オバマ大統領にとまどうチュウゴク人?
2009年1月29日発行JMM [Japan Mail Media] No.516 Thursday Edition
http://ryumurakami.jmm.co.jp/
■ 『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』 第142回
「チェンジ」ふるまいよしこ :北京在住・フリーランスライター
中国は今週、旧暦の正月「春節」に入り、なんとも中途半端である。中途半端というのは、伝統に習ってお正月を楽しむ人たちには申し訳ないのだが、街中が正月気分に浸っているとき、ふと現実に戻って「あれ、今日は何日だっけ?」と考え始めると、頭が混乱するからだ。1月26日が初一といわれる旧正月の元旦、そして27日は初二……と続く。「今日は何日?」と尋ねて「初一!」と言われても、求めていた
答と違ってなんとなく面食らう。旧暦正月圏で暮らすようになって20年経つわたしでさえこうなのだから、日ごろから西洋暦で生活している中国在住外国人はもっともっと切り替えに困っていることだろう。
正月とは言えど、外国株投資に熱中する友人は初一からコンピュータとにらめっこしていたし、わたしも旧正月だと知って気を利かせた友達に日本から「おめでとう」と言われても、「あんたに言われても…」という気がするし。やっぱり中途半端である。こんなとき、日ごろ生活する大都市から帰っていく田舎がある中国人たちは十分に気持ちを切り替えて正月気分を楽しむことができるのだろう。正月休みの飲み食い
の集まりの間を縫ってコンピュータに向かって仕事しているわたしのような人間には、まったくのところ正月気分はない。
そんななかでも今年は多少、わたしを正月気分にさせてくれるかな、と期待していたのが、旧正月の大晦日にあたる25日夜にネット放送されるはずだった「山寨春晩」だった。前々回のレポート
( http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report4_1501.html
)でも触れたが、中国の国営テレビ局中央電視台(CCTV)による大晦日恒例番組「春節聯歓晩会」の、庶民版を作ろうという声で組織されたものだったが、予想にたがわず、というべきか、どんなにがんばってもインターネット放送のサイトにアクセスすることができなかった。
その前から「予想にたがわない」ことはたくさん起こっていた。たとえば、大晦日の数日前には、テレビやラジオ報道を管理する国家広播電視総局(広電総局)関係者が、「山寨春節」とウェブ放送契約を交わしたサイトの事務局を訪れて「指導」して帰った直後に、それらのウェブサイトが「山寨春節」放映を中止すると発表したこと。それと同時に、生中継時のスタジオ代わりだったはずの某会議センターがやは
り、会場提供を自粛したこと。その一方で、あれほど旧正月前に騒がれた「山寨」という流行語を代表する「事件」の一つだった「山寨春晩」に触れるブログや報道記事がどんどん減っていったこと……
本番を前に、広電総局が暗に「山寨春晩」規制通知を出したのではないかという問い合わせに対して、「山寨春晩」の言いだしっぺで「老孟」と呼ばれるようになった、四川省出身ビジネスマンの施孟奇氏は「信じられない」と語り、こんな声明を発表した。
「1.もし広電総局がそんな通知を発したのであれば、彼らは潔くそれを認めるはずだ。広電総局はやったのに認めない連中じゃないと、誰もが信じている。2.広電総局はCCTVを守ろうとしていると誤解している人がいるが、CCTVは十分強大で守られる必要なんてない。守られるべきなのは弱者グループだ。もし、守るべきではない強大な対象者を守ったりすれば、それは今後成長できなくなる。3.『老孟の春
晩』つぶしなどますます不可能だ。というのも、『老孟の山寨春晩』は多くの庶民が望んでいるものだから。広電総局は必ず我われを支持してくれるはずだ。皆さん、安心しよう。4.『山寨』という言葉はコピーや模倣を意味するものばかりではない。『山寨春晩』の作品はすべてオリジナルである。それはまるで『同志』という言葉が必ずしも同性愛者を意味するものではないのと同じだ…(略)…6.われわれがやろ
うとしているのは『山寨春晩』であって『山寨広電総局』ではないのだから、広電総局が我われを叩きに来るわけがない。広電総局は清廉潔白だ。みんな、そう信じよう……」
「同志という言葉が…」という部分を読んで、そのキョーレツなブラックユーモアに笑ってしまった。「同志」とは社会主義はなやかなりし頃、あるいは今でも最も社会主義的な雰囲気が重んじられる場面(たとえば政治会議など)で、他人を呼ぶときの敬称として使われている。一方で、同性愛は中国ではいまだに違法とされ、取締りの対象になる。同性愛者を「同志」と呼び始めたのはたぶん、香港か台湾が最初で、それは「同好の士」という、ある意味、当時は狭窄な世界に生きるしかなかった者同士を隠喩したものだった。
この主催者の言葉をどう読むかはそれぞれだが、放送日前の「山寨春晩」フィーバーに比べて、放送終了(したはず)後の視聴者の感想を探そうにも、ブログ検索をかけてもほとんど出てこない。あれだけ「山寨」文化に注目した文化コラムニストたちのブログも更新されないままだ。正月気分だから? それとも……?
