在日朝鮮人は、北朝鮮の王さまの奴隷だったようだ。
【消えた巨額貸付金】個人装い信組出資?
配信元:
2009/04/22 02:12
「敵の策動が露骨化している中で、極秘的に推進しなければならない」
平成元年11月、東京の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部に呼び出された朝銀京都信用組合(破綻(はたん))の理事長(当時)は、議長の韓徳銖(ハンドクス)(故人)の言葉に息を飲んだ。
「極秘的」に進めたのは、在日商工人6人から1億円ずつ計6億円を借り入れる作業。そのために副議長の許宗萬(ホジョンマン)ら当時の朝鮮総連執行部は「預置金証」という聞き慣れない借入証書を発行した。
金を貸した6人のうち2人は返済期限が過ぎても一向におとさたのなかった総連側を相手取り提訴し勝訴が確定。それから1年半を過ぎたが、総連側はだんまりを決め込んでいる。
借入を仲介した理事長はどのように極秘に資金集めを行ったのか。理事長が裁判所に提出した陳述書などにはその様子が赤裸々に描写されていた。
「朝銀東京信用組合本店に1989(元)年12月13日、『岩本光吉』名義の普通預金口座を開設しておき、6億円を送金」
送金者は、勝訴した詩人で建設会社経営の宋在星(ソンジェソン)ら商工人。それぞれが偽名で1億円ずつ送金した。
同19日、東京に派遣された朝銀京都の業務部員2人が「岩本光吉」名義の通帳と印鑑で6億円を引き出し、6人の貸主の氏名が記入された「預置金証」6枚のコピーと一緒に総連中央本部に届けた。
業務部員の報告では、現金受け渡しの場には韓徳銖のほか、第1副議長、李珍圭(リチンケ)(当時)、許宗萬(同)らが同席。「預置金証」による6億円借入が、当時の総連執行部の直轄事業だったことを裏付けた形だ。
裁判の過程で、原告側は「総連執行部はこの方法で各地で総額60億円以上の資金を集めた」と主張。理事長は陳述書で「本件は、朝信協(在日本朝鮮信用組合協会)傘下の朝銀内では有名かつ、公然の秘密の事案でありました」とも述べている。
「預置金証」による借入は外部に情報が漏れることなく、成功した。しかし、なぜ許宗萬らは返済期限を過ぎても無視し続け、一方の貸主も京都の2人以外、だれも返済を迫らないのか。原告の宋在星は、訴訟後にまとめた文書で次のように指摘している。
「旧京都朝銀以外の大部分の朝銀幹部たちは『預置金証』に見合う金員を同胞(商工人)から募らずに自己の組合の資金から出資」。そのため「預置金証」は商工人個人ではなく、信組が保管することになった。多くのケースで、朝銀信組は1枚1億円の「預置金証」の割り当て枚数分の商工人の名義を借り、商工人が自己資産から出したように装い総連執行部に現金を届けたというのだ。
ところがその後、各地の朝銀は統廃合、破綻、再編の道をたどる。この過程で「預置金証」は朝信協を通じて朝鮮総連中央本部が完全に回収したはずだった。だから、総連側は訴訟では一貫して「預置金証」の存在そのものを否定した。
だが実際に身銭を削った商工人らは「預置金証」を個人で保管していたのだ。
宋在星は、組合資金から現金を出した朝銀について「旧朝銀10大組合の幹部たちは『預置金証』について当然知っているが、後禍を恐れて口をつぐんでいる」と指摘する。これが事実なら、破綻前の朝銀が総連執行部に、組合資金から莫大な金を貸しながら回収されていないばかりか、借金の存在そのものが表面化していないことになる。
破綻した旧朝銀の不良債権や未回収債権は現在、整理回収機構(RCC)が調査、回収を進めているが、朝鮮総連が旧朝銀から“借りた”この巨額債務について、RCCは当時把握していなかった節もある。問題の根深さが浮かび上がる。
「祖国の人々の生活向上に役立ち、発展に貢献したのであればまったく後悔するものではなく、むしろ喜ばしいことだ」。宋在星は現在もそう語っている。ただ、当時の総連執行部には、「日本の司法(裁判所)の力を借りてしか責任をただすことができなかったのが無念だ。日本社会に恥をさらすことには強い抵抗感があったが、愛国心を踏みにじられた失望感や在日同胞の人権擁護団体の最高幹部に裏切られた悔しさを知ってほしかった」と心境を明かす。
宋在星には破綻した朝銀信組に負債があり、勝訴した1億円は返済される前に債権としてRCCに移った。1億円が手元に返ってくることはない。
宋在星は産経新聞の取材に応じた理由について「できれば応じたくなかったが、時間の経過とともに徐々に事実が知れ渡り、真意や事実が曲げられて伝わるのはよくないと考えた」と語った。(呼称、敬称略)
その1億円も、日本人からパチンコかなにかで
もうけた金で、元はといえば日本の資産だったわけじゃん。
日本人がパチンコで遊んで北朝鮮に献金しているようなものだ。