人間は残虐行為が大好きだ (太田述正コラム)
太田述正コラム#3168(2009.3.22)
<人間は残虐行為が大好きだ>(2009.4.30公開)
1 始めに
近く上梓されるキャサリーン・テイラー(Kathleen Taylor)の 『残虐行為:人間の悪と人間の脳(Cruelty: Human Evil and the Human Brain)』 について、この本の彼女自身による予告的記事と、先取り書評をもとに、その内容の上澄みの一端をご紹介しましょう。
テイラー博士は、オックスフォード大学の生理学・解剖学・遺伝学・学科の研究員であり、これまで、著書『洗脳(Brainwashing)』があります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kathleen_Taylor
http://en.wikipedia.org/wiki/Brainwashing_(book
)
(3月22日アクセス)
以前、「人間は戦争が大好きだ」シリーズ(コラム#2876、2878)をお届けしたところですが、『残虐行為』は、今回のコラムのタイトルにしたところの、「人間は残虐行為が大好きだ」という事実を指摘したものです。
2 人間は残虐行為が大好きだ
「・・・これだけ多くの成果をあげた近代科学は、人間にとっての最大の問題であるところの、お互いに苦しめ合い殺し合う、ということを止めさせる方法についても多大なる進歩を遂げたはずだとお思になることだろう。
残念ながらその答えは否だ。
科学は、一体全体我々はどうして殺したがるのかについて理解することに比べ、より効果的な兵器をつくることにはるかに懸命に取り組んできた。(兵器に取り組む方がずっと簡単であることは言を俟たない。)・・・
戦争の時に人間は残虐行為を行うということは誰でも知っている。
しかし、残虐行為は戦争の時以外でもたくさん起こっている。
「正常(normal)」な社会でも忌むべき蛮行を容易に発見することができるのだ。
10台の少女が強姦され苛性ソーダに漬けられたり、身障者の男性が彼の「友人達」に殺害されたり、身の毛のよだつような長期間にわたる児童虐待等々・・。 これらの事件は新聞の見出しを賑わす。これに対し、これらほどひどくない家庭内暴力とかイジメや搾取は見出しにはならない。
しかし、これら全部を足し上げれば、どれだけの害悪がなされ、苦しみが生じているか、ぞっとせざるをえない。
伝統的には、組織された集団に係る暴力、例えば戦争やジェノサイドは、強姦や児童虐待のような「正常な」暴力とは全く異なったものとみなされてきた。・・・
<しかし、>戦争やジェノサイドの時には、例えば強姦はつきものだ。(もっともつい最近まで、このことに対し、ほとんど関心らしい関心が払われることはなかった。)
これらに共通する要素は、<他人を>傷つけることへの欲望だ。
どんなに我々が、<やむをえない>「状況」のせいにしようとも、人々が他人達を傷つけ殺害する理由の一つは、彼らにとってそれらのことが気持ちいいことだからだ。・・・
この本を書き上げるために行った研究において、私は、悪しき行為の道徳的、心理的、そして社会的背景(dimension)を探求した。
私は、その歴史も掘り起こしたが、最近・・・サド侯爵<によるものを含め>・・・たくさんのポルノ小説を読んだのはそのためなのだ。・・・」
残虐行為は、必ずしも狂人や生まれつきの悪漢の専売特許ではない。むしろ、残虐行為の多くは合理的なものだ。つまり、そういう行為のその時の実行者達にとって良いと思われる理由によって、あなたや私のような人々によってなされるものなのだ。
実際、我々が<残虐行為が>合理的なものであるということを認めることを妨げるのと同じメカニズムが、我々を残虐行為へと駆り立てる。
テイラーが言うところの「よそ者化(Otherization)」こそ、他の人々を根本的に自分達とは似ても似つかぬ者とみなすプロセスなのだ。
ホロコーストやルワンダのジェノサイドのような集団的残虐行為のあらゆる形態は、実行者達が犠牲者達を外来の害虫(alien vermin)視し、<犠牲者達は、>自分達におけるのと同様の道徳的考慮の対象とはならないという認識に立脚している。
