うるさかったら、塩をまいてシャッターをさびさせていいのか?
シャッターさびちゃえ!住職「塩まき」10年、一喝され自供
堺市堺区の寺院の住職(55)が、門前の運送会社のシャッターに塩をまき、さびさせたとして、大阪府警堺署から建造物損壊容疑で取り調べを受けたことがわかった。
住職は当初、「霊が見えたので、お清めしただけ」と言い逃れを図ったが、捜査員から一喝され、「朝早くから車の音がうるさいので、困らせようと思った」と認めたという。約10年前から「塩まき」を繰り返していたといい、同署は住職を同容疑で書類送検する方針。 捜査関係者によると、住職は昨年夏から秋にかけて、倉庫のシャッター(縦4メートル、横16メートル)に塩をまいて腐食させ、運送会社に補修費用として約38万円の損害を負わせた疑い。 運送会社は約15年前に現在地へ移転してから2度、シャッターのさびをペンキで塗るなどして補修。昨年6月7日に3度目の補修をしたが、翌7月にさびが浮いてきたため、不審に思って防犯ビデオを設置。8月30日、9月6日、同17日の夜に撮影されたビデオに、何かを振りかける住職の姿が映っていた。住職は「さびるように、水をまいたこともあった」と供述している。 1月22日7時38分配信 読売新聞 |
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090122-00000008-yom-soci
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寺院の住職がこんな卑劣なことをしたということに特に
びっくりはしない。人間は罪びとなので、こころに罪を持って
生まれてきている。だから罪を犯すのです。
寺院の住職でも、教会の牧師でも罪を犯すことは
あると思う。でも、罪を犯したいという欲望にかられることと、
実際に行動を起こしてしまうことには、天と地ほどの差がある
のです。(どこかのアニメの言葉です。)
すべての行動は、本人に責任がある。本人が、こころの
中の罪の誘惑を「受け入れ」「実行した」のだから、
あくまでも、本人の選択です。罪の結果も一緒に
受け取らねばなりません。警察に捕まらなかったとしても、
神さまは、見ておられるのです。
この住職は、運送会社がうるさくて嫌いだったのかもしれ
ないが、普段、他人に偉そうなことを言う立場だとしたら
こっそり夜中に塩や水をまくという行為は、いくらやりたいと
いう誘惑にかられても、我慢するべきだったのではないか?
自分の職業や立場を忘れた行為だと思う。
嫌いな人や家に、こっそり細工をして壊すなんて、
どこかの意地悪でヒマな主婦がやりそうなことではないか。
(ちゃんとした主婦なら、そんなことはしません。)
うるさいと思うなら、運送会社に文句を言いに行けば、
なんとかなったかもしれないのに。
寺院の住職でも、普通の人と同じ罪びとなのは、分かって
いるけれども、普通の人でもうるさいからと言って、相手の
施設を壊すような行為はしないでしょう。