杜撰な沖縄集団自決論
まだ読んでいないメルマガを見つけたので
読んでみた。
T氏が、戦後、アメリカは、日本の本を大量に
焚書(焚書)したと言っていた。
欧米人が、インドシナやインドネシアで
植民地にした現地人にどんなひどい事を
したかということが書かれた本と、日本がアジア各地で
した良い事が書かれた本は全部、処分されたそうだ。
どうりで、アジアの植民地で何が起こったのか
書いてある本が無いと思った。
戦後、しばらくは、日本人は歴史と地理の勉強を
させてもらえなかったそうだ。地理の勉強をすると、
戦前のアジアやアフリカの地図が全部植民地だと
分かってしまうからだ。だから地図も処分されたそうだ。
テレビやラジオや新聞の原稿も二部用意させて、
アメリカが全ての内容をチェックして、アメリカの悪口や
日本を褒める文章があれば、全部カットさせ、アメリカが
手を入れたことが分からないように書き換えさせた
そうだ。
歴史は戦勝国が作るので、日本人は
悪い侵略者の国だとアメリカに教え込まれて
そういうことになっているのだが、アメリカは最初から
日本を敵と考えて首を絞め続けていたのだそうだ。
日本はずっと黙って我慢していて、耐えていたが、ついに
このままでは死ぬと思ったから死に物狂いの
一撃を与えたのがパールハーバーです。
もしもハルノートを受け入れていても、アメリカはさらに
厳しいハルノートⅡを突き付けて
日本の息の根を止めて日本を植民地にしただろうし、
アメリカは、日本をとことん、やっつけるつもりで
ハルノートを出してきたのだから
いくら日本がアメリカの言いなりになっても、
必ず戦争になっただろうと言っていた。
それほど、ひどい要求をアメリカは
日本に突き付けてきたのだ。日本は他のアジアの地域の
ように、欧米の植民地になるかならないかの
瀬戸際だった。
アジアでは、日本とタイ。アフリカではエチオピアの
たった3国しか有色人種の国は無かった時代のことを
考えたら、日本が危機感を持って、植民地になるまいと
必死になるのは当たり前だということです。
戦勝国に押しつけられた歴史観をそろそろ
日本も捨てて、自分の国を自分で守るようにならないと
いつまでもアメリカに守ってもらえると思うのは
間違っているし、アメリカはチュウゴクと仲良くすると宣言
しているし、核は1000発以下しか持たないであとは
処分すると言っている。
戦後、アメリカに押しつけられた歴史観は、真実ではない。
真実を学ぶ時期が来ている。日本は侵略国家ではなかった。
日本は、アジアの国を欧米のように植民地化していない。
そういうことを詳しく書いた本も、当時の欧米の国の
アジア人迫害の状況を書いた本も、アメリカに焚書されて
今は無いのだそうだ。
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■「加瀬英明のコラム」メールマガジン
送信日 : 2008/02/08 (Fri)
題 名 : 杜撰な沖縄集団自決論
昭和二十年四月にアメリカ軍が沖縄に上陸して、日米両軍が激戦を展開した時に、日本軍が沖縄住民に集団自決を「強要」したということが教科書に記載されていたのが、その証拠がないことになると、文科省が介入して集団自決に「関与」したという表現に改められた。その是非をめぐって、論争がたたかわれている。
何とも、奇怪なことだといわねばならない。
このような政府と文科省に、教育という国家の大事を委ねてよいものだろうか。
それよりも、どうして住民の集団自決の議論を沖縄に限定するのか、私には理解することができない。
アメリカ軍は沖縄に上陸した十ヶ月前の昭和十九年六月に、サイパン島に来攻した。
サイパン島には二万人の邦人住民が、居住していた。アメリカ軍が来攻する前に、老幼婦女子の内地送還が実施された。
しかし、第一船目のアメリカ丸、第二、第三船の千代丸、白山丸がアメリカ潜水艦によって撃沈されたので、中止された。三回の疎開船とも、生存者がなかった。
サイパン島の面積は、東京二十三区の四分の一弱に当たる百八十五平方キロである。わが軍はアメリカ軍が上陸してから、三十一日間にわたって、他のアメリカ軍を迎え撃った島嶼と同じように敢闘したが、武運つたなく島を敵手に委ねた。
南雲忠一長官以下、高級将官が自決した後に、残存していた将兵と、在郷軍人、警防団員、青年団員などの邦人を合わせて、三千人あまりが最後の突撃を行った。多くの邦人女性が迫るアメリカ軍を前にして、最北端のマッピ岬の断崖から、母は乳児を抱いて、あるいは親族や、友と手をつないで、南の海へ身を投げた。
