「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」  | 日本のお姉さん

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成21年(2009年)4月9日(木曜日)貳
         通巻第2557号 

 米帝に代替する「世界新秩序」を、と反米チャンピオンのチャベスが吠える
  六回目の北京訪問、胡錦涛はありがた迷惑でもあり
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 ラテン・アメリカで反米の旗手、第三世界のチャンピオンとして人気のあるヒューゴ・チャベス(ベネズエラ大統領)が、またまた北京に現れて吠えた。98年就任以来、すくなくとも六回目の訪中である。
 「世界新秩序」の構築を中国、日本、イランでやろう、と。

 チャベスの「直感」によると、米国の帝国主義覇権は、いまや中国、日本、そしてイランに移転しているという(なぜ、ここに日本が出てくるかは不明)。

 チャベスは7日夜に北京に到着、8日に胡主席と会談したが、「世界新秩序は多極化の世界のなかで、バランスのとれたシステム。一極主義の時代は崩壊した。極は北京と東京とテヘランに移行しつつあり、誰もが明らかなように、東へ、そして南への極移動である」。
 
 北京にとって、お膝元で反米を口にされるのは有り難迷惑。しかし、一方において中南米外交の足がかりでもあるベネズエラ重視はかわらず、とりわけ中国はベネズエラの鉱区開発に120億ドルを投資、現在日量38万バーレルの原油を輸入している。

 「2013年には一日100万バーレルの輸入体制を構築するために四隻の巨大タンカーの建造や、三箇所に新たな精油所建設を推進する計画」(ウォールストリート・ジャーナル、4月8日付け)があり、チャベス訪中は、その具体策の詰めを行ったものとみられる。
 
  ♪
(読者の声1)貴誌通巻第2555号に「つまり、経済の基本構造が整い、ファンダメンタルズが最高なのに、なぜ日本は最悪に評価されるのだろう? それが問題なのだ」
と書かれましたが、まさにそこが問題です。
そしてその答えは単純です。
「経済の基本構造」の中に金融機関を含めるか否かで日本経済の「ファンダメンタルズが最高」か、最低かが決まります。
まともに貸付リスクを判断するだけの能力がないかあっても上司が官僚的に金融機関にとって安全サイドの基準を押し付けるため、貸付担当者が貸し付けず、そのため運転資金がなくなり黒字倒産する企業が続出する。
そのくせ、
自分でも理解していない、わけの分からん欧米の権威がのたまった理論に基づくと僭称する債権や欧米の金融機関が投資しているものなら緻密なリスク判断もせずに投資して大損してもだれも責任をとらない。
中央銀行は、大不況下でもインフレになって中央銀行の資産を毀損するとかなんとかいって通貨供給量を絞る。こんな国の「経済の基本構造」がまとものはずはありません。

 ところでMC氏が(読者の声3)の中で「満洲の鉄道利権にアメリカは共同経営を持ちかけるが、英米の共同管理・共同経営というのはまやかし。実績・資本にものを言わせいずれ独占してしまう(例として中国の税関や塩税の管理は英国が独占)」と書かれましたがこれは不正確です。
戦前の蒋介石政権が関税の管理を英国に任せたのは、英国が「共同管理・共同経営」を「実績・資本にものを言わせいずれ独占し」たのではありません。
アヘン戦争での賠償金を清朝政府は、関税の徴税権を英国政府に渡すことで支払うことに同意し、清朝滅亡までに払いきらなかったので、清朝の後継者を自任する蒋介石政府もその債務と義務を引き継がされたのです。
満州国も清朝政府の後継者として応分の支払をおこなったが、蒋介石政府は実際には殆ど払わなかったと何かで読んだことがありますが、私は確認をしていません。
外交の世界でもビジネスの世界でも共同管理・共同経営というのはまやかしで、実績・資本・計略力にものを言わせいずれ独占してしまおうとするのは、当たり前です。
自分が公正であろうとすることは、賞賛すべきことですが、相手にもそれを期待することは愚かです。
  (ST生、神奈川)

(宮崎正弘のコメント)中国と合弁した日本企業が出資比率が50vs50の時はまだしも、51%を先方が所有する話にうっかり乗って、大変な経験をした企業がゴマンとあります。韓国企業は夜逃げしてきます。法律的に最後まで責任を持つ日本企業は撤退においてさえ、解雇する従業員に退職金を支払い、地区幹部からは賠償金を請求され、それを支払って撤収しています。
 馬と鹿が上につく正直者です。

  ♪
(読者の声2)前号貴見に「ゲーツ国防長官の衝撃的発言である。「次期戦闘機F22の発注をやめる」と言ったことは重大な戦略変更への布石ではないのか。日本の次期戦闘機はほぼF22で固まっていた」。
 やはり「ユーロ・ファイター」に切り替えるべきなんでしょうか。
   (TY生)

(宮崎正弘のコメント)ユーロ・ファイターはNATOの主力戦闘機で、米国製に比較すれば安いのですが、問題は日米安保条約がある以上、米国が許す筈がないでしょう。台湾のように供与されたF16が台湾バージョンで航続距離が極端に短いものであったり、次期供与の予定からはずされたりすれば、仏機ミラージュを買うことも選択肢たりえますが。。。。。。

