チュウゴクは、まだまだ言論を厳しく統制している国なんだなと感じました。↓
『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』 第141回
「色情・和諧・飯島愛」
□ ふるまいよしこ :北京在住・フリーランスライター
■ 『大陸の風-現地メディアに見る中国社会』 第141回
「色情・和諧・飯島愛」
ここ半年余り、ずっと心の中に引っかかってきたことがあった。自分の判断が正しかったのか、もっとやり方があったかなぁ、と考えながら、でも結果としてそれはそれで目的を十分達したとも感じているから、口にはしなかったし、ある程度自分でも納得はしていたつもりだった。でもやっぱりずっと引っかかっていた。
それがクリスマスイブの飯島愛さん急死のニュースを聞いて、大きくのしかかってきた。もちろん、わたしは飯島さんとはなんの面識もないが。
一昨年から昨年にかけて、わたしは日本ではほぼ無名ながら中国では多くの人が耳を傾けている中国人オピニオンリーダーたちに、現代の中国社会について語ってもらうという企画を持った。日本人ライターからの突然の取材申し込みに大半の相手が必ずと言っていいほど、まず「わたしは日本とはなんの関係ないんですけど……」と困惑されたが、「日本論ではなくて、あなたの知っている中国事情を日本の読者に語っていただきたいんです」とお願いし、ほぼ100%受け入れていただいた。ありがたいことである。
そのうちの一人がアモイ在住のコラムニスト連岳だった。前回のレポートで触れた流行語「散歩」が生まれるきっかけとなった観光都市アモイの化学工場建設計画について市政府が情報を封鎖したときに、建設計画の実際と問題点、生産される製品についてなど詳しい情報を集めては市民に伝え続けたブロガーたちの一人である。彼はさらに「もし当局が取り締まりに乗り出したら、自分たちはどうなるのだろうか」というネチズンたちとの法律問答までやってのけた。その彼の口から「散歩」に参加した人たちの多くがアモイの中産階級たちだったと聞いて、わたしはふと、数年前の反日デモの参加者のほとんども中産階級だったこと、そしてそのインタビューの時期にやはり彼らがチベット騒乱を巡って西洋と罵り合戦の真っ最中にあったこともあって、「中産階級とデモ、彼らの爆発しやすい情緒は今後どこに向かっていくのだろうか」と尋ねた。
すると彼はこう答えた。
「時が過ぎれば熱が冷めたように消えちゃいますよ。今はみながいろんなものを共有できる時代になったから。たとえばフランスのおいしいワインを口にすれば、どんなに(チベット問題で)フランスと緊張状態が高まっていても『おいしいねぇ』と言えるし、日本についてもおんなじ。中国の若者たちは武藤蘭ってあんなにきれいなのにAVを撮ってるなんてすごいなぁ、と思って見てるんだし。つまり生活における安心
感って、理念なんかじゃなくてそんなちっちゃなことで成り立ってるんだから」
わたしは武藤蘭さんのAVは知らなかったがその話に思わず爆笑してしまい、彼もオンナの身でわたしが大笑いしたのが新鮮だったのか、その後、自分のブログでもわざわざこのインタビューについて触れ、「そう、生活とは細かいことを大事にすることから始まる、理念を振り回して大声で叫ぶ必要はない」と、いつも彼の厳しい社会批評を期待して集まる、数万人の中国人読者に語っていた。
なのに、この「日本のAVが中国の若者をすごいなぁと思わせている」という部分を、わたしは原稿を出す際に削った。それはAVという言葉がどうのこうのではなく、まずはもちろん掲載には当然のことながら字数の制限があったこと、そしてこのインタビューの主題は中国と日本の和解ではなかったこと、2時間以上にわたるインタビューでほかにもいっぱい、他のメディアも実はまったく伝えていない「散歩」の裏
話なども聞かせてもらったこと、そしてちょうどその頃中国とフランスの激しい言い合いが続いてたこともあって、この言葉ではなくて「フランスのワイン」を採用したのだった。原稿としてはそれで十分だった。
なのに、12月末の飯島さんの突然の死で「AVが中国の青年に日本をすごいなぁと思わせている」という彼の言葉が、現実となってどっと水面上に噴出したのだった。
特に台湾で飯島さんの死が新聞の一面を飾るほど大きく報道されたことは、日本のメディアをご覧になった皆さんはご存知だろう。
