中国農村女性の悲しき運命2009/01/24http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2009/01/post-11b6.html
今日も復刻シリーズです。目に留まった(私は忘れていた)エントリを紹介させていただきます。
中国農村女性の悲「しき運命現代中国で何が起こっているか」という、要 紘一郎氏のHOME PAGEがある。
広東省の週刊紙で、中国メディアの良心とも呼ばれる「南方週末」の記事を翻訳したものが中心。2000年から2006年までの主要な記事が翻訳されており、現代中国の市民レベルの実態を知るうえで非常に役に立つ。私も、このブログで何度か記事を引用させてもらった。
以下の記事は、今年の1月5日に「南方週末」に掲載された、現代中国の農村女性の、一つの典型的な生き様である。
中国の農村、社会制度、女性の地位、男や女の意識などを知るうえで大変興味深い。全文引用させていただく。
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阿珍、彼女は江西省の有る貧しい村で生まれた。幼少時に母を亡くし、3才と生まれてすぐの二人の弟が居た。母の死後10年以上経つが、お金がなくて父は後添えを迎えることができなかった。そして遊び場の女性を相手にしたり、酒におぼれるような日々を
送っていた。稼いだ金は全て酒に注ぐような毎日で、女性との間にもめ事が絶えなかった。
阿珍が6才になるともう一人前として食事の用意や洗濯を任された。鼻水を垂らした
二人の弟も彼女が面倒を見た。阿珍は小学校だけは出た。学校の先生はそのことを
とても残念がってくれた。「このような元気で将来性の有る子供が学校に行けないなんて、何という不幸なんだろう」と。
13才になると男性のように今度は薪割りや田植え、芝刈り、稲もみなども手伝わされた。
毎日の仕事は正に“重く苦しい”ものであった。それでも彼女は大人の女として身体は大きくなっていった。
ある夜、村の一人の男と遊んだ。しかしその男は直ぐに相手を変えた。
16才の正月の3日目、破れた戸口に一人の身なりの好くない目の鋭い男が立っていた。
父が「弟たちも次第に大きくなってお金がだんだん多く必要になってきた。お前はあの男と一緒に女廊に行って働け」と命令した。
阿珍の心は驚きと不安とそして、“やっぱり現在の環境から逃げられる”という考えが
湧いてきて、その男に従った。
父からは毎日のように殴られる生活であったのだ。
阿珍は言う。他の人から見れば私達の商売はお金が大きく動き、仕事の中身も簡単に見えるかも知れない。しかし私は毎日のように泣きました。どの男も狼のように私を扱いました。
男達から毎日身体を求められ、しかしそこにはどんな愛情もなかった。
阿珍が18歳の時、女郎に初めて来たという男が見えた。その男はとても緊張していた。
阿珍はその男が好きになった。しかしその男は実際には良い点は何もなかったのだ。喧嘩早く、ほらを吹き、威張り、お金を簡単に消費した。阿珍がその男を好きになったのは、最初の初々しいと思えた第一印象の為であった。
阿珍は職業上多くの衣服を持っていた。求められるまま、それらを売ってその男に貢いだのだ。
阿珍には“愛情”とはどんなものか、まだ全く分かっていなかったのだ。しかしその男に捧げることが、阿珍にとっては大切な“愛情”であった。
そして6年前、記者が阿珍に出会った頃、その男が喧嘩をし、相手を植物人間にし、
投獄され15年の刑を受けることになった。
そこでその男との縁も途切れた。
阿珍はお金を貯めては男に捧げていたので、ほとんど残っていなかったが、それからは何とかその男を救出しようと努力してもみた。
その男がこれまで喧嘩をするとき、阿珍は地面に跪いて止めようとしたものだ。そんな彼女の願いは報われなかった。それも「運命だ」と彼女は言う。
阿珍は正月が来ても家に帰らない。帰ればきっと父に殴られるだろう。そして今では
弟たちも誰も家にはいない。かつての男とも今となっては、ただ苦痛の想い出だけが
残っている。
阿珍は3年も経てば、どこか遠くへ嫁に行って、そしてもう再び男に弄ばれるようなことはなくなるだろう、と言う。
その3年で貯めるお金のことを考えた。
彼女は1年で3万元程貯蓄できる。父に家を建てるために4万元与え、弟にも3万元与えて結婚させ、そして残りは自分の将来の夫に提供する。
ふしだらな男にお金を捧げることはもうしません、と誓う彼女。しかし彼女の説明する
貯金の提供先は、父、弟、将来の夫で、どれも“男”だ。
その採訪から1年して私は阿珍から便りを受けた。彼女は公安の手入れで捕まり、罰金として数千元取られた。そしてその街で働けなくなり、違う街へ移ったという。
そして又1年して彼女から連絡が来た。
ついに彼女の念願の日が来たのだ。嫁入り先が決まったのだ。それは生まれた土地から相当離れた村であった。
彼女は父に家を買った。弟にもお金を渡し、村の嫁を貰う手はずが整った。
そして彼女の2番目の弟が20才になり村に好きな娘ができた。しかし婚約に必要な
数万元というお金ができず、今はそこまでは援助できないと言う。
ここで阿珍の話は終わる。彼女の物語は、まさに涙なしには聞けない苦痛に満ちている。最後には故郷から遠く離れたところへ嫁に行った。
でも、こんな言い方を許して欲しい。彼女は勾麗と比べればすっと幸福な人生ではないだろうか。
彼女の受けた傷は命には別状がなかったのだ。新しい生活が始まり、それは過去を
消してくれるのだ。
彼女の幸せを祈る!