もちろん、放送中の時間帯に視聴サイトにつながらなかったのは、「一時にサーバーの許容量を超えるアクセスがあったため、サーバーダウンした」という理由は当然のようにも響く。しかし、すでにあれから数日が過ぎた今でも、それだけの「許容量を超えるアクセス」が存在した番組に対して、ほとんどなんの感想も出てこない。誰も何も言わない、ということは、何も言えないということを意味するこの国では、弱
者の「山寨」が守られたのか、それとも強者のCCTV「春晩」が守られたのか想像するのは簡単だ。
そうしてずるずると日付だけが正月入りしてしまったので、冒頭に述べたように今に至るもわたしの気分は中途半端なままなのである。
テレビ放送といえば、先週、オバマ新大統領の就任式の様子が、中国のCCTVも生放送したらしい。ただ、やっぱりここでも期待を裏切らなかったのは、そこにはきちんと「一瞬の予期せぬ出来事」に対応するスイッチが準備されており、オバマ氏が就任演説で、「我われの先人がファシズムと共産主義を屈服させたのは……」とやったところで、同時通訳の音声がフェードアウトしたそうだ(わたしはまさかCCTVが生放送するとは思っていなかったのでCNNを見ていた)。
なんでまた、多くの中国ウォッチャーが「なにかが絶対起こるぞ」と固唾を呑みながら見ている中で、「共産主義を屈服させた……」の後からやっとフェードアウトするような「失態」を天下の国営放送であるCCTVが演じたのか、がインターネットで話題になっていた。中国のテレビ番組では一般に(CCTVの「春晩」ですら)生放送をうたっていても、必ず現場のナマとは数秒のタイムラグがある。それはその一
瞬の遅れによって不測の事態が「お茶の間」に流れるのを防ぐためだ。だから、「春晩」のような予想されたイベントは前日に本番と寸分たがわぬリハーサルを録画しておいて、本番があらぬ方向に向かったときにすぐに録画に切り替えるように準備がなされるのだ。
ところがオバマ大統領の演説は「共産主義を屈服……」という言葉が流れた後でフェードアウトしたのだが、当然もう遅すぎた。あるブログによると、「オバマ氏のスピーチ原稿は就任式の前にCNNのサイトで読むことができた」というのだから、CCTVの現場関係者の「怠慢」は明らかだろう。その様子を見ていた人たちからは「たとえ、あの部分を全文流したところで中国がびびるほどの内容ではなかったのに、わざわざ肝の小さいところを見せつける結果になった」と皮肉られていた。
たしかに今回は肝の小さなミスをしでかしたが、それでも資本主義国のご本尊アメリカの大統領の就任式を生放送したということを考えると、中国も大きく変わった。
4年前のブッシュ氏の再選就任式のときは放送したのかしら? それともその前から放送してたのだろうか……あまり記憶にないが、たぶん、ブッシュ氏の最初の就任式の報道は録画だったような気がする(テレビの生放送ブームのきっかけとなった911事件の前だし)。
その変化はもちろん、中国政府の開放性を表すものだし、また人々の情報への希求が受け入れられつつあることを示すものだろう。しかし、特に今回は中国でも「初の非白人大統領」への注目度、そして「チェンジ」の掛け声の結果生まれた大統領という新鮮感が、人々の気持ちにあったことは否定できないだろう。
だから、当然のことながら、オバマ氏の当選直後からその閣僚リストや、公式の場に姿を現したオバマ氏の一挙一動が中国でも必ず報道されてきた。さらにその著書も立て続けに中国語版が発売され、好調な売れ行きを見せているというし、オバマ氏の異母弟が中国で暮らしており、中国人女性と結婚したという話題も注目されている。
そんなふうに世界とシンクロするような中国のオバマ氏に対する期待感とはいったいどんなものがあるのだろうと調べ始めたところ……見つからないのだ、やっぱり。