まずはそんな台湾の報道を拾って見ながら「とても台湾的だなぁ」と思ったのは、メディアが日本の国会議員に相当する立法委員を捕まえてこのニュースへのコメントを求めていたことだった。日本でもかなりの国会議員がタレント飯島さんのことは知っているはずだが、コメントを求められたり、発表したりした議員はいなかったのではないだろうか? 台湾って芸能ニュースも政治ニュースもいっしょくただから、これもそのクチだろうかと思っていたらさすがに違ったらしい(ただ、メディアに向かってAV関連のコメントをするなんて……と逃げ腰だった立法委員もやっぱりいたそうだが)。
「台湾の世論は、香港と同じように、飯島愛を『プレVCD(ビデオCDのこと)時代』のAVの代表と見なしている。彼女のファンたちはビデオを見るためにテープの巻き戻しをしたり、わざわざデコーダーを買ったりといった経験をした人たちだ。つまり、ダウンロードして見るという簡単な方法とは違って、彼女には深い思い出が絡まっているのだ。もっと踏み込んだ台湾の学者たちの述懐によると、飯島愛のAVとはそのまま台湾が権威社会から民主政治へと移行した時代を象徴するもので、戒厳令が解かれる前には地下出版物扱いだった日本のAVが、タブーから解禁されるという過程が台湾の政治制度改革ととも進んだ。あの頃の台湾の地下市場には、政治的な禁書の横に飯島愛のAVビデオが並んでいた。当時を知る台湾人にとっての飯島愛は、80年代初めの中国でテレサ・テンが改革開放時代にあった人々に与えた影響に匹敵するだろう」(「沈旭暉:台湾にて飯島愛を悼む」香港明報・08年12月29日)
この沈旭暉氏は香港の中文大学の助教授だが、一方の香港は特に政治的な圧迫や大きな制度の転換を経てきたわけでなかったが、同じ東洋にある先進国としての昔からの単純な日本人気、AV市場という視点でやはり日本のAVが広く見られてきた。香港ファンたちの飯島愛追悼論は日本の、青春時代を「一緒にすごした」人たちの述懐に近い。
そして興味深かったのが中国の反応だった。日本のAVなんて今でこそおかたい中国でもインターネットを通じて簡単に手に入るようになり、飯島さんの全盛期よりずっと後の、もっともっと多くのAV女優たちが活躍しているこの時代にどれほどの中国人がわざわざ遡ってアナログ時代の飯島さんのAVを見たことがあったのか、は疑問である。しかし、やはりインターネットを通じて知った、台湾における強烈な追悼の声が中国人AVファンの目を引いた。特に、今では中国でもよく知られている、台湾人ソングライターの李宗盛の昔の歌に「飯島愛と夕食をとる夢を見た/夢の中のレストランはライトが暗過ぎて/どんなにまさぐってもあの青色の錠剤が見つからなかった」という詞があるのも、飯島さんへの興味をかき立てたらしい。
「飯島愛を知らないことが、一種の流行遅れになってしまった。でも、そのような流行遅れの存在もまた理解できる。その人たちは、飯島愛とそのほかの粗い映像に出現したイメージとの見分けがつかないだけなのだ。年代の違いによって、飯島愛のピーク期を知らないことも理由の一つだろうし、高度に浄化された真空生活にあって、飯島愛たちの作品に触れる機会がなかったことも理由だろう。飯島愛の死にこれらの人はそれほど感情をゆすぶられることはないだろうが、彼らは同じように同情を示すことだろう。彼らの同情とは、弱い女性の本能に対する、真実の意味での哀れみといえるかもしれない。そんな想いは、チェ・ジンシルら韓国の女性芸能人が自殺したときも同じようにあふれでた」(「韓浩月:飯島愛の死と氾濫する『思い出』病」中国青年報・09年1月6日)
…同じ大陸の中国人でも、連岳の言葉に比べて全然わかってない。「中国青年報」は中国共産主義青年団の機関紙だからかもしれないが、なんだ、こりゃ。しかし、よくその気分が分からなくても、この「高度に浄化された真空生活」を尊んでいるはずの権威的な新聞ですらなにか一言載せなきゃならないほど、飯島愛追悼ムードが中国でも高まっていた証拠といえるかもしれない。
ただ、中国の「純粋な」AVファンのためにもう一つ引用しておきたいのが、人気ブロガーであり、英字新聞「チャイナ・デイリー」の記者である五岳散人(ペンネーム)の言葉だ。彼は、自分は「性のような美しいものを商業的に弄ぶとしてももっと生き生きとしたところがあっていいんじゃないか? 日本のAVの最大の特徴は、最初はたっぷり変態で、後は根っからの強姦になり、日系AV女優はいつも異常な苦しみの表情を浮かべている」から日系AVは見ないし、だから飯島さんのビデオも見たことがなかったと前提した上でこう書いている。
