▼灰色のベンチ メルマガ版 NO.134  メディアの2009年問題 | 日本のお姉さん

▼灰色のベンチ メルマガ版 NO.134  メディアの2009年問題

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▼灰色のベンチ メルマガ版 NO.134  メディアの2009年問題
あけましておめでとう。今年も宜しくどうぞ。マジでおめでたい年になってくれることを願うよ。この国にとって、2009年、そして来年は正念場だ。過剰競争の終焉か、それとも多数の犠牲を出してでもセンシンコクであり続けたいのか。歴史に刻まれる選択はもうそこまで来てる。カードはほら、あんたの手元にもちゃんと来ているはずだ。

メディアが大きく変革を迎えようとしている。理由は広告収入の大幅減少だ。年末最後の仕事で一緒になったメディアマンは、テレビの質が落ちていることを切実に語っていた。大手企業がCM費をことごとく縮小していることで、今までは審査基準で弾いていたようなところの広告も受けざるを得なくなっているらしい。全ては電通の意図だが、要は情報操作の胴元も、時代に取り残されようとしているのかもしれない。試しに知り合い複数人にお願いして、年末年始の日中からゴールデンタイムと言われる夜7時から10時までのCMの内訳を調べてもらった。結果はこちら。

製造業 11% (うち車のCMは4%)
不動産 9% 
化粧品 9% 
菓子・食品 8%
趣味分野 7% (ゲーム、映画、音楽、呉服、家電など)
飲料 6% (ビールがほとんど)

実は本来は上の4つの分野だけで8割近くを占めていなくちゃいけないらしいが、現在ではたったの50%だ。ジャンルわけできないその他が10%程度あるものの、残りの半分近くは一体何なのか。答えを見る前にちょっと考えてみてくれ。 年末年始に似通った内容の番組をBGM変わりにつけているだけじゃ脳がない。どんなことからも空気を感じなくちゃ、サバイバルライフの超資本主義ではね。 

残り。
金融 17% (サラ金・保険・銀行等の金融商品)
パチンコ 10%
健康食品 6% (長寿、美容、)
雑誌 7% 

なんと広告のシェア一位は金融なんだ。サラ金、保険、銀行。文字にすればなんてことはないが、履歴の汚い客を食い物にする銀行の裏の顔、
払いしぶりが常態化しているのにメディアが報じない保険屋、そして涼しい顔で売り手絶対有利な市場を支配する銀行と、ろくなもんじゃない。大きな目線では財布は一緒なんだしね。続いて不動産と車のCM減が顕著だと言っていた。数年前までは車は新車種が出るたびに大規模な広告戦略を行っていた各メーカーも、大きくその数を減らしている。純粋に売れないからだそう。当然だよな。もともとテレビCMは商品広告よりも、企業の名前を定期的に流すことでブランドポイントを保つためにやられているが、それなら国内メーカーはもはや必要ない外需に突っ走って内需を犠牲にして、惨敗して戻ってきたら今度は国内労働者を犠牲にしていることは、連日のニュースでじゅうぶんに伝わったし、車メーカーの名前がキャスターに読まれない日はないんだから。それは悪名だというのだろうが、CMをテレビで流せる会社なんて、どっちにしたって悪名なんじゃないだろうか、と思うけどね。 

こんなことを言ってるけど、実は車メーカーは仕事上結構知り合いが多かったする。総じて彼らの今の心境は、『車が社会にとって必要不可欠ではなくなっている』ことへの不安だ。どれだけCMを流したって、ディーラーには客は足を運ばないし、最近じゃ訪問販売形式で、一件一件マンションのインターフォンをプッシュして回っている。おれの家にも正月早々にふたつの会社のディーラーから来たよ。「ごめんください。500万の新車要りませんか?」ギャグみたいな話だが、彼らは至って真面目だ。それだけ視野が狭くなっているってことだし、自動車業界はおれたちが思っている以上に逼迫している。GMが年金財源を使って一時的なヘルプを受けたが、日本だって同じことが起こりうるぜ。そのためのあらゆるものの一般財源化統一だろう。年金財源と言わずに、一般財源からと言えば、この国の良識溢れる有権者の方々はイチコロだ。…嫌味じゃなく、気をつけてってことね。注目すべきはパチンコと健康食品だ。読者からも散々パチンコのCMが多すぎだとか、怪しい健康食品や器具の宣伝が当たり前のように放送されているってメールが来るけど、数値を見て、体感でなく実際に多いことがわかったね。もうこればっかりはしょうがないんじゃないか。

