よみがえれ美しい日本 | 日本のお姉さん

よみがえれ美しい日本

ようちゃん、おすすめ記事。↓
平河総合戦略研究所メルマガ(2008年11月19日 NO.237号)
------------------------------------
1.松永太郎 戦後ジャーナリズムの終焉(2)  若宮啓文「闘う社説」を読む
------------------------------------
朝日新聞の論説主幹だった若宮啓文氏(以下敬称略)の「闘う社説」というのを読んだ。若宮氏たちが書いている(あるいは、いた)「朝日」の「社説」というのは、コンピューターに「戦後的な思考」というのをプログラムさせ(今のコンピューターは、それぐらいはできる)、あるトピックを入力すれば、3分ぐらいでできあがります、と思わせるものがある。それぐらいパターン化している。何をこれから読まされるのか、最初の一行でわかるのである。文章も、もちろん携帯でも入力できるぐらいパターン化している。こうした「朝日的思考」「戦後教育的な思考」というのは、メディアや政治家のなかでは、今や、ほとんど「下意識レベル」(サブ・コンシャスネス)にまで食い込んでいる(たとえば「週刊朝日の今週号<11:28>では、石場茂元防衛大臣が、驚くべき戦後思考パターンを示しているが、おそらくご自分では、それと気が付いていないだろう)。いっぽう、国民のあいだに、そうした思考に対して疑問を抱く人たちが多くなった。メディアや政治家の中での「戦後思考」の信奉者たちは、それが職業となっているので、いまさら前提を変えることはできない。しかし、多くの国民は、そうした戦後的思考のパターンには、常識的に考えて、あまりにも、おかしなことが多い、と感じているのである。この乖離が、最近、ますます、ひどくなってきて、わたしがここで言う、いわゆる「戦後ジャーナリズム」が終焉を迎えている、と見ている。あんまり普通の人が相手にしなくなってきているのである(ネットもあるし)。この「闘う社説」というのは、そのような戦後ジャーナリズムなりメディアが後生大事に信奉してきた思考パターンの典型を示している。

なぜ、このようなパターンが温存されたのか、といえば、もちろん、日本が冷戦期、幸か不幸か、「無風地帯」に置かれ、自分たちの思考に衝撃を与えるものが何もなかったからに他ならない(「ポストモダン」なんてのは、コピー用語に過ぎなかった)。しかし今や、内外に激風が吹き荒れ、パターン化した思考やイデオロギーでは、どうにも無くなってきているのだが、それに眼を向けたくはないのである。
若宮氏は、70年に東大法学部をご卒業されたあと、同年、朝日新聞に入社され、政治記者などを勤められた。父君も朝日だそうで(結婚式の紹介みたいだ)朝日新聞の純粋培養みたいな方である。純粋培養のいい子ちゃんというのは、教わったとおりのことを書く。教わったとおりのことを書けば、みんなほめてくれるのであるが、その中でもえり抜きのはずの自分たちが社説を書くと、なぜか批判がくる。その理由が良くわからないのである。そのわからないことをそのまま書いたのが、この「闘う社説」という迷著である。「竹島を(韓国)に譲ってしまったらと書いたところ」、「少なからず賛同の声をいただいた一方で、右派メディアの標的となった」とある。それは少なからない人が賛同するであろう(爆笑)。そして、自分を批判するのは「右派メディア」なのである。自分(たち)を批判するのは、右派である、とか、一部の極端な議論とか、と書けば反論したつもりなのである。「闘う社説」のゆえんなのだろうが、この本の底流に流れているのは、「闘い」ではなく、奇妙な弁解(アポロジー)である。読売の社長にほめられてうれしいとかは、論外としても、そこまで批判されるのは心外だ、とか、そんなことを書いた覚えはないとか、いう弁解である。おそらく無意識的には、自分たちの主張など、誰も聞かなくなっているという不安があるのだろう。それも当然である。「地球貢献国家。地球大のさまざまな課題をしっかり考え、国際社会に率先して貢献する。それを通じて日本の国益を確保する」なんて、高校生弁論大会みたいな「社説」など、誰がまじめに読むだろうか。
-------------------------------------
2.奥山篤信 「偽善者の群れ」(4)村田晃嗣という男
------------------------------------
これほど軽い“学者”もいない。ちょび髭を武器にタレントのような目立ちたがり屋でいろんな所に顔をだすが、論旨一貫せず要するに学者とは思えないのである。彼の言語録も面白いのでまず列挙しよう;
1.イラク戦争においての先制攻撃の妥当性について、イラクが大量破壊兵器を持っているかのように装ったことがアメリカの先制攻撃を引き起こした旨を主張。この、実際には兵器を所有していなくても、そのように振舞うだけで脅威を与えているという、驚くべき議論を展開し失笑を買った。
2.今の憲法押し付け論について「憲法の出自がどうであれ、基本的人権の尊重という概念を持った日本国憲法とともに歩んだ戦後史を矮小するものだ」という見解を示す。
3.歴史認識についての保守派の歴史学説を「きちんとした検証を経ていないので、誤りも多く、論点が相当ズレており、真実だと明らかになったとしても、なんら意味のないもの」まさに村山談話や河野談話を後押しするともいえる偽善者たち(石破、五百旗頭などと同類)と同じ考えである。
4.核武装については「日本の国力の限界を見定めていない」として反対の立場をとっており、論議においても「民間ならまだしも、政治家が核武装論議をすることはナンセンスだ」としている。一体何がナンセンスか良くわからない。
5.靖国神社問題では、全ての宗教に開かれた形の国立の追悼施設が必要ではないかと主張している。首相の参拝については、主に外交的要因を背景に「極めて消極的」「反対」と明言した。

