うらないに頼らない生き方 | 日本のお姉さん

うらないに頼らない生き方

神さまに最初に創られた人は、神さまが
してはいけないと言われることを聞かずに、
悪魔が入り込んだヘビの言うことを聞いて
その言葉に従ってしまったのです。
食べると死ぬと言われた木の実を食べた。
悪魔が「その実を食べると神のようになる。」と
言った言葉を信じてしまった。
実際には神のようになるとは、神さまは言われな
かった。善悪を知る木を食べると死ぬと神さまは、
言われたのです。
最初に神さまに創られた人は、その木の実を
食べたとたん、自分が裸だと気がついたのだ
そうです。それで、いちじくの葉っぱを綴り合せて
スカートを作り、それで裸を覆った。
神さまが、エデンの園を歩きまわられる時間が
きたのに、最初の人とその妻は、神さまと
楽しく語り合い、楽しくすごすことができなくなった。
神さまの言うことを聞かないという選択をした結果、
最初の人は、神さまとの交際ができなくなった。
それで、こそこそと隠れていたのです。
神さまが「あなたは、どこにいるのか。」と聞かれた
時に、最初の人は、「裸なので出ていけません。」と
答えたそうです。
「あなたが裸だと、誰が教えたのか?」と神さまが
言われた時、最初の人は、「あなたがくれた
この女が!この女が、木の実を食べろと言った
ので、食べたのです!そうしたら、自分が裸だと
分かったのです!」と最初の人が応え、その妻は
「あなたがお創りになったヘビが、わたしを
そそのかしたので、木の実を食べたのです。
賢くなると聞いたので!」とさらに言い訳をした
そうです。つまり、神さまに逆らって、自分の意志で
善悪を知る木の実を食べたために、心の中に
罪が入り込み、自分の「非」を認めず、他人の
せいにしたり、現在の困難の原因は神さまの
せいであると言ったりするようになったのです。
いちじくの葉っぱは、裸を隠すには不十分で
あったので、神さまは、エデンの園にいる動物を
殺して皮をはぎ、それで皮の着物を作って、
最初の人とその妻に着せたのでした。
そして、罪が心の中に入り込んだ人間は、
いのちの再生ができる果物が自生しているエデンの
園には、入ることを許されず、追い出されてしまった
のです。エデンの園の入口には、天使と、燃える
たいまつのような剣が置かれ、皮の着物を着た
二人の人間は、泣き悲しみながら園の外に出て
行ったのでした。
エデンの園の外側では、人間は自分の力で
畑を耕し、野菜や果物を育て、動物を飼って
乳をしぼり、狩りをして肉を手に入れて、働き
ながら毎日を過ごさねばならなくなりました。
土地を耕しても、イバラや雑草が生えてきて
ジャマをするようになり、害虫や獣に悩まされる
ようになりました。大地はのろわれてしまったのです。
妻は、夫を恋い慕うが、夫に支配されるように
なり、子供を産むときは、産みの苦しみが襲う
ようになりました。
そういうわけで、人間は、ひたいに汗して日々
苦しみながら生きなければならないように定め
られてしまったのです。そして、生まれてくる子供は
生まれながらにして、心に罪を持った人間でした。
そして人は年をとって衰えていき、寿命がきたら死ぬ
という定めの下に置かれてしまったのです。
そして、罪のある人間は、生きている間も、人間の
創り主で、エデンの園を共に語らっていた神さまと
の関係も絶たれてしまったのです。
死後は、自分の罪の裁きを受ける場所である
永遠に消えない火が燃えさかる地獄にいくことが
定められてしまったのです。
でも、神さまは、最初の人が、エデンの園から外に
出る前に、ひとつの約束を与えてくださいました。
ある時期になると、ある女性を通して救い主を
送り、人間を罪の世界に誘い込んで神さまとの
交流を絶つようにしむけたヘビ(悪魔)との間に
敵意を置く。ヘビは、その救い主のかかとを
噛むが、救い主は、ヘビ(悪魔)の頭を踏みつ
ぶし、人は、この救い主によって、救われるように
なるという約束でした。
最初の人とその妻は、神さまの約束を信じて、
その言葉を頼りに生きていたのだろうと思います。
