統一教会によるもう1つの「侵蝕」 (博士の独り言) | 日本のお姉さん

統一教会によるもう1つの「侵蝕」 (博士の独り言)

(博士の独り言)http://specialnotes.blog77.fc2.com/
「統一教会の資金集めを助けた」と指弾された「日弁連会長」
 カルト宗教の動向に関して、興味深い誌面記事があるので、ご参考としていただけることを願い、小稿に紹介する。博士の独り言/写真は週刊新潮(1月29日号)の記事(P138)より参照のため引用。
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おぞましいカルト宗教の根絶を

 社会問題となって久しい「霊感商法」をはじめ、統一教会に起因するさまざまな社会問題に果敢に対峙し、被害者の相談にも取り組んで来られた弁護士諸賢(全国霊感商法対策弁護士連絡会)の諸活動は、おぞましいカルト宗教の実態を周知し、日本社会に警鐘を鳴らす上で大変に貴重である。その弁護士諸賢が、また1つ、統一教会による詐欺的ともいえる資金集めの実態を指摘し、指弾の「申し入れ書」を送付した。だが、それによって指弾された人物が、こともあろうに、日弁連の会長であった、と報じる誌面記事(表題)である。

 同誌面記事の内容が事実とすれば、まさに、神出鬼没といえるカルト宗教による日本社会への侵蝕、詐欺手法のパターンがまた1つ読み取れるのではないか。カルト宗教に対峙する場合には、ケース・バイ・ケースの「もぐら叩き」式に、個々の問題、事件に対峙する。これも実態に即した対峙方法といえ、現実の上で重要なことだ。だが、もう1つ、カルト宗教のパターンを英邁に読み取り、また、知り得るパターンを先読みして、「もぐら」の出口で待ちかまえる。これも、根絶に不可欠ではないか、と考える1人である。
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看板「偽装」の一環か

 カルト宗教には、教祖や宗教としての出自が、よく調べてみれば、朝鮮半島に由来、あるいは、朝鮮半島に思想、構成員などの点で縁深い集団が多い。また、その手法は、集団洗脳による日常・社会常識やモラルの「破壊」を基本としている。精神面での日本侵略、と指摘して差し支えない。その特徴的な手法の1つに、表題の事例にあるような、対峙組織の「ヘッド」に相当する存在を知らずのうちにか篭絡し、カルト宗教自らの宣伝、資金集めの「具」に利用するパターンが見え来る。

 表題に参照する誌面記事には、「京大学生新聞」のインタビュー記事に、日弁連会長が登場、との事件が記されている。この「京大学生新聞」は、一般の学生新聞に映るが、しかし、記事に云く、「この新聞は京大の公認団体ですが、統一教会の資金源のひとつなのです」と。また云く、「統一教会の学生組織である原理研究会(最近はCARPと名乗ることが多い)は、各有名大学で新聞を発行しています。その多くは『○○大学学生新聞』という名称。しかし、紙面には、統一教会も文鮮明教祖もまたく出て来ない。これは布教ではなく、購読と広告による資金集めが目的だからです」、とその正体について記している。

 一般に、パチンコがカルト宗教の資金源の1つになっているのではないか、との指摘が絶えないが、表題記事が記す『○○大学学生新聞』もまた、その資金網の1つである。紙面への、日弁連会長の登場は、同会長が信者でなければ、いわば、看板「偽装」の一環として同氏を使った、と謂えるのかもしれない。騙(だま)しパターンとして、自前の広告塔とは別の意味で、有名人、有力者を、あるいは、その活動を利用するケースが往々にして見られるので要注意である。



週刊新調記事(切り抜き)1月19日号(P138)
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 目的が資金集めとはいえ、あるいは、詳細に調べれば、内容紙面にも、一般の学生が知らないうちに、気づかないうちに、侵蝕をなす。その種の事項が出て来るのかもしれない。これらは、特定国の対日工作、対日毀損にも見られる手法だが、そもそも、カルト宗教の存在それ自体が対日侵蝕の尖兵であり、その一環をなす存在である、と認識すれば、事の次第が判りやすくなる。「信教の自由」とはいえ、その定義は実に曖昧である。その曖昧性を衝くかのように、これを盾(たて)とする怪しげな集団がは現下に徘徊している、と謂えるのではないか。
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【筆者記】


 カルト宗教の「洗脳」とは、真実、事実ではない事柄を植え付け、信じ込ませる。その目的は、社会正義に対する挑戦、精神的な侵略(侵蝕)であり、その篭絡のための破壊にある、と指摘できる。その目的のために、繰り返し、また、繰り返し、また、連呼するかのように、虚構を個人に吹き込む、と認識すれば、そのおぞましさの本質が見えてくるのである。

 これに対して、「啓蒙」とは、真実、事実を知らしめ、「洗脳」によって植え付けられた虚構が「虚構」であることに気づき、覚醒せしむる。人間に、本来在るべき理性の行動に他ならない。時には勇気と忍耐が要ることだ。だが、カルト宗教の徘徊と侵蝕を放逐する。そのために、身近な、且つ地道な粛々とした啓蒙も必要ともいえる。自発的にではあるが、学生時代からの、地道な国思う活動を通じて、カルト宗教は予想外の分野ではあったが、振り返ってみれば、淡々とした啓蒙を以って対峙した相応の数のカルト信者が脱会、足抜けしている。その、ほとんどが初心者であり、これから、のめり込みそうな人たちであったが。

 その中には、今では、国思う1人として、いかなる団体とも無縁の筆者とスタンスを同じくして、時折、応援の手を差し伸べてくれる人もいる。現実に、1人がやれることは限られている。だが、地道な指摘と周知により、やがては、社会全般がカルト宗教に対する予備知識を深め、免疫性を高めていけば、その行く先で、カルト宗教は壊死していくに違いない。カルト宗教が存在しない、晴れ晴れとした日本社会を望む1人である。以上、誌面記事を参照し、小考を報告する。