((((( 注目論文 ))))) 真実の歴史の復活を求めて―検閲と東京裁判史観― (宮崎正弘) | 日本のお姉さん

((((( 注目論文 ))))) 真実の歴史の復活を求めて―検閲と東京裁判史観― (宮崎正弘)

((((( 注目論文 )))))
真実の歴史の復活を求めて―検閲と東京裁判史観―
            岩田 温(拓殖大学日本文化研究所客員研究員)
混迷を極め、一刻一刻、時が止まるのを許さぬ如く熾烈極まりない争いが繰り広げられている。他でもない日本を取り巻く国際情勢である。
それは、何の罪もない無辜の日本人を数百名規模で拉致した独裁国家、北朝鮮をめぐる昨今の情勢一つ取ってみたところで明らかだろう。
北朝鮮を名指ししてイラク、イランと並ぶ「悪の枢軸」だと国際社会に宣言していたアメリカは、前言を翻すごとく、北朝鮮への歩み寄りを始めた。日本に対する明らかな裏切り行為である。それは国際関係の冷徹さ、非情さというものが暴かれた一瞬でもあった。

すなわち、あくまで国家は自国の国益を追求する。

同盟国とて所詮は他国に過ぎない。

つまり、同盟国は数ある外交カードの一つにはなりうるが、

カードによって自らの手が縛られることのないように、他国を自国に優先させることはありえない。

当然と言えば当然の過酷な現実が日本につきつけられたのだ。

だが、驚くべきことは、この間の日本人の態度そのものではないか。アメリカの背信行為に等しい北朝鮮への歩み寄りを日本人はいかに受け止めたのか。余りに過酷で非情な現実に恐怖し、青ざめたわけではない。激しい憤りの念に駆られたわけでもない。現実を現実として見つめることすらなく、以前と変らぬぼんやりとした日常生活を営むだけであった。それは、あたかも目隠しされた幼児、眼前の危険に気づくことすらなく無邪気に遊んでいるようなものである。日本人の現実感覚の欠如。これこそが根源的に問われなければならない問題だろう。すなわち、何故に、日本人は危機を危機として認識することすらできなくなったのか、と。
 
振り返れば、十九世紀からの日本の近現代史の歩みとは、危機への現実的な対応としての歩みだった。
植民地争奪戦を繰り広げる帝国主義の時代の中、日本は「独立自尊」、自らの足によって立つことを第一の目的とした。他国の植民地にだけはなるまいという危機感と気概が我が国の歴史を動かした原動力である。

日清・日露戦争の勝利は、紛れもなく日本が独立を守るために戦い、勝利した戦争であった。日清・日露戦争を以て、日本の侵略戦争の嚆矢とする見方もあるが、これは全く当時の国際情勢を無視した暴論である。

日清・日露の両戦争は、紛れもなく日本の独立を目指すための戦いに他ならなかった。それでは大東亜戦争はどうだろうか。戦後の日本では「大東亜戦争」と呼ぶこと自体が禁止され、愚かで侵略主義的戦争を日本が仕掛けたという歴史観が一般的である。それは丁度アメリカが、日本を一方的な悪の存在と断定するために行った政治劇とも言うべき東京裁判における歴史観とぴったりと符合している。「東京裁判史観」と呼ばれるべき歴史観である。

だが実際に調べてみると、大東亜戦争とは単なる愚かな侵略戦争などではありえなかった。
日本は独立を保ちながらの平和的解決を模索し続けたのだった。
その日本に突きつけられたのが一九四一年十一月のハル・ノートであった。アメリカ国務長官ハルが提示した提案は、日本の全ての主張を無視した一方的な提案であった。
それはおよそ「提案」と呼びうる代物ではなく、「恫喝」に等しい内容であった。東京裁判で日本側被告全員を無罪にすべきだと主張したパール判事は、このハル・ノート指して、「アメリカが日本に送ったと同一のものを他国に通告すれば、非力なモナコ公国やルクセンブルク大公国と言った欧州の弱小国でさえ、必ずやアメリカに対して自衛の為に武力を以て立ち上がったであろう」と指摘したが、正鵠を射た指摘だと言えよう。

ハル・ノートを受諾することは、日本がそれまでの全ての主張をかなぐり捨て、自らの主体的な意志をも放棄して、
アメリカに従属することを意味していた。

明治維新以来の日本の基本的方針とでもいうべき「独立自尊」の精神を捨てよと迫られたのだ。

これに対して、日本は敢然と立ち上がった。
確かに、そこには日本人の驕り、精神主義に傾きがちで冷徹さを欠いた点、国際情勢の中で、謀略を見抜く力に欠けていた点など、現在の目から見直せば、幾多の誤りがあったことは事実であろう。冷静に分析し、反省をなすことが肝要であることは言うまでもない。
 しかしながら大東亜戦争もまた、自らの独立自尊を目指したものであったという事実を忘れてはなるまい。
武運拙く敗れたとは言え、大東亜戦争が自らの意志を以ての決断であったのは揺るがすことのできない事実である。敗れはしたが、自らの独立自尊を守るために、自ら決断した結果が大東亜戦争なのである。
敗れたこと自体を反省すべき必要はあるが、その正統性に関しては、いささかも恥じる必要がない。

