▼日本の戦争はみな「侵略」だったのか――「国について、平和について」(2) (古森義久)
ようちゃん、おすすめ記事。↓
▼日本の戦争はみな「侵略」だったのか――「国について、平和について」(2) (古森義久)
モラロジー研究所所報11月号に載った私の講演記録の紹介を続けます。麗澤大学での講演でした。「国について、平和について」という題です。2回目ですが、今回はベトナムでの体験についてです。ベトナムに進駐していた日本軍への好意を地元の人から示され、すっかり戸惑った経験です。 私自身は自分のこうした体験からも「村山談話」が日本のかつての軍事行動をすべて「侵略」として糾弾することには同意できません。
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日本に好意を寄せるベトナムの人々
アメリカから日本に戻り、新聞社に入社して新聞記者になりました。(厳密には最初に入社して、すぐ休職の形でのアメリカ留学でしたから、復職となります。毎日新聞社でした)数年後にはベトナムへ特派員として行くことになりました。ベトナムでもさまざまな体験をしました。私がベトナムに赴任した一九七二年は、北ベトナム軍が大攻勢を開始した年です。ベトナムを南北に分けていた北緯十七度線を越えて、北ベトナム軍の大部隊が南へ攻めてきたのです。クワンチという、南ベトナム側のいちばん北の省を占領した北ベトナム軍は、すぐ南のフエという都市に向かって攻めてきました。このとき、サイゴン(現在のホーチミン市)に着いたばかりだった私は、現地へ取材に行くことになりました。これから戦場になるのではないかという所ですから、フエの街はパニックに襲われており、多くの市民が撤退していました。
フエというのは日本でいえば、京都、王朝があった古都です。その市街を朝早くから取材に飛びまわって香河という川のほとりまで来たとき、気づくとお昼を過ぎていました。おなかが空いていましたが、どこのレストランも開いていません。みな避難してしまったのです。途方に暮れて川のほとりで座っていると、ベトナム人のやや年老いた女性が近寄ってきて、いきなり「日本の方ですか。私のレストランを開けてご飯を出してあげましょう」と言うのです。私に同行していた通訳を通しての語りかけですが、ビジネスとしてではなく、好意のようなものを感じました。そこで話を聞いてみると、その女性は「かつて日本軍が駐留していたとき、私の夫は日本軍で働いていた。日本人は尊敬に値する人たちだった」と言います。それは私が受けた戦後教育においては、あるはずのないことでした。 東南アジアの国々を侵略し、残虐行為を働いた日本軍は、邪悪な存在として忌み嫌われているはずではなかったのか――。
そうした疑問から、日本軍はベトナムで何をしたかということを調べてみました。一九四〇年九月、日本軍はフランス領インドシナ(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)に進駐しました。このとき、ヨーロッパではナチスドイツがフランスを屈伏させて傀儡政権を樹立していましたので、日本とベトナムに駐留しているフランス軍との間には、少なくとも表面上の友好関係がありました。ここで日本軍が行おうとしたことは、将来起こるかもしれないイギリスやアメリカ、オランダなどとの戦いに備え、特にシンガポールやマレーシアにあるイギリス軍基地を攻撃するための拠点をつくることでした。ですから、日本軍にはベトナム自体への領土的野心はなく、ベトナムの人との戦いは全くと言ってよいほどなかったのです。 ドイツの敗戦が明白になってきた一九四五年三月、フランス軍が敵対的な行動を取ってくることを予測したベトナム駐留の日本軍は、フランス軍に対する武装解除を行いました。
「武装解除」と言うと穏健な感じがしますが、実際には攻撃をして、フランスの将兵や植民地のお役人を一挙に捕らえてしまうということです。