勾麗や阿珍 (2006/01/05 南方週末 王文)
なお、「勾麗」という女性については「娼婦の生前日記が悲しき運命を語る」というタイトルの記事を参照されたい。
今の中共体制の下(もと)にある中国は、共産主義とは無縁の社会。実態は、弱肉強食の資本主義社会である。
その一方において、とくに農村部では封建色が強く残り前時代的。そして貧しい。こういう社会では、常に女性が、家族が生きていくための犠牲にされる。
そして女性は、その立場を甘んじて受ける。
戦前の我が国がそうであった。とくに昭和初期の、昭和恐慌と凶作というダブルパンチに見舞われた東北地方の農村では、娘の身売りが後を絶たなかった。
昭和9年、山形県のある地方では、9万人の人口があったが、そこで2000人もの娘が村々から消えたという。農村の壊滅的な貧困と男尊女卑。これが、女性に「家族が生きていくための犠牲」を強いるのである。
この農村の悲惨な状況が、昭和11年の青年将校による2.26事件の原因の一つに
なったと云われる。兵隊の姉や妹が、続々と身売りされたからである。
幸い今の我が国は、豊かで自由で民主的である。「家族が生きていくために娘を売る」なんてことは、まずない。
が、現代中国では、一部では繁栄を謳歌しているが、取り残された地域は、70~80年前の我が国と同様の状態にあるということだ。
今の中国において、都市労働者の平均的賃金は1月1,000元前後(1,5000円)。しかし農民の収入は、1日働いて約10元(150円)、1月300元(4,500円)程度にすぎない。
しかも農民は、法令に定めのない各種の税金を徴収され、ときにはタダ同然で土地を
取り上げられる。
中共当局は、「三農問題」の解決」を声高に叫んでいる。「三農問題」とは、「農民」
「農村」「農業」の問題。その目指すものを具体的に列挙すると、「農業の振興」「農村の経済成長」「農民の所得増と負担減」である。
これは、胡錦濤が中国共産党総書記に就任した2003年から、中国共産党の政治上のテーマとして正式に取り上げられるようになった。
しかし、昨年、中国で起こった暴動や騒乱は8万7千件にのぼる(中国公安省)。発生
件数は、2004年に比べて6.6%増と確実に増えている。当局の土地収用に反対する
農民の抗議行動が主で、毎日238件起きていることになる。
この深刻な事態に対し、中国・広東省トップの張徳江・共産党省委員会書記(党中央政治局員兼務)は19日、党や政府の当局者が土地収用など不動産開発に関与することを禁止し、違反した場合はただちに免職する方針を示した(06年1月21日 読売新聞)。
中央政府の温家宝首相も、昨年末に開催された中央農村工作会議で「農民の民主的権利を守り、物質的な利益をも与えなければならない」としたうえで、「農村の生活の質を高め、公正さと正義を保証することこそが、極めて重要なことであり、緊急の責務だ」と強調した(新華社電)。
そして、「われわれは歴史的な過ちを犯すことはできない」と指摘し、
危機感をあらわにしている。
一昨日の讀賣新聞朝刊【膨張中国】において、中国人の研究員・何清漣氏(元「深圳法制報」記者)は、「胡錦涛時代になると、問題を根本的に解決できないと(中共指導部は)悟った。(だから)指導部は、民衆を愛しているという演出と、党への脅威と感じる
批判や行動を抑圧することだけに専念している」と指摘している。
そして今の中国は「出口のない状態」であると・・・
つまり「三農問題」は、いつまで経っても解決できず、阿珍さんのような農村女性の悲劇は、これからもなくなることはない。
私は、過去のエントリー「世界の奴隷工場:中国」で、中国の工場における出稼ぎ労働者の悲惨な実態は、まるで我が国の戦前における「女工哀史」と同じと書いた。
そしてまた、本日、中国における農民の悲惨な実態は、まるで我が国の戦前における農村と同じか、それ以下と書かねばならない