しかしながら、この同じ自他隔離的(distancing)メカニズムが、残虐行為の実行者達をもよそ者と認識させるのだ。
すなわち、強制収容所の看守達や魔女を捜し出す将軍達や南米の征服者達(conquistadores)は、自分達とは縁もゆかりもない連中であると・・。・・・」
日本にいる時は、良識ある市民であった日本兵だって、テーラーが言うように、相手が「よそ者」である「チャンコロ」だと思った瞬間に、残虐行為を行うことは快感に変わるからです。
国民党軍の便衣兵の発見・処刑という「良いと思われる理由」が与えられていた中で、「ちょっとやり過ぎただけ」だったに違いありません。
1923年の関東大震災の時の朝鮮人虐殺だって基本的に同じことです。
非常事態下で、「暴徒化した」「よそ者」たる朝鮮人の発見・無害化という「良いと思われる理由」が与えられ、それを「ちょっとやり過ぎただけ」だ、
ということです。
1971~72年の逃避行中の連合赤軍において発生したリンチ殺人事件だってそうです。
人間は基本的に戦争も残虐行為も大好きだ、という前提でいかに不必要な戦争や残虐行為の発生を防止するか、というアプローチをとることが必要なのです。
ブログ:
「泣き叫ぶ姿、おもしろかった」娘を熱湯風呂に 母と友人逮捕
2歳の長女に熱湯をかけてやけどを負わせたとして、警視庁少年事件課と綾瀬署は、傷害の疑いで、いずれも東京都足立区の無職で母親の少女(19)と友人の少女(19)を逮捕した。同課によると、2人は容疑を認め、「泣き叫ぶ長女の姿がおもしろかった」などと供述。「娘に申し訳ないことをしてしまった」などと反省している。
同課の調べによると、2人は3月12日午後5時ごろ、自宅マンションで食べさせたシューマイを熱いとはき出した長女の様子を見て、熱湯に入るお笑い芸人の様子を思いだし、長女を熱湯に入れることを計画。熱湯を入れたベビーバスに1分ほど入れ、両足に重症のやけどを負わせた疑いがもたれている。
同課によると、2人は自転車で長女を病院に連れて行ったが、医師には「ポットの熱湯がかかった」などと説明。しかし、虐待を疑った医師が足立児童相談所に通告し、児相から要請を受けた同課が捜査していた。
少女にはほかに、8カ月の長男がいるが、今年2月、足首を持って子供を振り回した際にできやすいという頭部外傷で入院しており、同課は少女が長男にも虐待していた疑いがあるとして調べている。
4月28日12時27分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090428-00000557-san-soci
日本のお姉さんの意見。↓
人間は残虐性を心に秘めている。
心の中に生まれつきの罪があるから、
罪を犯してしまうのです。
自分がされたら嫌なことを他人にしないという
想像力やら思いやりやらが消えたら
欲望のままに動いてしまうのが人間です。
でも、人間が欲望のままに動いていたら
社会が機能しなくなる。
たとえば、嫌いな人を簡単に殺すのが当り前な世の中では、
自分の命もいつ他人に奪われるか分からないので、
夜どころか昼間もおちおち歩けなくなる。
仕事をすることもできない。
武力を持つ者が、支配する戦国時代になってしまう。
戦国時代では、農作物もおちおち作っていられないので
田畑が荒れて飢餓が発生し、多くの者が餓死する。
チュウゴクの戦国時代では、支配者たちは、戦争に
農民たちを連れてまわったそうだ。食糧にするためだ。
自分の妾(めかけ)を食料にして部下にふるまった
大将がいて、みんな泣きながら食べて戦争に勝ったとか。
人を食べるのが、戦国時代のチュウゴクでは、普通に
行われていたし、文化大革命の時も、知識人や
芸術家が殺されて紅衛兵たちに肉を食われている。
最近でも、堕胎されたえい児を精がつくからと
いって、こっそりスープにして食べているチュウゴク人が
いる。
国の定義とは、その一帯の治安が
守られているかどうかだと思う。
治安が守られていない場所は国とは呼べない。
第二次世界大戦の前のチュウゴクも、日本軍が治安を
守っている満洲以外は、治安が悪くて
シナ人がぞくぞくと満洲に写ってきたそうです。
最初は3000万人しかいなかった人口が、日本軍が
満洲にいる間に一気に6000万人に増えたそうです。
日本軍が略奪やら強奪やら、チュウゴク人が言うように
