こういうときだけ、彼らはコミュニストなのであります。春 具 はる えれ
■ 『オランダ・ハーグより』 春 具 はる えれ :ハーグ在住・化学兵器禁止機関(OPCW)勤務
第211回
「コミュニストやーい」
先だっての月曜版に、編集長の「いわゆる派遣切りが相次ぎ、不況の訪れとともに日本共産党への関心が高まり、党員も増えているようです。日本共産党の政策、基本的な方針をどう評価すればいいのでしょう」という設問がありました。浦島太郎のわたくしは、それを読んで共産党の人気が上昇中だと初めて知ったのですが、ワーキン
グプアと称されるひとたちや格差の不条理を考えるひとびとが「蟹工船」や「女工哀史」を読み、ゾラを読み、ディッケンスを読み、ジードを読み、ゴーゴリ、ゴーリキー、ジョゼフ・コンラッドなんぞを読みながら、共産党に共感を持ち始めるというわけですね。
そういえば欧州でも時代の混沌を整理するためにマルクスやエンゲルスを引き合いに出す論者がでております。このあいだもTIME誌(2月2日版)に「RethinkingMarx マルクスを考え直す」という特集を組んでおり、で、本日はそれを引っ張りだしてきてアンチョコにし、コミュニストとはなんぞやという命題を今日(こんにち)
的に論じてみよう、と思うのであります。
マルクスは、先進国(19世紀のことですから英・仏・独である)の資本主義は内蔵する矛盾のために自然崩壊し、かわってプロレタリアートによる革命が起こって人民のユートピアが出現すると論じた。が、レーニンはそんな悠長なことは言っていられない、自己崩壊を待っていたら日が暮れる、革命は格差のあるところにマッチを擦れば自然発火するのだといって、ボルシェビキ運動を促進した。レーニンの思想と行動は帝政ロシアの衰退・腐敗とあわさって、共産革命というのが起きてしまったのであります。
イギリスやフランスの政府・外交関係者たち(ブルジョア階級ですね)は、革命の波及をひどく恐れ、ドイツやイタリアをソヴィエト革命からのバッファーにしようとした。イギリスはヒットラーと妥協し(ミュンヘン会談)、国際連盟はイタリアのエチオピア侵攻を許し、スペイン市民戦争への不干渉を決め込んでヒットラーやムッソ
リーニのご機嫌をとり、そうして彼らにコミュニズムへの防波堤になってもらい、共産革命の拡大をおさえようとしたのでした。
アジアで日本の満州進出を許し(連盟はリットン調査団でお茶を濁した)、制裁を科さなかったのは、もし日本が日中戦争で負けてしまったら、中国は混乱し、その真空状態に北からソヴィエトの影響がどっと入りこんできてしまう。そうすると革命軍によって(つまりソヴィエトの傀儡によって)イギリスやフランスやオランダの権益が脅かされることになると恐れたのだという説明があります。
連盟主要国の優柔不断はかくしてヒトッラー、ムッソリーニと関東軍の暴走を許し、けっきょく世界はもう一度悲惨な大戦争をすることになったわけですが、反面、マルクスの唱えた(そしてレーニンたちがめざした)プロレタリア革命も、その後ユートピアをもたらすことはなく、かわりに世界の数千万のひとびとが世代を超えて悲惨と辛酸を舐めた。
だが、わたくしたちがいま遭遇している金融危機を鑑みるに、経済・経済学に疎いわたくしが眺めてみても、資本主義だって成功してきたとは到底言いがたい。マルクスの時代は産業革命のまっただなかで、資本主義はおおきく飛躍し、グローバリゼーションがはじまった時代でもありましたが、彼の時代のグローバリゼーションがもた
らしたものは、より大きな不公平と貧富のあいだの格差だったわけで、そのことは今の時代とよく似ていると Rethinking Marx は論じるのであります。
(ついでですけど、国際機関のひな形はこの時代にできたのであります。産業革命のおかげで物資の輸送や通信が国境を越えておこなわれるようになると、各国がバラバラに対応するのは非能率だということになって、国際的に共通のシステムを作る必要が出てきますね。たとえばダニューブ川とかライン川のような国際河川を航行する船舶はいくつもの国境を越える。国を超えるたびに税関の手続きが変わったら、こんな不便なことはない。そのために航行の安全や関税制度を統一してそれらを中立的事務的に管理する必要が出てきたのであります。国際機関はこのように国境を越える行政事務を扱う組織として発達した、産業革命の落とし児なのであります。)
さて、カール・マルクスは19世紀初頭、プロシャのトリエ Trier (いまはドイツ領。ルクセンブルグ国境に近く、モーゼルワインで知られるモーゼル川沿いの町であります)に生を受けた。
