西村真悟の時事評論「笑うほどあきれる」 | 日本のお姉さん

西村真悟の時事評論「笑うほどあきれる」

西村真悟の時事評論
 「笑うほどあきれる」
    平成21年 2月14日(土)
     衆議院議員  西村 眞悟

 小泉元首相は、麻生総理の郵政民営化に関する発言の変遷を「笑うほどあきれる」と言ったそうだが、「笑うほどあきれる」のは、麻生総理ではなく、さらに自民党に止まらず、与野党を包み込んだ総体としての「政界」だ。
 麻生総理を笑う者もその笑われる中にいる。
 
 国家と民族が存亡の崖っぷちに近づいているなかで、肝心なことに関心を示さず、延々と「揚げ足とり」ばかり。
 一体何をやっとるのか、我が国の政界は。
 こういう揚げ足とりの盛んな政界だから、内閣がくるくる替わり前総理や元総理は与野党に複数いる。
 しかし、彼らに求められるのは、政争の為の発言ではなく、「元老」の気概をもった発言で、総理大臣の足を引っ張るのではなく、国家運営の指針を明示する発言でなければならない。
 その発言のタイミングは、政党という徒党を離れた「国家」という観点を常に意識していれば分かることだ。

 ところで、麻生総理の郵政民営化の賛否に関する発言であるが、民営化に反対を貫いた者からみれば、当たり前の発言である。この領域は、柔軟な試行錯誤の領域である。つまり、原理主義的なこだわりは国策を誤る危険性がある領域である。
 従って、麻生氏も考えを変遷させてきた。
 それを正直に言った。
 それでいいじゃないか。大いに歓迎する。
 
 麻生総理は、「小さな政府」か「大きな政府」かにこだわるのではなく何をするかが重要だとの所信を表明した。アメリカのオバマ大統領も、同じことを就任演説で言った。
 これは、今までの市場原理主義・「小さな政府」信奉に囚われないという当然の表明であった。そして、時代はまさにその囚われない点検を必要としている。
 そこで、この「点検」の際に問題なのは、自分自身は明確な考えをもたないくせに、討論の相手が前に言ったことと今言ったことの違いを議事録から見つけ出してきて、「矛盾だ」とか「考えが変わったのはけしからん」だとか騒ぐ小さな輩だ。これでは「点検」ができず改善も前進もできない。
 また、未だ原理主義に固執するのも困ったものだ。引退するらしいが。
 
 今発売中の文藝春秋三月号に、中谷巌氏が「竹中平蔵君、僕は間違えた」と題する論考を書いておられる。副題には「構造改革の旗手による『転向』と『懺悔』の記」とある。
 中谷氏は言う。自分は五年間ハーバード大学に留学し市場原理主義と「小さな政府」を掲げる新自由主義の信奉者になった。そして、民営化・自由化による「小さな政府」モデルの推進と経済のグローバル化に取り組む。
「しかし、我々はここでもマーケットを過信していた。民営化し、市場原理を導入すれば自ずと最適なシステムになる、という考えが根底にあったのだ。それが多くの誤りを生んだ」と明確に述べられている。
 そして、郵政民営化に関しても、評価をしながらも、「非常に残念なことだが、社会に生きる人々への視点が欠けていたのである」と告白し、「コミュニケーションの拠点になっていたような小さな郵便局を非効率だという理由で廃止してしまった。これでは社会のぬくもりをなくしてしまう。そこまで目くじらを立てて『効率化』を図ることにどれだけの意義があったというのだろうか」と述べられている(他にも、労働市場改革や医療改革なども述べられているが省略する。文藝春秋をご一読いただきたい)。

 以上の中谷巌氏の回顧は、非常に貴重な論考だと思う。中谷氏が行っているように、今までの民営化・市場原理主義による「構造改革」を振り返ることは、将来への指針を明確にし未来を明るくする作業である。

 さて、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官が来日する。
 日本が新国務長官としての初の訪問地と喜んでいる人がおれば、お人好しで無邪気すぎる。
 彼女が、中国を初めに訪問すれば、あまりにも露骨で手品の種が開いてしまうから、その前に日本に立ち寄るだけだ。
 ただ、この訪日でアメリカは、しっかりと実利をとりに来るだろう。アメリカが失業問題を克服し不況から脱却するためには、中国ではなく、どうしても日本が必要だからである。
 そのなかの一つであるアメリカ国債購入の圧力に対しては、我が国はドル建てではなく円建てで購入することを明確にすべきである。
 