昔の人たちは、預言者が与えられ、その時々に
救い主に関する約束と、世界の終りの時期に
関する約束などを与えられてきたのでした。
神さまに選ばれたアブラハムという人は、
イスラエル人の先祖となり、イスラエルは、
世界中に神さまの存在と神さまの約束を
伝えるという役目を負う民族となりました。
予言者たちの言葉はまとめられ、神のことばと
して、イスラエル人に伝えられていきました。
聖書の預言のとおりに、ある女性を通して、
人類に救い主が与えられ、救い主は預言どおりの
家系に、預言通りの時期に、この世界に
お生まれになったのでした。
心の中に罪が入り込んだ、生まれながらにして
罪びとであるわたしたちは、そのままの状態では
死後に、神の国である天国に入ることはできま
せん。罪には、罰が与えられなければならない
のです。そこで、神さまは、ご自分のひとり子の
関係である、もうひとりの神さまを、人間の赤ちゃんと
して、この世に生まれさせたのです。
その子供は、完全に人間の子として生まれましたが、
男女の通常の行為によってではなく、
聖霊の働きによって、女から生まれた子供でした。
完全に人間でありましたが、神さまとしてのご性質を
持って生まれた罪のない完全な人でした。
その罪のない神さまのひとり子が、預言の通りに
大勢の人の前で罪と定められ死んで墓に入れられ
三日目によみがえることによって、神さまは
この救い主を信じる者が、ひとりも地獄に落ちて
滅びないで、罪が許され永遠のいのちをもらって
天国に行ける者となるようにされたのでした。
罪のない神さまのひとり子が、人類の罪の
身代りに罪の罰を受けて死んだのは、神さまが
人間を愛しているという証拠でもあるのです。
罪のある人間は、日々、罪の結果、呪われて
しまったこの世界で、苦しみながら働き、子を産み
苦労しながら子育てをし、老化や病気や災害に
苦しめられながら生きています。
そして、自分と世界の作り主である神さまから
遠く離れて、不安におびえ、自分勝手な宗教を
作り、それに頼って宗教心を満足させています。
この世界は、神さまが人間のために環境を
整えられた場所ですが、エデンの園では人間は
それらを管理することが仕事でした。
今では、すべての動植物は、人間と共に苦しみに
耐えながら生きています。人間は、この世界を
うまく管理したことはなく、文明の発展とともに
世界は徐々に終りに向かっていく様相を示して
います。人間は、心に罪があり、創り主である
神さまを無視して、自分たちが作り出した偶像を
拝んでいます。
神さまの言葉である預言の書があるにも
かかわらず、それを読もうともしないで、逆に
悪魔の言葉に魅かれて、うらないやまじないなど、
オカルトや悪魔礼拝に熱心な人が多いのです。
本来は、神さまと親しい関係にあった人間は、本当は
神さまの元に帰るべき存在なのです。
最初の人に与えられ、多くの預言者に与えられた
神さまの約束は、すでに実現しています。
救い主は、預言通りの家系の出である女を通して
与えられ、人類の罪の身代りに十字架の上で罰を
受けて死んでくださったのです。救い主は預言のとおりに
よみがえり、大勢の人の目の前で、天に帰られました。

今後、もう一度、イスラエルのエルサレム近郊に
あるオリーブ山の上に救い主が天から降りて来られ
るという約束が、イスラエル人には与えられて
います。現代の人間には、救い主がすでに、この地上で
完成させたことを信じるだけで、罪が赦され、
地獄での裁きから救われて天国に行けるという
約束が与えられています。
そして、生きている間も、最初の人のように、
神さまと親しい関係がもてるようになるのです。

現代の人間には、最初の人よりも、もっと信じやすい状況
ができあがっているのです。「信じる者は救われる」という
のは、聖書のことばであり、神さまの約束です。
神さまの呼びかけに応えるかどうかは、あなたが選択
することなのです。うらないやオカルトに頼る虚しい生き方を
やめて、神さまを信じて神さまと共に生きる人生を選んで
ほしいと思います。