「しかし、日系AVのファンは国内にかなり多く存在しており、確かに中日の関係にある程度の精神的基礎を、最も基本的な面のそれを築いている。もし飯島愛を中日関係のまた別の使者だと呼べば、誰かに反論されるだろうか。もちろん、日系AVを見るのは愛国『反日』の夢を実現するためだという人にとっては、飯島愛は親善大使の役割も当然果たせないわけだが。哀悼ムードはもうピークを過ぎたようだが、ここに感想をしたためることで、まだその顔も、ほかの体の部分も見たことのない飯島愛への尊敬を記すことにしよう」(「日本のAVは見ない、だから悲しみは少ないけれど」五岳散人ブログ・09年1月1日)
こんなふうにインターネットでは多くの中国のAVファンたちが飯島さんへの思いを語っていた。前述したようにたぶん彼らの多くが死後のフォロワーだと思うのだが、一時はネットの文化欄、娯楽欄は雨後のたけのこ状態だった。香港をベースにするフェニックステレビでも国内の若者に人気の香港人コメンテーターたちが飯島さんのAV、さらには日本のAV論を展開していたので、そんな衛星テレビやインターネッ
トに日ごろから触れる機会の多い若者はきっと大きな刺激を受けたのだろう。
そして、このまま中国政府の分類なら「黄色」(中国ではポルノは「ピンク」ではなく「黄色」)だったはずの日本のAVが人々の間で高らかに語られ、台湾のように地下文化から社会的にも日本文化の一つとして中国でも認められていくのかしら……
と、わたしが奇妙な気分でそれを眺めていた頃、ハリウッド女優の仲間入りを果たした中国人女優、ツァン・ツーイー(章子怡)さんの盗撮写真が暴露され、これまたインターネットを中心に大騒ぎになった。
ツァンさんはクリスマスに婚約者とともにプライベートビーチで熱々の休暇を過ごしていたところをパパラッチに撮られたのだった。中国では有名女優が人前やあるいは雑誌のグラビアなどで水着姿にはなることは(まだ)ほとんどない。そんなところに中国人女優として初めてハリウッドに進出した彼女がビキニ姿で西洋人婚約者とともに海岸にねそべり、いちゃいちゃしている写真が流れたのは刺激的だったらしい。
さらにツァンさんといえば以前、スティーブン・スティルバーグ氏がプロデュースした映画「さゆり」で芸者役を演じ、これまたそこで日本人俳優とベッドシーンを演じたことを叩かれたことがある。
( http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report4_756.html )
今回はツァンさんの現実の生活がターゲットになったという違いはあるが、またもまったく同じパターンでツァンさんを「国の恥」と罵る激しい声が上がった。
そして、声が、怒りが、激しければ激しいほど、当然のことながらその写真はコピーされ、インターネットの世界を駆け巡る。先に挙げた新聞記者兼ブロガーの五岳散人も「もともと平板なプロポーションだったから興味はなかったけど、これだけの騒ぎになれば見ないわけにはいかない。だから、ネット上の友人に『写真持ってるか?』と呼びかけて送ってもらった」(「国家の尊厳とはオンナの裸体」・09年1月9日)
と書くほど、人々の興味をかきたてた。もちろん、わたしもこれに乗じて写真を見た……う~ん、飯島さんといい、ツァンさんといい、こんなに大胆に、中国では「黄色」に分類される写真や言論が闊歩していいんだろうか。これが「性解放」につながっていくのかなぁ……
と思っていたら、来た。
1月5日になって突然、国務院新聞弁公室や公安部、文化部などが「低俗ウェブサイトの整頓」キャンペーン開始を宣言したのである。そこではグーグルや百度などという、多くの人気検索エンジンやポータルサイト、ブログサイトが名指しされ、「当局からの指示にもかかわらず、低俗な写真やビデオ、内容の掲載を放置した」と改善や閉鎖指令を受けた。
「低俗ってなんだ? 辞書には『低レベルで下品なこと』と書いているが、こんな屁のような解説、なんの説明にもなっちゃいない。ただ、低俗とは人類の文明が始まって以来ずっと存在し続けてきたもので、人ならばだれもが低俗さと高尚さの両面を持っている。ただ、ときに低俗、ときに高尚だったりするだけで、人をずっと高尚なまま、低俗でないままにさせ続けることは不可能なんだ。哲学的に言えばこれは弁証
と呼ばれるもので、今ふうのおしゃれな言い方をするのなら『和諧』、( http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report4_1501.html )参照
モノゴトの一般的な規律だ。この規律に抵抗することはできない。水がきれいになりすぎれば魚はいなくなり、人を突きつめればキリスト教徒なんて存在しない。一人の心の中の低俗さを無理やり捨てさせようとするならば、人は変態になる。その方が低俗よりも恐ろしい」(「低俗を論ず」王小峰ブログ・09年1月7日)