 では、そもそも我が国外務大臣は、何を以てこの国務長官を待ちかまえるべきなのか。
 それは、アメリカの核の傘が機能するかという問題である。
 
 日本のマスコミでは小さく報道された。しかし、英国の新聞では一面で報道された。それは、アメリカのオバマ大統領が、アメリカの戦略核弾頭の数を八〇パーセントも削減して一〇〇〇発にするという方針を表明したことである。
 我が国の外務大臣は、このアメリカの戦略核弾頭八〇パーセント削減は何を意味するかカウンターパートに質さねばならない。
 現在でも、我が国を取り巻く東アジアの核戦力バランスは、アメリカに不利になりつつある。中国は核戦力増強を急ぎ、現在保有する核弾頭は八〇〇発程度か。北朝鮮の日本向けノドンミサイルは二〇〇基で内一割程度が核弾頭で他は生物化学兵器などと言われる。
 このアメリカに不利になりつつある日本周辺諸国の核戦力増強の中で、さらにアメリカの戦略核が八〇パーセント削減されれば、日本に対するアメリカの核の傘は機能しない。
 これは、我が国が抑止手段なく裸の状態で、中国や北朝鮮の自由で恣意的な「核による恫喝」または「核攻撃」の下におかれるということである。
 従って、我が外務大臣は、アメリカの国務長官に、アメリカは日本が中国や北朝鮮の「核による恫喝」の下におかれることを容認するのか否かを最初に確認しなければならない。

 オバマ大統領による、アメリカの戦略核八〇パーセント削減方針に、厳しい核戦力環境にある東アジアに位置する我が国の政界が反応していない。当然、我が国にとって深刻な核の傘の機能消滅というその意味するところが分からない。
 これこそ、「笑うほど、あきれる」ことではないか。

 次に、昨日、首相官邸で拉致議連として官房長官に申し入れたことを述べておきたい。
 それは、北朝鮮に対する全面的制裁強化そして来日するクリントン国務長官と拉致被害者家族との会談をセットすることである。
 拉致被害者家族と国務長官との会見であるが、それはアメリカ国民と日本国民に再度我が国が抱える深刻な拉致被害者救出問題への関心を高めてもらう為に必要だと判断したからである。
 危惧すべきことは、この会見に於けるクリントン国務長官のリップサービスによって、我が国内にアメリカに対する依存心が高まってしまうことである。
 アメリカへの依存心によって、拉致された国民を救出することは我が国自身の課題であるという本質を見失ってはならないと思う。
 ところで、先日、アメリカのしかるべき地位の人が、平沼赳夫拉致議連会長を訪ねてこられたので私も同席した。
 彼は、日本国内では首相以下拉致被害者救出のブルーリボンバッジを付けているのに、アメリカにいる日本の大使や大使館員、そして、国連代表はブルーリボンバッジを付けていない。付けるべきだ。そして、そのバッジは何かとアメリカ人に尋ねられる度に日本の拉致問題を説明すべきだ。とアドバイスしてくれた。
 それで昨日、我が国の在外公館でもブルーリボンバッジを付けるべく指示をだすよう官房長官に要請した。

 最後に、再び「笑うほどあきれる」話を。
 拉致被害者は北朝鮮による拉致が判明するまでの長い年月の間、「失踪者」として扱われていた。そして、民法三〇条、三一条の規定によって失踪者として「死亡したるものとみなされた」方もいる。増元るみ子さんや市川修一さんがそうである。
 家族は、拉致が判明し両人が北朝鮮にいることが判明してから、当然に失踪宣告の取り消し、つまり「死亡したるものと見なす」取り消しを裁判所に求めた。
 しかし、現行法では民法三二条によって、「失踪者が生存すること、または、異なるときに死亡したこと」のいずれかを証明しなければ失踪宣告を取り消せない。
 ところが、増元さんや市川さんは、現在北朝鮮に抑留され会うことはおろか消息を知ることもできない。従って、「生存すること」を示す資料はことごとく北朝鮮に奪われて出せない。
 つまり、現行法に基づく裁判所の次元では、彼らは「死亡したるものとみなされた」ままなのである。

 そこで、内閣に対して、質問主意書を提出した。
 その概略は次の通り。
 政府は、増元さんや市川さんが生存しているものとして北朝鮮に対して解放を求めている。しかし、彼らは国内では、死亡したるものと見なされたままになっている。これは矛盾である。一刻も早く失踪宣告が取り消されねばならない。しかし、拉致被害者においては現行法で取り消すことは困難である。従って、政府は北朝鮮による拉致被害者に関しては、特例を設けて、宣告を取り消すべきではないか。
 これに対する政府の答えは次の通り。
「お尋ねの点については、現在裁判所に係属している具体的な事件にかかわることであり、お答えすることは差し控えたい

 まさに「笑うほどあきれる」

 内閣総理大臣を本部長とし官房長官を担当大臣として拉致被害者救出を求める内閣は、被害者が国内で失踪宣告により「死んだことになっている」状態を放置して、生きていることを前提にした被害者救出を北朝鮮に迫まらざるを得ない。
 このジレンマ・矛盾は司法の領域では是正できない。従って、内閣は自ら特例措置をもって失踪宣告を取り消すべきだと提言したのである。
 それを、「お答えできない」とは何事か。
「裁判所に係属している」という一事に飛びついて得意げに門前払いの答弁書を起案し、手間が省けたと安堵するつまらん官僚のしたり顔が目に浮かぶ。
 人事院総裁の「もっともらしい秀才顔」といい、この答弁書を起案した姿を現さない官僚の「したり顔」といい、
官僚とはやっかいで、やはり笑うほどあきれる。