生家はいま、「マルクス記念館」になっていて、今日でもファン(というのはおかしいか)や研究者の訪問がひきもきらないといいます。かつては共産主義諸国が揃ってマルクス詣でをおこない、ロシアやキューバや中国や北朝鮮、さらにアフリカのコミュニストたちが毎年団体でやってきたというが、いまでは公式訪問団を送ってくるのはヴェトナムだけだそうです。
だが、記念館長はマルクスを祭り上げることはせず、歴史を直視するという意味あいをこめて、マルクスの書き物や手紙を新列する横に、スターリンやソ連時代の収容所(Gulag とよばれる)の写真や、チェコやハンガリー動乱の新聞記事、写真を陳列しているということです。歴史を醒めた目で見ている記念館なので、熱狂的なマルクス信者から「裏切り者め」というような手紙が来ることもあるらしい。
長じてマルクスはパリに移り住み、この街でフリードリッヒ・エンゲルスに出会う。
そしてふたりは意気投合して、「共産党宣言」(1848年)を書いたのであります。
その書で彼らは資本主義における格差を批判し、格差をほっておくと革命が起きるぞと論じたのですが、160年後の昨年、フランスのサルコジ大統領が「会社幹部のサラリーやボーナスが常軌を逸して高騰している。こんな格差は許されるべきではない」と言い、大企業の経営者の給与に上限を設定するアイデアをだしたのは、興味深い偶然であります。
(オバマ米大統領も「社長や会社幹部の給与は50万ドルに押さえられるべきだ」と、サルコジ氏と似たようなことを言いましたが、アメリカの場合は政府の支援を受けた企業の経営者のサラリーを押さえることを言っただけ。)
役員のサラリーに蓋をしようというアイデアは、昨年フランスが欧州委員会議長国をしているときにサルコジ氏が、「欧州全体の問題だ」と言って出してきたものであります。
ヨーロッパの社長クラスの給与は、伝統的にアメリカのCEOたちのそれより低く払われてきておりました。つまり平社員の給与もトップの管理職と比べてベラボーな違いはなかったのであります。双方の差がひらきはじめたのは1990年代だったという。ちょうど海を越えた企業の合併や統合がはじまった頃のことで、ヨーロッパの企業がアメリカの会社を買収したとき、親会社の社長の給与が子会社の役員より低いということがあって、それはおかしいなという調整の結果、ヨーロッパのエクゼキュティブの月給とボーナスがアメリカ方向に上昇したのであります。
また、グルーバリゼーションが進むにつれ、優秀なエクゼキュティブは海を越えて高い給与の会社へ行ってしまう、そうすればヨーロッパ企業のマネージメントの質はさがり、マネージャーも滓(かす)しか残らないぞという極論が、オランダのフィリップスやシェル石油やイング銀行のエクゼキュティブたちからでてきている。彼ら
の抵抗はなかなかで、ですから管理職のサラリーをめぐる議論はどんどん盛り上がってきております。
(サルコジ案をめぐって各国政府も意見を出してきておりますが、ルクセンブルグが、上限を決めるより累進課税を上昇させればいいというアイデアをだして、わたくしは笑ってしまった。累進課税を嫌うお金持ちをルクセンブルグのタックスヘイブンへ誘い込もうというアイデアである。)
さて、マルクスがもっとも長く住み、晩年を過ごした街はロンドンであります。マルクスはロンドンで生涯を終え、遺体はハイゲート墓地に埋葬されたということです。ハイゲートはロンドンの北東に位置する街で、皮肉なことに、マルクスが攻撃した資本家・銀行家が多く住むお金持ちな町である。
そのロンドンでは今週はじめ、金融危機の波をもろにかぶって破綻寸前までいき、政府の支援介入をうけることが決まったスコットランド王立銀行 Royal Bank of Scotland RBSとHBOSの元経営陣が議会の公聴会によばれ、その質疑応答の一部始終がテレビで中継されておりました。わたくしがテレビを見ていた日に喚問され
たのはRBSのフレッド・グッドウィン氏、トム・マッキロップ氏、HBOSのスティーブンソン卿、アンディ・ホーンビー氏の4人。いずれも各銀行の崩壊時に責任者の立場にあったひとたちで、金融危機が訪れるまでは好調に飛ばしていたから、ホーンビー氏以外のみなさんはイギリスの経済に貢献した優れたビジネスマンとして
「サー」の称号をいただいております。RBSもHBOSもともに政府の支援総額およそ50ビリオン・ポンドから救済をうける銀行である。いま彼らは一様に「戦略をたてられず危機管理もできない無能管理者」「伝統ある銀行をつぶした大バカもの」と決めつけられ、爵位も剥奪してしまえという動議がでているらしい。そして爵位を
推薦した当時の大蔵大臣(いまのゴードン・ブラウン首相)も何も見えていなかったんだなと、「Have I got news for you ?」というニュース(コメディ)ショーの笑いのタネにされておりました。
