に
捨ててあるのを見るけど、もったいないなと思う。
同じような物が京都の古道具屋で高く売られているのを
見たことがある。どこかでだれかが古い物を保存してくれて
博物館などで展示してくれていたらいいなと思う。
昨日、地下鉄の構内で、壁に貼られている裏からランプで
てらすボックスタイプの広告を新しいものととりかえている
業者の人たちを見たが、3人のわりと若そうな作業員が、
すごく丁寧にガラスの表面の汚れなどをとっていた。
仕事を責任を持ってきちんとやるという、普通の日本人が
いるかぎり、日本は大丈夫だと思った。
日本人は、日本人のいいところを
捨ててはいけないと思う。悪いところは、ちょっと人が他人と
違うことをしていると、みんなでいじめるところかな。
科学者が新しいことを発見しても、誰も援助しないところ。
先を見る目が無い。だから優秀な科学者が研究が
しやすいアメリカに行ってしまう。
「こんど生まれた時は」を連発しすぎ。
困ったことが起こると前生のせいにしたり、今度も
生まれてくると思っているので、気軽に自殺するのだ。
自殺者が年間30000人、未遂者ならもっといるという、
困った事態をなんとかしないとね。