集団自決だった。アメリカ軍が海上から、望遠レンズを用いて撮影した、痛ましい動画の映像がのこっている。悲劇のマッピ岬は今日、〃バンザイ・クリフ〃(クリフは断崖)と呼ばれて、知られている。サイパン島を訪れる日本人観光客がかならず訪れる、不謹慎なことだが、観光スポットの一つとなっている。
だが、沖縄住民の集団自決については、「日本軍による強制」とか、「関与」を問題にしてきたのに、いったい同じ集団自決であったのに、どうしてサイパンにおける邦人住民の集団自決が取りあげられることがないのだろうか。
年末に、イギリス人の畏友が新年の休暇のために、『ネメシス 日本との戦い 一九四四―四五年』(マックス・ヘイスティングス著、ハーパース・プレス社、ロンドン)と題する本を贈ってくれた。「ネメシス」はギリシア神話の復讐、あるいは天罰を降す女神である。対日戦争を一九四四年から克明に記録した、六百七十四ページにわたる大著である。著者はイギリスでよく知られた、歴史作家である。
沖縄本島には、千二百隻の艦船に分乗する十七万人のアメリカ軍が来攻した。わが軍と陸海空において、凄惨な血戦が繰りひろげられた。先の本から引用しよう。
「一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。とくに沖縄戦がそうだった。
(アメリカ軍兵士の)クリス・ドナーは、こう記録している。
『地面に十五歳か、十六歳と思われる、少女の美しい死体が横たわっていた。全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、やはり両脚を開いて、膝から曲げてあがっていた。仰向けると、少女の左乳房に銃弾が貫いていたが、何回にもわたって強姦されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった』
しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、丘の上から敵によって狙撃されて、倒れた。
その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。
兵たちが口々に、『あのビッチ(女)を撃て! ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!』と、叫んだ。
兵がいっせいに射撃した。女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって立ち上がると、手離した赤児のほうへ、よろめきながら進んだ。
兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった」
アメリカ軍は戦闘中に、しばしばこのような残虐行為を働いた。こうした戦慄すべき事実は、目撃した住民によって、わが軍戦線の背後にいた住民に伝わったはずである。
ヘイスティングスは本書のなかで、アメリカ兵が日本人を人間だと思わなかったので、故国への土産(スブニール)として、日本人の頭蓋骨を蒐集したが、ヨーロッパ戦線においてドイツ兵については、頭蓋骨をそのように扱うことはなかったと、述べている。日本人の頭蓋骨を飾り物として、珍重したのだった。
私はこれまでアメリカ人による太平洋戦線の記録のなかで、アメリカ兵が残虐行為を働いたという、多くの記述を読んでいる。
教科書の沖縄戦中の住民の集団自決についての記述から、アメリカ軍の存在がなぜなのか、すっぽりと抜けている。沖縄戦はいうまでもなく、アメリカ軍が沖縄を侵攻したことによってもたらされた。なぜ、アメリカ軍が不在なのか。当然、アメリカ軍が「関与」していたはずである。
教科書の執筆者や、文科省の担当官は、沖縄住民がアメリカ軍を恐れていたことに、頭が回らなかったのだろう。どうしてアメリカ側の記録を調べる熱意が、欠けていたのだろうか。杜撰(ずさん)なことだ。教科書は正確な記述を期さねばならない。
サイパン島が失陥した十二日後に、アメリカ軍がテニアン島に来攻した。
テニアン島には、一万五千人あまりの邦人住民が居住していた。ここでも、一般邦人は国軍によく協力して、勇戦した。沖縄と同じように、男子住民も祖国の弥栄を祈念して、最後の突撃に加わった。そして、多くの婦女子が自決している。
(2008.2)
加瀬英明事務所