お分かりのようにまさに偽善者の典型である。そして偽善者に特有の御用学者でもある。11・19付産経新聞正論に“国民も対米追随の発想脱却を”なる論文をみてその内容の薄っぺらさはもとより、アメリカべったりの今までの思想の転換を見た。学者の考えってそんなに軽いものか驚嘆に値するので是非一読を勧める。権力になびく同氏の姿勢から当然バラク・オバマ上院議員に期待を寄せて誉めたたえ;~ かつてジョン・F・ケネディが宗教の壁を破ったように、オバマ氏は人種の壁を破った。雄弁や若さという共通点もあって、彼が「ブラック・ケネディ」と呼ばれる所以(ゆえん)である。そのオバマ氏は今、世界との対話をめざし、分裂したアメリカ世論の統一を呼びかけている。国難にあって統一を呼びかける姿は、南北戦争時のエイブラハム・リンカーンを彷彿(ほうふつ)とさせる。リンカーンもまた長身で、イリノイ選出であった。~
 
そして同氏の共和党勝利の予想がはずれたことを;~だが実は、金融危機が発生しなければ、オバマ氏の当選は容易ではなかったかもしれない。この危機に対処することこそが、オバマ次期大統領の当面の最大課題である。この点では、世界大恐慌にニューディール政策で立ち向かったフランクリン・ルーズベルトの姿が重複してくる。~くだらない学者らしからぬダジャレを使い;~ そして、この危機への対処に失敗すれば、オバマ人気は急速に退潮し1期かぎりでホワイトハウスを去らなければならないかもしれない。そうなれば、ジミー・カーター元大統領の二の舞いであり、「ブラック・カーター」になってしまう。~論旨が突然飛躍し;~ オバマ外交にとっては、アフガニスタンの治安回復とイランの核開発問題こそが、最重要課題である。これに比して、アジアでは北朝鮮の核開発問題ですら、新政権にとって優先順位の高い問題ではあるまい。こうした中での日米関係である。~この学者の内容のないこと下手な文章でよくここまでくだらない内容を書けるのか; ~また、北朝鮮問題でもアメリカの協力を求めるだけではなく、日本として拉致問題の解決をどのように定義し、そのためにどのような手段と戦略を採るのかを、主体的に再検討しなければならない。北朝鮮をめぐる核問題も拉致問題も、アメリカの関与なしには解決できないが、それを求めるだけではない日本の主体性が必要であり、両者のバランスが重要である。~ 

