「このたび、わが国の人民生活向上のため、カラーテレビ生産に寄与することにした」 | 日本のお姉さん

「このたび、わが国の人民生活向上のため、カラーテレビ生産に寄与することにした」

【消えた巨額貸付金】中央の奥の手 「借入証書」まで発行 (上)
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2009/04/21 02:57更新

「このたび、わが国の人民生活向上のため、カラーテレビ生産に寄与することにした」

 平成元(1989)年11月24日。東京都千代田区の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央会館8階の会議室で、議長(当時)の韓徳銖(ハンドクス)(故人)が切り出した。同席したのは朝鮮総連幹部3人と、東京までわざわざ呼び出された在日朝鮮人系の信用組合「朝銀京都」理事長(当時)。理事長は緊張した様子で韓の言葉を聞いた。
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記事本文の続き 第1副議長(同)の李珍圭(リチンケ)が続けた。
 「今般の東ヨーロッパの事態と関連して、祖国人民にテレビを普及させ、人民を金日成主席と金正日指導者の周りに集結させなければならない」
 このころ東欧には、民主化の大波が押し寄せていた。共産圏の盟主として東欧諸国の指導体制に介入する外交政策をとってきた旧ソ連は88年、方針を転換した。盟主がぐらついた東側諸国に体制転換の連鎖が起き始めた。
 89年11月には、“東西冷戦の象徴”だったベルリンの壁が崩壊し、その翌月のクリスマスには金日成の盟友だったルーマニアの独裁者、チャウシェスクが妻とともに処刑されている。
 旧ソ連や自由化の波にのまれた東側の国々、中国などの援助で成り立っていた北朝鮮指導体制は政治的な後ろ盾とともに経済的な基盤をも失いつつあった。
 「60億円にも上る資金集めはまさに、主席や総書記らの指導体制を救うための原資だったのではないか」。返済期限が過ぎたころには、貸し手や朝銀関係者の間では、こんな“分析”がなされていた。
 総連中央本部の会議室が重々しい空気に包まれていたことは言うまでもない。
 「一言の質問も許されない雰囲気だった」
 朝銀京都の理事長は当時をそう振り返っている。
 理事長は韓らから集金指示を受けると、今度は当時の副議長、許宗萬(ホジヨンマン)の部屋に招かれた。室内に入ると許は、ハングルで「預置金証」と印刷された朝鮮総連の借入証書6枚(1枚1億円)を示し、理事長にこう言った。
 「総連中央は借金する(対象の)人が分からないので、相手先(貸主)の選定は理事長に一任する」
 朝銀京都の割り当ては6億円。理事長は、12月20日までに借り入れ作業を完了し、氏名を記入した預置金証を貸主に渡してそのコピーと現金を持参せよという許の指示を、一言の質問も発することもできずに京都に持ち帰った。
 朝銀京都で理事長と副理事長2人の3人で長時間にわたり議論した結果は「総連中央の決定には従うしかない」だった。取引先の商工人らの中から「愛国事業に理解が深く、かつ人間的に信頼がおける人物」を基準に候補を6人に絞り、理事長自身が個別に交渉。快諾を得たという。
 北朝鮮の故金日成、金正日の独裁政権を支えた膨大なカネの多くが、日本から送られていたことは、もはや「周知の事実」(公安関係者)。送金は朝鮮総連執行部によるものだけでなく、北朝鮮に肉親がいる人々による個人的な送金もあったが、金額では朝鮮総連が圧倒的だった。
 北朝鮮への送金原資は「商工人」と呼ばれる企業経営者らから徴収された“寄付”で大半が賄われていた。焼き肉店などの外食産業やパチンコ、ホテルなどのレジャー産業、建設業など多様な産業で事業を営んでいる商工人は、その収益金を「民族の金融機関」である朝銀に預ける。朝銀はこの資金を商工人らに事業資金などとして貸し出すが、その際、「割り増し融資」で送金原資が生み出される仕組みだ。
 例えば、1億円の借り入れを申し込んだ商工人に、朝銀側は数%から1、2割を上積みした金額を借りてくれるよう要請する。増額分は借り手の借金になるが手渡されることはなく、北朝鮮に送る原資としてプールされる。商工人は事業計画や返済能力から見積もった相応額を超えた借金を負うことになるが、その後の朝銀とのつきあいや、その背後にある総連執行部の影響力を恐れ、割り増し貸し付けを拒否できない。
 こうした「ずさん融資」の末に破綻(はたん)した朝銀信組の処理のため1兆円を超える公的資金が投入されたことは記憶に新しい。だが、元年11月、許が各地の朝銀に示した集金方法はこうしたやり方とは違っていた。
 朝銀を通じて商工人に無理やりに借金させて資金をつくっていた総連中央がなぜ、わざわざ「借金」と明言して借入証書まで発行して金を出させたのか。
 大口のカネを、しかも早く集める「奥の手」。総連中央は借り主であると同時に、「総連が言っているのだから(貸し倒れの)心配はない」という「保証人」でもあった。本国と直結するその絶大な力を前に、朝銀や商工人らが「ノー」といえる選択肢はなかったのだ。(呼称、敬称略)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/245111/
(下)は、また見つけたら掲載します。