していたなら、どこのシナ人が好き好んで
満洲に移動してくるだろうか。
と、いうわけで、人間が集まって暮らしていくには、
ひとりひとりが欲望を抑えて、お互いをおもいやって
生きていかねば、どこの場所も地獄のような
ひどい場所になってしまいます。
治安が守られていて、強い人も弱い人も安心して
生きていける場所が「国」なのです。
人間が残酷だということは、ずっと前にアメリカの
研究者が行ったある実験にも現れているそうです。
いろんな人に、電流が流れる装置が付けらたモデルを
眼の前にみせて、レバーを持たせ、
赤く塗られた数値までレバーを倒すとモデルの生命に
危険が及ぶかもしれないが、どこまでモデルが
耐えれるか実験したいので
少しずつレバーを倒すようにと頼んだところ、
どの人も、レバーを赤く塗られたところまで
めいいっぱい倒してしまったそうです。
実は、モデルには電流など通っていなくて、
演技でさも電流が来ているかのように、
苦しみを表現していたそうです。
最初は、レバーを持たされて困惑していた人も、
モデルが苦しみだすと調子に乗って、どんどん
レバーを倒していったそうです。
おまけに、レバーを倒した人たちは、実験が終わった
後は、ひどく興奮していたとか。明らかに
モデルが苦しむ姿をエンジョイしていたようにみえた
そうです。
人間は元々残酷なものなので、知性と教養で
自制していないといけないのです。
知性と教養に欠ける人は、面白がって自分の子供でも
熱湯につけたりする。
だから、親は子供に道徳を教えないといけない。
良いことと悪いことを教え、世の中には悪い人も
いるのだと教えて、悪い人の餌食にならないように
知恵をつけさせないといけない。
南京攻略の時には、戦争だから躊躇していたら
自分が殺されるので、日本兵も必死だったのだから
平和な時に、後で日本兵を非難しても仕方がない。
日本との戦争を望んだのは、シナ人の国民党の
蒋介石です。南京を明け渡さずに、
自分は真っ先に南京から逃げているのだから、
残された兵隊たちは、南京に逃げ込んですぐに
一般市民を殺して服を奪って一般人になりすまして
ゲリラになったのです。ゲリラと思われる者は日本軍に
捕まって殺されましたが、戦争のときには、正規軍が
南京に来るまでにゲリラの始末をするのは
当然のことだったのです。
誰が一番悪いかと言えば、日本はシナと戦争を
したくなかったのに、積極的に上海の日本人街を
攻めて日本人を大勢殺して、日本に戦いを挑み続けた
蒋介石が悪いと思います。英国やフランスには、
戦いを挑まず、弱そうな日本を狙うところがシナ人らしい。
アメリカやロシアが影から蒋介石に日本と戦うように
積極的に勧めていたのも歴史の事実です。
普段でも人間は残酷なものなのに、戦争になって
戦わねば自分が死ぬとなれば、その時は、けだものの
ようになってしまうものだと思います。
でも、日本人は、普段は大変礼儀正しく、
自制がきいているから、戦争になってもシナ人ほど
酷くなかったはず。シナ人は日本の赤十字の
女性の看護婦や医師でも平気で殺して、日本兵に
見えるように小高い場所で裸の死体を杭につるして
さらすような人たちだったのです。
日本兵がシナ人に捕まったら拷問でなぶり殺しに
されたので、捕虜にされるくらいなら自殺した方がマシ
だったそうです。おじいさんがシナに行っていたという
30歳のお孫さんに聞きました。おじいさんは、当時は
若かったので、日本兵としてではなくて、主に
マレー人と一緒に塹壕(ざんごう)堀りをしていたそう
です。
途中でモデルを心配してレバーを倒すのを
止めた人はいなかったそうです。
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(3月21日アクセス)
3 終わりに
1937年の南京事件の存在すら否定する人が太田コラムの読者の中にも少数おられますが、戦争のような非日常的な状況下では、よほど強力な防止努力をしない限り、強姦や幼児を含む非戦闘員の殺害等の残虐行為が起こるのは当たり前なのです。http://blog.oup.com/2009/02/cruelty/
(3月22日アクセス)
「・・・我々のほとんど全員は残虐行為に魅了されているのであり、時には残虐行為を娯楽と受けとめる時さえあるのだ・・・