全く意味不明“バランス”って何?
~ 政府や外務省のいわゆる対米追随主義が批判されて久しいが、それを批判するメディアや世論こそ、発想において対米追随に陥ってはいないか。われわれは民主主義社会に生きている。もし有権者が対米追随の発想から脱却できていないとすれば、政府や外務省が対米追随主義に走ったとて、驚くには当たるまい。~これも何のことか分からない。村田氏こそ対米追随でイラク戦争もアメリカの肩を持ち続けたのではなかろうか?バカバカしい学生の議論が続く;~ 「過去を反省しない日本」や「謝罪しない日本」というイメージは、明らかに不正確なものである。限られた能力ではあるが、筆者も何度となく国際会議などでアメリカ人やヨーロッパ人、そして、中国人、韓国人と議論してきた。このイメージの歪(ゆが)みを是正するには、精緻(せいち)な歴史研究が必要なことに、おそらく異論はあるまい。~果たして氏はこれらの外国人に対して日本の名誉を守って来たのでしょうか?偽善的語り口で自虐史観を述べていた姿が目に浮かびます。~ 自分たちの持論だけが「真の近現代史」や「正しい歴史認識」であり、異論を唱える者は「反日的」といった狭量な発想では、論敵はおろか幅広い第三者の支持と理解を獲得することも困難である。日米ともにイメージ戦略を再考する時期に来ていよう。~お利巧さんの理論が今日に至るまで村山談話を典型として世界に日本の不名誉を蔓延らせた。氏の主張するいわゆるバランス的議論とは敗北主義そのものである。
-------------------------------------
3.藤岡知夫
 オバマ大統領登場に思う
------------------------------------
今回の大統領選挙は最初からオバマ優勢の声が高かったですが、多数の米国の友人との交信から、まさか彼がなるとは思っていませんでしたが、下馬評通りオバマの圧勝となり、私としては感慨深いものがあります。米国もここまで来てしまったか、世界は益々混乱するであろうということです。米国は第二次大戦開戦前からずば抜けた超大国でしたが、日、独、伊同盟がこれに対抗して大東亜戦争が始まり、これに勝利して更に大国になりました。昭和25年頃朝鮮戦争が生じ、この時マッカーサーは支那に原爆を落とす方針で、その当時の大統領トルーマンがこれを制し、マッカーサーは極東軍の最高司令官から解任されました。この時原爆を使っていたら、中共軍は蒋介石軍に勝てなかったかもしれない。そうしたら現在の世界情勢も随分変わっていたはずで、その辺誰か小説でも書いたら面白いと思うのですが、支那に遠慮してか、この辺のことを話題にする人は日本の歴史学者にも殆どいないのは、残念なことです。

米国は経済力、技術力、天然資源の埋蔵などあらゆる面をとっても、世界ナンバーワンの国ですが、それと同等に世界随一の民主主義国であるという自負を持って居りました。そして敗戦した日本に彼等の民主主義を植え付け、民族としての適応力が旺盛な日本はこれを受け入れ、上手く古来からの文化ともミックスさせて、日本は民主主義国として復活致しました。しかし朝鮮戦争が終わったあたりから、ソ連が急速に台頭して、経済力、軍事力で米国に対峙し、周辺諸国を次々と共産主義に変えて、自分の系列に入れて行きました。戦争とか政治に関しては、どう見ても自由主義諸国よりも、共産主義諸国の方が戦い上手で、その典型的な例はベトナムの取り合いでしょう。ベトナム戦争に敗れたあたりから、米国の世界支配に最初の翳りが出たと言うべきでしょう。しかし米国とソ連が対峙したまま、約30年が経過した時点で、共産主義側が主として経済戦争に敗れ、ベルリンの壁の崩壊と共にソ連を中心とした共産主義が崩壊致しました。共産勢力の中でもソ連と袂を分かっていた支那だけは、ソ連崩壊後も生き延びて現在に至って居りますが、米国は世界に紛争があると、何処にでも出ていき、世界の警察のような役割も果たして居りました。

プライドの高いヨーロッパ人でも、米国に警察国としての役割をやらせていた背後には、米国人は元をただせば、6~7割を占める白人がヨーロッパ出身であるためと思います。特にイギリスは米国人は全て英語を話すわけで、多くの英国人は米国人を自分達の息子のように考えて居りました。現在でも台湾人の老人達は日本語を流暢に喋るので、我々日本人にとっては、同胞のように思えることを考えれば、英国人の心情は容易に理解出来るでしょう。フランス人にとっては、カナダケベック州など英語よりもフランス語の方が盛んなので、フランス人にとっては息子のように考えていると思います。しかしながらヨーロッパ人にとって米国が息子のような存在であるのは、大統領がヨーロッパ人の子孫であるうちだけです。そのトップがアフリカ系になってしまったら、ヨーロッパ人にとって斯くの如く親近感を持って息子のように扱うわけには行かなくなると思います。

米国の警察力はユーゴスラビア問題でも上手く行かなかったし、イラクでもフセインを倒したところまでは良かったけど、それから後の運営が拙く、現状では米国人自身が失敗と考えて居ります。アフガニスタンも同じです。米国の影響力は、警察力の低下のみならず、経済的にも破綻をし、世界中の経済さえ脅かすようになっています。米国はこれから先も依然としてナンバーワンの超大国であることには変わりないでしょうが、世界に対する影響力は現在既に落ち目になっていますが、更に大統領がオバマになることによって、ヨーロッパ人は米国から離れ、米国の相対的な権威の失墜は、更に急落するでしょう。オバマの登場はその象徴のように私には思えます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━