彼らは議員たちにつるしあげられて、一様に「すみませんでした」を連呼していた。
すみませんの数を数えた新聞があって、グッドウィン氏はすみません sorry が1回、あやまります apologize が3回、マッキロップ氏はすみませんが1回、あやまりますが2回、ホーンビー氏にいたっては、慚愧に堪えません regret が1回、すみませんが2回、あやまりますが8回という統計でした。
何を聞かれてもあまりに元気に謝るものだから、テレビを見ていたわたくしたちも彼らはなにを謝っているのかわからなくなってしまった。議員たちも呆れて、「広報担当になんでもいいから謝っていればいいと言われてきたのだろう。なにについてすみませんと言っているのか言って見なさい」と詰め寄るシーンもありました。
だが、あやまりはするものの、銀行崩壊はじぶんのせいではないと強調する。ではだれの判断の失敗だったのか、だれが戦略をあやまったのかを問われると、のらりくらりとかわす。わたしのせいでこうなりました、などとは一言も言わない。だが、だれの決断と戦略でこのような事態になったのか、その証言が出てこなければなんのために公聴会をしたのかわからない。
「いや、わたしだってもっていた株が暴落して、2ミリオン・ポンドも失ったです。
わたしだって被害者なのだ」とグッドウィン氏は切り返す。だが、2ミリオンを失っても彼の昨年の給与は1.3ミリオン・ポンド。そのほかにボーナスを3ミリオンしっかりいただいているのであった。
いったいあなたたちは本当にバンカーなのですか、と聞かれ、一同は詰まり、議場は一瞬シーンとした。彼らはいずれもほかの業界からやってきたひとたちで、だれひとりバンキングの経験をもっていなかったというのです。「でも、わたしたちにはリーダーとしての豊かな経験があるのです。その資質でもって雇われたのです」と彼ら
は答えたが、どうだろう。バンキングという技術なくして銀行の戦略がたてられるものだろうか。金融機関をリードできるのだろうか。リーダーシップ論を考える上で興味深いケースであります。
彼らの謝罪と証言は、かつてトニー・ブレア氏がイラク侵攻を正当化したときのような心のこもらない気楽さだと論じたメディアがありましたが、質問に立った議員も中継を報道していたメディアも、みな苛立っておりました。
エルトン・ジョンに「 Sorry is the hardest word 」という歌がありますが、ひとを傷つけたあと、「ごめん」とひとこと、心から正直に言うのは、けっして簡単なことではない。だが彼らはごめんごめんと無邪気かつ快活に言ったあと、「でも、わたしのせいではないです。会社が崩壊するまでになったのは、サブプライムのせいです。わたしを生け贄にするのは簡単です」と言ってのけたのであります。サブプライムを仕掛けたのは彼らではなく、どこかよそのひとだったかのように……。
今月はじめに行われた「ダボス経済フォーラム」の席で、あるジャーナリストが「今回の経済危機は誰のせいだと思いますか」と、誰もが聞きたい、知りたい質問をして回っておりました。フォーラムに出席していた政府首脳・経済人・銀行家たちは、「わたしたちだけでなく、みんなの責任だ」と答えていた。
つまり、サブプライム・バブルを造りだした金融業者たちも罪だが、政治家、官僚、証券取引監視機関、投資家、経済学者、国際機関、そしておそらくセールスの甘言に踊って資本を投下したあなたやわたくしも、みんな同罪だということになるらしい。
こういうときだけ彼らはコミュニストなのであります。
春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行政学
修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。2000
年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長。現在オランダのハ
ーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』(NHK出版)、編書に『Chemical Weapons
Convention: implementation, challenges and opportunities』(国際連合大学)が
ある。( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9280811231/jmm05-22
)
JMM[JapanMailMedia] No.518 Friday Edition
【発行】 有限会社 村上龍事務所
【編集】 村上龍
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