チュウゴクの海、ちゃくちゃくと広がる(中静の日本国を考える)
チュウゴクの海、ちゃくちゃくと広がる(中静の日本国を考える)
11月3日の記事です。
http://nakashizuk.iza.ne.jp/blog/entry/777115/
日本の太平洋側も自分たちの「庭」ということを示したかったのだろう。
こう指摘せざるを得ないのが先月19日、津軽海峡を通り抜け、太平洋を南下した中国艦隊の行動である。艦隊はソブレメンヌイ級駆逐艦、ジャンカイⅠ級と同Ⅱ級のフリゲート艦、補給艦の計4隻から成る。ロシアから導入したソブレメンヌイ級は超音速対艦ミサイルを備えた8000㌧近い戦闘艦であり、ジャンカイⅡ級は海上自衛隊が初めて確認した最新鋭艦だ。
ロシアでの演習を終え、帰途についた2隻と、日本海を北上してきた2隻が合流して、往路の日本海ルートをたどらず、あえて津軽海峡を横切った。中国の戦闘艦では初めてだ。
中国は、沿岸海域を防衛する海軍ではないことや、太平洋での作戦行動も可能であることを日本、そして米国に示すのが狙いのようだ。プレゼンスには威嚇も込められている。
その5日後、中国の温家宝首相は、東シナ海のガス油田開発に関する6月の政府間合意が進捗していないと提起した麻生太郎首相に対し、「東シナ海を平和・友好・協力の海にしなければならない」と強調した。首相発言と海軍の行動の落差は大きく、真意はつかめない。
かつて清国は最新鋭の超弩級戦艦「定遠」「鎮遠」を日本に派遣して威圧した。それが逆に日本人を奮い立たせ、海軍力を整備した。今回の中国艦隊の示威への日本側の反応はほとんどない。
麻生首相は秋葉原の街頭演説で「外交、経済は麻生太郎が最も今の政治家の中で使える」と語った。使えることをどうかたちで示すかである。
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防衛力削減で日本は大丈夫か(中静の日本国を考える)
11月17日の記事です。↓
http://nakashizuk.iza.ne.jp/blog/entry/792273/
10月18日朝、東京・市ケ谷の防衛省から見た空は澄み渡っていた。省内のメモリアルゾーンで営まれた自衛隊殉職隊員追悼式に参列した。麻生太郎首相などが献花し、遺族代表があいさつに立った。6月、帰らぬ人となった三等陸曹の父だった。
陸曹は、静岡県の東名高速道路のフェンスから転落した陸上自衛隊車両の助手席に乗っていた。父は息子への思いをとつとつと語った。「将来の職務に大きな夢と希望を持っていました。祖国日本の繁栄を願って、24歳の生涯を終えました」。
祭られたのは陸自など計7人の霊だった。昭和25年の警察予備隊以降、殉職隊員は1798人にのぼる。日本の平和と安全は、命がけで守る人たちによって絶えることなく維持されている。自由、民主主義、豊かさ…すべての基礎が国防にある。
この国防の最前線がいま大きく揺らいでいる。相次ぐ不祥事はその表れでもある。月にまとまった政府の防衛省改革会議は背景をこう分析した。
「自衛隊の業務量と人員配置がバランスを欠き、現場部隊等に日常的に過度の負担が課される一方、隊員の基礎的な教育が行き届いていなかった」
第一線から聞こえてくるのもこんな叫びだ。「人も金も減らされ、仕事だけが増える」。
実態はどうか。防衛費は平成14年度をピークに毎年減り続けている。14年度を100にすると昨年度は97。同じ期間、周辺を友好国で囲まれているフランスは126。ドイツは120。ちなみに米国は165、中国は公表ベースで206。周辺で削減しているのは日本だけだ。
要員・装備も16年に策定された現防衛大綱での陸自の編成定数は15万5000人。前防衛大綱は16万人だった。海自護衛艦も約50隻を47隻に減らされた。 一方で自衛官には情報通信の進歩に伴う「軍事革命」(RMA)により高度で専門的な職務が求められている。自衛隊の役割も飛躍的に拡大している。無駄は省かなければならないが、組織の疲弊は覆うべくもない。
問題はまだある。平成18年の骨太の方針は防衛費について①今後年間名目伸び率ゼロ以下の水準とする②自衛官実員の削減を明記した。信じられないことだが、この決定は防衛力に関する論議抜きで行われた。
小泉純一郎首相が防衛費の大幅削減を指示し、だれも異論を差し挟まなかったからである。冷戦終結という「軍縮」気分と省庁横並びの歳出削減に対し、防衛省・自衛隊は「国を守る」論理で対峙できなかった。
専守防衛などの政治スローガンに縛られ、日本を守るために必要な防衛力は何かをいまだに打ち出せないためでもある。
要は、国防の論理をどう構築するのか。さらにはれっきとした軍事組織をどう位置づけるのか。こうした根本の問題に戦後、目をそむけてきたつけが、疲弊、さらには自衛官のモラルや士気低下という形で噴出しているように思えてならない。
田母神俊雄前航空幕僚長が自衛隊の領域警備の必要性や集団的自衛権行使に言及したことは、航空防衛の責任者として当然な問題提起であろう。それこそが突き崩す壁だった。
吉田茂元首相は晩年の著作「世界と日本」で防衛に関し「日本内外の環境条件の変化に応じて、国策の方向を改める必要をも痛感する。日本は政府当路も、国民も、国土防衛というこの至上の問題について、すべからく古い考え方を清算し、新しい観点に立って再思三考すべきであろうと思う」と記した。 現在の防衛力の実効性を検証して足らざるを大胆に補うときである。