日本をやぶったアメリカは「二度と日本をアメリカの脅威としない」(SWNCC―一五〇文書)ことを目標として、占領政策を開始した。
現在、中学校で使用されている殆どの教科書が、アメリカを中心としたGHQの「民主化政策」として、この占領統治を讃えているが、全くの見当違いであり、端的に言って誤謬である。

国家はあくまで自国の国益を追求する。

全くの善意から他国の改革を行う国家などというものは存在しない。
 
GHQは日本人から歴史を奪うことを企図した。
そのための壮大な政治劇こそが、先に指摘した東京裁判であり、この「東京裁判史観」は、今なお多くの日本人を蝕んでいる。そして、私が本論文で指摘したいのは、この「東京裁判史観」を日本国民に植え付けるためにGHQが行った「検閲」についてである。この検閲によって日本人自身の歴史が忘れられ、歴史とともに現実感覚が失われていったことを証明したい。
 
GHQの検閲の実態を知るためには、プランゲ文庫にあたるのが最も効果的である。プランゲ文庫とは、GHQの参謀第二部(G―2)に勤務していたプランゲ博士が、日本における検閲資料をアメリカに持ち帰り、メリーランド大学に寄贈したものである。一つ一つの検閲資料には、何故にこの記事が検閲に値するかを説明したGHQ側の資料も添付されている。このプランゲ文庫はマイクロ・フィルム化されており、日本でも国立国会図書館や早稲田大学などに収められており、実際に目にすることが可能である。プランゲ文庫の中で実際に筆者が発見した検閲された資料を一つ紹介したい。『堕落論』の著者として有名な坂口安吾の「特攻隊に捧ぐ」という短い文章である。これは昭和二十年の「ホープ」という雑誌に発表されたものだが、全面的に「削除」が命じられている。その中で坂口は次のように指摘している。少々長くなるが、重要な記述であるので、正確に引用しておきたい。「戦争は呪うべし、憎むべし。再び犯すべからず。その戦争の中で、然し、特攻隊はともかく可憐な花であったと私は思う。
 (中略)
彼等は基地では酒飲みで、ゴロツキで、バクチ打ちで、女たらしであったかも知れぬ。やむを得ぬ。死へ向って歩むのだもの、聖人ならぬ二十前後の若者が、酒をのまずにいられようか。せめても女と時のまの火を遊ばずにいられようか。ゴロツキで、バクチ打ちで、死を怖れ、生に恋々とし、世の誰よりも恋々とし、けれども彼等は愛国の詩人であった。いのちを人にささげる者を詩人という。唄う必要はないのである。詩人純粋なりといえ、迷わずにいのちをささげ得る筈はない。そんな化物はあり得ない。その迷う姿をあばいて何になるのさ。何かの役に立つのかね?我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。軍部の偽懣とカラクリにあやつられた人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか。

一人一人の特攻隊の真の姿に迫ったまことに生き生きとした名文である。確かに特攻隊として散華した若人たちは、聖人や君子であったわけではない。ごく普通の一国民であった。一人一人の私的な生活を覗きこんでみれば、酒飲みやバクチ打ち、女たらしもいただろう。日常生活における彼らの姿とはそういう普通の人間の姿であったはずだ。だが、彼らが国家の危機に際して立ち上がったのだ。この生命を擲って立ち上がった姿に感動しない者などいないと坂口は言うのだ。そして、「我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか。軍部の偽懣とカラクリにあやつられた人形の姿であったとしても、死と必死に戦い、国にいのちをささげた苦悩と完結はなんで人形であるものか」と国民に訴えかけるのだ。坂口は大東亜戦争を否定する立場に立ちながらも、特攻隊の精神の気高さというものに圧倒されているのだ。これはその正直な気持ちを吐露したものだろう。別段、戦争を肯定したり、美化しようという箇所など何もない。自分の中で美しく気高いと感じた特攻隊の姿を淡々と記述しているだけである。この坂口の文章がGHQによって削除を命じられていたのだ。特攻隊に対して自身の心の内の声を文字にした、この文章が削除させられたのだ。
 
