【論説】田母神論文は正しい (山本賢一)
ようちゃん、おすすめ記事。↓『台湾の声』
【論説】田母神論文は正しい (山本賢一)
十一月一日、日本のマスコミはいっせいに「田母神航空幕僚長を更迭」とのニュースを報じた。報道によると、航空自衛隊のトップである田母神空幕長が民間企業の懸賞論文に「日本は侵略国家であったのか」という題で応募し、その論文は、賞金三百万円の最優秀賞に選定されたとのことである。自衛隊の最高幹部が民間の懸賞論文に応募したからといって更迭されたのでない。では、なぜ空幕長は更迭されなければならなかったのか。私は、即日インターネットに掲載されていた当該論文をプリントアウトして読んでみた。田母神空幕長は論文の中で「多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある」と主張し、さらに「大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家から解放されることになった」と述べている。まさに正しい歴史認識であり、なんら批判される内容ではない。新聞などマスコミの報道によると、更迭の理由となったのは「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである」という部分に加えて「もし日本が侵略国家であったというならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。・・・日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」という主張が平成七年八月に出された「村山談話」と異なり、政府の公式見解と異なるからだということらしい。
では、「村山談話」は本当に日本人多数の価値観を代表する「公式見解」なのか。社会党の党首だった村山氏が自民党の誘いに乗って総理大臣になり、個人的な価値観を「談話」として公表しただけではないのか。村山氏は談話の中で「日本は国策を誤り、侵略によって近隣諸国に損害と苦痛を与えました」と述べた。「国策を誤った」とは何を指すのだろうか。談話では「(日本の)国民を存亡の危機に陥れ」と述べているのだから、米英を相手に戦争して大敗北を喫したことを指すのだろうと読める。ところが、次に続くのが「侵略によって近隣諸国に云々」であるから、談話の言わんとするものは「間違って侵略しました。どうぞ許してください」というところに帰着するのである。「村山談話」は、なぜ日本が大陸に進出し、泥沼のような戦争を強いられたのか、なぜ世界最強の米英に対して戦争を挑んだのか、当時の国際情勢はどうだったのか、さらには大東亜戦争が終了してから世界はどうなったのか、という点についてきちんと評価していない。いうなれば「きれいごと」を並べているだけなのである。国家のため、民族のために戦い、傷つき、そして散華していった多くの軍人たちのことには全く配慮していない。さらに、我が国が欧米列強に圧迫されながらも国家としての独立と尊厳を維持するためにどんなに多くの苦難を克服してきたのかについて理解しようとしていない。国の最高指導者としての最低限の礼節、見識というものを感じることが出来ない。先の大戦において近隣に苦痛を与えた部分があったことを否定するつもりはないが、大東亜戦争後の世界において旧植民地は独立国として自立している。西欧列強によって侵略され、蹂躙され、収奪されていた多くの植民地は厳しい独立戦争を経て独立しているのは日本がいたからではないのか。
非西欧人として初めて西欧列強を撃破した日本人は誇りを持つべきなのに、村山談話は日本人から誇りを奪おうとしたのではないか。日本を叩けば何がしかのカネがもらえる、と考える近隣諸国の言い分を鵜呑みにする総理大臣は失格である。日本のリーダーならば、国民を奮い立たせ、激励し、「誇りを取り戻せ」と述べるべきである。田母神氏は、航空幕僚長という立場にやや配慮が欠けていたかもしれない。いや、もしかしたら更迭されるのを覚悟で論文を提出したのかもしれない。むしろ、そのように受け止めたほうがいいだろう。なぜなら、その後の記者会見で、田母神氏は、堂々と自説を主張しているからである。国防という厳しい職務に精励している自衛官たちの士気を維持向上させるべき立場にある幕僚長の苦渋の選択だったのであろう。
