渡り禁止と、シビリアンコントロール(外交と安全保障をクロフネが考えてみた)
渡り禁止と、シビリアンコントロール(外交と安全保障をクロフネが考えてみた)↓
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参考記事
いま官僚の天下りや渡りあっせんの問題が重要な焦点となっているが、麻生首相は今年いっぱいでそれを廃止する意向を表明した。
また従来の縦割り行政を防ぎ官邸主導によるトップダウン政治を実現するため、内閣官房に”国家戦略スタッフ”を置くことや、幹部人事を統括する”内閣人事・行政管理局”を設けること等を目玉とする、公務員制度改革の”工程表”も決定した。
私は、官僚の天下りや渡りのあっせんについて、年内禁止を表明した麻生首相を強く支持したい。
工程表も、ざっと見たところだいたい納得できる内容だ。特に内閣に国家戦略スタッフを新設し、首相が次官以下スタッフを任命できるようにするという部分については、非常に好印象を受ける。
先に麻生政権が、完璧に行政改革・公務員制度改革をやってしまったら、霞ヶ関改革をかかげる小沢民主党の出る幕がなくなってしまうかもしれない。
しかし、麻生政権が工程表を出すまで大変な難産となった。
それは人事院という巨大な権力を持つ官僚の抵抗勢力が麻生政権に立ちはだかったからだ。
人事院は、国家公務員の給与水準と各ポストの人数配分を定める”級別定数”の決定権限を持っている。
つまり人事院は、官僚の給料と人事の決定権を握るがゆえに各省の閣僚さえうかつに逆らえないような強大な権力を持ち、長年にわたって行政改革をはばむ官僚の牙城となっていた。
だが麻生政権は工程表において、人事院から幹部公務員の人事権を”内閣人事・行政管理局”に移管させることを決めた。
自分たちが持つ強大な権力の源泉を麻生政権に奪われることを危惧した人事院の谷公士総裁は、あからさまに麻生政権に反旗をひるがえして抵抗を続け、菅義偉・自民党選対副委員長に「谷総裁は辞任せよ」と言われて「否、人事院総裁はやめない」と返答するなど、激しくやりあったことはニュース等でご存知の方も多いだろう。
で、人事院や谷総裁の行動は、シビリアンコントロールからの明らかな逸脱であり、民主国家として絶対に許されないことだと思う。
日本という国のしくみで最重要なことは憲法第一条にあるとおり、日本は国民に主権がある民主国家ということである。
だから実際の行政においても、憲法より下位にある諸法をつくるときも、この国是に違反するようなことがあっては絶対にならないはずだ。
日本国の主人は主権を持つ国民であり、選挙によって国民から選ばれた首相というのは国民の代理者なわけだ。
だからこそ首相が行政のトップとして日本を統治していく正当性があり、官僚は首相に従わなければいけない根拠がある。
ペンを持つ文官にしろ銃を持つ武官にしろ選挙で国民から選ばれたわけではない官僚が、日本の行く末を決定する統治者となってしまえば、それは官僚による独裁国家ということになってしまう。
もちろん人事院総裁や裁判官は、日本国の主人では断じてない。
人事院に許されているのは、公務員の待遇や人事について勧告(勧めること)までであって、人事院の考えを主権を持つ国民の代理人である首相に強制することは許されない。
行政改革を決断した麻生首相に対し、一公務員にすぎない人事院総裁がそれを反対するというのは、民主主義に対する反逆であり、谷・人事院総裁の行動は憲法第一条に違反している。そして許しがたいシビリアンコントロールからの逸脱だ。
国会に参考人招致して厳しく追求した上で、谷総裁は即刻辞任するべきである。
今回、麻生首相の方針に反抗して辞任要求も拒否したのが人事院総裁ではなく、自衛隊の幹部だったらどうであろうか。
田母神氏の時あれほど大騒ぎしたマスコミが何も言わないのが不思議でならない。
人事院の谷総裁は、麻生政権に反対する理由として「労働基本権制約の代償機能が損なわれる」ということを言っている。
簡単に言えば、公務員は一般の労働者のように労働組合をつくって交渉したり、組合でストライキをしたりする権利が一部またはすべて制限されている。(それが「公務員の労働基本権の制約」で、制約の度合いは公務員の仕事によって違う)
民間の労働者と違ってそうした制約がある公務員がかわいそうだから、代わりに人事院が公務員の待遇について政府にかけあってやらないといけない。
しかし麻生政権が人事院から公務員の待遇や人事の決定権を奪うとそれができなくなってしまう、というのが人事院の言い分である。
行政改革に長年抵抗してきた人事院は「使用者たる内閣が公務員の給与を勝手に決めることになり、労働基本権制約の代償機能が失われる」と言ってきたが、スカポンタンの世迷言だ。
使用者(経営者)と労働者が別れている民間企業の場合と違って、国家公務員というのは、働いているときは確かに使われる労働者だが、自分が選挙に行くときは公務員の主人である国民であり使用者なのである。
公務員は一人の人間が労働者であり同時に使用者であるのだから、自分が自分に対して賃上げを要求したりストをやったりするなんておかしい。
よって民間の労働者と違い、公務員の労働基本権が制約されるのは致し方ない。
民間企業と違って倒産のおそれがほとんどない恵まれた職業ということもある。
公務員も投票によって公務員の待遇をどうすべきか決定する権利を持っているし、表現の自由も認められているから、デモ等で待遇改善を訴えて理解を求めても良いだろう。
その上で国民の代表である首相が最終的に公務員の人事や待遇を決定すれば良い。
憲法十五条には「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とあり、国民の代理者である議会や首相が、公務員の人事や給料などの待遇を決め、公務員がそれに従うのは当然だ。
人事院は「使用者たる内閣が公務員の給与を勝手に決めるな!」と言っているが、主権が国民にある民主国家ではそれが当然であろう。何を言っているのか。
(ついでに、人事院総裁を国民や首相が罷免できないようになっているのは憲法上おかしい)
自治労や日教組など公務員の労働組合もそうだが、「労働基本権」を大義名分に行政改革に抵抗し、憲法を破り国民をさしおいて自分たちがこの国の主人であり続けようとする中央・地方の公務員。
私は、行政改革を決断した麻生首相を強く支持したい。
今、日本は巨額の財政赤字をかかえているが、これが民間企業なら巨額の累積赤字をかかえる企業の社員の給料は下がって当然だろう。ボーナスカットも当たり前。
日本の国家公務員も、財政や経済成長率と連動する能力給にしたらどうだろうか。(シンガポールがそうらしい)
国民が選んだ首相や各大臣にすすんで協力し、その結果日本の財政や経済が好転したら大企業並の給与を与えても良いと思う。
ただし天下りや渡りなどもってのほかだ。
官僚の中には、「天下りや渡りができると思って、猛勉強して官僚になったんだ」という人物もいるのかもしれない。
しかし「官僚になったら必ず天下りや渡りをさせて億円単位の退職金をやる」なんて、学校の教科書のどこにも書いていない。
「理想を持って勉強してきたが、教科書の内容と違う現実があることを知り、文科省にだまされた」といって犯罪行為におよんだ、甘ったれた元東大生がいたが...。
麻生太郎首相は3日に開かれた衆議院予算委員会で、「(公務員の天下りや渡りのあっせんを)今年いっぱいで廃止するための政令を作りたい」と表明した。
麻生政権は同時に、今後4年間の公務員制度改革に向けた”工程表”を決定した。