この「武装解除」を見ていたベトナムの人たちは、「自分たちと同じような顔をして、体も小さいアジア人が、自分たちがそれまで神様のように思ってきたフランス人を一挙に捕らえて、収容所に入れてしまった」ということで、日本軍に対して畏敬と礼賛の念を抱いたというのです。 ただ、五か月後に日本が降伏した後は、「やはり日本軍のしたことは悪いことだった」と断じなければならない風潮になり、みな沈黙してきたのだということを、私はベトナムの知識人たちから聞かされました。ちなみに日本軍の降伏後、フランスに対して戦いを挑んだホー・チ・ミンは、その間隙を縫って一九四五年九月にベトナムの独立を宣言しています。日本軍の将兵の中にはそのままベトナムにとどまり、ホー・チ・ミンの部隊に協力していっしょに戦った人がかなりいました。また、インドネシアやインドの独立運動においても、日本軍は大きな役割を果たしています。
こうしたことは、戦後の日本では語られない、むしろ語ってはいけないことでした。私は日本が行った戦争がすべて正しく、美しかったと言うつもりはありません。 ただ、国と国との利益がぶつかっていくら話し合っても解決がつかず、最後の手段として武力をもって戦うということ自体は、国際法でも認められている行為です。ですから、戦争そのものを悪とする、しかも一方の国だけを悪としてしまう戦後の思想は、やはり公正さを欠いているのではないかということを感じていったのです。
(つづく)
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▼ドル基軸後の国際戦に備えよ (ドル基軸後の国際戦に備えよ )
【経済が告げる】編集委員・田村秀男 ドル基軸後の国際戦に備えよ
産経新聞朝刊2008.11.18
ドル金融主導の世界経済は天国・地獄の2車線高速道路のようである。1990年代後半、証券ブームにわいたとき、 「100年に1度の繁栄」と口走ったグリーンスパン米連邦準備制度理事会(FRB)議長(当時)は10年後の今、「100年に1度の大津波」と、のたま う。ワシントンで開かれた緊急首脳会合(金融サミット)合意の柱は金融商品への「規制強化」「透明性を高める」。ちょっとわかりにくいが、要はこのドル金 融高速道路の速度をとりあえず大幅に制限するという意味である。
ドル金融規制問題はドル基軸通貨体制の根幹を揺さぶる可能性を秘めてい る。米国は証券会社や投資ファンドが中心になって膨大な金融商品を創出し、世界の銀行や投資家から余剰資金を集めては国内で住宅ブームの財源とし、さらに 有り余ったドルを世界に再配分して新興国にもブームをもたらした。規制が強化されると、そのウォール街モデルが撤退、縮小を迫られる。ドルの魅力は薄れ、 産油国や新興国のドル資産離れに拍車がかかるだろう。石油のドル支配をユーロが崩すチャンスがくる。独仏はあせることなく、中国など新興国や産油国のサウ ジアラビアも巻き込んでワシントンを包囲するだけでよかった。
胡錦濤中国共産党総書記はサミットで十分存在感を誇示した。2010年まで に4兆元(約57兆円)を投入するという緊急経済対策のアナウンスメント効果は抜群で、中国はあたかも「世界の工場」から「世界の市場」へと豹変(ひょう へん)しそうだ。サルコジ仏大統領も会合後「ユーロ、人民元など重みを増している通貨は多い」と元をわざわざ持ち上げた。中国の内情は 「2月危機説」に揺れている。「12月20日から2月初めの間が正念場」と、筆者は北京の本音を聞いた。「不動産価格下落を食い止める一方、上海総合株価 指数2400(17日の終値は2030)を回復しないと中間層が壊滅する」「出稼ぎ農民たちへの給料不払いに歯止めがかからないと、何が起きるか」と。例 年だと2月の旧正月には出稼ぎ農民を中心に稼いだカネを手にした延べ一億数千万人以上もの人々が鉄道で都会から故郷へと向かう。ところが広東省の東莞市で は工場閉鎖や夜逃げ、倒産が相次ぎ、その数は2万5000件に上るという。