しかし、これまで飯島愛追悼を写真やビデオ付きで論じてきたサイトの一覧から、彼女の名前が消えた(検索すればまだいっぱい出てくるけど)。ツァンさんのいちゃいちゃ写真も抹消命令がインターネットメディアに出たらしい。そうしてニュースメディアやインターネット新聞では一挙に「低俗インターネット整頓」ニュースをトップに掲げるようになった。
そうこうするうちに突然、ブログサイト「牛博網」が姿を消した。
この「牛博網」にはもともとオピニオンリーダーたちが集まっているブログサイト
で、冒頭で紹介した連岳のメインブログもここに置かれていた。そのほかにも各地の
有名メディア人が、そしてネット記者として名を上げた人たちがここにブログを開い
て、一般市民がそう簡単には目にすることができない社会事件や出来事の裏側を、そ
の経験とともに分析して解説するという人気サイトだった。さらに昨年の四川大地震
のときにも真っ先にブログで被災地への寄付金募集を呼びかけて、公的機関とは一線
を画した民間による被災者支援活動を進めていくことを宣言したし、
( 詳しくはhttp://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report4_1284.html )
悪質な炭鉱主に誘拐されて奴隷同然に働かされていた子供たちの救出を呼びかけると
いった社会的な活動を続けているサイトでもあった。
その「牛博網」が閉鎖されたのである。読み返しても、2回にわたって大々的にリ
ストアップされた「低俗サイト整頓」キャンペーンリストには「牛博網」の名前はな
い。これは一体どういうことだ?
「ぼくはいつか牛博網がこうなるだろうと思っていた。なぜそんなふうに考えるのか
というと、ぼくらのこの場所では、『掃黄打非』(色情を排し、違法を取り締まる)
は字面上の意味であったことがないからだ。メディアで働いているわけではない人は
知らないだろうが、その昔、いわゆる『黄色出版物』取締りが叫ばれたのはポルノ小
説を消し去ることではなく、天安門事件のドキュメンタリー映画が当時すでに国内に
流れ込み、地下市場で大量に発行されていたからだ。『掃黄』の名義で手を伸ばすの
は、その本音を口にするわけにはいかず、口にすれば説明が必要になり、説明すれば
かさぶたを剥ぐことになるからだ。かさぶたを剥ぐわけにはいかないし、政治的にも
正しくない――つまり、言論統制はいつものことながら、正面きって口にすることが
できないものなのだ」(「丑年に牛殺しする低俗政治」五岳散人ブログ・09年1月
10日)
このブログエントリは1月10日にアップされたが、すでにブログサイトの管理者
によって削除されている(が、五岳散人、さすがにメディア人である。その数日後の
ブログエントリで他のタイトルを使い、他の話を書き込みながら、そのエントリの下
にちゃんとこの全文を貼り付けている。上には政策、下には対策、である)。
ああ、そういうことだったのか。論鋒の鋭い「牛博網」は「和諧」されたのだった。
中国は今年、3月10日にチベットで中国政府の言葉で言えば「ラサ平定」と呼ば
れる、ダライラマのチベット脱出から50周年を迎える。また、5月4日は北京大学
から始まった五四運動90周年、5月8日は米軍による中国駐ユーゴスラビア大使館
誤爆事件10周年、6月4日は天安門事件20周年、10月1日は中華人民共和国6
0周年、12月20日にはマカオ返還10周年に当たる。
さらに数年前の反日デモやアモイの「散歩」の中心になった中産階級はちょうど3
0代から40代で、彼らは20年前に大学生のときに天安門事件を経験した世代なの
である。
つまり、中国で「和諧」の一年が始まったということだ。
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ふるまいよしこ
フリーランスライター。北九州大学外国語学部中国学科卒。1987年から香港在住。
近年は香港と北京を往復しつつ、文化、芸術、庶民生活などの角度から浮かび上がる
中国社会の側面をリポートしている。著書に『香港玉手箱』(石風社)。
( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883440397/jmm05-22 )
個人サイト:( http://wanzee.seesaa.net )