「suppress(=削除)」と書かれ、大きたバツ印がつけられたこの検閲資料をプランゲ文庫の中で実際に見たとき、私は知覧の特攻平和会館を訪れたときの記憶が甦ってきた。知覧の特攻平和会館は、特攻隊の出撃基地の跡地に建設されたものだ。知覧から特攻隊として出撃し、散華していった若人たちの夥しい資料が展示されている。涙無しには館内を回りきることは出来ない。多くの人々が特攻隊員たちの遺した数々の遺品や遺書を読みながら涙していた。実際、遺書などを読んでみると、「昭和維新の貫徹」、「米英撃滅」、「大東亜共栄圏の建設」などといった具合に、当時の国策イデオロギーとでもいうべきものを鸚鵡返しに書き遺したものも多い。家族に遺した手紙も同じような文言の並んでいるものも多い。しかし、彼らの文章の内容ではなく、遺した文字の間から、彼らのメッセージというものが聞えてくるのだ。彼らとて死にたくなかったであろう。愛する人もいただろう。やりたいこともあったろう。しかしながら彼らは特攻隊として散華する道を選んだ。苦悩を捨て去って出撃していった者もいたかもしれぬ。だがその多くは苦悩し、葛藤する心のままに出撃していったのではなかったのか。自らの生とは何かを問いかけながら、生命を燃焼させていったのではなかったか。そういう彼らの心情に想いをいたすとき、切なさと同時にその高貴さが我々に伝わってくる。感動と同時にそんなことを考えながら資料室を出ると、何冊かのノートが置いてあった。それは知覧を訪れた人々が、感想を記入するノートだった。これを読んだときの驚愕の思いは、今も忘れはしない。

「何でこの人たちを殺すようなことをしたのか」「人を殺すことは間違っていると思う」「アジアの人々に対する侵略を申し訳なく思う」云々。
これが特攻隊の遺書を読み、その写真を見た人々の感想なのかと疑うほどに酷い内容のものが多かった。特攻隊の姿というものを見つめ直す場所にいながら、彼らは特攻隊として散華していった一人一人の姿というものがまるで見えていない。何らかの偏見が先に存在し、その偏見を通じてしか特攻隊という存在を見ることができなくなっているのだ。素直に、自身の目で一人一人の特攻隊の姿を見つめることが不可能となっているのだ。すなわち、真実の歴史の姿ではなく、何らかの偏見に基づいた歴史しか見ることが出来なくなっているということだ。「特攻隊に捧ぐ」という坂口の一文に対するGHQの削除命令を目にしたとき、この知覧を訪れ、特攻平和会館で読んだ不気味な感想に対する衝撃、違和感が思い出されてならなかった。歴史の断絶とその原因が明らかになった瞬間であった。私たちは歴史を自然に忘れ去っていたのではなかったのだ。忘れることを強要されていたのだ。

GHQの支配下で、日本人は自分たちの素直な感情を表現することが禁止され、「東京裁判史観」に合致した記述のみが出版を許されていた。こうした現実の中で、多くの人々は当初は生き延びるために意識的に「東京裁判史観」に合致する記述を行っていたのだろう。だが、時の流れとともに、当初の素直で飾らない自分自身の感情そのものが忘れ去られてしまった。そして、いつしか「東京裁判史観」こそが、唯一の歴史となってしまったのだ「東京裁判史観」では、日本以外の国家の悪意や侵略性は全く無視されてしまっている。日本のみが一方的に悪く、日本さえ存在しなければ、世界は平和だと言わんばかりの余りに偏向した歴史観なのである。

こうした歴史観に基づけば、日本人が戦争を起こそうとしない限り世界は平和だという、実に奇妙で愚かな幻想が生じてくる。そして、この幻想を具体化しているのが日本国憲法に他ならない。日本国憲法の前文の次の箇所は明らかにこうした歪んだ歴史観の産物に他ならない。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
 
各国が国益の伸長を目指してしのぎを削り合う国際社会で、何と幼稚な文言なのか。無辜の日本人を拉致した北朝鮮や、軍拡を続ける中国の「公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」などとは、正気の人間の感覚とは思えない。だが憲法九条を守れば平和がおとずれると本気で思う人が、この日本には少なからず存在している。丁度特攻隊の遺書を読みながら、特攻隊員の姿を見つめることができない人々と同じように、過酷な現実を突きつけられても、その現実を見つめることができないのだ。自らの偏見を優先させ、現実を見ることを頑なに拒絶する。自らの偏見を守り続けていれば、平和がおとずれると盲信しているのだ。哀しいまでの日本人の現実感覚の欠如は、決して「東京裁判史観」と無縁ではない。生き生きとした歴史を物語れないものは、利害が複雑に絡まった現実を見つめることはできない。
 
東京裁判史観という覆いを取り去って、しっかりと自分自身の目で、我が国の歴史を見つめ直すことが求められている。そして、我が国の歴史をしっかりと見たその目を以て、現在の国際情勢も見つめ直すべきなだ。歴史の中には、輝かしい栄光があり、深刻な苦悩がある。その一つ一つを自分自身の目で見つめ直すのだ。そういう経験こそが歴史に学ぶということだ。そして、歴史を見つめたとき、今現在の自己の姿、日本の姿が明らかになってくる。その日本の姿を見つめた人間は、現在の問題に無関心ではいられなくなってくる。過去の気高い日本人の姿を知ったとき、はじめて日本人としての気概が生じてくる。こうした歴史に裏打ちされた気概こそが新たな歴史を切り開いていく。混迷する日本では、真の意味での歴史の復権が求められているそのためには「東京裁判史観」の一刻も早い脱却が急務である。
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▲(宮崎正弘のコメント)この論文は、田母神元空幕長が特賞となったアパ懸賞論文の「佳作」です。特賞に勝るとも劣らない力作です)。
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