もはやパチンコは日本独自の文化になっちまったし、海外で売られている日本のガイドブックに一番大きく取り上げられているのはパチンコ屋とサラ金だ。(前にも書いたっけ。マドリードの書店の日本ガイド本に、日本はどこに言ってもパチンコがあり、カフェよりもパチンコ屋がある、と書かれていた。副流煙濃度が世界一濃く、犯罪も多い危険な場所なので近づくのは止めましょうってね。ご丁寧に朝一で開店を待つ行列の写真も添えて。笑えるだろう)おれは別にパチンコなんてどうだっていいが、このご時勢に、胴元側に全てのルールと結果のコントローラーが渡されていて、当たり外れを自由自在に調整出来るギャンブルに金を突っ込めるやつはよほど裕福なんだろうと羨ましくはある。

因みにその他の10%の中で、自民党のCMが3%を占めた。公明は0.5%。民主党は0.3%。自民党も必死だな。もう認知度云々の話じゃない気もするが。政権再編の話だけど…って長くなるから次にしようか。話が変わっちまいそうだ。で、変革の話だ。CM費の減少は不景気と重なって考えられがちだったり、広告を打つ際の基準としてのいわゆるR効果への疑問なんてことも言われたりしているけど、これは別問題だよ。不景気だろうとなんだろうと、テレビのCMは常に豪華絢爛、オールタイムバブリーだった。だからこそ電通はこの国の情報網を握っているし、‘日本をコントロール’出来ていた。ところがその時代も、テレビ視聴率の低下と共に、支配力も下降線を辿っている。ネットの登場が原因じゃないよ。おれに言わせれば日本のネットは、まだまだ支配層によって都合よくコントロールされている面も多いからね。そんな一時的な要因じゃなく、テレビは報道の質を高めることを求められていると思う。ニュースだけじゃない。バラエティだってドラマだってスポーツ中継だって、全部そうだ。日本のテレビは総務省とどこまでも癒着していたせいで、先進国で最もレベルが低い。ドラマだってスポンサー方式を変更して金をかけられるようになっても結局ひどいクオリティーは変わらないし、スポーツ中継のカメラワークや実況は海外からの中継の足元にも及ばない。要因は進歩の放棄さ。質を上げなくても視聴率が取れる。そんな時代を長く過ごしすぎたせいで、日本のテレビメディアは大きく腕を鈍らせてしまったんだ。加えて日本人の自由な時間の大幅な減少。労働に明け暮れるのがデフォルトの世界で、残り少ない空き時間を過ごすのに、現代はあまりにも選択肢が多すぎるだろう。その競争の中で、テレビはプライオリティを上げられずにもがいているのさ。

前にも言ったけど、テレビがなくなって欲しいとは思わない。バラエティ番組だって必要だと思ってる。NHKは質の高い番組も多いし、どのジャンルもきちんと時間をかけて製作しているだろう。画質もきれいだしね。でも全部があれじゃつまらないはずだ。真面目で覆われたらその国は絶対に退屈だし、笑いやユーモアの中に織り交ぜる方が伝わることもある。だけどそれも行きすぎってものを考えなちゃな。今の日本の民放の番組は、視聴者にユーモアや笑い、息抜き、情報を提供しているんじゃなく、スポンサーをいかに喜ばせるかだけを考えたパック旅行の免税店ツアーを延やっているようなものだ。そしてそれを多くの人が気づき始めていて、だからこそ視聴率低下の波は続いているんだろう。

2011年でアナログ放送が終わるが、去年の11月現在で、35歳以下の人の家庭のデジタル移行率はわずか31%だ。本来は最も数値が高くなくてはいけない世代なのにだぜ。フル液晶に倍速再生付きの32や37インチが10万程度、ハーフ液晶なら同サイズで7万を切るものも出ている(家電量販店勤務のやつにわざわざ聞いたから確かだよ)ってのに、移行は二の足を踏んでいる。時代の主流に受け入れられていないってこと。アナログ放送の終わりが、テレビの黄金時代の終わりにならなきゃいいけどな。

受動的だからこそ、伝えられるものってあるはずだ。ネットは能動的過ぎて、逆に今は迷走している気がするし、得られる情報の質はだだ下がりだ。だからこそネットからだけで情報を得ようとするのはでたらめに危険になってる。あんたも気をつけたほうがいいぜ。新聞は勿論なるべく(勿論、行間をね)読んだほういいし、テレビのニュースも視点が違うからいいソースだ。その上でネットから参考としていくつか拾う程度がベストなんじゃないかな。おれは相変わらず見えにくい部分を具現化させる手伝いをするけど、最終的にジャッジするのは言うまでもなくあんた自身だ。灰色の景色から、大きく白と黒に振り切ったものを捉える作業を、淡々と冷静に続けていくだけさ。おれも愉快なグレーゾーンへの抜け穴を、数多く提供していくからさ。