仏像ドロの下見日記 | 日本のお姉さん

仏像ドロの下見日記

仏像ドロの下見日記「センサー大丈夫」「包むコート用意」

 京都市東山区の臨済宗建仁寺で木造十一面観音坐像(ざぞう)が盗まれた事件で、京都府警が、三重県四日市市の会社社長・阿部逸男容疑者(59)(逮捕)宅から押収した日記に、「(防犯用)センサーは大丈夫」などと寺の防犯システムを下見したことを示す記述があることがわかった。

 阿部容疑者はこれまでに、京都市内の五つの寺から仏像を盗んだことを認め、これらの寺で下見を行ったとの記述もあることから、府警は、計画的な連続犯行とみている。

 捜査関係者によると、日記には、毘沙門堂(山科区)や東寺(南区)など複数の寺について「ここまで行けばセンサーは大丈夫」などと警報装置の作動範囲が記され、さらに「仏像を包むためにコートを用意した」などと事前の準備についても書かれていたという。

 阿部容疑者は、建仁寺や毘沙門堂、東寺での犯行に加え、昨年9月に宝泉院(左京区)の「韋駄天像」、今年1月には右京区内の寺から木造の座像を盗んだことも自供しているという。 3月6日8時17分配信 読売新聞

仏像を盗む人なんて

今までいなかったし、

韓国人が近年、日本の仏像や文化財を

なんでも韓国が起源だと言って

盗んでいく事件が多かったから

今回も犯人は韓国人だと思ってた。

ごめんなさい。犯人は、

三重県四日市市の会社社長・阿部逸男容疑者(59)

でした。自分が盗めるような、何もできない仏像を

拝んでも、何もしてもらえるわけがない。

仏像は目があっても見えず耳があっても聞こえない

ただの人間の作った像だ。

お寺の住職が仏像が戻ってきたので

泣いて喜んでおられたが、仏像とは、タダの像であって

人間の手が作り出した作品であり、本当は信仰の対象に

してはいけないものだ。人間の信仰心を満足させるための

道具にしかすぎないのだ。木や石でできた偶像を拝んで

本当の神さまを信じないのは、本当の世界の創造主

である神さまに対する罪です。

会社の上司は、「仏像に手を合わせているのではない。

背後にある目に見えないモノに手を合わせているのだ。」と

言った。人間が偶像に手を合わせるということは、

背後にいる悪の霊を拝んでいるということなのだが、

みんな知っているようだ。

人間を作り、世界を創った神さまを信じないで

仏像を拝むという行為は、実は背後にある悪魔を礼拝して

いることなのだ。だから罪なのです。

木や石を創ったのは神さまだ。

人間にアートを作る才能を与えたのは神さまだ。

人間に神さまを信じて頼りたいという宗教心を与えたのは

神さまだ。その神さまを信じないで、都合の良い宗教を

作って拝むのは罪です。