だとするならば、田母神氏を更迭した政府のほうが逆に問題になろう。独立国としての主体性と尊厳をいかに維持するか、国防に従事する人々にどうしたら自信と誇りを保持してもらえるのか、という最大にして最高の政治課題をクリアして来なかった政治の責任はどうなるのか。
田母神論文を単に「政府の公式見解に反する」として非難するのではなく、もっと巨視的な観点から評価すべきである。すなわち、四百年もの長い間世界中を侵略し、殺戮し、植民地支配を続けた西欧列強との比較で考えるべきである。スペインとポルトガルの植民活動から始まって、オランダ、ドイツ、フランス、英国へと覇権が移動したものの、西欧列強の植民地獲得競争はとどまるところが無かった。米国ですら「門戸開放」を求めてアジアへ進出したではないか。二枚舌を駆使して七つの海を支配した英国に比べれば日本などは可愛いものであろう。英国がインドで、中国で、豪州でやったことは余りにも苛酷なものであった。さらには中東やアフリカで示した狡猾かつ強欲なる行為は他国には真似のできない仕儀であった。こんなことは少し歴史を学ぶものなら誰でも知っていることである。我が国は、西欧列強の植民地になるまいとして彼らの行動を模範としたのである。彼らは、日本が彼らを攻撃しない範囲なら許容できるとしていたのだ。
さらに、十九世紀後半から世界を狂わせた共産主義の猛威も視野に入れて考えなければならない。マルクス・エンゲルスによって論じられた革命思想は、ソ連という一党独裁国家を生み出した。ソ連は世界的な規模で共産革命を起こそうという野望を抱き、アジアの大国である中国に共産主義政権を樹立しようとあらゆる工作を行なった。一九一九年に設立されたコミンテルンから選りすぐりの工作員が中国に入り国民党に強い影響力を及ぼしたばかりでなく、中国共産党設立にも重要な役割を演じたのである。また、ソ連はナチスドイツに対抗するため米国政府内部にも工作員を送り込み、相当多数の同調者を得て対枢軸国工作を進めていたのである。米国による対日最後通牒ともいえる「ハルノート」の原作者といわれる米国財務省の高官はソ連諜報機関と気脈を通じていたことは紛れもない歴史上の事実である。また、中国大陸における百年にも及ぶ政変、軍事衝突、大混乱も視野に入れて考えるべきである。これらの要素を全て前提にして当該論文を精査するならば、異なる評価が出るはずである。
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『台湾の声』
【韓国・中央日報】韓国・日本・台湾、進化する政治腐敗捜査 11月21日
韓国・最高検捜査企画官 崔 在卿]
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(日、台、韓の微妙な違い)
台湾の場合、陳水扁総統の在職時に始まった検察の捜査が逮捕につながった。
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政治と検察の関係は実に難しい側面がある。政界の腐敗を捜査することは、検察の最も重要な使命であると同時に、最も難しく大変な課題だ。 逆風を受けて検事が逆に苦難に陥ることもある。代表的な例が日本検察のロッキード事件捜査だ。1976年7月27日、東京地検特捜部の松田昇検事と捜査官が田中角栄元首相を自宅で逮捕した。同年2月、米上院外交委員会がロッキード社の賄賂スキャンダルを調査する過程で、日本政府に巨額の賄賂を渡したことが明らかになってから5カ月後のことだった。逮捕当時、田中は首相から退いていたが、「コンピュータ付きブルドーザー」「庶民宰相」などと呼ばれながら、自民党最大派閥の首長として政界を号令してきた最高の実力者だった。 検察は8月16日、ロッキード社から5億円を受け取った容疑で起訴した。裁判で田中は無罪を主張したが、1983年に東京地裁で懲役4年、追徴金5億円の実刑が宣告された。 結局、田中の死後、最終的に有罪判決が確定した。しかしこうした中でも自民党の一党支配体制はそのまま維持され、自民党内の田中派閥はむしろ増加の一途をたどり、結束力も強化された。その結果、日本検察の特別捜査はかなりの沈滞期を経験した。日本にロッキード事件があるなら、韓国には95年の元大統領捜査がある。最高検察庁中央捜査部は95年10月、盧泰愚(ノ・テウ)元大統領の不正資金疑惑に対する捜査に着手した。捜査の結果、盧元大統領が企業代表から利権の請託とともに2800億ウォン台の金を受け取った容疑を確認し、盧泰愚を逮捕した。同年11月、検察は「12・12事件および5・18事件特別捜査本部」を構成した。この特別捜査チームの発足は全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領の逮捕につながった。軍部出身の元大統領が司法処理されたことで、軍部独裁の残滓が完全に清算され、民主化が完成した。筆者が改めて韓国と日本の両捜査を思い出したきっかけは、今月12日の陳水扁元台湾総統の逮捕だった。不正外交資金の横領と海外への資産逃避などの容疑だった。