経済不況に絡めた予測分析で「オバマ氏の采配が注目されるところでしょう」みたいな内容や、記者会見で外国記者の質問に答える外交部スポークスマンの言葉は報道として流れていても、CCTVがその就任式を真夜中に生放送しなければならないほど期待している視聴者がいるわけなのに、「黒人」とか「非白人」とか「対ブッシュ」程度の単純な対比以外、ほとんど(プロのコラムニストたちの間ですら)今後の中米関係についての予測、あるいは期待といったものが語られていないのである。
大統領戦の真っ最中にも書いたが、そのときも「マケインならば中国と」、あるいは「オバマなら」といった予測もあまり出ておらず、あるメディア関係者に尋ねたら「どちらが大統領になっても、対中政策にはそうたいした違いはないから」という話だった。
しかし、ブッシュ政権下でのポールソン前財務長官の就任は「中国の老朋友」と、あちらこちらでもてはやされ、アメリカによる人民元の対米ドル切り下げはそれほど厳しいものにならないだろうと歓迎されたのに、オバマ氏が押したガイトナー長官も中国語や日本語を話すアジア通と言われるが、それにも軽く触れただけ。さらに閣僚にスティーブン・チュー氏(エネルギー長官)、内閣秘書に同じくクリストファー・ルー氏という華人が就いたことすら、過去の海外華人市長や議員の誕生などの報道に比べると、ずっとずっと低調に伝えられただけだった。
そんな時、今年1月1日に30周年を迎えた米中国交回復の記念行事が行われたが、ブッシュ政権下のライス国務長官がイスラエルのガザ攻撃への対応を優先して出席を取りやめたため、カーター元大統領、キッシンジャー元国務長官らという「昔の顔なじみ」が集まっただけだった。どう見てもなんとなく一抹の寂しさが漂うもの
だったが、米中国交回復の裏話の披露や再訪したこれら「昔の顔なじみ」たちのインタビューなど、世界の注目を浴びる新たな時代の新大統領そっちのけで30周年記念報道が組まれていたのは、なんとも滑稽な感じがした。
それについて、シンガポール紙「聨合早報」の論説員、杜平氏はこう書いている。
「北京で派手に記念活動が行われているそのとき、アメリカの参議院が意向委員会では国務長官に推薦されたヒラリー・クリントン氏に対する公聴会が行われていた。そこで対中政策について尋ねられたヒラリーは、中米関係の重要性を論じたが、アメリカがいかに中国に対処するかは中国の国内外における選択による、と答えた。外交面からすれば、これは当然理性的、プロフェッショナルな表現だが、中国政府の熱意あふれる態度と比べると、傲慢で冷淡だと言えなくもない。このような冷たい態度こそが、中国外交が直面している世界の現実である。中米両国の強烈な態度の差はまた、中国外交の自己調整が必要なことを示すものだ。アメリカとの間だけではなく、ヨーロッパ諸国も含めたその他の国々との交際方法も調整する必要がある。ヒラリーの言葉のどおり、中国がいかなる外交態度を取るかは、相手がどのような選択をするかによって決定されるべきなのだ」(「中国外交の理性と感性」・1月16日)
その影響だろうか、わたしがオバマ氏就任で強烈に記憶に残っているのが、就任式当日に、外交部報道官の姜瑜女史が新大統領に向けて、「良好で、発展を続ける中米関係こそが、中米両国と両国の人々の根本的利益に合致するものであり、世界の平和、安定と発展に有利だ……」と訓戒するかのような口調で語っていたことだった。
中国政府はアメリカの動向が気になってしようがないはずなのに、冷たく突き放すような言葉をここで選ぶのは一体なぜなのか。確か、4年前のブッシュ氏の際には就任式に招かれた中国代表を執拗に追って、その「喜び」を示していたはずだが。
「……歴史的な慣習から、中国はアメリカや他の国と付き合う際に、理性と感性の采配を間違えるという欠陥がある。特に突発事件に対して、あるいは両国関係において望まないような事態が発生した場合、感性の反応が理性の応対よりも多く現れやすい。たとえば、ここ数年、中国と他国の間でいさかいが起きたとき、政府は自分の国家利益が損失を受けたと主張するのではなく、相手を『中国人民の感情を傷つけた』