   ♪
(読者の声3)あちこちの記事を見ると 悲観論と楽観論が 極端に入り混じるようになったようです。いくらなんでも これにはカラクリがあるのだろうとかんぐりたくなります 
「3月の中国自動車販売台数、過去最高に達する可能性
[上海 8日 ロイター] 上海証券報は、3月の中国自動車販売台数について、2008年3月に記録した106万台を上回り、月間としては過去最高になる可能性があると報じた。  同紙は、国家発展改革委員会幹部の話として、中国の自動車販売の約90%を占める国内メーカー14社の3月の総販売台数は103万台だったと伝えた。」
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-37390020090408?feedType=RSS&feedName=businessNews
   (KN生)

(宮崎正弘のコメント)もちろん、あらゆる数字は作為です。もし中国発表の、この数字を敷衍すれば、中国の自動車販売は年間1200万台の販売になり、アメリカをさえ抜きます。いくらなんでもそれは無いでしょう。

  ♪
(読者の声4) 最近読んだ本で、銀座のナイルレストランの創業者、A.M.ナイル氏の『知られざるインド独立闘争―A.M.ナイル回想録』は面白かった。
戦前、インドに600もあった藩王国のパスポートが日本では理解されず港で足止めを食らうも、京都帝國大学の入学証明書があるなら大丈夫だろうと入国を許され、入学早々サンスクリット研究の第一人者の教授に目をかけられるなど日本人のインド理解の深さに驚いたり。
イギリス植民地下のインドは日本の明治以前や清朝崩壊後の中国よりもバラバラな状態だったのですね。
戦前の日本ではナイルが食べてもそれなりにまともなカレーを出す店が結構あったというのも面白い。日本軍がカレーの普及に一役買っていたのでしょうか。
 ナイルはイギリスから日本政府に政治犯として引渡しの申し入れがあり、日本政府も了承したにもかかわらず、頭山満に匿われたりしながら逃げ回り、満洲建国大学の客員教授にまでなっています。
日本がアジアの欧米からの解放を当然の目的としていた時代背景が伝わってきます。イギリス植民地下のインド人として、関東軍の高級将校や満洲の五族協和の理念・実践は高く評価していますが、下っ端の軍人の権力誇示のための命令(宮城遥拝など)は無視。日本の中国統治については行政機構が複雑で、政府・軍・民間の団体の指揮系統が錯綜し、中国人がどこに話しを持っていったらいいのかわからない、と批判的に書いています。
日本人については近代化の実務を担うには日本人が中心になり仕事を進めるしかなく、名目上は漢族・満洲族の下で働こうとも、文句も言わず仕事をすると感心しています。このあたりは満洲国総理だった張景恵の発言と通じるものがあります。
インドでは下位カーストの下で高位カーストが働くことなど考えられないことでしょう。

 イギリスの繊維産業を潰すため、天津でイギリス向けに取引されていた羊毛を内陸で日本の商社が天津並みの高値で買い上げ横取りする段取りを取り付けるものの、大局を理解できない日本の下級軍人・商人が羊毛の値段を値切りまくり結局は元の木阿弥。ナイルはあくまでインド独立のためにイギリスの弱体化を図るスタンスですが、当地の自信過剰・傲慢な日本人にはなかなか真意が伝わりません。
またビハリ・ボースを高く評価、チャンドラ・ボースとは馬が合わなかったようで、彼のリーダーシップは認めながらも自由インド義勇軍のインド攻撃など無謀と批判的。

 この本の中で白系ロシア人が出てきます。
関東軍は白系ロシア人部隊を対ソ戦で使えると思っていたのに、ドイツがソ連に攻め込むやいなや、白系ロシア人は大挙してソ連領事館に駆けつけソ連軍への入隊を希望したのだとか。彼ら曰く、ソ連国内の問題なら反共だが外国に攻め込まれたならロシア人として戦うのは当然のことだと。反日日本人には白系ロシア人の爪の垢でも飲ませたいものです。

 アメリカについては上海事変で日本軍に撃墜された国民党軍のパイロットがアメリカ人であったことや英米の宣教師が反日活動を煽っており、しかもそれが効果を上げていると記しており、日本と英米との戦争が近いことを示唆しています(長野朗の記述と同様です)。日本潰しで国民党に肩入れしたアメリカ、ミズーリ号での日本の降伏文書調印式にわざわざペリーの黒船の星条旗を持ってきたり、いわゆるA級戦犯の処刑を12月23日、当時の皇太子誕生日に行うなど隠喩どころか明々白々な脅迫ですね。
ところが共産党に中国を取られ、骨折り損どころかその後の朝鮮戦争・ベトナム戦争へ。中東でもホメイニにイランから追い出されフセインのイラクを援助、それが今ではイラクで泥沼化。
  かつては反共でありさえすればアジアでも中南米でも独裁者を支援していたアメリカ、自国の経済が危ういとなれば独裁者の親玉・中国とでも人権など忘れて平気で手を結ぶ。こんな無節操なアメリカと一蓮托生は御免蒙りたいものです。
  (PB生)
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アメリカやイギリスの宣教師は、昔からチュウゴク人に