陳水扁といえば、2000年5月、野党・民進党の党首として国民党の50年長期執権を終息させ、総統に当選し、台湾民主化の象徴に浮上した人物だ。当時、陳水扁総統は選挙公約に“政経癒着の清算”を掲げ、“クリーン”なイメージが決定的な力になった。しかし今では腐敗政治家として囹圄(れいぎょ)の身になったのだからアイロニーだ。陳水扁一家の腐敗犯罪が処罰されたのは、台湾最高検特別捜査チームの長期にわたる捜査の結果だった。台湾検察は、陳水扁が総統再任中の06年6月に捜査を始め、同年11月、陳水扁総統の夫人・呉淑珍を腐敗犯罪で起訴した。 そして今年5月に行われた総統選で国民党所属の馬英九現総統が当選すると、捜査が再開され、結局、陳水扁前総統の逮捕につながったのだ。韓国・日本・台湾3国の捜査過程を見ると、元国家元首の腐敗事件を捜査したという共通点はあるが、微妙に異なる側面がある。日本のロッキード捜査が検察の沈滞を招いたとすれば、韓国の両元大統領の捜査は肯定的な通過儀礼の役割をした。台湾の場合、陳水扁総統の在職時に始まった検察の捜査が逮捕につながった。韓国の検察は日本の検察から権力型不正捜査のノウハウとそれに必須の勇気を苦労して学んできた。今はそれをさらに発展させ、特別捜査に関する限り世界のどの検察にも劣らない実力を備えたという評価を受けている。こうした効率的な腐敗犯罪捜査システムを中国と台湾の検察に直接・間接的に伝授したりもした。いま陳水扁前総統を捜査をしている台湾の最高検特別捜査チームは、韓国の最高検中央捜査部の構造をベンチマーキングしたという。 世界各国の検察が経験と知恵をお互い共有し、勇気を持って任務を遂行していけば、国と国民により大きな奉仕ができるはずだ。
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【論説】田母神論文は正しい (山本賢一)
十一月一日、日本のマスコミはいっせいに「田母神航空幕僚長を更迭」とのニュースを報じた。報道によると、航空自衛隊のトップである田母神空幕長が民間企業の懸賞論文に「日本は侵略国家であったのか」という題で応募し、その論文は、賞金三百万円の最優秀賞に選定されたとのことである。自衛隊の最高幹部が民間の懸賞論文に応募したからといって更迭されたのでない。では、なぜ空幕長は更迭されなければならなかったのか。私は、即日インターネットに掲載されていた当該論文をプリントアウトして読んでみた。田母神空幕長は論文の中で「多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある」と主張し、さらに「大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家から解放されることになった」と述べている。まさに正しい歴史認識であり、なんら批判される内容ではない。新聞などマスコミの報道によると、更迭の理由となったのは「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである」という部分に加えて「もし日本が侵略国家であったというならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。・・・日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」という主張が平成七年八月に出された「村山談話」と異なり、政府の公式見解と異なるからだということらしい。
