礼拝のメッセージ
今日の礼拝のメッセージは、神さまの前には、奴隷も自由人も
どこの国の人かも関係なく、平等ですと書いてある聖書の箇所
からでした。新約聖書が書かれた時期は、ローマ時代で、
その頃は、人権なんてものは、ローマの市民権を持った者に
しか無かったのでした。ローマ市民は、何かの犯罪の疑いを
掛けられても、勝手に罰を受けることはなく、ちゃんとした裁判を
受けて、自分の身の潔白を証明する機会が与えられていました。
そうでない者は、ローマ兵に捕まったらそのまま殺されても、
文句も言えないのでした。
当時の世界では、戦争に負けたら皆殺しにされるか、奴隷に
されるかで、強くなければ国として生き残れない時代でした。
ローマは、ローマ兵の教育を徹底的に行っていて、命令に
従わない兵隊は容赦なく、殺されることになっていました。
また、捕虜を監獄から逃がしたりでもしたら、番兵は頃され
ました。現代よりも、ずっと厳しい世界であったのです。
イスラエルの国は、ローマ時代では、特別扱いされている国
でした。すべての国は宗教を認められていましたが、かならず
ローマ皇帝を拝む必要がありました。
ポーズだけでもよかったのです。ローマは、厳しくもあり、寛容
でもあったのです。逆らえば皆殺しだが、従えば、それなりの
寛容な扱いを受けました。ただし、ローマ皇帝を拝むポーズが
要求されたのです。
でも、イスラエル人だけは、何があっても、ローマ皇帝を拝まな
かった。そこで、ローマは、イスラエル人だけは、ローマ皇帝を
拝まなくても、特別にうやむやにしておくということに決めたの
です。イスラエルには、ローマの総督がおかれ、イスラエル人の
中から税金取りを募集し、彼らから一定の税金を納めさせました。
彼らは給料を与えられませんでしたが、好きなだけ税金を
同胞から奪ってよいとされていました。
イスラエル人にとっては、税金取りや売春婦は罪びとであって、
最低の人間とされていました。また、イスラエル人は、他の国の
ように、奴隷や使用人を持っていましたが、奴隷たちの地位も
低いものとされていました。また、らい病人などは、一般の人とは
一緒に住んではならず、やむをえず、町に出るときは、
大声で「汚れています、汚れています!!」と叫びながら
歩かねばなりませんでした。
そのような時に、ナザレの町から出た大工の息子として
育ったイエス・キリストが、公に自分が聖書の預言の救い主だと
公言し、数々の奇跡や権威あるものとしての聖書のメッセージを
大勢の者を前にして講演しだしたのでした。
たくさんの罪びとと呼ばれる者たちが、イエス・キリストが
聖書の預言に書かれている救い主だと心から信じて、
新しい人生を歩みだしました。
中には、漁師や医者や学者や税金取りたちの中から、特別に
弟子となる者がいました。
イエス・キリストの行くところは、どこにでも付いてくるものたちが
出てきました。イエス・キリストが、どこに行っても病人や
生まれつきの身体障害者を完全に癒し、完全な健康体に変えて
しまうという奇跡を行われるので、多くのイスラエル人が、
イエス・キリストの行くところに病人を連れて行きました。
そして、当時の人口の10人のうち、1人がイエス・キリストの
奇跡を見るようになりました。
男だけで5000人の人が同時に、子供が持っていた弁当の
パンと魚をイエス・キリストがちぎるだけで、増やしていき、
ずべての人が食べて満腹してなおも、12のカゴに残飯が
残るような奇跡を見たのです。
イエス・キリストは、昔、ダビデ王がしたように、ロバに乗って
エルサレムに入城しました。アメリカの次の大統領のオバマ氏
が、昔の大統領にならって、記者でワシントンに入ったのと
同じような感じだと思ってください。
聖書には、救い主は、ロバに乗ってエルサレルに入ると
預言されています。イエス・キリストは、自分はその救い主だと
口でも常に証言していましたし、わたしの言うことが信じられない
なら、わたしのしている技を見て、信じなさいと言われていま
した。エルサレムに入る前には、弟子たちに、わたしは、人の
罪の罰を背負って死ぬために、この世に来たのだとはっきり
説明しておられますが、弟子たちは、神さまの計画を知らず、
てっきり、ローマから独立するための、新しい王さまになる
預言者だと思っていたので、「そんなことを言うのは、やめて
ください。」などと忠告など、していたのです。
その中でも、1人の女性は、神さまの計画は、救い主が
人間の罪のために死し、その苦しみを見て、神さまは
罪のある人間をお赦しになるのだと理解していたので、
高価なナルドの香油をイエス・キリストの足にかけて、埋葬の
準備としたのでした。当時の埋葬は、死体に香油をかけて