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日本のお姉さんの意見。↓
チュウゴク人が「人を突きつめればキリスト教徒なんて
存在しない。」と言うのはどういう意味かよく分からない
が、じっくり人を観察すると、すべての人は悪の部分が
あって、善の部分だけではないから、正しいことをいつも
選んで生きているキリスト教徒などいないということに
なると言いたいのかな。
キリスト教徒というのは、自分が罪のある人間で
神さまの憐みとお恵みでしか、罪は赦されることは
無いのだと気がついた人のことです。
神さまが、人の罪を赦す方法は、罪の無い者が
身代りに罪の罰を受けることです。
罪の無い人間などいないから、わざわざ、神さまの
ひとり子の神が、人間の女性の体を使って人間として
生まれてきてくださった。そのひとり子の神が、人間の
罪の罰を身代りに受けて死んだのです。そして、三日目に
よみがえって、大勢の人に現れ、自分が聖書の預言の
救い主だと教えて、天に帰られた。そのことを、
自分のためだったのだと信じた人のことです。
だから、人間が罪のある存在だと知っているのが、
キリスト教徒なのです。
このチュウゴク人ブロガーは、キリスト教に触れたことが
無いのだと思う。
チュウゴク人は、意外にも日本人のAV女優を知っていて
飯島愛が死んだとき、ネットではそのニュースでもちきり
だったそうだ。チュウゴク人は、日本の情報に興味が
あるんですね。日本のテレビで放映されたドラマは、
その日の内にチュウゴク語に翻訳されてネットで出回る
らしい。だれが、チュウゴクに流しているのやら、、、。
最近の日本のドラマは面白いから、チュウゴク人も
楽しんでいるのでしょうね。その割にはチュウゴク人は
反日で凝り固まっているらしい。
知っているインドネシア人も、どっぷりアメリカ文化に浸って
いて、音楽も映画もアメリカ発のものが大好きで、俳優
たちのゴシップなんかもなんでも知っている。でも、アメリカは
大嫌い!と本気で言うのだ。だから、日本のAVやテレビ
ドラマが好きでも、ずっと反日でいるチュウゴク人が
いても、全然おかしくない。
日本の場合は、韓国ドラマに夢中になると、韓国まで
好きになるようだが、日本人は特別なのだとわたしは
思っている。日本人は、善良な民族なのだ。最近、
凶悪な犯罪が増えているけど、日本人が国際化してきた
ということなんでしょう。残念です。
チュウゴクでは、チュウゴク政府は、ネット上の低俗な記事を
削除すると言いながら天安門事件の情報を黙って消そうと
しているようです。天安門事件が起きても、無かったことに
できるとチュウゴク政府は信じているらしい。
チュウゴク人は、無知なまま生きて死んでいくのだろうか。
無知な若者が育って政府の高官になっても、あいかわらず
無知なので、過去のウソが本当になっていくということで
しょうか。天安門事件を見た人たちは、口を閉ざして
そんなことは無かったことにして生きているのだろうが、
もやもやした気持ちを、反日デモやフランス叩きや
ツァン・ツーイー(章子怡)叩きでウサを晴らしているのだろう。
政府の高官たちは、真実の情報も手に入るし、金儲けの
情報も金も手に入るが、その他大勢のチュウゴク人は
愚民のまま、政府に操られているのが、安全だとチュウゴク
政府は思っている。日本はチュウゴクよりもマシだが、
チュウゴク人留学生が長野でチュウゴクの旗を振りながら
政治活動を自由にできたり、日本人を傷つけたりしても
誰も逮捕しないようになっていたところを見ると、
日本政府もかなり、強引で、民主主義というより、その時の
首相のつごうで、なんでもできると見た。あの時の首相は
本当に日本にとって害なことばかりした。麻生首相は、
あの時の首相に比べたらまだまだマシです。
対馬に毎日、観光客のフリをして対馬の魚をあさりにくる
プロの韓国人漁師たちは、まき餌で高級魚を釣っている
そうだが、日本人がそれをやると逮捕されるのに、
韓国人がやっていても、警察は逮捕しないのだそうだ。
なんでも日本の外務省が逮捕するなと、対馬の警察に
言ってきているそうだ。日本の害になる省ならつぶして
しまって、他の省を作って外交の仕事をさせたらどうかと
思う。人のフリみてわがフリ直せというけれど、チュウゴクを
バカにしていたら、日本もチュウゴク政府とほぼ同じような
ことをしているかもしれない。日本人は政府がおかしな
ことをしていたら、怒るべきところは怒らないといけないし、
変な政治家は、選挙で選ばないようにしてほしいなと思う。