では、「村山談話」は本当に日本人多数の価値観を代表する「公式見解」なのか。社会党の党首だった村山氏が自民党の誘いに乗って総理大臣になり、個人的な価値観を「談話」として公表しただけではないのか。村山氏は談話の中で「日本は国策を誤り、侵略によって近隣諸国に損害と苦痛を与えました」と述べた。「国策を誤った」とは何を指すのだろうか。談話では「(日本の)国民を存亡の危機に陥れ」と述べているのだから、米英を相手に戦争して大敗北を喫したことを指すのだろうと読める。ところが、次に続くのが「侵略によって近隣諸国に云々」であるから、談話の言わんとするものは「間違って侵略しました。どうぞ許してください」というところに帰着するのである。「村山談話」は、なぜ日本が大陸に進出し、泥沼のような戦争を強いられたのか、なぜ世界最強の米英に対して戦争を挑んだのか、当時の国際情勢はどうだったのか、さらには大東亜戦争が終了してから世界はどうなったのか、という点についてきちんと評価していない。いうなれば「きれいごと」を並べているだけなのである。国家のため、民族のために戦い、傷つき、そして散華していった多くの軍人たちのことには全く配慮していない。さらに、我が国が欧米列強に圧迫されながらも国家としての独立と尊厳を維持するためにどんなに多くの苦難を克服してきたのかについて理解しようとしていない。国の最高指導者としての最低限の礼節、見識というものを感じることが出来ない。先の大戦において近隣に苦痛を与えた部分があったことを否定するつもりはないが、大東亜戦争後の世界において旧植民地は独立国として自立している。西欧列強によって侵略され、蹂躙され、収奪されていた多くの植民地は厳しい独立戦争を経て独立しているのは日本がいたからではないのか。
非西欧人として初めて西欧列強を撃破した日本人は誇りを持つべきなのに、村山談話は日本人から誇りを奪おうとしたのではないか。日本を叩けば何がしかのカネがもらえる、と考える近隣諸国の言い分を鵜呑みにする総理大臣は失格である。日本のリーダーならば、国民を奮い立たせ、激励し、「誇りを取り戻せ」と述べるべきである。田母神氏は、航空幕僚長という立場にやや配慮が欠けていたかもしれない。いや、もしかしたら更迭されるのを覚悟で論文を提出したのかもしれない。むしろ、そのように受け止めたほうがいいだろう。なぜなら、その後の記者会見で、田母神氏は、堂々と自説を主張しているからである。国防という厳しい職務に精励している自衛官たちの士気を維持向上させるべき立場にある幕僚長の苦渋の選択だったのであろう。
だとするならば、田母神氏を更迭した政府のほうが逆に問題になろう。独立国としての主体性と尊厳をいかに維持するか、国防に従事する人々にどうしたら自信と誇りを保持してもらえるのか、という最大にして最高の政治課題をクリアして来なかった政治の責任はどうなるのか。
田母神論文を単に「政府の公式見解に反する」として非難するのではなく、もっと巨視的な観点から評価すべきである。すなわち、四百年もの長い間世界中を侵略し、殺戮し、植民地支配を続けた西欧列強との比較で考えるべきである。スペインとポルトガルの植民活動から始まって、オランダ、ドイツ、フランス、英国へと覇権が移動したものの、西欧列強の植民地獲得競争はとどまるところが無かった。米国ですら「門戸開放」を求めてアジアへ進出したではないか。二枚舌を駆使して七つの海を支配した英国に比べれば日本などは可愛いものであろう。英国がインドで、中国で、豪州でやったことは余りにも苛酷なものであった。さらには中東やアフリカで示した狡猾かつ強欲なる行為は他国には真似のできない仕儀であった。こんなことは少し歴史を学ぶものなら誰でも知っていることである。我が国は、西欧列強の植民地になるまいとして彼らの行動を模範としたのである。彼らは、日本が彼らを攻撃しない範囲なら許容できるとしていたのだ。
さらに、十九世紀後半から世界を狂わせた共産主義の猛威も視野に入れて考えなければならない。マルクス・エンゲルスによって論じられた革命思想は、ソ連という一党独裁国家を生み出した。ソ連は世界的な規模で共産革命を起こそうという野望を抱き、アジアの大国である中国に共産主義政権を樹立しようとあらゆる工作を行なった。一九一九年に設立されたコミンテルンから選りすぐりの工作員が中国に入り国民党に強い影響力を及ぼしたばかりでなく、中国共産党設立にも重要な役割を演じたのである。また、ソ連はナチスドイツに対抗するため米国政府内部にも工作員を送り込み、相当多数の同調者を得て対枢軸国工作を進めていたのである。米国による対日最後通牒ともいえる「ハルノート」の原作者といわれる米国財務省の高官はソ連諜報機関と気脈を通じていたことは紛れもない歴史上の事実である。また、中国大陸における百年にも及ぶ政変、軍事衝突、大混乱も視野に入れて考えるべきである。これらの要素を全て前提にして当該論文を精査するならば、異なる評価が出るはずである。
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『台湾の声』