と叱責することをすぐに考えついた。国際的な往来において、ある国がたびたび感情を傷つけられたと考えるのは、政策決定に感情や情緒という雑念が混ざっていることも原因にある。ある国、あるいはある『老朋友』に一方的な見方や期待をする。一旦事態が期待したとおりにならないと、簡単に政府や民衆は落ち込み、驚愕し、怒りを示す。もし、政策決定過程が現実的、実務的、理性的、さらには冷たく進められれ
ば、結果が失望に終わっても、怒涛のような憤りから官民ともに情緒的になることはないはずだ。中米国交回復30年に立ち、筆者はこのような感想を記念としたい」
(同上)
そういえば、この「中国人民の感情を傷つけた」という言葉は、確か昨年のチベット騒乱の処置を巡って西洋諸国と大論争が巻き起こったときも、外交部報道官の口から出た。しかし、その後年末に、サルコジ・仏大統領がダライラマと会見し、中国が予定されていた中欧会議をキャンセルした時にはそれを「言わなかった」として話題になった。さらに、その後、中国政府はそれまでのように、フランスとのすべての往来をボイコットするような取り付くしまのない態度を取らなかったことも注目された。
大好きだったはずのアメリカに対する冷めた態度、そしてあれだけ国内外で大騒ぎになったチベット問題でも見せなくなったその激しい感情。中国は本当にその外交態度を、この杜平氏が指摘するような視点に立って変えている? もしそうだとしたら、中国の中で始まっている「チェンジ」とは一体どんなものなんだろうか。どんなふうに今年、現れてくるのだろう?
ふるまいよしこ
フリーランスライター。北九州大学外国語学部中国学科卒。1987年から香港在住。
近年は香港と北京を往復しつつ、文化、芸術、庶民生活などの角度から浮かび上がる
中国社会の側面をリポートしている。著書に『香港玉手箱』(石風社)。
( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883440397/jmm05-22
)
個人サイト:( http://wanzee.seesaa.net
)
JMM [Japan Mail Media] No.516 Thursday Edition
【発行】 有限会社 村上龍事務所
【編集】 村上龍
【発行部数】128,653部
【WEB】 ( http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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個人的な意見を書かせてもらうが、チュウゴク人は
白人が大好きで、黒人は好きではない。ついでに
いうと、アメリカ大好きで、日本が嫌いだ。幼稚園児から
反日教育を施しているから、反日だ。ただし、海外に
留学するチャンスがあるとみれば、反日でも関係なく
日本に来る。そしてアメリカの大学に入るチャンスが
あるとみれば、ちゅうちょなく、アメリカの大学に
引っ越す。話がズレました、すみません。
白人大好きなチュウゴク人にすると、アメリカは白人の
国のはずなのだ。でも黒人が大統領になったので、
なんだか変な気分になっているのだと思うよ。
チュウゴク人は、黒人は、自分たちより下だと思っていて
黒人の留学生には、態度は悪いが、白人の留学生には
すごく優しくする。チュウゴクに留学していて、現場を何度も
見たことがある人に聞きました。アフリカの留学生たちは、
アフリカでは、政府関係の子弟とか、お金持ちの子供で
立派な家族の子供で、現地では尊敬されている家の子
なのに、チュウゴクで、礼儀がなっていないチュウゴク人に
バカにされて、プライドが傷つくと言っていたそうです。
チュウゴクに来るように留学を勧めながら、チュウゴクで
留学生たちがチュウゴクが嫌いになるようなことばかりして、
どういうことかと言っていたそうです。それでも、若い時代を
チュウゴクで過ごすと、現地でチュウゴク語を話す相手に
出あうと懐かしい気分になるらしい。