しかし、バチカンは同24日、同司教の破門解除を発表した。 | 日本のお姉さん

しかし、バチカンは同24日、同司教の破門解除を発表した。

ユダヤ人虐殺否定で波紋=英国人司教発言、ローマ法王にも批判

 【ジュネーブ5日時事】ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を英国人司教が否定する発言を行い、ローマ法王ベネディクト16世の対応にも批判の矛先が向けられるなど、波紋が広がっている。
 問題の司教はウィリアムソン司教。ロイター通信によると、1月21日、スウェーデンのテレビ番組で「(ユダヤ人虐殺に使われた)
ガス室はなかった」と発言した。
 同司教は1988年、教会の近代化を目指したバチカン(ローマ法王庁)の方針に従わず、過去の伝統に固執して活動を続けたとして、バチカンから破門されていた。
しかし、バチカンは同24日、同司教の破門解除を発表した。
 破門解除をめぐっては、ユダヤ人だけでなく、ドイツのメルケル首相らからもバチカンへの批判が噴出。バチカンは4日になって、「教会での活動を認めるには、ウィリアムソン司教はホロコーストに関する自らの見解から距離を置くことを明確にしなければならない」と発言の撤回を求めた。(2009/02/05-21:01)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=200902/2009020500739&rel=j&g=int


ガス室はあったし、収容所は

最初からユダヤ人を

殺す目的で設計されていたのです。

死んでいったユダヤ人の残したクツや髪の毛も

のこっているし、骨も大量に残っているのに

どうしてガス室は無かっただなんて言いだすんだろう。

ユダヤ人が現場を保存したいと願うのも

後になって、「なかった。」と言い出す人が出てくると

思ったからだろうね。

バチカンは、バチカンに金を払わないカトリック教会は

簡単に破門するらしいよ。カトリック教会に行っていた人に

聞きました。金には厳しいが、ガス室は無かったという

歴史を勉強しない人には甘いんだ。

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ナチス戦犯、逃亡先で92年に死亡=「死の医師」の異名-独TV

 【ベルリン4日時事】ドイツ公共第2テレビ(ZDF)は4日、ナチス戦犯で「死の医師」の異名を取ったアリベルト・ハイムが、1992年8月に逃亡先のカイロで死亡していたことが、米紙ニューヨーク・タイムズとの共同調査で明らかになったと伝えた。
 1914年にオーストリアで生まれたハイムは、同国のマウトハウゼン強制収容所の医師として、多くのユダヤ人収容者らを人体実験に利用したり、心臓に注射したりして殺害したとされる。第2次大戦後に身柄を一時拘束されたものの、その後釈放され、当局の逮捕が迫った62年に消息を絶った。
 現在も南米に逃亡しているとの見方から、反ユダヤ活動監視団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」も最重要戦犯の1人として懸賞金をつけて行方を追っていた。(2009/02/05-07:08)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=200902/2009020500075&rel=j&g=int  


アウシュビッツの設計図発見=「ガス室」表記、ナチス幹部署名も-独紙

 【ベルリン10日時事】独大衆紙ビルトは8日付紙面で、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の舞台になったアウシュビッツ強制収容所の設計図がこのほど、ベルリンのアパートの一室で見つかったと報じた。
 同紙によると、設計図は28枚の黄ばんだ紙に1941年から43年にかけて描かれたもの。「戦時捕虜収容所アウシュビッツ」と記されたページには、ホロコーストを指揮したナチス親衛隊(SS)長官のハインリヒ・ヒムラーの署名も見られる。
 また、41年11月に作成された設計図には、「シャワー室」の奥にある約11メートル四方の部屋が「ガス室」と表記されている。このため同紙は、ユダヤ人問題の「最終的解決」を決定したとされるワンゼー会議が42年1月に開かれる以前に、ユダヤ人絶滅計画が存在したことが裏付けられたとしている。(2008/11/10-21:58)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=200811/2008111000915&rel=j&g=int