布でくるみ、岩をくりぬいた墓に収めて、大きな岩を入り口に
転がして、セメントで封印するというものでした。
イエス・キリストは、日ごろから、わたしは、神の神殿です。
神殿を倒しても、三日で立ち上がります。と宣言していたので、
イエス・キリストをジャマに思う、イスラエル人の学者や
宗教家たちは、ワザワザローマの総督に頼んで、イエス・
キリストの新しい岩の墓の入り口を塞ぐ、大きな岩にローマの
封印をさせ、ローマ兵を貼り付けさせて番をさせたのでした。
イエス・キリストは、三日目によみがえられました。
大きな振動と光の中、墓の入り口の岩が転げ落ちたので、
ローマ兵たちは恐れて、全員逃げ出したと聖書に書かれて
います。学者や宗教家たちは、ローマ兵に金を与えて、
「弟子たちが盗みに来た!」と言わせたと聖書に書かれて
います。墓の番兵は、仕事を放棄したので本来なら死刑に
なりますが、ローマ人は、彼らを裁いていません。
大きな音とまぶしい光が洗われて、恐くて逃げだし、墓が開いて
イエス・キリストの死体が消えたという兵隊たちの説明では、
ローマ人には、バカらしい話だと思われ、イスラエル人の
知識人たちが嫌った罪も無い宗教家の死体が消えたぐらいで
番兵を死刑にする必要も無いと判断したのでしょう。
イエス・キリストは、聖書の預言のとおりに、三日目によみがえ
られ、500人以上の人の前に同時に、また個人的に現れ、
共に語らい、共に食事をし、聖書の預言が今、まさに自分に
よって成就したのだと説明されたのでした。
その500人以上の者がまだ、生きている時期に、新約聖書が
弟子たちによって、書かれました。弟子たちは、各地にできた
イエス・キリストを信じる、キリストのような者たち、クリスチャン
に、向かって、手紙を書きました。
イエス・キリストの言われたこと、されたこと、どのように預言
どおりになったのか、詳しく書かれたその手紙は、多くの
クリスチャンたちに、陶器の破片に、羊皮紙に写され、
さらに大勢の者たちに広まりました。
クリスチャンたちは、弟子たちの手紙を写し取り、それを
覚えようとしました。金持ちたちは、自費で羊皮紙に書きとり、
それを覚えようとしました。
陶器の破片には、聖書の文章が書かれたものがたくさん
書かれたので、今でも発掘された陶器の破片には、現在の
聖書と同じ文章が刻まれているそうです。
その数は莫大な量で、残っている羊皮紙に書かれた聖書の
文章とまったく同じだそうです。
また、クリスチャンたちを迫害していたサウロというイスラエル
人で、家柄も良く、ローマの市民権を持つ人が、神さまから
直接的に声をかけられ、クリスチャンの信じている救い主が
本当の聖書の救い主なのだと気がつきました。
サウロは、パウロという新しい名前を神さまからいただき、
世界伝道の使命を与えられました。
救いは、ユダヤに住むイスラエル人のものだけではなく、また、
ローマの市民権を持つ自由人のものだけではない。
神さまの前には、奴隷も自由人も、イスラエル人も異邦人も
無く、全ての人が平等で、全ての人に救いが
与えられているのだと、神さまに気づかされたのです。
このときから、クリスチャンたちは、イエス・キリストを信じる者は
イスラエル人だけではなく、どこの国の人でも、
自由人でも奴隷でも、罪が赦されて、死後の裁きを免れ、
神さまの元に帰ることができるのだと、聖書の示すことを理解
できたので、世界中にこの知らせを伝えだしたのです。
ある人は、旧約聖書や新約聖書にある、奴隷や使用人に関する
記述をさして、聖書が奴隷を認めているなどと言います。
世界は、クリスチャンが現れる前から、弱い国の人間は皆殺しに
されるか、奴隷にされることが当たり前の時代が続きました。
奴隷も自由人も神さまの前に平等であるという考え方は、
クリスチャンによって世界にもたらされました。
自分は、日本人だから、神道しか信じない。家が仏教だから
仏教を守り抜くなどと、言う人がいますが、神さまの前には、
どこの国の人かは、関係なく、身分なども性別も関係なく
ひとりひとりが、神さまの前には、救うべき大切なひとりの人なの
だと、聖書ははっきりと伝えています。
全ての人は生まれつき、罪びととして生まれており、生きている
間に罪を犯します。だれひとりとして、罪の裁きから逃れることは
できません。ただ、神さまが、ご自分の右の座にいる神さまの
ひとり子を人間として、この世に遣わし、罪の無い神さまの
ひとり子が十字架の上で受けた苦しみによって、神さまは、
人間の罪を赦すのです。そして永遠のいのちを与えて、死後も
天国に入れるようにできるのです。
必要なのは、人がそれを望み、神さまがされたことが
自分の罪の身代わりであったと信じることだけなのです。