【韓国・中央日報】韓国・日本・台湾、進化する政治腐敗捜査 11月21日
韓国・最高検捜査企画官 崔 在卿]
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(日、台、韓の微妙な違い)
台湾の場合、陳水扁総統の在職時に始まった検察の捜査が逮捕につながった。
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政治と検察の関係は実に難しい側面がある。政界の腐敗を捜査することは、検察の最も重要な使命であると同時に、最も難しく大変な課題だ。 逆風を受けて検事が逆に苦難に陥ることもある。代表的な例が日本検察のロッキード事件捜査だ。1976年7月27日、東京地検特捜部の松田昇検事と捜査官が田中角栄元首相を自宅で逮捕した。同年2月、米上院外交委員会がロッキード社の賄賂スキャンダルを調査する過程で、日本政府に巨額の賄賂を渡したことが明らかになってから5カ月後のことだった。逮捕当時、田中は首相から退いていたが、「コンピュータ付きブルドーザー」「庶民宰相」などと呼ばれながら、自民党最大派閥の首長として政界を号令してきた最高の実力者だった。 検察は8月16日、ロッキード社から5億円を受け取った容疑で起訴した。裁判で田中は無罪を主張したが、1983年に東京地裁で懲役4年、追徴金5億円の実刑が宣告された。 結局、田中の死後、最終的に有罪判決が確定した。しかしこうした中でも自民党の一党支配体制はそのまま維持され、自民党内の田中派閥はむしろ増加の一途をたどり、結束力も強化された。その結果、日本検察の特別捜査はかなりの沈滞期を経験した。日本にロッキード事件があるなら、韓国には95年の元大統領捜査がある。最高検察庁中央捜査部は95年10月、盧泰愚(ノ・テウ)元大統領の不正資金疑惑に対する捜査に着手した。捜査の結果、盧元大統領が企業代表から利権の請託とともに2800億ウォン台の金を受け取った容疑を確認し、盧泰愚を逮捕した。同年11月、検察は「12・12事件および5・18事件特別捜査本部」を構成した。この特別捜査チームの発足は全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領の逮捕につながった。軍部出身の元大統領が司法処理されたことで、軍部独裁の残滓が完全に清算され、民主化が完成した。筆者が改めて韓国と日本の両捜査を思い出したきっかけは、今月12日の陳水扁元台湾総統の逮捕だった。不正外交資金の横領と海外への資産逃避などの容疑だった。
陳水扁といえば、2000年5月、野党・民進党の党首として国民党の50年長期執権を終息させ、総統に当選し、台湾民主化の象徴に浮上した人物だ。当時、陳水扁総統は選挙公約に“政経癒着の清算”を掲げ、“クリーン”なイメージが決定的な力になった。しかし今では腐敗政治家として囹圄(れいぎょ)の身になったのだからアイロニーだ。陳水扁一家の腐敗犯罪が処罰されたのは、台湾最高検特別捜査チームの長期にわたる捜査の結果だった。台湾検察は、陳水扁が総統再任中の06年6月に捜査を始め、同年11月、陳水扁総統の夫人・呉淑珍を腐敗犯罪で起訴した。 そして今年5月に行われた総統選で国民党所属の馬英九現総統が当選すると、捜査が再開され、結局、陳水扁前総統の逮捕につながったのだ。韓国・日本・台湾3国の捜査過程を見ると、元国家元首の腐敗事件を捜査したという共通点はあるが、微妙に異なる側面がある。日本のロッキード捜査が検察の沈滞を招いたとすれば、韓国の両元大統領の捜査は肯定的な通過儀礼の役割をした。台湾の場合、陳水扁総統の在職時に始まった検察の捜査が逮捕につながった。韓国の検察は日本の検察から権力型不正捜査のノウハウとそれに必須の勇気を苦労して学んできた。今はそれをさらに発展させ、特別捜査に関する限り世界のどの検察にも劣らない実力を備えたという評価を受けている。こうした効率的な腐敗犯罪捜査システムを中国と台湾の検察に直接・間接的に伝授したりもした。いま陳水扁前総統を捜査をしている台湾の最高検特別捜査チームは、韓国の最高検中央捜査部の構造をベンチマーキングしたという。 世界各国の検察が経験と知恵をお互い共有し、勇気を持って任務を遂行していけば、国と国民により大きな奉仕ができるはずだ。
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