イエス・キリストを伝えるのには熱心だった。

チュウゴク人の味方ばかりして、チュウゴク人の

言う日本人に関する悪口をそのまま信じた。

リットン調査団にも、シナ人が持ち込む日本人の

悪口を書いた手紙千通をキリスト教会の宣教師が

リットン調査団に手渡した。

リットン調査団は、あまり、その手の手紙は

気に留めなかったようで、満州は日本がロシアとの

戦争で鉄道の権利を勝ち取った場所であるので、

シナ人が自分たちの国だと言い張るのは

難しいというような発表をしている。

当時のシナ人は、ウソつきで泥棒が多かったので、

真面目な日本人にとっては、どうしようもない民族に

見えたらしい。シナ人を雇って、家の中で家族同然に

食事も同じ物を食べて親切に応対していても、

スキを見つけて、日本人の家具や金目の物を

リヤカーに積んで逃げて行ったシナ人も実際に

いる。(経験した本人に聞きました。)

シナ人は靴片方でも、なんでも盗んでいくので

何かなくなると泥棒市に行けば、盗まれた物が

買えるという、泥棒だらけの国だったそうだ。

シナ人と言っても清国人は朝鮮系で貴族として

育っていて、芸術をたしなみ、詩を書き、尊敬に

値する人物が多かったようだ。

シナ人が日本人が嫌いだったのは、日本軍が

異常に威張っていたことと、日本人が

神社を朝鮮半島や満州に持ってきたからではないか

わたしは思う。

(当時は、朝鮮半島と満州の境目はあまり、意識されて

おらず、朝鮮半島も当時は日本だったので、

朝鮮から朝鮮系の日本人が満州に大勢来ていたとか。)

人間である天皇を神のように拝むとは

何と言うことかと欧米人は思って日本を忌み嫌った

のではないか。チュウゴク人は、欧米人の感情を

利用して、日本の悪口を言い、欧米人はシナの

植民地化の過程で日本が入ってきたので、

日本に対して頭にきていたのだろう。

ようするに、シナでの利権の取り合いに日本は

負けたのだと思う。シナ人は、満州は日本が

開発した土地で、もともとロシアの管轄地だったにも

かかわらず、満州がシナ人の国であると言い張った。

日本をひいきしていたシナ人でさえ、満州は

シナ人の国だと最後まで言い張っていたそうだ。

日本をひいきしていたシナ人は、同じシナ人にほとんど

殺されてしまったそうだ。満州以外のシナの土地は、

馬に乗った強盗集団(馬族)や地元の勢力者たちの

軍が好き放題農民から税を奪ったり、命を奪ったりして

いて、どこもかしこも危険な地域だったので、当時一番

安全で金儲けができる満州へと、シナ人がなだれ込んで

きたそうだ。最初3000万人だった満州の人口が

あっというまに6000万人になったのだそうだ。

チュウゴク人は、日本軍がチュウゴク人を侵略したなどと

教えられているが、実際は、満州は一番安全で

貿易も盛んで生活しやすい場所だったのだ。

日本軍がシナ人を奴隷のように搾取している場所なら、

シナ人が自ら満州に移動してくるわけがない。

満州は、当時、一番治安が守られており、安心して

商売ができる楽園だったのだ。満州は、東京よりも

ある意味都会で、立派な建物が建てられて鉄道は

日本にも無いようなきれいなもので、道路も駅も

町の様子もきれいですばらしかったそうです。

コンサートも夜会も開かれており、ロシア人のダンサーや

歌手が招かれ、ひとびとはおしゃれをして豊かな生活を

満喫していたらしい。(当時、満州に住んでいた人に

聞きました。)その後、ロシア軍が来てからは、地獄の

ような日々が始まったそうです。

ロシア兵はまったくの野蛮人で、日本人の時計を奪っては、

両腕に何個もはめて喜んでいたそうです。

時計のネジを巻くということを知らず、時計が止まれば

怒って地面に投げつけて壊していたそうです。

日本女性を見れば、おばさんでも少女でも関係なく、

襲いかかり、幼い子供の前でもその母親を

大勢でレイプしたそうです。は向かえば殺されたそうで、

ロシア兵に殺されたのはいったい何人なのかは、分からない

そうです。女性は、髪を切って顔を汚くして男に化けて日本に

向かう港を目指して逃げていたそうです。満州から

朝鮮半島を通って、港につくと、急に凶暴になった朝鮮人が

(つい最近まで日本人だった朝鮮が日本が戦争に

負けたとたんに豹変した。)

命からがら満洲から逃げてきた日本人女性をレイプしたり、

日本人の家族に暴行を加えたりして、情けなかったそうです。

港の前の広場で、満州から大事に持ってきたなけなしの

米を炊いてお粥を作って食べようとしたら、朝鮮人に

お粥の中に砂を入れられて食べることができず、

家族で泣いたそうです。