中国に限らず、グローバル危機は国内危機に転じてきた。優先すべきは国内、同時に国際的な利害争奪戦を勝ち抜かなければならない。サミットはきれいごとでも社交サロンでもあるはずがない。
麻生太郎首相が「ドル基軸体制堅持」を強調し、欧州に対抗したのは日米同盟上、当然の選択だ。総論はよい。だが具体的には財務官僚の発案に従って国際通貨 基金(IMF)に約10兆円を拠出する。国際機関の役割強化に貢献するというわけで、麻生首相は米欧首脳から握手攻めにあった。もともと米欧主導のIMF で日本は埋没。小切手外交の愚極まれりである。「保有米国債は売らないが、新規には買い増さない」(中国の大手国有銀行筋)中国も、利に さとい産油国も日本に追随するはずがない。日本が円資金を使い直接新興国のドル資金不足を補ったり、米国を直接支援して円の存在感を高める好機だというの に、みすみす逃した。日本は4月末の次期サミットまでに「ドル基軸後」の通貨体制に向け、戦略をしっかり立てないと、世界で没落するのはドルではなく円、 アジアで台頭するのは元という事態になりかねない
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ようちゃんの意見。↓
★本当に麻生総理のお坊ちゃま、鷹揚な長閑な政治では、今の魑魅魍魎の国政競争を勝ち抜けそうにない! 土建屋のおっちゃんの田中角栄氏のような、厚顔無恥の方が良い。小学校出ただけとは言え、漢字の読み間違いも無かったらしい。実践で鍛えた政治力は重要です。世界の政治家は皆吟体経験があるプロの殺人訓練をした首相や大統領ばかりなんですよ。日本の二世、三世のひ弱な坊や政治家では侮られても仕方が無いとは、笑って済ませれる問題では無い!陰謀・計略・罠をかけて仕留めるだけの知恵と腕力が欲しい。
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日本のお姉さんの意見。↓
IMFに金を出せと「アメリカに言われた」のかな。
インドネシアなどは、いずれIMFに頼らないといけ
ないだろうから、よかったんじゃないの?
と、言っても
IMFは、先にヨーロッパの小国を助けるために
金を使うと思うが。
韓国を助けるぐらいならインドネシアを
助けた方がよっぽどいい。韓国は石油も出ないし、
助けてやっても国民も政府もそろいもそろって
反日で、逆にかみついてくる。
他の東南アジアの国は、日本が助けると
感謝をしてくれているのかどうかは知らないが
韓国のように「恩知らず」ではない。
日本はアメリカと一緒に心中する気らしい。
持ち金をIMFに差出し、世の中のためになって
から、没落したら、その時は、IMFが助けて
くれるのかしら?
弱いアメリカは、どこかの国に日本の管理を
委託しちゃうかもしれない。
日本はチベットみたいになって、
二級市民として迫害されるようになるのかね。
そうならないように、過去の日本人は頑張ってき
たのに、この時代で日本が外国に支配される
のは、絶対に嫌だ。(アメリカとの戦争に負けて、
強いアメリカに支配されるのは仕方がないけど、弱いアメリカに
ついていく必要もないのではないか?アメリカの有名新聞は
結構、反日で、韓国系の記者に日本に関するひどい記事を
ずっと書かせている。アメリカとは、同盟国でありつづけないと、
いけない。アメリカは、原爆を落とすような恐い国であるのは、
間違い無いから、アメリカとは仲良くしつつ、自力で自分の国を
守れる自立した国にすばやく移行するべきである。
チュウゴクだってアメリカと経済的に仲良くしつつロシアやイラン
とも仲良くしている。いいかげんに日本も自分で自分の国の
未来を決定できる普通の国になるべきだ。それにしても、
チュウゴク寄り、朝鮮半島寄りの議員が多すぎる。日本人は
日本を愛する議員を選挙できちんと選ばないと、在日チュウゴク
人や在日韓国・朝鮮人に政治を支配されてしまいます。)